仲間と歩く近郊の山

長年同じ会社に勤務した友人と退職後に楽しんでいる近郊の山歩きの記録です。

大文字山北斜面を歩き廻り、山科へ(2021年12月12日I)

2021-12-13 | 山歩き


銀閣寺を出て中尾尾根に出る場所を間違えた上に、藤見台に入る場所も間違い、細い踏み跡を辿ったが、踏み跡も無くなり斜面を強引にトラバースして、山道に復帰する途中で黄葉した大きめの葉が降り敷く場所に出て感激。付近一帯が黄色に染まったようだった。


落ち葉を吟味する皆さん


本日の目的の一つ、藤見台近くの落葉スポットにようやく到着


落ち葉で一帯がオレンジに見える。


モミジの葉が降り積もって斜面が赤くなっている。


谷筋を登って行くと見事にひときわ鮮やかに色付いたモミジが一本あった。 


落ち葉のじゅうたんの中を登る藤田さんと惠子さん


中尾の滝に降りて来た。


幻の滝方面へ登り返す途中の小滝。この日はトレランの大会を実施中で、この辺りがコースになっていた。


水場の上、幻の滝近くまで登ってきた。 


谷を登り詰め、出逢坂への登りを左に分けて、右に延びる踏み跡を辿って火床からの登山道に出て下ると、目の前に紅葉した山々が見えてきた。中景は瓜生山だと思う。


火床の下部の森も色付いていた。この景色を眺めながらの贅沢な昼食を摂った。


少しアップで


瓜生山方面 


休憩の後、出発前に火床の下をズームアップ。この後一旦下り、谷を2つほどトラバースして、


鵲(カササギ)峠に登り返した。この辺りを出逢坂と言うのだと思っていた。 


峠から少し登った所に出逢坂の標識があった。アサギマダラの絵が何とも言えず味がある。 


大文字山頂までもう少し。


振り返ると比叡山が霞んではいたが、大きく見えた。


大文字山頂に設置されている「鹿ケ谷 三等三角点」465.44m


山頂からは南~西の方角に展望が開けている。この日は遠景は霞んでいた。


山頂標識 


藤田さん、一句ひねってます。

保田さんは遠くを見つめて何を想う?


大阪のおばちゃん、飴をねだる?


記念に1枚 (右端の人は合成しました)


写真では分かりにくいが、天使の梯子(薄明光線)が微かに見えていた。


山頂で休憩してから京都トレイルを蹴上方面に下り、41番標識から左に分岐する山科ルートFを下った。


良く踏まれた歩きやすい山道を下る事約30分でルートFの登山口に降りてきた。樹の幹にF0のレスキューポイント表示が付けられていた。京都トレイル41番にはF4が有った。降りた所でルートGに合流する。


林道に出て一安心。のどを潤す大阪のおばちゃん。


大阪のおばちゃん、少々お疲れかな?(久しぶりの山だからなあ)


下って行くとルートCの登山口。この少し手前に安祥寺上寺の案内板が有ったが、そこはルートDの入口だったようだが、歩いている時は分からなかった。ルートCとDは何度か交差して登って行くようだ。

ルートAの入口まで降りて来た。ルートAは林道歩きが長く、途中に通過は可能だが酷い倒木地帯がある。ここから登ると直ぐにルートBの取り付きが有るようだ。 


山科聖天 


毘沙門堂の参道。有名なモミジの落ち葉は大部分が無くなっていた。少し遅かったようだ。 


疎水べりの案内板には「国鉄」の文字が見られた。年代物だ。


京阪電車800系(山科駅にて)


乗車する電車が入線してきた(800系の1号車)。三条京阪で京阪電車に乗り換えて京橋に出た。運よく快速特急「洛楽」に乗ることが出来た。以前、京阪特急は今の快速特急と同じ停車駅で、京都の七条から大阪の京橋までノンストップだった。

