父の死から、母はひとりで何を思い、生きようと思ったか?
ただ、兄との二世帯住宅だったから、悲しみも少しは和らいでいたのかな〜。
相変わらず私は東京で働いていました、3人の男の子の父として、妻は看護婦で頑張っていました。
殆ど家にいない私に変わり、妻は良く小さな3人の子たちを殆どひとりで頑張ってくれたと感謝しています。
但し、人生は色々ありますね、大学2年20歳から付き合い、22歳で青山会館で結婚。
40過ぎまで、私と妻は、一生懸命に子どもを育て、30代で家を買い、順風満帆に進んでいました。
今思えば、彼女は少しづつ我慢していたんだなと思いました、常に私の顔色を見て、子どもを育て、仕事もハードなポジションにおかれ、心のストレスが出たんだとおもいます。これは全て私が、感じ心を引き出せなかった包容力の無さです!
私達は少しづつ気持ちが離れていきました。
長男が20歳、次男が17歳、末っ子が14歳の時、お互いに、別れる事を選びました。
長男だけ話に参加させて、何回か3人で話をしました。
彼女は、もう限界だと、決心をしていました、私は、まだ子ども達が小さいので、それを待って別れる事は出来ないかと、言いましたそれは、子ども達もそうですし、経済的にも、お互い700位でしたので、家もカバー出来、子ども達にもそれなりの生活をしてあげれましたので、半分になったら、かなりシビアに厳しくなると思いましたが、妻は、あるきっかけで、実家に帰り、2人は離婚しました。
それから約10年、私ひとりで、多感な男の子3人を見ることになりました。
今も、小さい時の、感謝は忘れませんが、子どもをおいて、ひとり帰ることは、今でも、私は間違っていると感じます、子どもを産む事は、凄い決意がいります、親の勝手で、子ども達に先の道を変えさせたくない!
それからの10年弱は、一生分の力を使い切りました。
営業でしたので、決まった時間はなく、子どもを第一に考え、仕事もフルで、やりきり、帰って、子ども達の食事、洗濯を夜中1時ころに良く干したものでした。
たまに、「何で俺だけ!」「何か悪いことした?」
と、初めて仏様を恨みました。
少し休みます、んじゃ
👋また、かっち
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