美しい音楽です。騙されたと思って聴いて見て下さいね。クラシックでは有りませんが、最近では教会で讃美歌として使われて居るとの事です。
今日は、何か調子がそんなに悪くなかったので。多分薬が減ったせいでしょうね。だから短い記事をアップ出来ました。皆さん読んで見て下さいね。今日は、ヘルパーさんが来てベランダで布団を干してくれました。天気が良かったから・・・・・。薬が変わると、こんなにも楽になるのかな、、今日は、先ほど喫茶店で食事をしました。美味しかったです。しかし頭痛は治ったけど。皮膚炎と言うか。ジンマシンは相変わらず痒くて堪りません。特に背中と頭の中が痒いです。これアップしたら。また横になります。。。また眠たく成って来ましたから....。 ((((;゚Д゚)))))))
これをするだけで今より確実に成長することができる|GACKT
私はよく人から、「昔、絵が描けて居たのなら、何故、今描か無いのか?」と言われます。しかし絵はもう描きたくは無いのですよ。。私の母は変わって居る人でした。何遍も言いますが、私は美大に行きたかったのですよ。美大に入れなければ美術学校でも良かった。しかし、あの人は私に好きな道には絶対に進ませなかった。私のやる事は何でも否定してくれた。そして子供の私に依存して居た。私が絵画を描いて母に見せるとこう言われた「お前は嫌なものを、そうやって描いてくれるねぇ!!」そして言うのです「絵なんか描いたって一銭にもなら無いんだよ。だからそんなものを描くは金輪際辞めておくれ!!」それでも私はイラストを描いて見た。人物画だ。フランスの俳優、アラン・ドロンを描いた。そして似て居るかどうか母に「このイラストちょっと見てくれ無い・・・。」と言ったら激怒してこう言われた「ちっとも似てや仕無いよ!!いい加減に絵を描くなと、あれ程言って居るだろうバカ!!」私はその一言で絵はもういいや。永遠に描くのは辞めようと封印したのですよ。
あの人は皆、私の考える事は否定してくれた。よく私に勉強してお父さんの会社に入れと言って居たが。何が会社だ。あんなモノは、会社とは言え無い処だった。働いてるのは中学校中退。高校中退。良くて中卒か高卒しか居なかった。私は幼稚園の頃から私立に行きたかった。小学校から私立に行きたかった。だから勉強するから行かせてくれと頼んだ。何故なら従兄弟たちは、皆んな、私立の学校に通って居たからだ。私立の小学校。中学校。高校へ行けたらと切に思った。そうしたら有名大学に行けて就職も良い処に行けると思った。それには勉強しようと思った。うちに間借りをして居た下宿人の、上智大の学生やら東大の学生やらを見て居てつくづくそう思った。しかしどんなに頼んでも行かせては貰えなかった。親父は大概のバカで、小学校1年生の私をオートレース。競馬。競輪に連れて行き。お前もああ慣れと言ったほどの大バカ野郎だった!!私が高校になって漫画を描いて居ると母が部屋に入って来て「こんなモノは描くのは辞めろと、あれ程言って居るだろう!!」と言って描かせなかった。だから私は絵については、殆嫌になって仕舞った。弟にある日、以前書いて居たアラン・ドロンの似顔絵を見せたら、「アラン・ドロンでしょう?良く描けて居るよ。うまいじゃない....。」とは言ってくれたが。私はこんなにケチを親から付けられるのでは。もう嫌だと思う様になって行ったのだ。だから、私は金輪際。絵を描くのは、もう辞めようと筆を折ったのだった。
私はその代わりに音楽をやろうと思って居た、だからバンドを組んだ。そして、それも母はダメだと文句を言い出したが、私は親には何も言わずに高校の部活で楽器練習をして、そして家に私の正式な個人部屋が無かった事もあって、、高円寺のブルース喫茶「ビスケット・タイム」に高校の授業が終わると毎日通って居たのだけども。そこでバンドのメンバーと会って話して居た。そしてエレキギターも買っては貰えずに、また自分でも購入する事は出来ずに居て、殆困っては居たが。ある時に近所に住む。私の母とは顔馴染みだった通称"おばちゃん”が買ってはくれたが、値切ったらしく購入したエレキ・ギターの335は少し壊れて居たモノだった。造りが、何と言うか部品が甘いのです。でも、私はそのエレキギターで、ほぼ6年間バンド演奏をした。私は授業が終わると毎日ブルース喫茶で宿題をこなし。そこが閉店して。だから大学に入ると今度は、新宿やら明大前のジャズ喫茶に通ってレポートを書いて勉強をした。家には大学生たちの下宿人が居て。私の勉強は邪魔されるからだ。中学、高校の頃は、何時も家にいると使いパシリにされた。。。私はそう言う事で音楽だけは母の魔の手から、逃す事が出来た。
