哲学日記

思考は、恐怖の悲鳴に過ぎない。悲鳴が大事ですか?

地獄への道は〈思考〉で舗装されている|スマナサーラ長老の初期仏教法話(01 Nov 2022 北とぴあ) - YouTube


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(スマナサーラ長老法話より一部引用させていただきます)
人間は問題作ることには、天才です。
問題解決するということには、一切不可能なんです。
……
……
なにか1個だけ燃えてると、それさっさっと消すことはできます。
火を消したたければ、我々はユニット、別にしなくちゃいかんです。
(自己観察すれば)自分自身というユニットが燃えてることが見えてくるんです。
一時的にユニットが現れてるだけ、要するに私がいないんだと(発見する)
私がいないんだったら、渇愛という、生きてきたいというのは、苦しみ作る元で。
そこでやっと心の安穏に達したんです。
その観察方法ですね、お釈迦様が世界に教えたのは。
だからヴィパッサナー実践やってる時でも、皆様、出家の気持ちでやらなくちゃいかんです。
自分一人で。ユニットになりました。自分で自分を観るだけ。
思考妄想すると観られない。あれ悲鳴ですからね。

だからほんとにシンプルな方法なんです。
ということで頑張ってみてください。
(ヴィパッサナー瞑想開始前の法話より、結尾部分を引用させていただきました。強調は私です)

 

 

 

 

ブッダのことば
比丘たちよ、

一切は燃えている。

貪欲とんよくの火によって、

瞋恚しんいの火によって、

愚痴ぐちの火によって

燃えている。

生まれることにより、

老いることにより、

死ぬことにより、

愁いにより、

悲しみにより、

苦しみにより、

憂いにより、

悩みにより

燃えている、

とわたしはいう。

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

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