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週間池波正太郎の世界の鬼平犯科帳(二)を購入した。
御存知、鬼平とは火付盗賊改方長官”長谷川平蔵宣似”であるが、若い頃の名を”銕三郎”と言い、本所界隈で仲間を引き連れ暴れまわり「本所の銕」と恐れられていたと言う。今日は鬼平の原点である本所界隈を、yahooオークションで落札した、おNewの古着物?を着流しでプラプラ散策してみよう。
押上駅を”ふりだし”にして散策開始。
以前、一杯引っ掛けたことのある炉端焼き田中屋があったビルや、その近くの古びた金物屋等は完全に取り壊されており、押上駅前は東京スカイツリー開業に向けた再開発が進められている。
いつものように押上交番前の橋からツリーを定点観測するが、35ミリ相当の画角では収まりきらないほど上に伸びており、ツリーから少し離れてみるとその高さは更に実感できる。
本所界隈を漠然と歩くのではなく、町中を流れる横川を下り旧長谷川邸のあった錦糸町駅の南口周辺まで行ってみることにした。
大川(隅田川)を渡ったこのあたりは、江戸時代中期まで”下総国”だったが、両国橋が建築された以降、江戸に組み込まれたらしい。
川沿いの遊歩道を歩いていると、本所七不思議の壁画を発見。
その中の1つに、昔の大映映画「妖怪百物語」でも語られた”置いてけ掘り”もあった。
ここ横川沿いの遊歩道は、とてものんびりしている。
人見知りしない白サギは、近くまで寄ってカメラを向けても逃げるどころかポーズをとってくれる。
読書をする人、釣りをする人、散歩をする人、それぞれの休日を楽しんでいる。
錦糸町方面に向かって歩いている時、何気なく後ろを振り返ると、常に東京スカイツリーが視野に入ってくる。現在の高さは281メートルであるが、完成時はその倍以上の634メートルになるという。想像力が乏しい40おやじには、その高さをイメージすることさえ難しい。
総武線のガードをくぐり、少し歩いた所に旧長谷川邸があったらしい。
近所をプラプラすると面白い呑み屋を発見。その名は”酒処 す吾六”。看板には「人生すごろく、たまにはやすみも、いいものさ」と書かれているが、お店が閉まっていてはここで休むわけにもいかず、再びサイを振り、駒を両国まで進めていく。
味のある名称の北斎通りを西へ向かって歩いていると、野見宿彌神社という小さな神社があり、中に入ってみると歴代横綱の四股名が刻まれた石碑がある。
柏戸、大鵬、北の富士、玉の海、輪島、北の湖、千代の富士、曙、貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬。それにしても、最近は外国人横綱が幅を利かせている。土俵内外で。
北斎通りの所々に葛飾北斎の浮世絵が飾られているが、通り沿いにある緑町公園のトイレにまで、富岳三十六景赤富士が描かれていた。
ほどなく両国に到着。
国技館は初場所が終わったばかりなのに、多くの人で賑わっており、報道関係の方もたくさんいる。
道路を渡り堤防の上に立つと、目の前に大川がゆうゆうと流れている。
川沿いの柔らかな風が着物の裾をはらりと裏返す。
ここ両国で一休みすることにしよう。
国技館のすぐ脇に、今日の散歩にぴったりの「下総屋食堂」という時代を感じさせるお店があった。
暖簾を潜ると、昼時なのに客は一人も居らず、店主と奥さんの二人がそれぞれ別のテーブルに腰掛け新聞を読んでいる。平成も22年になったが、この店は昭和のまま刻が止まったかのようであり、店内の柱時計の針も動いてはいなかった。
メニューは実にシンプル。魚と野菜のおかずしかなく、焼き魚や煮魚は一品300円で、野菜の煮物、炒め物は200円なのだ。
チョイスしたのは、鰯の丸干しとインゲンのおひたし。トーゼン、温燗も1本つけてもらいます。
鰯を突付きながらコップ酒を呑む。
辛口の酒の銘柄を尋ねると、これまた出来すぎのように”菊正宗”と返ってきた。
菊正宗のCMソング「初めての街で」が、頭の中を小さなボリュームで流れてくる。
♪初めての店で いつもの酒
それだけで なじみの客♪
なじみ客になった40おやじは、温燗をもう1杯いただき、店主から国技館のことなどいろいろな話を訊いた。
今日、人がたくさんいるのは、皇司の引退相撲があるからだそうだ。
古くから両国駅の反対側にあった国技館は、終戦後、進駐軍に接収されたこともあり、蔵前に移設されていたが、25年前に再び両国貨物駅跡に戻ってきたとのことだ。
そして、この店も戦前から営んでいて、昔は大潮の時、隅田川の水が店の中まで流れ込んできたものだと、79歳のおやじさんと77歳になるおかあさんは、懐かしそうに話をする。
もっといろいろ話をしたいが、楽しい時間は過ぎるのが早い。
笑顔で見送られ、両国から錦糸町へひとつ戻り、横須賀線で我が町、新川崎へと向かう。
電車に乗るや、睡魔に襲われ・・ZZZ・・状態になり、振ったサイの目が大き過ぎたのか、新川崎を飛び越して1つ先の横浜まで行ってしまった。
押上駅から駒を進めた、江戸~昭和の時空を越えた双六も、夕刻、平成の自宅で”あがり”となった。
次はどこを”ふりだし”にしようかと考えるのも、また楽しい。
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