【朗読】坂口安吾『堕落論』語り:西村俊彦 - YouTube
坂口安吾「堕落論」「続堕落論」はおれにとってバイブルで、忘れられない本だ。
「堕落論」から少しばかり引用させていただきます。
(以下、青文字が引用文です)
… あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。…
…偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
安吾はすぐにこう続ける。
歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は実に唯一の不思議である。六十七十の将軍達が切腹もせず轡を並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
…堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達にとって、戦争は明らかに望ましいものだ。
しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではないことに気づかないと、戦争がやむことは決してない。
戦争の真の原因は、ごく普通の人々が
「自分は死んでも生きてる」
という幻想に取り憑かれていることだ。
人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は繰り返される。
「俺、俺のもの」を(幻想と知らず)
自明の大前提にしてる現代人は
やられたらやりかえせ。
殺される前に殺せ。
という主張を、
今でも100パー正しいと確信し
全力で支持する。
実に
考えれば考えるほど、
彼はそうせざるを得なくなる。
彼には、他の考え方は絶対できないのだ。
なぜなら
「俺、俺のもの」
の奴隷である現代人は、
今も原始人のままなのであり、
「俺、俺のもの」は幻想だと言われたら
「…あほか」と聞き流す。
賢愚を問わず誰もが、
「俺」ほど確実な実感は他にない
絶対に絶対にない
と思いこんでるからだ。
世間で何千年も崇められてきた
宗教や哲学という「物語」も、
すべて
「俺、俺のもの」を
自明の大前提にして、
紡ぎだされた妄想にすぎない。
日中~太平洋戦争で日本人310万人が残酷に殺された。
人間一人一人に隠された我欲こそが、この無残極まる結果を招いた真の原因であることは間違いない。
鉄玉を飲むような苦しみを味わって、戦後78年経った今「羹に懲りて膾を吹く」が、とっくに「のど元過ぎれば」にだらけてる。
人間の犯罪的な貪瞋痴の愚かさは、また同じ過ちを犯すだろう。
本当に驚くべきことだが、人々は、臼に入れて穀物と共に杵でついても(あの戦争を経ても)なにひとつとして変わらなかったからだ。
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
(聖書 箴言26章11節)
今や、大組織のトップ意思決定者でさえ、ポジショントークしかせず、それの何がいけないのかも理解できなくなってる。
その、きれいごとのおとぎ話に田吾作どもがのせられ調子こいて暴走して戦争をおっぱじめる。
この前の悲惨極まる敗戦を招くまでのパターンの拡大相似形を1ミリ違わずなぞることになる。
今度やったら死者は310万人どころではなくなる。
朗読BGM『続堕落論』坂口安吾の短編小説 - YouTube
(My Favorite Songs)
岡林信康10 Songs - 史上最高の曲のセレクション - YouTube
(過去記事増補再録)