哲学日記

身につまされる言葉


…わたしが得たのはただ納得であって、信仰ではなかった。…
多くの経典や研究書を耽読した三十歳代であるが、絶えず了解し、絶えず迷い、結局そこに残ったのは「知識」であったといえる。

(鷲巣 繁男 遺稿集より)


 実に身につまされる言葉だ。

宗教に興味ない大多数の人達には「なんのこっちゃ」だろう。
しかし、こういう人はじわじわ増加しつつあるとおもう。


 本当の信(仰)は、深い知識と納得からしか生まれないから、むろん知識は必要だが、知識レベルの納得だけで死ぬのは辛い。

実践が必要だが、やり方は人それぞれだ。

今日が昨日より少しましになっていれば、その実践は合っている。それ以上結果を気にしない。

悲観も楽観もせず、できることを続けるしかないと思う。


※鷲巣 繁男
わしす しげお
1915. 1. 7(大正 4)
1982. 7.27(昭和57)
◇詩人。祖父の代よりの正教徒で、洗礼名はダニール(ギリシャ正教徒)。横浜市生れ。横浜商業卒業。
 北海道開拓作業などに従事。
(全国名前辞典より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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あのニコール・キッドマンがこのあほらしい役を演じている、という興味だけで最後までけっこう楽しく観てしまった。


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(My Favorite Songs)

市丸。
「三味線ブギウギ」

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