「キンポコ」についてギンギン、ではなくガンガン解説していくシリーズも、いよいよ後半戦に突入です!今回は少し短めですが、あのボイン姉が本領発揮するシーンについて解説します。私がこの映画を観ていて最も恐怖を感じたシーンの1つです。
*以下ネタバレです。
マックが倒された後、一家団欒で食事をとっていた野原一家に玄関のベルが。しんのすけが慌てて向かうと、あのプリリンが現れます。初っ端からメロメロのしんのすけがリビングに招き入れると、なんとそこには、ピタリとその場で止まった家族の姿がありました。プリリンは自らのア法を用いてその罪をマタになすりつけるために、しんのすけにマタが悪者であることを吹き込みます。またもや騙されたしんのすけは駆けつけたマタを敵扱いしてしまい、プリリンのどエロい封印の呪文に乗じてマタを一枚の下敷きにしてしまいました。すべてが片付いた後、プリリンはしんのすけにご褒美としてこれまたどエロいぱふぱふをプレゼンして去っていきます..... 。
ここでも、ハニートラップにかかってしまうおバカなしんのすけが描かれていますが、実は中国共産党批判の別のメタファーが隠されていたのです。
この映画を何度も視聴されている方の中で、マタがなぜ下敷きに変えられたのか、考えたことのある方はどのくらいいるのでしょうか。「何かに下敷きにされた」という一種の駄洒落だと感じた方も多いかもしれません。しかし、この「下敷き」を、中国のタブーである天安門事件の風刺に結び付けた方はほとんどいないでしょう。
このシーンを中国のメタファーとしてもう一度考え直してみます。構図としては、独裁者側のプリリンが、反逆者のマタを封印する、簡単に言えばそうなりますね。この「封印」を、「鎮圧」という言葉として受け取るならば、独裁体制の刺客が反逆者のデモ活動を鎮圧しに来た、というニュアンスに繋がるのではないでしょうか。実際の天安門事件では戦車が出動し、関連するドキュメンタリーでは、当時戦車に轢かれて大けがを負った中国人が、四肢が不完全の姿で取材に応じているのを見かけたことがあるかもしれません。マタが「下敷き」になったのは、まさにその隠喩であると考えられるのです。それを踏まえた上で、この後のシーンにおいてしんのすけがみさえにマタの所在を聞かれた時の、「下敷きになってどっか行っちゃった。」という台詞を聞くと、本郷監督の巧妙な表現に思わず総毛立ってしまうのも無理はありません。
今回は、理由付けにやや無理があるかもしれませんが、見方を変えれば怖い話として紹介しました。まさか国民的なファミリー向けアニメが、中国におけるタブーをブラックジョークで表現しているとは思わないでしょう。疑問に思う方は、「一体何の下敷きになったのか」を少し考えてみれば、他に思いもよらない答えが見つかるかもしれません。
次回は、その2、その3と散々引き延ばされてきた、あの日常のシーンについて、対比を用いて説明していきます。今まで尺の無駄だと思われてきた場面に、実は意味があったことを理解していただけると思いますのでよしなに。