仲間と歩く近郊の山

長年同じ会社に勤務した友人と退職後に楽しんでいる近郊の山歩きの記録です。

大文字火床と京都市中三山を巡る(2022年4月30日)

2022-05-03 | ハイキング


今日は西尾さんの母校、第三錦林小学校からスタートです。


本日のメンバーが勢ぞろい。これから大文字火床を目指します。


霊鑑寺の角で京都トレイルに入り、少し登った所から山道に入ります。皆さん余裕の笑顔です。
西尾さん格好の杖を拾われました。そして雙ヶ岡を下るまで大事に使っておられました。


こんなプロジェクトがあったんだ。自然を大事にするのは良いことです。


西尾さん元気です。


森を抜けて、「大」の右の払いの末端まで登るとこの展望!!


大展望を満喫する。


右の払いに沿って階段を登って行く仲間を撮影する藤田さん


上から見るとこんな感じ


西尾さんと保田さん、火床の中心に到着!


これから歩く吉田山、船岡山、雙ヶ岡の京都三山を見渡す。


絶景を撮影する福田さん、藤田さん。ここから銀閣寺までは家族連れが多かった。


景色に見とれるみなさん。


火床の中心


山側に祠が祀ってある。


北東の展望


下山開始すると目の前に比叡山(ズームしています。)


少し下って、千人塚


三々五々火床から下る。


西尾さんと菊池さんも楽しそうだ。


白沙山荘・橋本関雪記念館の庭に咲く花。初見で名前が分からない。


吉田神社北参道入口を少し進んだ所に石仏。お地蔵さんではなく大日如来だそうだ。風化が進んで顔の表情は定かでない。街道をゆく人を数百年見守ってきたのでしょう。


熱心にお参りする皆さん。保田さんが一番信心深い。


吉田山山頂の展望所。火床が正面に見える。


案内図



少し下った所には石の椅子の休憩所があった。


ここからも正面に火床が見えた。


森の中の料亭茂庵。風情のある建物だ。福田さんによれば有名らしいが知らなかった。


吉田山 三等三角点105.1m


三角点の前の広場で昼食休憩とした。



昼食後、吉田山から吉田神社に下って来た。


吉田神社の鳥居


参道。奥が吉田山。


吉田神社を抜けると、東一条通りになり、


京都大学の前を通る。


東一条通りが川端通りに突き当たった所から鴨川河川敷を通り、出町柳の飛び石を対岸に渉った。


飛び石の間隔が広いので、ドボンしないよう慎重に渉った。


西尾さんは杖の効果か、余裕の渡渉だ!


恵子サンはあぶなっかしいなあ。見かねた菊池さんが助け舟。


惠子サン、何とか渉りきったが、賀茂川の飛び石はバスして出町橋に逃げた。


河川敷の日陰で小休止


気持ちの良い遊歩道を出雲路橋を目指して歩きを再開。


出雲路橋が近づいてきた。


比叡山


出雲路橋西詰の出雲路鞍馬口の石標。
ここで賀茂川を離れて、鞍馬口通りを歩いた。
鞍馬口通りは京都市内の北部を東西に貫いて、下賀茂神社西門前から金閣寺前の鏡石通りまで続いている。豊臣秀吉が御土居を建設した際、ここに「京の七口」の一つ、鞍馬口が設けられたそうだ。江戸時代はこの通りが洛中と洛外の境界とされていた。(Wikipediaより)

出雲路橋については奈良時代の頃、出雲族が住んでいたということからこの付近を出雲路と呼んだことに由来するそうです。賀茂川に架かる橋で出雲路橋なのでしょう。
長年京都で仕事していても、全く気にせず、改めて調べてみた結果です。



堀川紫明の交差点の公園で一休み。


船岡温泉。休業中だった。


船岡山にやって来た。
船岡山 三等三角点111.7m


三角点にタッチ


京都西山の展望。


肉眼では南の方角に生駒山や葛城山、金剛山も視認できた。


展望を楽しむ皆さん。


船岡山から鞍馬口通りに戻り、千本通りを過ぎてから鞍馬口通りを逸れて古い住宅街の細い道路を辿ると御土居があった。
説明によると、「豊臣秀吉が京都整備と外的侵入防止のため築いたもので、総延長23kmに及ぶが、江戸時代以降は無用となり開発が進んで壊された部分が多い。現在市内に9か所残っている。」との事だ。


