先日は、私の生活について
少し書きましたが、そんな事、誰しも沢山の方々が、もっと大変な事をしているわけで、単なる自分自身少し苦労しただけです。
私が東京で、必死で生きていた頃、よく母から、電話や手紙がきました。
内容は、いつも同じ「子ども3人見るの大変でしょ、大阪帰ってきたら」「今度いつ帰ってくるの?」ばかり、母は私が東京で家を守り、3人の子ども達を一人で守らざるを得なかった我が子に対して、辛く不憫だろうと、その事ばかりを心配していたんだろうな〜。
私は、帰る気もありませんでしたし、子ども達も生まれ育った、この町を離れる選択肢は毛頭無かったんだと思います、それより、別れて妻が実家に帰る事になり、二男と末っ子の二人で、駅まで見送りに行ったそうです、その場面と子ども達の気持ちを考えると、私は償うことのできない、事を子ども達にさせたと今でも辛い気持ちになります。し、死ぬまで後悔の念は癒されないこと。
でも、まあ大変だった!
仕事を休むと生きて行けない、長男は丁度美容室に雇って頂きスタートし、二男は建築の方に行きたいから、専門学校に行きたいと、末っ子は中3になり、何度か先生と話し会い、本人は、小学校の先生になりたいと…
えっ「どうしよう!」絶対無理でしょう。
でも、夫婦の問題で、子ども達の希望を諦めさせるのは、一生後悔する!
銀行強盗してでも、いかせる、道はつくるが、あとは、各自の努力。
幸い周りに、本当に良い友達がいて、沢山の援助をしてくださいました。
お陰様で、二男は50人位の建築会社に入り、末っ子は、推薦一本で学費の安い公立の大学に受からせて頂きました。感謝!
その時は、10円でも無駄に出来ない生活でしたから、母に会いに行きたいが、電車賃もなく、「今、ちょっといそがしいからと」断っていました、母は「日帰りでもいいから、ちょっとだけでも、話がしたい!」と何度も言っていました。
今、思えば、無理してでも一度会いに行きたかった。
長男も少しづつ給料も上がり、二男は勉強はできないが、友達が凄く多く、中学のころより、良く友達が遊びにきていました。
ある日は、ライオンの頭見たいな友達や、またある日は、牛乳瓶の様なメガネをした学年一番の友達やら、いつも小さかったけど、輪の中心にいて、みんなと容姿関係なく、付き合っていました。
これは、私にも絶対できない、才能だと、なんだか感じていました。
それを、実感したのは、二男が、入社2年目に、営業のサポート、製図、事務全般をしていて、自分に期するところが、あったんだと思います。「お父さん、俺、会社やるから」とまだ22歳!なんちゅうやつだ!
でも、まだ失敗しても若いからと!応援しました。
1人は、営業トップ。
1人は、不動産おたく。
そして息子の3人でした。
二人は順番にやめて、最後に息子が「今日、社長へ言うから」と、私は、私は「二年前、お前を拾ってくれた社長だから、ちゃんと理由を言って、しっかりとお礼を言って、辞めなさいね」と言いました。
後で、聞いた話で社長も若い頃に会社を興し、息子の気持ちは凄く解ると」理解をしてくれたそうです。
ちょっと仕事しま〜す!
んじゃ👋かっち