<感想など>
大文字山の北斜面は細い踏み跡が錯綜していて迷いやすいので、予めジオグラフィカにコースを登録して臨んだが、2度ばかり間違えてしまった。藤見台に行く際に道を間違えと勘違いして引き返し、中尾城址からの尾根道(中尾尾根)に戻り、少し登った所から細い踏み跡を辿ったら、途中で踏み跡が無くなったので斜面を強引に横切って山道に復帰し、藤見台近くの紅葉が降り敷いた場所に辿り着くことが出来た。昨年ほどではないものの、落ち葉で斜面が赤く見える程積もっていた。そこから南に進み、谷から尾根に登った所から北に下り、中尾の滝を目指した。中尾滝付近は開催されていたトレラン大会のコースになっていて大勢のランナーが走っていた。一人に聞けば笠置から走ってきたそうだ。中尾滝を見た後は沢沿いの道を幻の滝方面に登った。途中、紅葉は殆ど終わり、大きな木が2本ほど綺麗に色付いていた程度だった。幻滝付近の分岐を切り返し気味に右に行く予定だったのに直進して谷を詰めた所から右の細い踏み跡を辿ってしまった。谷をトラバースして枝尾根に乗り、急登を登り、右方向の踏み跡を辿ると大文字山登山道と中尾尾根の合流点に出た。そこから大文字登山道を下って火床に出て、昼食休憩とした。火床付近は大勢の登山者やハイキング客でにぎわっていた。北方向の瓜生山や火床の下の森はナラやクヌギがオレンジ色に輝いて見事な景色となっていた。昼食後、火床の中心から銀閣寺への登山道を少し下った場所から谷沿いに中尾尾根に出てから直ぐに左手の細い道に入り、更に枝尾根を越えて幻の滝の上部に出た。1時間30分ほど前に通った道を登り、分岐を左に進んで出逢坂を経て大文字山山頂に出た。山頂は大勢の人が休憩していたので、撮影をしたりして、5分ほどで蹴上方面に下り始めた。当初の計画では七福思案処から山科ルートGへ進み、途中からルートHを経て、疎水沿いの道を天智天皇陵へ行く予定だったが、毘沙門堂のモミジの落ち葉が降り敷いた参道を見たくなってルート変更した。京都トレイル41番標柱から始まる山科ルートFを進んで、ルートGに降り立ち、林道を下って毘沙門堂へ出たが、落ち葉は側道に残るのみで、時期的に少し遅かったようだ。毘沙門堂参道を緩やかに下って山科駅に下山した。ルートFは全体的に緩やかで歩きやすい道だった。又谷越しの斜面はクヌギやナラの大木がオレンジに色付いて、見応えのある秋の風景であった。JR山科駅付近から見える山の斜面も同様に色付いていた。山科駅前の王将で餃子と生ビールでささやかな反省会とした。


春日山原始林と石窟仏を巡る山歩き(2020年11月3日・祝日火曜日)

2020-11-04 | 山歩き


近鉄奈良駅を出発。瓦でできた門柱1対があった。なかなかいい感じだ。当初は前日の予定であったが、雨で一日順延したこの日は気持ちよく晴れ上がった。さあスタートです!!


興福寺境内で若い鹿が寛いでいた。


奈良のシンボル興福寺五重塔


再建成った中金堂を横から撮影


奈良公園のナンキンハゼが色付いていた。奥には奈良国立博物館。正倉院展を観る人が長蛇の列を作っていた。


奈良公園で一枚。左のテントの下に正倉院展参観者が並ぶようだった。


若草山の麓近くの水谷茶寮。古い茅葺の屋根が周囲の景観と調和している。


水谷茶寮の表側。この建物、まだ現役のようだ。


いよいよ春日山遊歩道へ突入! 幅広の砂利道で良く整備されて歩きやすい。急登も無い。


遊歩道は春日山原始林の中を通っている。原生林ではなく、原始林だ。特別天然記念物だそうだ。


前日の雨を吸った樹の幹の苔から水蒸気が立ち上っていた。


朝日が原始林に差し込んできた。


遊歩道を颯爽と歩く保田さんと藤田さん


若草山に到着。若草山は三重になっていて、ここは三重目。麓から見えるのは一重目らしい。


西の方角の展望。右は生駒山地、左は二上山から葛城山の稜線。その向こうに見えていた山並みは六甲山かと思ったが、帰宅して調べたら和泉葛城山付近の山々のようだ。画面中央が二重目。