石仏が祀られていた。


国宝の本殿。
天満宮の総元締めだけあって、なかなか立派だ。参拝するのは初めてだ。


三光門


楼門


北野天満宮を辞してから、嵐電北野白梅町に出た。
歩いた距離が10kmを越え、疲れが見える人もいたので、ここから御室仁和寺まで電車で移動した。


御室仁和寺駅は改装されているが、駅名表示板はなかなか味がある。


藤田さんはこの辺りで幼少期を過ごし、御室小学校の出身なので、学校を見に行き、私たちは駅で待つことにした。学校の方角を懐かしそうに眺める藤田さん。


「御室 三等三角点」115.79m
学校を見に行ったFさんが戻ってきたので、すぐそばに位置する三低山の三つ目、雙ヶ岡に登った。雙ヶ岡には3つの岡が並んでいて、三角点のある「いちのおか」に着いた。


北の方角に仁和寺の境内が望まれた。ズームアップすると、奥に観音堂(左)と金堂、五重塔が、手前は二王門と左手は御殿(檜皮葺きの屋根)と中門が見えた。
長岡さんが仕事しているのではないかな?


東の方角は大文字山が望まれた。最初に登った火床がはっきり見えた。直線距離で約9km。一部電車に乗ったものの、あそこから歩いてきた満足感が湧いてきた。


「にのおか」の下り道の両脇にはツツジが咲き誇っていた。「にのおか」を下り、「さんのおか」を経てJR山陰線花園駅に下山した。
駅前の王将で餃子などを肴に飲んだビールは最高に美味しかった。

< 感想など >
大文字山の火床で京都市内の展望を楽しんでから、市内の三低山(吉田山、船岡山、雙ヶ岡)をいつもの山歩きメンバーと巡ってきた。
大文字山には良く登るが、三低山は麓を通ることはあったが、登るのは初めてだった。
三低山の標高は100mを僅かに超えているが、麓が標高70m~80mなので標高差としては数十メートルなので、街なかの公園の延長かと勝手に思っていたが、豊かな自然が残り、山中を歩いているような錯覚にとらわれる程だった。
又、大勢の家族連れの人達が散策したり、弁当を広げたりとそれぞれに楽しんでいる姿も印象的だった。
何れの山にも三角点が設置されているのも魅力だ。見晴らしも良かった。
船岡山からは京都を取り巻く山々や遠く金剛山も望むことが出来た。

大文字火床は京都市内が一望できる有数の展望スポットなので、そこからこの日に巡る三低山を確認した。
連休初日で人気の山には大勢の家族連れが押し寄せていた。

三低山を繋ぐルートは吉田神社から東一条通り、賀茂川沿いの遊歩道、鞍馬口通りを通った。

鞍馬口通りは京都市内の北部を東西に貫く古い通りで、銭湯を改装したカフェや昭和を思い出させる銭湯がある。(銭湯・船岡温泉は休業中)
又、小さいながら個性的な飲食店やパン屋さんなども多く、昔ながらの商店も多く見受けた。

西尾さんが賀茂川で足が攣り、北野天満宮辺りで疲労の色が見えたので、北野白梅町から、雙ヶ岡の麓にある御室仁和寺まで嵐電に乗り、2km弱を短縮した。
その後、西尾さんは元気を取り戻し、雙ヶ岡の3つの岡を越えて、ゴールであるJR花園駅に着地した。

40年近く京都の会社に勤務したが、その頃は殆ど社用車やバスで移動していたので、大通りしか通ったことがなかった。
この日初めて長い距離を、通しで歩いて新たな魅力を感じることが出来たし、有名な社寺仏閣も初めて訪れるところが多かった。

