哲学日記

辻潤とショーペンハウエルとブッダ

(低人さんのブログ「あほりずむ」から)
◎アナキズム図書室の辻潤の文章を読みました。


(辻 潤「のつどる・ぬうどる」より引用)
 自分はこの世に生まれて来たことを別段ありがたいことだと思ってはいないが、ブッダや老荘やショーペンハウエルなどという偉人の教説を知ることの出来たことを、せめてもの一大慰安だと考えている。僕はかれ等の弟子のひとりとして、自分流儀にかれ等の教えをフエンしているに過ぎない。僕に厭き足りない人達は直ちにかれ等の許に走るがいい。自分はむしろそれを乞い願っている。

(引用終)


(にひる・にる・あどみらり1 より引用)

神様と云うような動物がどこかに存在していて、このような世の中をこしらえたとすれば、まヅそんなケシクリからん動物から退治する必要がありますね。緊急動議。
(引用終)

 

よく言った!

辻潤を餓死させ、大杉栄を絞殺し、幸徳秋水を処刑し、三木清を獄死させるような社会は滅びないわけがない。
彼らはいずれも、幼稚な社会にとって、なくてはならない父親のような存在だったのだから。





(「のつどる・ぬうどる」より引用)
人間は物に飽きる動物…
(引用終)

 

社会制度、政治制度、道徳、思想が時代によってめまぐるしく入れ替わる事実を説明して進歩、発展などというが、真っ赤な嘘である。
「より役立つから」などというのも、事後の意味付けに過ぎない。

ただ飽きたから替わるだけのことだ。

ほんとにそれだけだと、おれは思う。

 

 

 

 

(「のつどる・ぬうどる」より引用)

「自分」と名付けている「存在」も考えようでは実は複雑きわまる「代物」で決して簡単な「個」ではない。掘り出せばなにが出てくるか知れたものではない。
(引用終)

 

 

 

 

 

「自分」は考えようでは複雑きわまる「代物」で決して簡単な「個」ではない。掘り出せばなにが出てくるか知れたものではない。

 

そう。盲目の生きんとする欲に惑わされて混乱迷走する考えようではそうだ。

そう考えてれば、実際にも、そうなってしまうし。

 

 

しかしだ、

たとえば最初得体のしれないものに見えたマジックも、ネタばらしを見た瞬間、たちまちあきれ返るほど他愛ないことだったと知るだろう。

そのように

「自分」という複雑そうで得体のしれないマジックも、

実のところ「自分」はただの記号に過ぎない

という、ブッダのネタばらしを理会した

 

瞬間(とき)

あまりの他愛なさに、

誰もがあきれ返ることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

トワ・エ・モア。

誰もいない海←クリックしてYouTubeで視聴してください。

 


誰もいない海(歌唱)トワ・エ・モア

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