長崎のずんだれ社長の奮闘記

長崎JCOB大木敬介の日記。今は、ながさき100㎞徒歩の旅に関する記事を掲載しています。

さてさて新タイトルは!

2007年03月29日 | 長崎青年会議所(長崎JC)
 そろそろ新タイトルを決めないといけまへんなぁ~。何にしましょうかねぇ~。。いいネタが転がってないかなぁ~???

 ところで旧タイトルの
長崎の女性保険代理店の息子の日記
には、私なりの思いがありました。新タイトルのヒントになるかもしれないので、ちょっと振り返ります。あっ、長くなりますし、落ちもありませんから、忙しい人はすっ飛ばしちまって下さい。

 私の母は私が生まれた時から保険代理店の仕事をしておりました。小さい時から私はそれを見ていたのですが、子どもの頃の私は親の仕事を一緒にしたいと思ったことはありませんでした。何故だかはっきりは解りません。親への反抗心というのもあったでしょう?

 中学生になった位から、母と母の仕事について話をする機会が少しづつでてきました。母の仕事への情熱や真面目さ、そして素直さや優しさ・・・。母の仕事に対する色んな思いを感じて、母を一人の社会人として尊敬することができました。今でもこれは変わりません。「情熱・真面目さ」という点に関しては、世の中の社会人の中で母の事を一番尊敬しています。(母親としては・・・・どうかな?)

 それでも、やはり母とは一緒に仕事はしたくありませんでした。一番強かったのが「決められたレール」の上を歩くということへの反抗心です(自分で勝手に思ってただけなんですけどね。)。ただそれだけではなく、自分の手で母の会社以上に素晴らしい会社を作りたい!と思う夢もありました。このころから実際今の会社に入社するまで、私の思いの中で母の会社に入るという選択肢は0%でした。もうここまで来るとアレルギー反応みたいなものです。保険アレルギーにもなりましたし、長崎アレルギーにもなりました(あっ!今は長崎大好きですよ。)。

 さらに嫌だったことがあります。母の近くにいると皆は私のことを「O木の息子」という存在で見ます。まぁ当たり前なんですけど・・・。でも、「俺もO木なのに・・・」とか、「親は関係ないのに・・・」そんなコンプレックスをず~~っと持ち続けていました。福岡で就職をしたのも、そんなコンプレックスを持ち続けていたからだと思います。自分より年上の人達が自分の事を苗字で呼んでくれるだけでうれしかったんです。母と関わりのないところで生活をしていた時にはこのコンプレックスから逃れることができました。ある意味マザコンなのかも知れませんね。

 ところが一転!諸事情があり長崎に帰ってくることになりました。腹を決めて帰ってきたつもりだったのですが、長年育て上げてきた「長崎アレルギー」「母親アレルギー」「保険アレルギー」はそう簡単には解決できませんでした。誰にも相談のできない辛さもありました。今の会社を辞めたいと真剣に悩んだ事も何回もありました。

 そんな中、お客様の紹介で長崎青年会議所に入会させていただきました。色んな方と色んなお話をさせていただきました。同じような境遇で同じような悩みをかかえてる方もいらっしゃれば、私なんかよりもっとキツイ状況で頑張ってらっしゃる方もいらっしゃいました。

 それまでは心のどこかで、「保険の仕事をしていること」「母と一緒に仕事をしていること」「長崎にいること」を認めたくない自分がいましたが、頑張っている方々やパワー溢れる方々と接する機会が増えて、「自分も頑張んなきゃ!!」って思うようになりました。

 旧タイトルには自分への気合入れの意味を込めていました。「自分は長崎が大好きなんだ!」「保険の仕事に誇りを持ってやっているんだ!」「社長の息子として胸を張って生きていくんだ!」。言ってみれば決意表明みたいなもんですね。訳あってブログタイトルを変更することになった訳ですが、この思いは持ち続けていきたいと思います。


・・・・さて新タイトルは何にしようかな????