本日のメンバーとはこの10年、一緒に山歩きを続けてきましたが、最近は山より街道歩きや街歩きにも魅力を感じておられるようなので、山歩きと、街道歩き、街歩きを楽しんでいきたいと思っています。


山仲間と歩いた葛城古道(2021年10月23日)

2021-10-25 | ハイキング


近鉄御所駅から新宮行バスに揺られて20分ほど、風の森バス停から歩き始めると、目の前に金剛山から葛城山が屏風のように迫ってきた。大阪側とは山の見え方が全く異なる。


金剛山をアップで


ミゾソバ


ヨメナだと思う


和気藹々と歩く。 藤田さん靴を新調されたが、この後トラブルがあるとは・・・。


15分ほど歩いて高鴨神社に到着


先ずはお参りしましょう。


本殿への階段。本殿は1453年の再建で国の重要文化財だそうだ。


池に張り出した舞台が有った。能など奉納するのだろう。


読みにくいが、由緒によれば、この辺りは縄文時代晩期から集落が形成され、この神社は全国の鴨系神社の元宮で、古代から祭祀が行われていたそうだ。


鳥居の前でパチリ。歩き始めたばかりで皆さん元気!!


大きなサンザシの実が赤く色付いていた。


おお待ちどうさんです。


葛城古道の道標がしっかり整備されていて迷う心配は無かった。


路傍のお地蔵さん。


この辺りは城のように立派な民家が多い。


高天(たかま)への入口。「神話の里・高天ヶ原」の標識があった。この辺りにも天孫降臨の高天ヶ原伝説が有るそうだ。宮崎県の高千穂だけだと思っていた。


高天彦神社の入口にある原始的な鳥居。ここから神社まで標高差80mの階段の急登がある。


ヨメナだろう。高天彦神社の駐車場付近に咲いていた。


この花は一際鮮やかな紫色だった。


高天彦神社に到着。ここがこの日の最高地点で、標高450m。


高天彦神社にお参りする保田さんとお参りに向かうK子さん。
保田さんは賽銭箱が有ると必ずお賽銭をあげる。きっとご利益があることでしょう。
次にお参りするK子さんはどうなんでしょう???


高天彦神社の由緒。神社の背後にそびえる白雲岳がご神体だそうだ。白雲岳は下から見ると非常に急峻でピラミダルで、いかにも神が降臨しそうな山容だ。
ダイトレを登って行くと一の鳥居の大分手前に白雲岳頂上985mがある。こんな謂れがあるとは知らなかった。


神社の横から金剛山への登山道が続いていた。ヤマレコを見ていると奈良県側からは良く登られているようだ。登山道の横に水車がある。


杉の巨樹の根元は洞になっていた。

 


参道を振り返る。


縦位置で


境内の休憩所(左)は飲食禁止だったので、神社の横で昼食休憩した。
藤田さんここで新調した靴をバーナーで焦がしてしまった。大事には至らなかったが危ない所だった。歩行に差し支えなかったが不幸中の幸いだった。


高天彦神社から下って行くと、高天寺橋本院がある。高天寺は高野山真言宗の古刹で、往時は聖武天皇から鑑真が住職に任命されたこともあるそうだ。その後、南北朝の争乱に巻き込まれて衰退したが、1677年に高天寺の一子院橋本院として復興し、現在に至っているそうだ。


門前の厄除け十三仏


背景の三角形の山が白雲岳のようだ。




十一面観音を祀る観音堂。


葛城古道は庭園の中を通っている。足裏に優しい道だった。舗道が多かったのでホッとする時間でもあった。


境内の庭園には十月桜が咲いていた。


橋本院の庭園で白雲岳を背景にこの日のメンバー。背景は白雲岳


カメラマンを交代して


紫の鮮やかな菊が咲いていた。ノコンギクのようだ。


橋本院を出ると道は一転して山道の急坂となった。


急な山道を下り、沢を渉って登り返すと開けた場所に出る。そこでは大峰山の大展望が開けていた。


中央左よりは山上ヶ岳、右端は稲村ヶ岳。


少し右に振って、大きな山体の弥山と八経ヶ岳。


極楽寺の鐘楼門


鐘楼門を境内から


極楽寺本堂


よく見ると菊池さんも信心深いようだ。ご利益ありますよ!


