佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その19」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ) - YouTube
概要欄から引用させていただきます。
アジタ・ケーサカンバラのニヒリスティックな教えは,現代人の考え方と非常に似ており,そして淋しい世界観です。
〔引用終〕
外道は、時に魂を否定し「人は死ぬと、いくつかの不変の元素にばらけるだけ」ともいうが、考えの中心にあるのは
「俺、俺のもの」こそは永遠不滅だ
という凝り固まった妄想だ。
なんであれ不変不滅の存在を信じて、魂(不滅の自我)だけ否定しても、それは口先だけの言葉にすぎない。矛盾してるからだ。
しかし、これこそが世間の本音に阿る考えなので、世間から絶えずエネルギーが供給され、今に至るまでゾンビのように執拗によみがえる。ブッダ入滅後の仏教内部からも手をかえ品をかえよみがえる。
智慧すくなき人々は、この種の捏造話を、
証拠が何もないからこそ、熱狂的に信じます。
彼等はそんな無理を、なぜするんでしょうか?
自分たちが抱いてる妄想に
ぴったりフィットしたからです。
では、なぜフィットしたんでしょうか?
ペテン師達が、私腹を肥やす目的で、智慧すくなき人々の妄想をわけもなく見透かし、妄想におあつらえ向きの与太話を捏造してるからです。
初めからフィットするように作ってあるから、そりゃフィットする。なんの不思議もありません。
佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その20」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ) - YouTube
概要欄から引用させていただきます。
プーラナ・カッサパさんの説(と思われるもの)をご紹介します。一見、無責任な道徳否定論にも見えますが、よく考えると、深い意味をくみ取ることも可能です。「よく考えること」は大切ですね。
〔引用終〕
言われてみて、動画を視聴すると、
法然は、まさに既存仏教勢力から、こんな風に歪曲され、一面的に非難されてたと思い当たる。
親鸞は、「心のまま悪を為して救われる」と山賊のようにふるまう無法信徒達の対応に、晩年まで苦慮した。⇒※
プーラナ・カッサパの教えの実態は、もしかすると浄土思想の先駆けだったかもと思えてきた。
※(親鸞聖人御消息より引用させていただきます)
煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきに、なほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。
〔引用終。強調は私です〕
(親鸞 末燈抄19 石田瑞麿現代語訳)から引用させていただきます。
わたしたちはいずれも、心の迷いの酒に酔っていることを悲しみつつも、この三つの毒を好んで食べていますから、まだ一度もその毒の消えきったことはありませんし、心の迷いの酒の酔いもいまだにさめやらない状態にあるのです。
よくよくこのことをご納得になってください。
(引用終)
(My Favorite Songs)