私の趣味ってなんだろう、と考えた時、いろんな引き出しが出てくる。現在でもそうであるが、ギターとか歌とかあったようだ。現在でもそうである。歌は、いろいろな種類のものを試して見たけれど、感性の違いによってその時々の歌が変わってくる。20代の時は、フォークソングの全盛期で、自分もその方向に向いていたようだ、今は、昔を思い出すとき、その当時に聞いていた曲が流れてきたら、懐かしく感じる。今現在は、年もとったので、演歌というジャンルであろうか・・演歌を聞いていくと心にスーと入ってくるようだ。自分でも、ステージに立って歌った時期があり、懐かしさを感じてくる。今の世の中、いろいろな趣味を多彩に持っていることは、人生を豊かにしてくれると思っている。
現在、10:00過ぎ何を考えているかというと、明日のこと、今のこと、将来のこと、自分が死ぬ寸前のこと・・・いろいろある。死ぬ寸前って言ったら、それは、嘘になるかもしれない。今、考えてみれば、親父の人生の最も最後の瞬間に立ち会った時、人間は、そこで、その瞬間に必死にもがいている。もがいてもがいてもっと生きながらえようとしている。それが、見えてきた。親父が死んでいく瞬間は、それが見えた。親父が、死ぬ2週間ぐらい前に、必死で生きていこうという姿が、見えた。人間の最後っていうものは、そういうものかとも・・思えてきた。その必死な姿は、本当である。それを間近に見た時、自分の生きる意味にかわってきた。今でもそうである。生きていく意味、それは、なんであろうか。今からあくせく働いて、生活が成立するくらい働いて、どれくらいのものが、残っていくのか。誰もそんなことを考えながら生きてはいない。毎日、毎日、生きる価値を求めて生きていない。
介護をしていると、ついついストレスが溜まってきます。それは、実際やってみなければ絶対に理解できないことだと思います。実際、ここ4,5年間両親を介護してきて、現在は、お袋だけですが、ストレスが溜まっています。何もかも一人でやっているのですが、それが、いけないと言われればそれまでです。現在の日本で、自分のような境遇にいる人が、だいぶんいる現実は、理解できています。その中でたまに悲惨な出来事が起こっていることも把握しています。極度なストレスが溜まってくれば、そうならざるおえないと感じる時があることは、事実です。そうならないためにどうするべきかを考えることが必須です。それをしなければ・・・自分も・・・
母は、私の鏡と書いてしまいました。それは、日々母の介護を一人でしていて、母に色々ときついことを言う機会がたくさんありました。認知症もある母が、2,3日前の夜中に認知症の周辺症状という幻覚みたいなものが出て、人格が変わったかのような感じになりました。考えてみると、その日まで、私の母に対する小言がたくさんあったと反省しています。それをきっかけにして、そういう症状が出てしまったと思い、反省しています。ちょうど、私が夜中の夜勤に行っていた時でした。心では、わかっているつもりですけれども、つい口調がきつくなっていたのかなあと・・・思っています。認知症について学習する必要を感じています。だから、母は、私の鏡である・・・と言えるのです。私が穏やかな気持ちの時は、その写しが母の気持ちであると・・・私がイライラしている時の鏡の写しが、母のイライラであると・・・