それに、いい加減に子供でも無いのに、あの母の私を監視する態度が我慢ならなかった。たまに私の処に来ては、「お前は何をして居る!!」と言うのだ。監視して居るのですよ。私は怒って言った。「俺は男だよ、気色悪い部屋に入って来ないでよ!!」一度親父が、私が高校生の頃に、「会社のアルバイトに友達を数人連れて来い」と言った事があった。何故なら、従兄弟のゆきかずとけんじが、そうして居たからだと言うのだ。子供は親のダシか!!私は当時の同級生2人に声を掛けて一緒に働いた。しかし母は昼になると、もう料理を何品も出して嬉しがって居て・・・・とうの友人たちは、仕事と働いて居る真面では無いバカな社員との間で、嫌な顔をしてウンザリして居たのに。それなのに母は「しっかり食べてね、、料理もう1品作るからねぇ〜〜私は料理が得意なのよ〜〜!!」と体を躍らせて嬉しがって居た。バイトが終わって、彼らにバイト代を払った時に私はこう言われた「お前の家はおかしいよな?お母さんって何なんだ?何が会社だ!!あんな処。二度と来ないよ!!」そう言われた。その後、私は障害を持つ様になり音楽活動は一切出来なくなって仕舞った。2000年代に入って私の姉さんの娘。姪がGizaという音楽事務所に所属して、作曲家そしてシンガーソンング・ライターとなった。しかし姉は自分の子供可愛さに、曲が出来ると当時はCD-RもMDやらカセットテープもあるのに、何故か毎回電話を掛けて来て。電話機の前で録音した出来立ての音源を、再生して私たちに強制的に聴かせた。
あのバカ親父などは、浪花節しか解ら無い人間だったから、姪の作るJ=POPなぞ聞かされても解りはしない。そうすると電話でネチネチと、バカ親父に感想を言えと言って。バカ親父が「おりゃ〜。こう言う音楽は解らないんだ....。」と言うと「このバカヤロ〜〜。あの子の作る曲は世界一なんだ!!それを貴様は誉めないのか?認めないのか!!バカヤロ〜〜!!。」と怒声罵声を浴びせて居た。親父は「あいつはなぁ、、」と呆れて居た程だ。そして最後には誰も自分の様には褒めてくれ無いと怒る始末だ。誰が自分とそっくり同じ様に褒めてくれるのだろうか.....。また書いて来て嫌な話になりました。だから、私はそう言う事で絵はもう2度と描く事は無いでしょう。それにもう、あれから40年も経って居るのです。その間に一度も絵を描いてはおりません。ですので、もう描こうとしても描けませんよ。幾ら、昔。ニューヨークとミラノから賞状を貰ったとは言えね....。そう言う事です。子供は親の背中を見て育ちます。私の父親は大概の大バカモノだった。母は私に干渉し過ぎた。何でも私のやる事はダメだと言った。お陰で、私は大学の時に、ある宗教団体のバカ信者に、しつこく付き纏われて統合失調症になり、全てを失う事になった。私は現存して居る17歳当時に描いた漫画の原稿をこのblogに載せて居ますが、今持って、褒められた事はそれ程無い。皆さん、お上手な方は沢山居られますからね。ただ。私のレゾンデートルとして、また上げて置きます。よかったら冷やかしでいいので見てやって下さいね。宜しく・・・・・。
写真の写りが悪いですが。kiyasumeが描いた漫画の一部です、このぐらいで。随分とへタですが、17歳当時に書いたモノですので。ご配慮を・・・・・。
いまだに読めてない15冊の書籍・・・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
夜の憩いに、眠気覚ましに、、今日は暖かいので、、アイスコーヒーです。。。
今日の昼食です。。。
今日の夕食です。。。
ミニサラダ付きです。。。
最近使って居ない。ハーモニカアンプとマイクです......。
1970年当時のハーモニカ輸入教則本
kiyasumeの吹くブルースソロ。。。
kiyasumeの吹くチャーリーパーカーとソニーステット風のアドリブ
kiyasumeの亡くなった医師だった弟の遺影。
