「愛を積むひと」観終わる。
愛する人が死んだら、
空の上のどこかで見守ってくれてる
という話。
より引用させていただきます。
…2015年の日本の映画。監督は朝原雄三。
原作はアメリカのエドワード・ムーニー・Jrの小説「石を積むひと」で、舞台を北海道に移している。
キャスト
小林 篤史
演 - 佐藤浩市
東京下町で工場を営んでいたが、残りの人生を北海道で過ごすために移住する。仕事一筋でやってきたため、実直だが不器用な性格。
小林 良子
演 - 樋口可南子
篤史の妻。心臓の持病を抱えている。
佐藤浩市×樋口可南子!映画『愛を積むひと』予告編
佐藤浩市、一流の役者だわ。
映画自体も、ちょっときれいにまとめ過ぎだけど、
それでも★5だとおもう。
人間は、悟らない限り、みんな例外なく弱いもんだ。
愛する人が死んだら、空の上のどこかで生き続けてる、見守ってくれてる
と信じずにいられない。
もちろん、おれだってそうだ。
この人は死んでも生きてるという気持ちは、
いじめ乃至戦争の根っこの原因なのだ。
しかし、悟れないうちは、
愛する人が死んだら、空の上のどこかで生き続けてる、見守ってくれてる
と信じずにいられない。
もちろん、おれだってそうだ。
この人は死んでも生きてるという気持ちは、
いじめ乃至戦争の根っこの原因なのだ。
しかし、悟れないうちは、
おれにも誰にも
どうしようもないことだ。
どうしようもないことだ。
ショーペンハウアーは、人間について
彼が最初に努力するのは自己保存であるが、それへの心配をすませてしまうと、
ただちにおこなう次の努力は、端的にいって種族の繁栄である。
人間は単なる自然状態の存在であるかぎり、
努力できるのはせいぜいそれくらいのことであろう
(「意志と表象としての世界・正編」第六十節。西尾幹二訳・中央公論社)ただちにおこなう次の努力は、端的にいって種族の繁栄である。
人間は単なる自然状態の存在であるかぎり、
努力できるのはせいぜいそれくらいのことであろう
と断じ、
幸福論の緒言で
幸福論の緒言で
幸福論を書き上げるには、私の本来の哲学が目標としている一段と高い形而上学的・倫理的な立場を全く度外視しなければならなかった
(「幸福について」橋本文夫訳)
とわざわざ述べてる。
しかし、このような指摘は、
大多数の人にとって、猫に小判馬に念仏なので、
言っても詮無い。
言っても詮無い。
(My Favorite Songs)
尾藤イサオ。
「 悲しき願い」
「だーれのせでもありゃしない。みんなおいらが悪いのさ」…子供のころ耳にして、
(かっこいい。なんて男らしい歌だろう)とおもった。
今回よく聴いてみたら
「みんなおいらが悪いのか?」って自問して
「そんな話があるものか!」って自答してるんですね。
ちっとも男らしくなかった…ていうか女々しいw
しかし、やはり忘れられない尾藤イサオ入魂の熱唱です。いうまでもなく元はアニマルズ。
尾藤イサオ 悲しき願い
(過去記事編集再録)