住吉神社


道標


何の花だろう???


葛城山が段々と大きくなってきた。


高木神社


境内の大銀杏


大銀杏の下は銀杏で埋め尽くされていた。K子さんは毎年大阪城公園で茶碗蒸し1回分を拾っているが、今年はこの神社で10個ばかり頂いてきた。


収穫を終えたK子さんと見守る皆さん。


道標と葛城山


葛城山に近づいて大きく見えるようになってきた。


大分歩いて名柄の集落。古い街道の風情が残っていた。


杉玉があったので、酒屋さんだと思って進むと、


葛城酒造の醸造所でした。


道を隔てて中村家住宅


この辺りは柿の木の畑が多かったが、収穫せずに放ってある畑が見られた。
この木は広場の端に一本生えていたが、渋柿なんだろうか?


古い郵便局舎を利用したカフェ「郵便名柄館」赤いポストが懐かしい。


長柄神社。
地名は「名柄」で神社は「長柄」、読みはどちらも「ながら」だ。
ここも延喜式内社で1000年以上の歴史を持つ神社だ。


境内の大ケヤキ


案内板


一言主神社の参道


一言主神社。一段と風格を感じた。


お参りする人も多かった。


拝殿。扁額には「式内 大社」とある。延喜式内社だからここも相当に古い。
一言主命は神話の登場人物だが、この地方に勢力を張ったが最終的には大和朝廷に服従した古代葛城族の代表か一族の総称なのだろう。生駒山周辺に勢力を広げていた饒速日命(ニギハイヒノミコト)と同じようだ。饒速日命は東大阪に鎮座する石切神社の主祭神だ。


無患子(ムクロジ)の木。樹齢650年とあった


ムクロジと社務所


ご神木の大銀杏。樹齢1200年。


一言主神社を辞して、集落を抜けると小さな池が有った。


池の土手に咲いていたツリガネニンジン。堤の下には群落が有った。


刈入れの終わった田んぼ


ヤマハッカが群生していた。葉はハッカの香りがした。
ハッカ水を自作して虫よけに使っているが、実物を見るのは初めてだ。
(ハッカ水はハッカ油2mlを10mlの無水アルコールで溶かした後、蒸留水を加えて100mlにする。爽やかな香りがして、ブヨなどの虫よけにもなる。)


高丘宮跡の碑。綏靖天皇(すいぜいてんのう)は神武天皇の第三王子で、日本の第2代天皇と言われていて『日本書紀』での名は神渟名川耳天皇。神話の登場人物だから実在性については諸説ある。全く知らなかった。


棚田のはるか向こうに畝傍山と天香久山が見える。耳成山は手前の森の陰で見えない。心安らぐ景色。

 


棚田の横を通る古道


道端に祀られた石仏


九品寺。
行基の開創という古刹。偶然に住職さんと話ができた。本堂の横に銅像が立っていたので、浄土宗の寺だから法然上人だと思って聞いたら行基だった。近鉄奈良駅を地上に上がった噴水の所と、もう一ヶ所の3ヶ所にあるそうだ。本堂左の鐘楼の鐘は元々興福寺にあったが、変遷を経てこの寺にあるとの事と、右手の地蔵堂の地蔵尊は麓の集落で祀ってあったが行き場がなくなったのでこの寺で祀ってあるそうだ。境内の奥の千体石仏が有名だそうだが、この日は時間が無かったので参拝でできなかったので、是非とも再訪しようと思っている。



山門前には六地蔵が2セット。古道を行き交う人たちの安全を祈願したのだろう。


六地蔵の先に祀られた地蔵尊

 


この日の最終目的地「六地蔵石仏」に着いた。


巨岩の一部に六地蔵が彫られている。大分風化が進んでいる。


石仏の前で休憩する皆さん。大分お疲れです。
このあたりは櫛羅(くじら)という地名で、葛城山の登山口になっている。
登山道は櫛羅の滝コースと北尾根コースの2本あり、前者には櫛羅の滝がある。落差は10mくらいだったと思う。


