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[訃報]サッカーの岡野俊一郎さん肺癌でお亡くなりになる。享年85歳

2017年02月06日 07時08分00秒 | ニュース
《ダイヤモンドサッカーの解説を務める岡野俊一郎さん(右)。司会は金子勝彦アナウンサー(左)》

【岡野俊一郎さんが伝えた「世界のサッカー」W杯開催にも尽力…85歳で死去】

日本サッカー協会会長として2002年日韓W杯を成功させ、長年国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた岡野俊一郎氏(日本サッカー協会相談役)が2日午後10時56分、肺がんのため都内の病院で死去した。85歳だった。

1968年メキシコ五輪でコーチとして日本代表の銅メダル獲得に貢献し、同年から始まったサッカー情報番組の「三菱ダイヤモンドサッカー」では解説者として世界のプレーを紹介。IOC委員としてスポーツ界の発展にも尽力した。(中略)

サッカーに没頭したため卒業まで7年間かかった東大でFWとして活躍して日本代表入り。ドイツにコーチ留学したのち、63年に日本代表コーチに就任した。

得意の英語とドイツ語を生かし「日本サッカーの父」と言われたドイツ人デットマール・クラマー氏(故人)の通訳を兼ね、選手との橋渡し役になった。

64年東京五輪ではコーチとして8強入り。釜本邦茂氏が得点王に輝いたメキシコ五輪ではサッカー界初の銅メダルに導いた。自伝によれば、長沼氏がチーム全体をまとめて練習の指揮を執り、岡野氏が選手個々の強化、試合の戦術を決めていたという。70~71年には代表監督も務めた。

その後は豊富な人脈を買われ、日本オリンピック委員会(JOC)総務主事などを歴任。90年から11年まではIOC委員を務め、98年長野五輪招致にもかかわった。

02年W杯の招致競争では、FIFA内の権力抗争により日韓共催が避けられない状況で、FIFAのブラッター事務局長(前会長)から電話で「日本も共催を受け入れる趣旨の文書を出してくれ」と頼まれた。前例がなく運営の難しかった共催を、日本協会会長として成功に導いた。(中略)

88年まで約20年間放送された「三菱ダイヤモンドサッカー」では、解説者として海外の映像を技術や戦術だけでなく、チームの歴史や土地柄、民族性まで豊富な知識と見聞を交えて紹介。子供たちが世界のサッカーを知るきっかけをつくった。

欧州に根付く「ホーム&アウェー」の文化を伝えたことは、Jリーグの地域密着の理念が受容される素地となった。(以下略)
岡野俊一郎さんが伝えた「世界のサッカー」W杯開催にも尽力…85歳で死去 : スポーツ報知   (アーカイブ)

《岡野俊一郎さんを偲ぶ》
東大理科Ⅱ類(医学部進学コース)1年生当時  ソース

1953年第1回全国大学選手権で東大が優勝(前列左)。得点王にもなり、ユニバーシアード日本代表に選ばれる。。  ソース

1961年、西ドイツへのコーチ留学の直前。空港にて  ソース

1964年東京五輪、初戦のアルゼンチン戦に勝利し、クラマー氏(右)と岡野俊一郎コーチが喜びの記念撮影  ソース

メキシコ五輪の日本代表メンバーとして銅メダルを獲得した岡野俊一郎さん(後列右端) ソース

トルシエ監督と岡野日本サッカー協会会長(当時) ソース

01年12月、W杯抽選会で韓国サッカー協会の鄭夢準会長(左から2人目)らとトロフィーを披露した岡野俊一郎さん(右から3人目) ソース

殿堂入りの表彰式。前列右から三人目が岡野さん  ソース

お疲れ様でしたm(__)m


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