最近、思います。私はたった一人です。今日は昼から夕方まで寝て居ました。昨日は午後1時から夜の8時まで寝て居た事もあり。夜遅く調子が良くなり。コンビニまで買い物に行ったのですが。私はヨウジ・ヤマモトのお弟子さんがデザインした薄手のロング・コートを羽織って行ったのですが。コンビニの若いと言っても28歳から30歳ぐらいか?もしくは35歳ぐらい?の店員が、人を見てもただ黙って居るのですよね。コンビニで惣菜パンを買ったので。それらが入って居るカゴを、レジまで持って行って置いたのですが。ぶっきらぼうに、暫く人を見て黙って居るので。私も黙って居たら「レジ袋入りますか〜。」と言うので。肉まんとあんまん2つ下さいと言って。あれっと思って。レジ袋見て、「あれ?2つですよ?」と言ったら「一つしかねえんだよ!!」そう言われました。そして私が「そうですか」と言って背中を向けてドアの処を跨ぐと「何だかねぇ〜!カッコツケやがってヨォ!!」と言う声が聞こえました。私は慣れっこです、だからそのまま帰って来ました。昨日の夜中の午前1時の頃の事です。
私は孤独です。それはヘルパーだとか若い訪問看護師が来ますが。特に若い看護師は私との会話は余りしたくは無い様です。そして、私を精神が病んで居る患者としてしか見て居ませんし。そうとしか扱いません。私は友達感覚で何時も話して居るのですが。相手は事務的にしか接して来ません。私が以前、こんな事をある若い看護師に言いました。「僕はネットしか無いからね・・・。」そう言うとその看護師は『私たちが着いて居る』とは、ついに一言も言わずに「そうね、kiyasumeさんには、それしか無いわよね。」と言いました。全ての訪問看護師さんがそうだとは言いませんけどね。しかし最近に成って年配の看護師さんが付いてくれる様に成りました。やはり若い人より良いですね。親切丁寧に私に接して診て居てくれますから。処で本当の孤独と本当の絶望をあなたは知って居ますか?哲学書や心理学書を読んで精神病を知った気になって蘊蓄を垂れては居ませんか?自分と共に生きる人が居なければ、人生は無意味に思えて仕舞います。友達や家族は生きる意味を与えてくれます。しかし彼らが居なかったらどうでしょうか?今まで私には誰も居ませんでした。しかし幸運にも愛する人に巡り会えました、まさに宝物を見つけた様なもの。ですが、ただ宝物を見つけただけでは何も始まりません。掘り起こして、宝箱のカギを開けなければ。自分と同じ様にその人の事を愛し、大切に思う事です。すべてのお金を投げうってでも、その宝物だけは何があっても、離しては行けません。今、幸いにも私にはそう言う女性が一人居ます。( ◠‿◠ )
今回は「古着とは何か」と「古着の魅力」について話して行きたいと思います!
此処数年、ブームが再熱している『古着』。
昔は「赤の他人が一度着た服」と言った意味合いで抵抗を感じる人が多かったですが、ファッションが大衆化の流れを見せる中で、古着の持つ『唯一無二』と言う魅力が人との違いや個性を生むアイテムとしてブームになって居ます・・・。
では具体的に古着について見て行きましょう!
◯古着とは何か
まず、皆さんは古着とは何かご存知ですか?
古着にはとても長い歴史があります。
最初に古着が誕生したのは室町時代と言われて居ます。古着とは一度着た服をリメイクして、リユースしたモノの事を言います。なので、この室町時代に日本特有の「もったいない精神」が古着によって培われたとも考えられて居ます。戦前、服を作るのには大変な手間が掛かって居たのでボロボロになるまで着られて居ました。
着れなくなった服はもったい無いのでリメイクなどをして再利用されて居たそうです。この時代に於いて古着とは日常の必需品として作られて居ました。このイメージがガラッと変わったのは1970年代に入ってからです。昭和後期に入るとアメリカ・スタイルを古着に求める様になり、原宿などに古着屋が誕生しました。ただの日常の必需品ではなく、古着とは「個性」「おしゃれ」「自己主張アイテム」と化した、と言う事ですね、、
現在となっては「ビンテージ・ブーム」と言われる、ボロボロになった服をリメイクするだけでなく、ビンテージ加工などでわざと古着の様な加工をした服が人気になって居ます。
◯古着の魅力
では古着を心から愛する私にとっての古着の魅力とは何かお話ししたいと思います。
古着の魅力とは4つあります・・・。それでは一つずつ紹介して行こうと思います。
1つ目!味が出る事!