御所駅に向かう道で振り返ると、金剛山が随分遠くに見え、葛城山との鞍部になる水越峠から差し込む夕日が神々しく見えた。


六地蔵石仏から田んぼの中の生活道路を東に約2km歩いて、ゴールの近鉄御所駅に到着。
皆さんお疲れさまでした。

この時点で皆さんの意識は既に反省会に向いていたはずだ。
反省会は橿原神宮駅中の「きはる」で行い、深く反省したことだった。

< 感想など >
この5月に計画していたが、コロナで延期していた葛城古道を歩いてきた。古道は云いながら大部分は舗装道路だったが、古道から見える山々の大展望には感動したし、古い歴史を積み重ねてきた地域の持つ独特の雰囲気を感じることが出来た。すぐ西側に金剛山と葛城山が障壁のようにダイナミックにそびえたって、1000m級の山とは思えないほどの迫力で迫っていた。終始この山並を眺めながら歩けるという贅沢さだった。南方は大峰山の山並みが連なっているのが遠景として望むことが出来た。山上ヶ岳から稲村ヶ岳、弥山、八経ヶ岳が確認できた。八経ヶ岳の向かって右は仏性ヶ岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳などであろうが、同定は難しかった。大峰山の西方向には高野山の山々も確認できた。東の一角はは多武峰が画していた。
この辺りは標高300m前後の丘陵で縄文時代晩期から集落が形成されていたそうだ。縄文人が好む高燥地だ。稲作が広まるにつれてだんだんと低湿地に移っていく歴史がある。一帯に存在する神社や寺は京都や奈良などのように大きな規模ではないが、殆どが1000年以上の歴史を持ち、幾多の変遷を経ながらも、豊かな地域の皆さんに支えられているのだろう。最初にお参りした高鴨神社は古代鴨族の神社だし、高天(たかま)という所には高天彦神社が祀られていて、高天ヶ原という神話の世界の舞台の候補地の一つだそうだ。いままで高天ヶ原と言えば高千穂と思っていた。神話の世界が現在も生きているような錯覚を覚えてしまった。その後、高天寺・橋本院、極楽寺、住吉神社、長柄神社、高丘宮跡、一言主神社、九品寺などを巡って最後に櫛羅(くじら)集落にある六地蔵石仏にお参りしてから、東に2km程歩いて近鉄御所駅をゴールとした。御所一帯は古代葛城族が栄えた場所であり、日本でも有数の展望と歴史と神話が混然一体となって現在につながっている所であった。このような場所を皆さんと一緒に歩けたことは大きな喜びであった。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 


古の巡礼道・西山古道を歩く(3月27日・土曜日)

2021-03-28 | ハイキング


阪急バスに阪急東向日駅前で乗車して25分、大原野の田園風景の中にある終点・南春日町から歩き始めて最初の分岐に立つ古い石柱。『東 向日町 光明寺 長岡 道』とあった。これから西山の山中を歩いて長岡天神駅まで歩く予定だ。ここは左に進むのだが、・・・


前に来たのは10年前だから、記憶が曖昧になっていて、最初反対方向に行こうとしていた。(菊池さん撮影)



昨年11月以来なので、皆さん嬉しそうだ。コロナ対策をしっかりして歩き始めます。


ホトケノザ


2番目の分岐。左の東海自然歩道へ進む。右は小塩山の淳和天皇陵への道。


分岐で1枚パチリ(菊池さん撮影)


菊池さんも入って1枚


民家の庭先で見たが、何の木だろう。マユミかな?


