今、人生の替え時かもしれないですね。そう行ったことを言っている自分という存在は、なんだろう。と考えると、面白いことだと思います。いろいろ変化がある人生を歩んでいる私にとって・・・もう、20年前ぐらいになるでしょうか、ある人から自分のことを破天荒な人だと、言われたことがあります。破天荒という意味合いが、その時理解できずにどんな意味だろうと調べたら、今まで人がしなかったことをするようなこと・・・と書いてありました。自分は、そうなのかなあと一瞬思いましたが、そうなのかもしれないと、ふと考えてしまった思い出があります。自分の人生のポリシーに、人とは違った歩き方をしたいというものが根付いているようです。昔から、そうだったようです。なぜなんだろうと・・深く考えたこともありません。そこに、自分の前に引かれた一本のレールは、曲がりくねったレールのはずです。決まり切った人生なんて面白くもない。という考えです。
今、you tubeの「演歌」を聞いています。そうしたら、人間の儚さをしみじみ感じました。どういうことかというと、今までそこに一緒にいた人間が、急にいなくなるということ、それは、そのことを深く考えていると、どうしてもおかしくなってきます。死んで火葬されたら肉体が消えてしまう。そのことは、どんなことであろうか。でも、そこにおかしなことが起こっている。人間が,今まで考えたこと、気持ち、そんなことは、どうなっているんだろう。
今週の金曜日から、11日まで大阪に行ってくる。何の目的もないということではなく、命の洗濯とでもいうことができるかもしれない。命の洗濯ということは、自分の命の洗濯になるということであろう。今まで、自分は、将来のことを考えていろいろな資格も取得した。電気工事士、ITパスポート、運行管理士(貨物)、ボイラー2種、フォークリフト、危険物、食品管理、あと少しあるけれどもそれは、言わないでおこう。その資格を得ることが将来のためだということで、自学自習をして取得して行った。自分のこれまでの人生というものは、何でもゼロからの出発であった。ゼロから何かを起こし行く、そう行った生き方である。現在でもそうである。敷かれたレールの上を歩いて行こうとは全然思ってもいない。自分で、生み出していくのである。そう生き方が、男としての生き方だと私は、自負している。今後もそうである。金曜日からも、そういう目的のために大阪に行くのかもしれない。
ちょっと思い出してしまった。それは、どういうことかというと、親父をずっと介護していた時のことである。介護といっても肺がんという病に、親父と二人で立ち向かった時のことで、いろいろと考えながら2,3年やって来たことである。人間最後ということになれば、必死になるもので、親父もそうであった。その時のことが、手帳にも残っているけれども、それはそうであろう、もう二度と自分の命がないという時、人間は、黙ってそれを傍観することができようか。。できない。自分ももがき尽くすに違いない。二度とこの世には現れることができなくなるわけであるので、親父は、自分と二人でいろいろと取り組んだことで、満足はしていただろうけれども、つまり、自分の息子と命について最後、考えていったということで、満足はしていただろうと、思うけれど、やはり、最後は、ある程度もがいて死んでいった。つまり、この世を惜しむように、最後の病床での言葉が「俺は、もう諦めた」という切ないことばだった。そんな言葉は、あの生前強かった親父の口からは、聞くはずもなかったという思いだったけれど・・・ふと、頭の中に瞬間よぎったことだった・・・
ちょっと思い出してしまった。それは、どういうことかというと、親父をずっと介護していた時のことである。介護といっても肺がんという病に、親父と二人で立ち向かった時のことで、いろいろと考えながら2,3年やって来たことである。人間最後ということになれば、必死になるもので、親父もそうであった。その時のことが、手帳にも残っているけれども、それはそうであろう、もう二度と自分の命がないという時、人間は、黙ってそれを傍観することができようか。。できない。自分ももがき尽くすに違いない。二度とこの世には現れることができなくなるわけであるので、親父は、自分と二人でいろいろと取り組んだことで、満足はしていただろうけれども、つまり、自分の息子と命について最後、考えていったということで、満足はしていただろうと、思うけれど、やはり、最後は、ある程度もがいて死んでいった。つまり、この世を惜しむように、最後の病床での言葉が「俺は、もう諦めた」という切ないことばだった。そんな言葉は、あの生前強かった親父の口からは、聞くはずもなかったという思いだったけれど・・・ふと、頭の中に瞬間よぎったことだった・・・