実は私にはずっと少女の頃から思い描いて、見続けた夢がある!
それは大学生になる事!!
そう、それは30数年以上も前に私は高校を卒業後、地元では知らぬ者はいないと言われる会社に就職した時から始まる。当時は時代の先端を走っていた半導体製造工場に学校から「無理かも知れんで」と言われながら受けて、受かってしまった。畑違いの被服科の高校から受験。後から聞いた話だと結構上位で採用されたのだと。
大学に行きたかった。世はまだ共通一次テスト真っ只中。被服科では一般教科の他に製図 (型紙など) やデザイン・和洋被服の製作や理論などを学び最終的に洋裁の国家試験や技術検定を受験し、今では普通科以外の生徒が大学や専門学校に進学するのは珍しくないけど、当時はそれ程でもなかった。それに私の住む県では国立大1校と県立短大が1校、あと私立の短大が数校しかなく、実力がありもっと上を狙う生徒は県外に出るしかなかった。
「成績ギリギリ、無理かな」
そう言われあきらめ、家庭の経済的事情もそれを許してもらえず。夢は夢でしかなくなった。それなら入った会社でと頑張り、東京での長期研修のメンバーに選ばれ、諸々の研修にも行った。
それは大学生になる事!!
そう、それは30数年以上も前に私は高校を卒業後、地元では知らぬ者はいないと言われる会社に就職した時から始まる。当時は時代の先端を走っていた半導体製造工場に学校から「無理かも知れんで」と言われながら受けて、受かってしまった。畑違いの被服科の高校から受験。後から聞いた話だと結構上位で採用されたのだと。
大学に行きたかった。世はまだ共通一次テスト真っ只中。被服科では一般教科の他に製図 (型紙など) やデザイン・和洋被服の製作や理論などを学び最終的に洋裁の国家試験や技術検定を受験し、今では普通科以外の生徒が大学や専門学校に進学するのは珍しくないけど、当時はそれ程でもなかった。それに私の住む県では国立大1校と県立短大が1校、あと私立の短大が数校しかなく、実力がありもっと上を狙う生徒は県外に出るしかなかった。
「成績ギリギリ、無理かな」
そう言われあきらめ、家庭の経済的事情もそれを許してもらえず。夢は夢でしかなくなった。それなら入った会社でと頑張り、東京での長期研修のメンバーに選ばれ、諸々の研修にも行った。
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