金蔵寺境内の不動堂前の桜。


金蔵寺本堂下の階段。ここは紅葉で有名だが、その新芽が出ていた。


本堂では声明が上げられていた。山中の寺で聞けるとは思わなかったので感動した。


本堂に参拝して寛ぐ皆さん。藤田さんはストレッチに余念がない。


本堂前を右手に進むと開山堂があり、本堂との間から権現堂への階段がある。小塩山への山道も開山堂の横から出ている。権現堂には愛宕大権現が祀られているそうだ。この寺は718年(養老2年)の創建だが、応仁の乱で焼失したのを徳川綱吉の生母、桂昌院の寄進で再建されたそうだ。本堂の奥に桂昌院廟があった。


仁王門から本堂方向を見上げる。西尾さんを気遣う保田さん。


庫裏横のダンコウバイが満開だった。


参拝を終えて仁王門前で1枚(菊池さん撮影)


金蔵寺を辞し、山道となった東海自然歩道を40分ほど進むと府道733号に出て、すぐに分岐がある。ここは左手杉谷、善峯寺方面へ進む。右に行くと、大原野森林公園・森の案内所へ行ける。


杉谷を目指す元気印のおじさん達。心なしかうつむき加減ですよ。少し疲れましたか?
この右手の斜面のタムシバが綺麗だった。藤田さんはここで一句詠んでいた。(菊池さん撮影)


杉谷集落の入口にある道標。ここから西へ延びる山道を進むとポンポン山へ行ける。この日は善峯寺を目指した。『穴太・善峰巡礼古道』と言うらしい。帰宅して調べてみると、善峯寺は西国三十三所の20番、穴太寺(亀岡市)は21番で両寺を結ぶ巡礼道のようだ。


杉谷でポーズを決めるお三方。菊池さん決まってますね!


道標の脇の梅の古木


杉谷から狭い車道を標高差で160m程下った場所にある西山古道の入口。善峯寺の駐車場への入口が車道の反対側にある。。西山古道とは善峯寺(京都市西京区)、光明寺(長岡京市粟生)、柳谷観音(長岡京市柳谷)を結ぶ信仰の道だったそうで、NPO法人「 京おとくに・街おこしネットワーク」が整備、復興に尽力されたそうだ。


古道に入る前のチェックをする皆さん


古道を10分ほど進むと柳谷観音の全景が見えるポイントがあった。


その先に展望所への分岐があり、左に数分下ると更に展望に優れた場所があり、境内を歩く人が良く見えた。ベンチが有ったのでここで昼食とした。


昼食を終え出発準備をする。藤田さんは皆さんにコーヒーをふるまってくれたので、後かたずけが大変だ。


分岐に戻り、古道を進むと釈迦岳、ポンポン山への道を右に分ける。西山古道は左。


西山古道を40分ほど進むと大沢峠に着く。峠は十字路になっていて休憩場所がある。菊池さんが三脚を立て、無線を使ってリモート撮影に成功。(菊池さん撮影)


大沢峠(四辻)を直進すると島本町大沢、右は釈迦岳、ポンポン山で、西山古道は左に進む。進んだ場所に立つ案内板。四辻に通行止めの看板があったが、何の障害も無かった。結局、何が原因なのか分からなかった。不要な看板は撤去して欲しい。


その後は、このような道標が数多く設置されているので安心して歩ける。


林道と交差する場所


ミツバツツジが咲き始めていた。


柳谷観音の手前に長岡京へ下る西山古道の分岐がある。


西山古道の方角を確認するお三方。


菊池さん到着。この後、西尾さん到着。足が攣ったので頓服を服用されたそうだ。
ここから獣害予防柵を2か所潜って、柳谷観音にお参りした。


柳谷観音本堂


お参りの後、写真撮影する福田さんと藤田さんを見守るお二人。


分岐に戻り、西山古道を長岡京を目指して下山した。この辺りはミツバツツジが満開だった。


尾根から谷に降り、せせらぎが段々と深い谷になり、トラバースするように付けられた山道を下ること50分ほどで京都縦貫自動車道の下を潜るが、その場所にカキドオシが群落を作っていた。ここから奥海印寺の住宅街を抜け、長岡天満宮の横を通って阪急長岡天神駅に出た。

反省会は長岡天神駅前の王将で、約1時間と軽めに行った。(コロナ対策)


NPO法人 京おとくに・街おこしネットワークが発行している地図