古着とは買った時は形が同じでも、何度も何度も着るとその人特有の味が出て、世界にたった一つの自分だけのための服になる処が魅力だと思います🌟
勿論、女性用のモノとかもガーリー、ストレート、とか色んな種類の服があって、それぞれに魅力があるし女性はそれらの古着をよく着ます。でも古着のこの魅力は古着にしか出来ない事だなと思います。
2つ目!沢山のジャンルがある事!
普通のアパレルショップでは流行りを常に取り入れた商品を置いて居るので、個性よりも、流行りのものが多いです。しかし、古着は冒頭にも述べたとおり、長い歴史があるので、流行りのジャンルや色、形はもちろん、個性のある服が沢山あります....。また、1ヶ月に2回ほどラインナップが変わるので本当に沢山の種類の服を手に入れる事が可能です!
3つ目!良質の商品が安いこと!
ヴィンテージ古着とは何か知っていますか??良質で安い古着の事をヴィンテージ古着と呼びますが、ヴィンテージ古着とは誰かが1度着たものをリユースして居る事が多いので、有名なブランドの古着を買うと、長持ちな物を安く手に入れる事が出来ます!お手頃価格なので大人は勿論の事、学生にも手が届きやすいですね。
4つ目!広い世代に親しまれて居る事!
古着は今、若い世代から年配の方まで親しまれて居ます!その理由としては矢張り手の届きやすい値段と、幅広いデザインだと思います。他のジャンルの服は客層が決まって居ますよね?若い女性、婦人服、紳士服など...。
そんな中で古着とは誰でも着れるジャンルの服であり、凄く魅力的だと思います。全世代が同じ様に親しめるものって世の中に少ないのに、その中で古着がそのうちの一つである事は凄い事だと思います!!
◯古着は汚くない!
古着が人気な一方で、抵抗がある人が居ます。その理由として、「清楚感がない」が大半を締めます。しかし、今までも述べた様に、古着には沢山のデザインやジャンルがあるので、清楚なものも勿論あります。例えば、女性ならば誰もが一度は入った事があるであろうwegoの商品を思い浮かべて見て下さい。
ワイドパンツや肩出しのトップス、短いパンツやスカートなどがある一方で、無地のワイシャツやブラウス、ストレートなジーンズなども置いてあり、どれも清楚感があります。
◯古着の社会貢献
古着とはただおしゃれなだけではなく着なくなった服を再加工した商品で、「ゴミの減少」「リユース率の向上」「3Rに関する啓蒙活動」を行なっており、社会環境に大きな影響を与えて居ます!!ある市では焼却されるゴミを減らすため、着なくなった古着を回収するリサイクル・ステーションの開設数が増えて居るそうです。
古着でコーディネートした男性、、
ムック本では古着のディティールやブランドに付いて詳しく勉強出来ますが。着こなしや流行について勉強するなら雑誌がお勧めです。
古着と言っても着こなしや、トレンドアイテムは日々変化します。毎号流行を先取りしたファッションが取り扱われるので、最新号をチェックして見るとよいでしょう。
お勧めのファッション雑誌は下記の5冊です。
- 『メンズノンノ』 20代中心きれいめカジュアル全般
- 『スマート』 20代中心カジュアル全般
- 『カジカジ』 20代中心関西ストリートスタイル
- 『セカンド』 30代~50代のトラッド・アメトラ・ビンテージスタイル
- 『ライトニング』 30代~40代のアメカジ・ビンテージスタイル
古着でコーディネートした女の子。。。
男性の古着雑誌と比べて、女性向けの雑誌はかなり少ないです。
女性は、インスタグラムなどネットで情報を集めて居る人が多いのかも知れません。
オススメする女性向け古着雑誌は、以下の3冊です。
- 『mer』10代後半、20代前半の読モ・ガーリースタイル
- 『mini』ボーイッシュ・ストリートスタイル
- 『古着女子』人気のファッションメディアから出版されて居る雑誌
◯まとめ
古着について語りましたが如何だったでしょうか....。"古着とは何か"とその魅力は伝わりましたか?歴史の長い古着だからこそ、皆さんの身近にある古着をこれからも。もっともっと長い年月大切に、愛して下さったら嬉しいです。読んで下さり、有難う御座いました.....。
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今回は此処までです。此処まで読んでくれて有難う御座いました。。。
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