世の中の問題は心が原因である #shorts #スマナサーラ長老 #初期仏教 #jtba
動画よりスマナサーラ長老の法話を一部引用させて頂きます。
世の中ずーっと混乱だらけで
不幸だらけになってる……
……
客観的に観ると
世の中にある問題は
心の問題で
他何もない。……
(引用終)
[感想]
たとえば戦争が止まない原因は、
死の商人や悪徳政治家じゃなく、
普通の人々の心にある。
戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達にとって、戦争は明らかに望ましいものだ。
しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではないことに気づかないと、戦争が止むことは決してない。
戦争の真の原因は、ごく普通の人々が
「自分は死んでも生きてる」
という幻想に取り憑かれてることだ。
人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は繰り返される。
「俺、俺のもの」を(幻想と知らず)
自明の大前提にしてる現代人は
やられたらやりかえせ。
殺される前に殺せ。
という恐ろしい主張を、
今でも100パー正しいと確信し
全力で支持する。
実に
考えれば考えるほど、
彼はそうせざるを得なくなる。
彼には、他の考え方は絶対できないのだ。
なぜなら
「俺、俺のもの」
の奴隷である現代人は、
今も原始人のままなのであり、
「俺、俺のもの」は幻想だと言われたら
「…あほが」と侮蔑し聞き流す。
賢愚を問わず誰もが、
「俺」ほど確実な実感は他にない
絶対に絶対にない
と思いこんでるからだ。
世間で数千年も崇められてきた
宗教や哲学という「物語」も、
すべて
「俺、俺のもの」を
自明の大前提にして、
紡ぎだされた妄想にすぎない。
日中~太平洋戦争で日本人310万人が残酷に殺された。
人間一人一人に隠された我欲こそが、この無残極まる結果を招いた真の原因であることは間違いない。
鉄玉を飲むような苦しみを味わって、戦後何十年か経っと「羹に懲りて膾を吹く」が、早くも「のど元過ぎれば」に弛緩した。
人間の犯罪的な貪瞋痴の愚かさは、また同じ過ちを犯すだろう。
本当に驚くべきことだが、人々は、臼に入れて穀物と共に杵でついても(あの戦争を経ても)なにひとつとして変わらなかったからだ。
近頃、ブログでも、宗教系のyoutubeでも、無我を軽々しく扱う人が急増してる気がする。
「ああ無我でしょ。自我ってほんとは無いよって話。知ってますよ。わたしちゃんと理解してますよ」
と平気で言う人が出てきた。おれが若い頃ほとんどいなかったのに。彼らの共通の特徴は、できるだけ死と苦諦抜きで、悟りを説くことだ。死と苦諦は自他共にウケないから、脇に退けて人目に触れないようにしてる。この判断は、彼らにとって正しい。実際、世の大多数の人々は、苦諦を蛇蝎の如く嫌ってるからだ。まして「死の観察」などは。それを証するように現代社会では、死は能う限り周到に隠されてる。
これは忌忌しき事態だとおもう。
なぜなら、こういう人は、
無我はわかっているのに、
欲望むさぼりのある人になる
という、ある意味最悪のゾーンに落ちやすいからだ。
日本はこの前の戦争中、滅私奉公などの無我風言辞でエゴを隠し、責任を回避しながら、個々人の私利私欲を実現しようとする、醜怪な欺瞞が国中で蔓延った。
今、この悪夢が理論武装したバージョンアップ版でよみがえる可能性がある。
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
(聖書 箴言26章11節)
今や、大組織のトップ意思決定者でさえ、ポジショントークしかせず、それの何がいけないのかも理解できなくなってる。
その、きれいごとのおとぎ話に田吾作どもがのせられ調子こいて暴走して戦争をおっぱじめる。
この前の悲惨極まる敗戦を招くまでのパターンの拡大相似形を1ミリ違わずなぞることになる。
今度やったら死者は310万人どころではなくなる。
(My Favorite Songs)
【和訳・カタカナ付き】Rupert Holmes - Escape (The Piña Colada Song)
(過去記事統合編集再録)