山頂の一角に鶯塚古墳があった。枕草子にある鶯陵はここではないかと言われているそうだ。


鶯陵の石碑の横に「三笠山 三等三角点341.64m」が設置されている。


北の方角。肉眼では左手に愛宕山、右端の稜線の上に比叡山の山頂が覗いているのが視認できた。

以下、山頂の紅葉


若草山を下りた所の道標。ここから春日山石窟仏、地獄谷石窟仏、首切地蔵を目指します。首切地蔵まで6kmくらいかな。


若草山から奈良奥山ドライブウェーを歩く。ドライブウェーは砂利道で車の通行は非常に少なかったので気持ちよく歩けた。遊歩道の延長のような感じだった。


途中にあった花山地蔵。花山はこの背後の山で、「春日山 四等三角点497.69m」があるが、入山禁止となっている。春日山の奥(東)に位置する。


柱状の石材と自然石に彫られた地蔵尊と右端は風化が激しく判別不能だが周囲を石で囲まれている。


この辺りで一番大きい山桜


根元はねじれている。


老樹に比べたらまだまだ若い皆さん。


鶯ノ滝への下降点にある石碑。「左 鶯能瀧」「右 高山神社瀧坂乃楓」と記されている。


世界遺産の石碑


3人は世界遺産ではありません。念の為。


石碑横の休憩所で昼食。


少し歩いてこの日のお目当ての一つ春日山石窟仏に到着


平安時代の作らしいが、風化して顔が欠落している仏像もある。


こちらは地蔵菩薩


風化が激しい。


石窟仏はこのように屋根と金網で保護されている。


春日山石窟仏からすぐに石畳の柳生街道の分岐がある。


分岐で一枚パチリ


柳生街道・石切峠にある茶店


古い佇まいだ。爺さんが店番していた。ここで引き返して地獄谷石窟仏をめざした。


砂利道から舗装道になり、名前も高円山ドライブウェーに変わった道を約300m歩いた駐車場に立つ案内板。地獄谷石窟仏を見た後はここに戻り、滝坂の道を歩く予定だ。


奈良の世界文化遺産維持の貢献している森だそうだ。


入口に立つ藤田さん


藤田さんを見守る保田さん


地獄谷石窟仏。奈良時代の作ながら微かに色調が残っている。春日山石窟仏より硬い凝灰岩だからだろうか。


石窟仏横の案内柱


外観はこんな感じ。金網と岩を屋根で覆ってある。


首切地蔵


首切地蔵を見上げる皆さん


裏側まで入念にチェック


石畳の柳生街道。江戸時代に奈良奉行が普請したそうだ。


街道横の岩壁に刻まれた朝日観音。真東を向いている。高円山から昇る朝日が当たるのでこの名前が付いたそうだ。旅人の安全を祈念したのだろう。


朝日観音の案内板


少し下って、夕日観音。こちらは南南西を向いていて、夕日が当たるようだ。撮影は14時だったが陽が当たり始めていた。


夕日観音からすぐ、寝仏を鑑賞する皆さん


横たわった仏像が確認できる。
滝坂の道の石仏はこれで終了。あとは石畳の道を歩いて高畑に出る。


寝仏の前で記念撮影。ここまで13km程歩いているが、皆さん元気だ!!


石畳の道は歴史を感じさせるが、雨の後は良く滑るので要注意だ。


高畑町まで来た。ここは春日山遊歩道の南側の入口だ。奈良奥山ドライブウェーの芳山(ほやま)料金所からここまで、滝坂の道の上部の原始林の中を通っている。反対を向いている藤田さんは拗ねているのではなく、一句ひねっているところだ。


良い句ができたようですね。


見上げればナンキンハゼが綺麗に紅葉していた。


路面は落ち葉で真っ赤になっていた。


遊歩道入口から少し下った車道沿いのナンキンハゼ


この日の奈良はナンキンハゼが一番紅葉していて綺麗だった。


高畑町の西入口から春日大社に入り、広大な境内を歩き、本殿に参拝して近鉄奈良駅まで歩いてこの日の山歩きを終えた。


本日歩いたコースです。歩行距離は16.6kmでした。

反省会は近鉄駅前商店街にある大衆酒場the STANDで実施した。日本酒が美味しく全部で9杯も飲んだ。参加された皆さん、ご苦労様でした。


長い歴史の重みを感じた木の芽峠

2020-09-20 | 山歩き

6/27に北山を歩いた後、この会では久しぶりに1泊2日で木曽駒ヶ岳を計画していた。東京から山口さんも参加予定だったが、コロナの感染拡大を考慮して、5月の熊野古道・小辺路・果無峠に続いて中止した。この日はほぼ3か月ぶりの例会となった。数日来の雨も晴れ上がり、気持ちの良い初秋の峠越えが楽しめた。


