かやっ子ブログ

学校や志摩地域のようす、管理人の思いを不定期にアップします

校内を彩る花々

2011年07月15日 07時14分11秒 | 日記
可也小では、玄関、校長室前などの花が欠かされません。いつもボランティアで保護者のNさんが季節の花が入れば、学校で生けてくれます。校長室、職員室、洗面所、トイレ、そして各教室に行き渡るように小さな花瓶にも花を差して準備していただいています。本当にありがたいことです。来校者の方に、玄関の花を見てどなたがされているのですかと、よく訊かれます。
ホームページの「玄関を彩る花々click」もごらんください。

日米の架け橋「ルース人形」

2011年07月14日 07時55分58秒 | 日記
本校に保存されている「ルース人形」は、昭和2年(1927)に「青い目の人形」日米平和友好交流使節団とともに12,000体が平和大使として来航し、福岡県に259体贈られたものの一つです。大平洋戦争のさなか、敵であるアメリカから贈られたものとして焼き払われたものがほとんどで、戦禍を乗り越え現存している人形はとても貴重なもので歴史的な価値があります。本校には、その当時の教職員が、論議の末、処分しなければならないはずの青い目の人形を旧校舎の屋根裏に隠して守ったという話が残っています。いずれホームページ上で詳しく紹介したいと考えています。

二宮尊徳像

2011年07月13日 07時00分11秒 | 日記
可也小学校にも二宮尊徳の像があります。本体は銅でできています。台座には[報]の文字が刻まれており、その裏には「寄贈 像 簡牛凡夫 台 昭和廿四年卒業生 昭和廿五年八月建立」と刻まれています。1963年まで衆議院議員をなされた簡牛凡夫氏が像を寄贈され、昭和24年度卒業生が、台座を卒業記念品として寄贈し、昭和25年8月に建立されたもののようです。
簡牛氏は1955年(昭和30年)から1963年まで衆議院議員を務めてあり、衆議院議員になられる前に母校(おそらく)に、昭和24年度卒業生の記念品にむけて寄贈されたものではないかと想定されます。ちなみに私は隣の二丈深江にある深江小学校(あの当時はまだ二丈村立でした)の昭和39年度卒業生です。二宮尊徳の銅像を寄贈された可也小学校昭和24年度卒業生の皆さんがたも、すでに70歳代の半ばになっていらっしゃいます。今となっては、もはや遠い昔の話になってしまったかのようですが、今になっても、否、今だからこそ「報」の意味を私たちに問いかけてくるように感じています。
引津小学校の二宮尊徳像 ←click

学校に丁合機が来ました!

2011年07月05日 12時07分10秒 | 日記
これでどれだけ丁合作業の時間と労力が節約できることでしょう。糸島でただ一校もっている学校に借りにいくこともこれからありません。総会資料その他諸々の冊子が、経験上4分3の時間と労力が軽減される感じですよ。PTAの予算で購入したPTAの備品ではありますが、学校も本当に助かります。ありがとうございました。