哲学日記

大多数の人々は、理性で無明を礼賛してるレベル。

佐々木閑 仏教講義 6「阿含経の教え 2,その8」(「仏教哲学の世界観」第9シリーズ) - YouTube

 

〔感想〕
しゅの親玉、我語取がごしゅ (「自己」への執著)について
 
 

仏法の無我を語るのは、なぜ困難なのか。

語るには当然言語が必要で、

言語には主格(自己)が前提されてるからだ。

しかも、それだけではない。

人類は、現在に至るまで我語取のいかに物凄まじい欠陥を見せつけられ続けても、これを捨て去ろうなどとは露程もおもったことがない。

なにしろ現人類は、貪瞋痴の苦しみを、夢中で楽しんでる真っ最中だからだ。つまり無我への志向が全くない。

 

自我は砂上楼閣。

とはいえ、この砂上楼閣の頑丈さよ!

ひたむきに生きんとする盲目の意志のひたむきさよ!

これはほんとにどうしようもないほどだ。

 

自我は、この上なく強固な幻覚だ。

自我は、人が世界を解釈し適応し生きるために必要なインフラとして自動作成されるように、人のDNAにプログラムされているとおもう。

その証拠に、すべての無垢な赤ちゃんは、物心つく前に、もれなく貪瞋痴に汚染された「俺・俺のもの」の落とし穴に落ちてしまう

 

 おもちゃを取れれた子が「ギャーッ」と叫ぶ。

あれは、おもちゃが欲しくて泣いてるんじゃない。

 

 俺のものを盗った!!!

 

と怒ってるんだよ。

 

そして、

これを見た親達は皆嬉しそうに笑ってるからね。

 

この砂上楼閣の頑丈さ!

これはほんとにどうしようもないほどだ。

 

そもそも無明とは、人間にとって単なる無知ではなく、もっとはるかに積極的な機能を持ってるはずだとおもう。
無明の助けがなければ人間はいまだに言葉さえ喋れないだろう。
人間は誰でも当たり前に、時空という極めて高度なセンスを持ってる。これも無明の仕事だ。
無明こそ人間を今現にあるように育て上げ、今も生かし続けてるエネルギーだ。

 

 

 
では、なぜブッダがこれに「無明」という否定的意味を持つ言葉を当て、貪瞋痴と分析し、最優先で克服すべきものと説いたのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
無明は、人間にとんでもない悪さもするからだ。
人間に言葉をしゃべらせ時空の観念を与え等の、人間を生かすプラスの働きが、同時に人間を滅ぼすマイナスの働きでもあり、幼少期を脱した人間にとって、プラス面よりマイナス面のほうがはるかに大きくなるからだ。
マイナス面とは、
 
たとえば
人間は決して死を受け入れることができない。
自分は不滅の魂だと妄想してる。
これはいじめ乃至戦争の根本原因だ。
 
たとえば
「逆も真なり」は論理の初歩的誤謬であると学んでるのに、決して認めてない。
 
口先でいくら否定しても、彼らの行動によって、毎日自分で明確に証明してることだ。
 
しかし、これを道徳の問題にして非難し合うのは無益だ。
だって彼らは悪くないのだ。
彼らはそうするしかないから。
 
 

たとえば

「フィクションを信じる力」などと美化する。

エゴの本能的捏造(真っ赤な嘘)を

自覚的に崇拝し、ためらわず実行しろ

と励まし合ってる。

無明の酒をもっと飲め飲めと

互いに勧めてる姿だ。

 
 
 
 
これらから巨大で深刻な禍が生じて、
人間を自業自得で苦しめ続けてる。
人間は苦しみの中で、
さらなる苦しみを求め
夢中になってる。
 

 

無明の無明たるゆえんだ。
 

 

 

 

 

そういうわけで、

人間の大多数は
理性を使って
無明を礼賛してるレベルだ。

人間の実相は、まずこのプログラムに執着讃嘆する天文学的な長い時期を経てのちに、ようやく飽きて、ではブッダの教えも聞いてみようかいという気分に、ちょっとはなるかもといった心細いレベルだ。

(人類絶滅が先になる可能性高い)

 

 

それまでは、自我を、不死の魂、真我、大我、仏性と様々に呼び変えては隠し持ち、絶対に捨てない。

 

そして

 

唯一絶対宇宙創造人格神

 

が自我の最終形だ。

 

人は、生きるためのインフラとして偽造した自分意識(自我)に、今や逆支配され我欲の奴隷に落ちぶれている。

そんな社会がすっかり爛熟期に入ると、一時的退廃を経て、自我の最終形たる唯一絶対宇宙創造人格神に関する祭祀や苦行に、内外呼応する益体もないハーモニーを感じて夢中になる。

自我を(魂、真我、大我、仏性、どんな名前で呼ぼうと)保持する社会は、爛熟するたびに何度でもこの唯一絶対宇宙創造人格神を見いだし、

 

「おお神様 神様 助けて パパヤー」

 

と掻い付き、祭祀と苦行の暗い穴倉に入る。

自我を捏造し、自我の都合ですべてのデータを改竄し、自我の化物である神にひれ伏す茶番の中で滅びる。これを切りなく繰り返してるだけ。


ブッダは、それは人が陥る落とし穴だと教えている。

 

(ブッダのことば スッタニパータ249 中村 元訳)
魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪ていはつも、結髪も、塵垢ちりあかも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供けんくの奉仕も、或いはまた世の中で不死を得るための苦行も、神呪しんじゅも、供犠くぎも、祭祀さいしも、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

(引用終) 

 
 
 
 
 
 

 

佐々木閑 仏教講義 6「阿含経の教え 2,その5」(「仏教哲学の世界観」第9シリーズ) - YouTube

 

〔感想〕

現状低すぎる人間の適応限界をレベルアップするために、

無明,行,識,名色の理解が最重要だとおもう。

 

理解を深めたい人は その6その7 も学ぶことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

(My Favorite Songs) 

[和訳] Minority - Green Day - YouTube

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