ポンキッキーズで鈴木蘭々がお弁当を作るコーナー
「ママのお弁当クッキング」
毎回お宅訪問して鈴木蘭々がそこのうちのお母さんと一緒に弁当作るというトンデモ企画だった(-_-)
いつも鈴木蘭々さんが苦しそうに弁当作っていた。働かせすぎだろ!
写真?ネットさがしてもねえよ!
↑ウサギならあった(笑)右が鈴木蘭々さん。左が安室奈美恵さん。なんかエロいんやけど…
《ニュース》
障害者スノーボードの全国選手権大会の決勝が19日、長野県であり、下肢障害その他のクラスで成田緑夢(ぐりむ)選手(23)が優勝した。成田選手は、スノーボード元五輪代表の成田童夢さんと今井メロさんの弟で、この大会2連覇。障害者スノーボードは、2018年平昌パラリンピックから新たに競技に採用される。
成田緑夢「希望になりたい」 障害者スノボ全国大会連覇:朝日新聞デジタル (アーカイブ)
《成田三兄弟》
↑スノボの成田といえばこの人。成田童夢(なりたどうむ)元選手(1985年9月22日生)。トリノ五輪出場
↑スノボの今井メロ元選手(1987年10月26日生)。今井メロは選手登録名。本名は今井夢露(いまいめろ)=当時。兄貴と苗字が違うのはメロさんが希望して離婚して親権を持つ母親の苗字(今井)に変更したから…トリノ五輪出場。
↑成田緑夢(なりたぐりむ)選手(1994年2月1日生)
1998年の長野オリンピックではスノーボードのデモンストレーターを務め、小学校時代から国際大会に出場した。2010年の時点で、バンクーバーオリンピック金メダリストのショーン・ホワイトが見せた新技「ダブルマックツイスト1260」を一発で決める技術を持っていた。平行してトランポリン競技もこなし、上宮高等学校2年時の2010年8月、全国高校選手権の男子個人で歴代最高得点16.3点で最高難度賞を受賞した。
2012年11月からフリースタイルスキー・ハーフパイプに取り組み始め、2013年1月、2月のFISワールドカップに3回出場した後、2013年フリースタイルスキー世界選手権の日本代表に選出され出場。
しかし2013年4月、トランポリンの練習中の事故により左足の腓骨神経麻痺の重傷を負う(障害等級6)。障害を克服してハープパイプ競技に復帰を果たし、さらに2020年開催の東京パラリンピックに出場するため、走り高跳びなどの障害者スポーツにも取り組むようになった。
成田緑夢 - Wikipedia
悔しいやろうなあ(-.-)
ぐりむ君が兄弟の中で一番まともやん。ほんとに一生懸命競技に取り組んでるのこっちにも伝わってくるもん。
トランポリンの練習中に怪我したんやで(>_<)詳細は報知新聞でどぞ↓
【陸上】成田緑夢、ソチ目標からパラ代表で「夢、感動、希望届けたい」
障害者陸上の男子走り高跳び(T44)で、東京パラリンピック出場を目指す成田緑夢(ぐりむ、22)=フリー=は、19歳の時に人生が急変した。2006年トリノ五輪スノーボード代表の成田童夢、今井メロを兄姉に持ち、自身も14年ソチ五輪出場を目指していたが、13年4月にトランポリンの練習中に大けがをし、左膝から下が不自由になった。五輪競技の第一線からは身を引く不遇に立ち向かい、昨年10月にパラ陸上で再起した。
夏と冬の両方の五輪に出ることが、幼い頃からの緑夢の夢だった。「必ず実現する、そうできるって信じてた。けど、3年前、ほんの一瞬にして、僕の夢がパッと消えてしまった」
フリースタイルスキー(FS)ハーフパイプでソチ五輪を目指していた13年4月。つい1か月前は初めて世界選手権に日本代表として出場したばかりだった。大阪市内の自宅屋上で、強化のために行ったトランポリンで大けが。両足首に5キロの重りをつけての特訓で、1回転した後の着地に失敗し左膝が関節と逆方向に曲がった。「パキッと。その時は脱臼か骨折と願った」
入院から1週間は激痛で眠れず「地獄。強力すぎて30分に1回しか使えない麻酔のことだけ考えて生きてた」。半年間の入院で4度手術。「触っても感覚がなく、『アカンかもな』と思った」時に事実を知った。「腓骨(ひこつ)神経麻痺(まひ)」。医師から「切断するかも知れない。一生、動かない」と説明された。
障害者手帳は6級に。それでもスポーツを諦めきれず、パラ選手の発掘イベントに参加し、障害者陸上と出会った。未経験の走り高跳びは昨年10月に本格的に開始。今年3月に国際パラリンピック委員会(IPC)の審査を受けるために行ったドバイでの国際大会で、今季世界10位以内に相当する1メートル57をマークした。3回目の試合、5月の日本パラ陸上選手権はリオ・パラリンピックの参加標準記録(1メートル70)を超える1メートル74と伸ばし、今月4、5日のジャパンパラ大会ではさらに1センチ更新した。
成田3きょうだいの末っ子で、子供の頃からスポーツ万能。将来を嘱望されながら五輪への夢を引き裂かれた。それでも緑夢は「けがをしたことで僕は生まれ変わった」と言う。「今までの夢は、兄と姉の流れに乗った成田家の夢だった。今は自分の考えで、自分の意志で光を発したい。そう思えるようになった」
東京パラリンピックで描くゴールはメダルではない。「障害を持った人、けがして引退を迫られている人に夢、感動、希望を届けるのがゴール。それが大けがをした自分に課せられた使命であり、そのためなら死んでもいいと思ってる。『使命への自己犠牲』。それが今の僕の全て」。22歳は、より大きくなった夢をかなえるために戦い続ける。
【陸上】成田緑夢、ソチ目標からパラ代表で「夢、感動、希望届けたい」 : スポーツ報知 (アーカイブ)
いや|ヽ(~~。)あまりにも無茶しすぎ…
足首捻ったらどうなるとか考えへんかったんかなあ?
(ノ∀`)アチャー
やってもうたもんはしゃあないけどな…(хх)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます