哲学日記

死とは「人はみないずれ死ぬものだ」ということではない


 人間の死とはなにか。


死とは「人はみないずれ死ぬものだ」ということではない。
そんなよそごとの話じゃない。

死とは、自分が、今、死ぬことだ。


こう言うと、おおかたはわからない。

 

仏教の本質は修行にある。それを考えればわかるかも。
「頭燃を払う」という。
頭についた火を必死で消すように修行しないなら、そんなものは修行ではないとブッダが教えているのはなぜか、一度真剣に考えてみるべきだ。

 

 

いつか死ぬのはわかってるが、今日明日の話じゃないとおもってるなら、どんな修行も暇潰しの徒労にしかならない。

 

どれだけ長生きしたところで、タイムリミットが来てアウトになる、まぬけのパターンだ。

ことさらに自分が今死ぬとおもえ、ということとはまったく違う。

 

修行のテクニックや処世術じゃない。

 

そうではなくて、それが死ということの眼前の事実なのだ。

 

 

[あるのは今この瞬間だけ]

を知る人には、あたりまえのことでしかないが、知ってるつもりの人には、さっぱりわからない。

 

ここで見分けがつく。

 

ごまかして逃げなければ、自己判定できる。

 

 

 


ほかにも「無常」は認めると言う人が、「人生は無意味。一切は無価値」と聞くと「最悪のニヒリズムだ」と嫌悪し認めないとか、

人間は皆死ぬ、そんなの常識と言うくせに自分が死ぬとは知らないとか

…知ってるつもりの人を、ブッダさえ「これは私にもどうしようもありません」と断言しているのだ。

 

誰もどうすることもできない。

 

自分のヤバさに自分で気づくしかないのだ。

 

 

 

石火電光、目の前なれども、無常幻化なる事をしらず。
(鈴木正三禅師 盲安杖)


 

 

 

 

 

 

 

  (My Favorite Songs) 

 ロッド・スチュワート。

「アイム・セクシー」

 

 
この曲は単なるヒット曲をこえて、一世を風靡した感じだったナー
なにしろ、この歌の前と後では「セクシー」の意味が変わった。


01. Rod Stewart - Da Ya Think I'm Sexy? (Blondes Have More Fun) 1978 HQ

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