「キンポコ」をとことん掘り下げていく(意味深)シリーズ4つ目です。
ここでは、あの変態野郎との戦闘に加え、本作の人気キャラ「マタ」の知られざる重要性についてダラダラと書いていきます。
*以下ネタバレです。
扉が開かれ、ついに地球人に触れることが可能となったダークの陣営はしんのすけの身柄確保を目的に行動を開始します。
夜中、野原家の寝室に侵入したマックは、ア法を用いてしんのすけに近づき、捕えようと迫ってきました。そこへ駆けつけたマタがしんのすけを連れて逃げようとするも、寸でのところでマックの術「ヘンジル」によってマックの作った空間に閉じ込められてしまいます。そこで、マタもヘンジルを利用して戦闘機「しん電」となって逃れようとしますが、対するマック達も戦闘機となって2人に襲い掛かります。マック機率いる複数の敵機に苦戦しながらも、2人はマタ(しん電)の機動性を利用し、見事勝利を収めました。
この時のしん電のモチーフは、本作品のwikiに掲載されているように、旧日本軍の戦闘機「震電」ですが、ドン・クラーイが中国を模したものであると考えると、このモチーフの採用には俄然納得がいくのではないでしょうか。敵の雑魚機には、「爆走〇〇」といった具合に赤色で漢字が記されています。筆者も以前までは、なぜ漢字が書かれているのか理解ができませんでしたが、今はなんとなく、中国を表すためのものであったと理解できます。今の穢れた私にとって、この空中戦のシーンは少々長すぎて退屈でしたが、当時この映画を繰り返し観ていた、ピュアなちびっ子の私からしてみれば十分に満足できる、迫力のあるシーンだったなと感じている次第です。
(*マックが部屋に登場したシーンのbgm は、4作目のbgm のアレンジとなっています。かっこいい。)
マックとの死闘を乗り越え、一息つくしんのすけに、戦いは始まったばかりと告げるマタ。それでもしんのすけを守ると誓うマタに親近感を覚えたしんのすけが、マタの胸を叩いたとき、マタが男性ではなく、女性であることが判明するところでそのシーンは終了します。
さらにその翌日の夜には、マタが電柱の上で挿入歌「小さな鳥の見る夢は」(作詞:本郷みつる、作曲:若草恵、歌:堀江由衣)を歌いました。
さあ、ようやくここでメインヒロインの解説に突入しましょう!「マタ」というキャラクターは一体何者なのか。その答えは、この映画のテーマの核となる中国政府、中国共産党による独裁にありました。
もし、ドン・クラーイを中共の独裁を受けた国と比喩するのであれば、マタ親子はその反逆者、つまりは民主主義と平和を唱えるデモ活動家です。その姿は、民主主義の歴史上最悪の事件の一つである天安門事件の学生運動家を思い起こさせるでしょう。マックがマタを知っていたことから、マタはダーク陣営から矛と盾を奪取する父親に少なからず協力していたと言えます。ひょっとすると父親のマタ・タビは、娘のことでダーク達から脅迫されたこともあったかもしれません。
そして、併せて考えていただきたいのが、なぜマタは男のふりをしているのか、ということ。3作目「雲黒斉の野望」の「吹雪丸」をモチーフとしている可能性も考えられます。しかし、この映画が中国をテーマとしていると考慮した時、マタのもう一つのモチーフについて、察しの良い方は気付いているかもしれません。そう、中国の女戦士「ムーラン」です。2019年に実写版が公開されたことは記憶に新しいですね。老いた父の娘であるムーランは、徴兵に駆り出されそうになる父の代わりに、男に扮して軍隊に参入し、鍛錬によって得た力と、男にはない知恵を駆使して隊内でも頭角を顕していく。ストーリー的にはともかく、愛する父を持つ点と、男装をしている点といった共通点から、マタのモチーフはムーランであると考えることもできるのではないでしょうか。私はどちらかと言えば吹雪丸派ですが...... 。
ここで、マタの服に施されたリンゴの装飾について疑問を抱いた方も多いかもしれません。中国のことが頭に入っている今であれば、Googleで調べることも容易でしょうが、リンゴは中国で「平和、安全、平安」を意味する「平安」の中国語発音の語呂合わせから、成就祈願の願掛けとして境内の木に短冊と共に吊るされたり、クリスマス・イブには「平安な夜」を表す果実としてプレゼントに用いられたりします。平和を願うマタにはぴったりの装飾です。
さらに、マタは平和の使者である、そう考えると、先程登場した、今作のもう一つの挿入歌「小さな鳥の見る夢は」の意味もだいたい掴めてくるのです。片方の挿入歌に意味があったのであれば、もう片方になければ不自然ですから。説明にあたり、歌詞のほとんどを引用しなければならなくなりますので、ご存知の方は歌詞を思い出しながら読んでみてください。
歌い出しはアカペラ、それまでの声から一変した女性の声です。ここで言う、「小さな鳥」とは、何を表しているのでしょうか?マタが平和を願う少女であることを想像すれば、この「鳥」から連想されるのは、日本における平和の象徴「鳩」です。小さな鳥とは鳩、平和そのもの、もしくは平和を願うマタ自身を表していると考えられるのです。
BGMが入り、歌詞は「だけど胸に希望はいっぱい 空に向かって飛び出した」とあり、中略して最後は「自分の力でそうしよう」となります。つまり、平和を願う気持ちは心の中にあふれており、それを手に入れるためには自分の力で羽ばたいていくしかない、と歌っているのです。絶大な権力の下では、マタのような市民は小さな鳥のようなか弱い存在でしかない、それでも、希望のために立ち上がらなければいけない。戦後の民主主義に馴染んできた我々日本人には実感が湧かないことかもしれませんが、これが、平和のために戦う決意をしたマタの心情なのです。
マタの過去や心情をあまり深く描かなかったのは、映画の尺の問題もあるかもしれませんが、この、誰でもわかる言葉で表現された短い歌からマタが何を思ってきたのかを想像することができると、制作者側も考えたからでしょう。独裁者の肩を持つマックが歌う「金、金、お金」、そして、独裁に反対し、平和を愛するマタが歌う「小さな鳥の見る夢は」、この2つの挿入歌の対比が実によく表されていますね。
このように、マタがドン・クラーイの平和の使者、平和のために戦う戦士であることをイメージしておくと、マタというキャラクター、ひいてはこの映画に対する印象がガラリと変わることでしょう。
(*マタのデザインが暖色のオレンジ主体から寒色の水色主体に変更されたことに関しては、ネット上では男の子っぽさを出すためと言われていますが、ひょっとしたらそれに限らず、平和のために戦う戦士として清純で誠実なイメージを持たせたかったのかもしれません。帽子の色合いも、トーンを合わせた心理3原色に変更されている点に注目です。その上、髪の毛の緑色も、服の色と丁度いい具合にマッチしています。こうしたデザイン性に加え、声優の堀江由衣さんによるアフレコが、マタの人気の理由となっているのでしょう。)
以上、今作のメインヒロインに関する説明でした。彼女のモチーフについて、異論はあるかもしれませんが、中共独裁に当てはめれば、マタというキャラをより一層理解できるのではないでしょうか。
次回はあの母音×2なシーンです。豊満な胸に目が行き過ぎて、裏に隠された強烈な風刺を見逃さないようにしましょう。