サンシャイン・キンポコ

キンポコの中心でキンポコを叫んだキンポコ(ホモではない)

映画クレヨンしんちゃん最恐は「キンポコ」?駄作と称された映画に隠されたメッセージとは その8

2020-06-20 17:12:40 | 金矛の勇者 考察

「キンポコ」もいよいよ終盤へと向かっていきます、第8回目です。
終盤に近づいていることもあり、ここからこの映画が包含しているメッセージが徐々に顕在化していきます。それに伴い、政治的な問題に対する批評、かつそれを模索しようと導き出された強引な考察が出てきますが、本稿の目的はあくまで「キンポコ」ですので、あまり硬くならずに読んでいただけると嬉しいです(笑)。
 
 
*以下ネタバレです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プリリンを撃破した野原家+1は、いよいよ批判の多い問題のアセ・ダク・ダーク戦へ。
 
周囲が一気に陰険な空間へと置き換わり、眼前に現れた巨大な舞台より、上から目線であいさつを交わすダーク。「こっちの世界も暗くしてあげよう。」と言ってニタリと笑うや、始まったのは筋肉自慢でした。それから、彼を独裁者たらしめる台詞。
 

「貧乏人や馬鹿者だらけの下層民は、私の指示通りに生きるのが幸せなのだ。お前たちは何も考えなくていい、私に従え!」
 
 
上記の台詞が、まさに中国共産党の一党独裁の本音をストレートに表している一方で、マックも言い放っていた「そっちも暗くしてやろう」というのは、「そっちも独裁の下に置いてやろうか」という、シャレにならない脅しであることが読み取れます、おお怖え。
 
(*ダークや雑魚敵の色が白黒であることから、中国の「陰陽」を想起できますね。パンダの色です。)
(*独裁者としてダークを演じた銀河万丈さん、「ジーク・ジオン!!」という言葉が脳裏をよぎったのは私だけでしょうか―。)
 
ダークはストーリー冒頭に登場した巨大なドラゴンに変身して野原家を圧倒しますが、野原一家はマタの力を借りて「野原メンX」に変身、家族の平穏を乱す奴は許さない、と言わんばかりの攻撃を仕掛け、見事(あっけなく)ダークを倒すことに成功します。
 
 
喜ぶ野原一家とマタ、いつものアクション仮面のポーズを披露するしんのすけであったが、ハッピーなムードは一変。ひろしとみさえ、ひまわりがア法の影響を受け、再び空間が闇に包まれてしまいます。そして不気味なほくそ笑みが聞こえ、しんのすけとマタが振り向いた先には、なんと倒されたはずのダークが。ダークは術を使ってマタを石化させた後、しんのすけにこう迫ります。
 
「確かに、お前の家族とマタは強かった。だが、たった一人になったお前に何ができる?もうお前を助ける者は誰もいない。」

 

しんのすけが唱えた封印の呪文も効果がなく、ケツダケ星人をすることもできないほど恐怖に怯えるしんのすけを、ダークとその手下たちは容赦なく追い詰めるのでした。
 
 
 
 
 
ダークが倒されるシーンは、確かに尺の不足による投げやりな戦闘シーンと受け止められても仕方がありません。そうでないにしても、あの戦闘のまとめ方、ネット上の評価の言葉を借りるなら、悪役の「竜頭蛇尾」感が否めないことは、制作者側も当然把握していたはずです。こんな設定にしなくとも、野原メンXが倒され、1人だけ立ち上がったしんのすけが矛と盾を使って立ち向かう、という流れもあったはず。
 
では、なぜダークは野原家に一瞬で倒されなければならなかったのか、なぜ、しんのすけの前に再び現れる設定になったのか。
 
これについては色々と難儀する点はあるかもしれませんが、筆者の一つの見解としては、最良のシナリオと、最悪のシナリオを同時に描きたかった、ということがあげられます。前半では、両親や妹、そして味方である反逆者と共に力を合わせ、言い換えると、内部の告発者の力や他国との同盟を利用し、その結果、一党独裁政権に勝利するハッピーエンドを表現する。後半では、他国の力もなく、内部告発者も粛清され、独裁国家の前にたった1人孤立してしまった挙句、容赦のない侵略を被るバッドエンドを表現する。
 
この際、ダークを中国共産党としたとき、マタが中国国内の告発者、野原家におけるしんのすけは日本、両親は欧米諸国、妹は韓国 etc. 、といったニュアンスと受け止められるのが、おわかりいただけたでしょうか。

 

根拠としては、前半終了後のひろしとみさえの会話。とりあえず記述しておくと、
 
ひろし「家族が団結すれば、どんな困難だって乗り切れるのさ。そう、年金問題だって、地球温暖化だって、」
 
みさえ「4人の愛の力は、何者にも負けないのよね。」
 
この時、なぜひろしが家族の団結で地球温暖化まで解決できるんだと豪語したのか、疑問を抱いた方もいるでしょう。しかし、この「家族」を「国家」としたとき、「国同士が団結すれば、国際問題の解決はスムーズになる」という理想論を語っているように読み取れるのではないでしょうか。大国アメリカが戦後政策以来、日本の親分であるとよく言われている(というより、日本はアメリカの嫁、シングルマザー的な振る舞いをしていると言われることもありますが)ように、国家間の関係、特に日本と他国の関係を家族に見立てても不思議はありません。
 
ただし、それはあくまで理想論です。気候変動枠組み条約の失敗に見るように、環境問題はもっと複雑で深刻ですし、ましてや年金問題など、家族の愛はおろか、国家間の団結でどうこうする問題ではありません。よほどのことがない限り、事情の異なる国同士で一致団結して問題に取り組むことは難しい。それはもちろん、ダークがあっけなく倒されたように、簡単に問題が解決されてほしいと誰もが願うでしょうが、そんな都合のいいこと自体、現実的にあり得ないのは自明の理です。
 
つまり、前半と後半、2つのダーク戦の流れを考えた時、ダークのあっけない敗北と再登場というのは、他国で一致団結して問題を解決しようという理想論に待ったを突き付けるためのものだったと考えられるのです。
 
 

さすがに私自身、この見解については懐疑的な見方をせざるを得ませんが、あくまでも1つの推測として捉えていただきたいという次第です。
 
 
 
次回、ついに物語のクライマックスへと迫っていきます。そして、もう忘れられかけているであろうその1に提示した、「矛と盾」のもう一つの意味についての説明もようやく登場しますので、もう少しだけ、辛抱のほどお願いします。
 
 



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