敦賀までサンダーバードを利用、敦賀から新保のR476・木ノ芽トンネル手前の登山口に着いた。
タクシーの運転手さんが撮影してくれた。タクシー代は4000円。


木ノ芽峠の歴史がまとめてある。


登山口にはツユクサが群生していた。


こちらはキンミズヒキ


峠までの中間地点。古い道標に新しい案内板が付けられていた。


保田さん、快調に飛ばしてます。日頃のウォーキングの成果です。


福田さんが追いつくのを待ってパチリ。保田さん余裕の表情。


藤田さんも追いついてきた。


俳句を詠みながら歩くのでやや遅れ気味の藤田さん到着。良い句が詠めましたか?


木ノ芽川沿いの峠への道


弘法の爪書き地蔵の案内


弘法の爪書き地蔵が描かれた大岩。描線は風化して定かでない。


この辺りから下草が伸びて前日の雨が大量に付着していた。難儀するほどではなかった。


紫式部(973頃~1014頃)がこの辺りで歌を詠んだらしい。997年とあるから1000年以上前の話ではないか。


昔の旅人はこのように休憩していたんだなあ。良いデザインだ。


休み石を見て、往古の旅人の苦労に思いを馳せる福田さん


ゲンノショウコ。根を乾燥させて煎じて飲むと胃腸病、特に下痢に効くそうだ。


木ノ芽峠下の木ノ芽川源流地点。冷たかったがあまり綺麗ではなかった。


源流に咲くツリフネソウ。付近一帯に沢山咲いていた。


木ノ芽峠


峠に建つ一軒の民家。築550年だそうだ。御年80歳の前川さんが一人、猫と一緒に暮らしておられる。


藁ぶきの前川家をバックに記念撮影


道元禅師の碑。曹洞宗の総本山・永平寺の開祖。
曹洞宗の教えの根幹は、「只管打坐(しかんたざ)」 で、 ただひたすらに坐るという坐禅だそうだ。


ご主人の前川さんと話が弾み、と言うより前川さんの独壇場ではあったが、
30分以上休憩させて頂き、地元のアイスクリームをご馳走してもらった。アイスの
上に黄な粉がまぶしてあった。


座敷にデンと置かれた茶釜。豊臣秀吉から拝領した陣中茶釜だそうだ。ちなみに前川家は桓武天皇を祖とし、前川さんは初代から数えると55代目だそうだ。平清盛から35代くらいだったかな?織田信長の流れもあるそうだ。信長の先祖は越前の神職だったことは歴史上明らかで、尾張に出て、尾張の守護代織田氏の庶流となり、信長の父、信秀の代に勢力を広げた。前川氏の先祖は朝倉氏に仕えた時代もあったようで、その後は福井の北の荘城に詰めた時期もあったそうだ。代々の宝物は殆ど散逸した模様だ。(前川氏談)


玄関の正面に平重盛の墓があった。重盛は清盛の嫡男。墓誌には前川氏の36代の祖とある。
この墓は現当主の前川さんが平成20年に建立されたようだ


苔むした麦藁屋根を見上げる保田さんは何を想う。歴史の長さ、重さ、はかなさかな?


今庄側から見た前川家。街道の古い面影が濃い。


前川家を辞して街道歩きを再開。


歩き始めたが、良い雰囲気に思わず撮影タイムになった。


北西に展望が広がっていた。


アップすると大きな山塊が確認できたが、どこの山だろう。同定が難しいが方角と距離感から判断すると、永平寺町北側に東西に広がる浄法寺山1052.9mではないだろうか。


