老態自己観察メモ

2017年12月5日現在73歳、日々変わりゆく自分。
その目線には変わりゆく世界、その変化を日記として記録する。

「死の受容」の場として

2020-03-06 23:01:14 | 老態観察

毎日新聞2020年3月6日 
滝野隆浩の掃苔記
「死の受容」の場として

日本葬送文化学会の野外研修で瑞江葬儀所(東京都江戸川区)に行った。
「葬儀所」とはいっても、実は火葬場である。
当日、2月19日は「友引定休日」。施設の隅々までゆっくり見ることができた。

 昭和13(1938)年、当時の東京市に唯一の公営火葬場として開設。
 欧米の先進的な要素を取り入れ宗教的な装飾を抑え、
 「美しい庭園の中の明るく清潔感のある施設」をめざした、
 当時としては画期的な火葬場だった――と元職員、嵯峨英徳さんの
 著書「東アジアにおける火葬の考察」にある。

 逆に言えば、昭和初期の他の施設は、暗くて陰気だったということだろう。
 同書にはさらに「無煙・無臭・無公害」「炉の格差を設けず、低廉な料金で、
 心付け無用」を基本理念にしてきた、ともあった。昭和50(75)年に
 全面改築されて半世紀近くたつ。たしかに古いけれど、火葬炉は20基もあり、
 天井は高く、敷地内には緑があふれていて、他の自治体の手本となった
 当時の面影が残っていた。

 見学中、「最近は公費の火葬が増えています」と聞いて胸が痛んだ。
 生活保護受給者や孤立死のケースは公費で火葬されることが多い。
 都民の火葬料金は1人6万1000円で、「公費対象者」は600円。
 実に100分の1だ。民間火葬場ではここまで安くはできないから、
 公営の瑞江に集まってくるという。
 葬儀をしない「直葬」もかなり増えているらしい。

 開設した80年前、地域や家族は総出で亡くなった人を弔っていた。
 いまは、見ず知らずの他人の手で送られる人が増えているのだ。

 研修の最後に、嵯峨さんが約20年の施設での経験を会員に話した。
 人はまだ遺体のままだと、近しい人の「死」を認められない。
 子を亡くした母が「何てことをするの、やめて!」と絶叫するのを何度も見た。
 それでも火葬後、骨となって炉から出てくると静かになる。
 ここは「死の受容」をする決定的に重要な場所なのだと。
 「ですから火葬場がなぜ、『迷惑施設』と言われるのか。
 そのことの根源的な意味を考えてほしいのです」。
 ホールには自筆の書が掲げられている。2文字。「尊厳」とあった。


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