ツリフネソウ


アップで


峠からしばらくは幅の広い歩きやすい道が続く。


言奈地蔵(いうなじぞう)のお社


屋根の苔がすごい


トリカブトが多い。季節の花だ。


笠取峠を下ったところにある案内。



ミゾソバがスキー場のゲレンデに咲いていた。


長い舗装道歩きの途中の道標。木ノ芽峠から3km歩いてきた。


綺麗に晴れ上がった空に秋を感じた。


樹の根元には山神様の石塔が建っていた。


山神様の前で


撮影タイム


二ッ屋の宿場跡に着いた。こには遺構が沢山あった。昔は賑わったようだ。


大きなケヤキがあった。


樹齢は300年くらいだそうだ。


ケヤキの横には荒れ果てた日吉神社。北国街道全盛の頃は二ツ屋宿の鎮守だったが豪雪のため住民は離村してしまい、今は荒れ放題になっている。


街道の横の二ツ屋川の小滝。この辺りでは水量が増えてくる。


街道に佇む地蔵尊。比較的新しいようだが風雪を経た表情が良い。


街道脇の広場で昼食休憩。周りの風景に溶け込んで寛ぐ藤田さん。
木株の上にはお茶を沸かすコンロが置いてある。


大分下ってきて、現在の二ツ屋の集落の入り口。民家は大きく立派な造りの家ばかりだった。
正面の建物はトイレ。



二ツ屋の看板と二ツ屋川。奥は藤倉山の稜線。


藤倉山をアップで。


かなり広い範囲の田んぼでソバが栽培されていた。今花盛りで、11月には新ソバが食べられるそうだ。今庄では有名との事だった。地元の人がおいしいソバ屋を教えてくれたが、昼ご飯の直後でお腹が一杯なので、食べられなかった。


ソバの花


ソバ畑の横をゴールに向かって歩く。今庄駅まであと4kmくらいがんばろう!!


藤倉山の麓の新道地区。この辺りも立派な家が多かった。


北陸トンネルの今庄側出口を撮ったつもりが右端に切れてしまった。


南今庄駅を通過する、サンダーバード。鉄道写真初心者なので車両の先頭が切れている。
修業が足りんなあ!!


北陸トンネルを目指す同じサンダーバード。焦っているので斜めになっている。アカンなあ!!


この辺りは鹿蒜の里というらしい。木ノ芽峠の案内もある。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


稲田の向こうを疾走する特急しらさぎ。後部がかけているではないか!!


サンダーバード。同じく後部が欠けている。アカン。これからは鉄道写真は福田さんに任せよう。


田んぼの中を談笑しながら歩くお二人。株の話かな???


今庄に入って直ぐにある鹿蒜神社。鹿蒜の里にあるから鹿蒜神社だろう。式内とある。
式内とは平安時代に編纂された格式である「延喜式」に記載されている神社のこと。


街道は秋の風情が漂っていた。


今庄宿のの入口にある常夜灯


今庄には造り酒屋が4軒ある。


こちらは街の中心付近にある新羅神社。朝鮮半島から移住した人たちは敦賀に上陸して、この地にやってきて集落を作ったのだろう。福井からは伝説上の継体天皇が出ている。朝鮮から渡来した技術集団の長を総称したのだろう。この地を豊かにして力を蓄え、大和に進出し一時代を築いた。その後も大和朝廷の基礎をこの人たちが築き上げたのだと思う。


藤倉山にはここから登るようだ。春の花で有名だったが、鹿害で絶滅したそうだ。
西尾さんの提案で計画したが花がないので断念した経緯がある。


造り酒屋(2軒目)藤田さんは何を想う?


町屋に上げられたうだつ。徳島県美馬市の脇町が有名だが、ここは木製で珍しい。防火と富の象徴で余裕のある家はこぞって上げたそうだ。


広くて立派な本陣跡


本陣の説明


造り酒屋(3軒目)立派なうだつが上がっている。


今庄駅の大きな高札風の看板


今庄付近の案内図

 


今庄駅。観光協会と物産館が同居してる。新しくなって昔の面影は無くなってしまった。(初めて来たけど)


今庄駅構内は昔の面影が残っていた。敦賀方面。画面左には広大な機関区跡があった。北陸トンネルが開通するまで峠を越える為に増結する機関車が配備されていたそうだ。敦賀からの列車は増結した機関車をこの駅で切り離し、敦賀に向かう際は増結して出発したそうだ。(福田さん談)


福井・金沢方面。長いホームが昔の繁栄を物語っていた。今、停車するのは普通電車だけで2両編成だから少々悲しくなる。



敦賀行き521系の普通電車が入ってきた。

この後、敦賀で15:23発の新快速に乗り換えて京都で下車して反省会に臨んだ。
反省会では藤田さんの配慮でエビスビールをたらふく飲むことができた。
藤田さんありがとうございました。
飲み気に走ってしまい、写真はありません。

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。