寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

山ちゃんと「われに撃つ用意あり」。

 

 

 

 

 

 

読書よりも実際に体験する事の方が大切だと言う事に付いて、、

 

私は、ある意味、読書も体験だと思って居ます。
そしてその副次的な意味合いで、
例えば本に書かれて居た場所を尋ねて
見るとか・・・・・・。

本は体験の入り口なのだと思います。

そして最近アニメ映画を見た観客達が、
アニメの舞台になって居る場所を、
聖地巡礼と称して訪ねる風潮が
ありますけど.....。

要するに物事は「それのみで完結せずに、
副次的要素を生み出すものなの」だ、
と言えると思います。

例えば哲学書を読んで居てさえ、、
外に行きたくなって。その論理を景色
から紐解く事だってありますよね....。

本にはあらゆる可能性が詰まって
居ますよね。本に於けるレゾンデートルは

事象に於ける対幻想なのでは無いかな、、、


そう思いますよ・・・・・。

 

 

さて、映画です。今回は若松孝二監督作「われに撃つ用意あり」です。

われに撃つ用意あり』は、1990年公開の日本映画。監督は若松孝二、松竹と若松プロダクションが共同製作し、松竹の配給により公開された。カラー、ビスタ。上映時間106分。

新宿の歌舞伎町を舞台に全共闘世代へのシンパシーが全篇にあふれるハードボイルド・アクション。全共闘の熱い時代の若者たちに熱狂的に支持された若松孝二監督が、社会派エンターテインメント作家・佐々木譲の小説『真夜中の遠い彼方』を原作に、原田芳雄と桃井かおりを主演に迎え映画化した。香港の映画スター、ルー・シュウリンを加え、男と女の鮮烈なバイオレンスシーンが展開する。

ストーリー

新宿・歌舞伎町。スナック“カシュカシュ”のマスター郷田克彦の前に、ヤクザに追われている女が現れる。女の名はヤン・メイラン、タイ人である。その頃、外では桜道会系戸井田組々長が銃殺される事件が発生し、新宿署のマル暴刑事・軍司が捜査を開始していた。殺人現場にはVHS-Cビデオのアダプターが残されていたが中身のテープはなかった。一方“カシュカシュ”では20年間続いたこの店の閉店パーティが行なわれており、克彦のかつての全共闘の同志である季律子、秋川、三宅らが集っていた。中にはメイランの姿も見え、実は彼女がベトナム難民であり、偽造パスポートを持つ密入国者であることが判明する。逃走のためのパスポートを取りに店を出たメイランは、戸井田組に追われるが克彦はそんな彼女を救出するのだった。

一方、事件を追う軍司は、戸井田組がタイの女にパスポートをネタに売春させ、その女に組長が殺されたらしいことと、女がビデオテープを持っていることをつきとめた。時を同じくして香港ヤクザが戸井田組々員を殺害する事件が起り、そこで軍司はビデオテープを発見する。それは桜道会桜田のフィリピン女の殺人シーンだった。メイランは克彦と仲間に戸井田に脅され、犯されそうになった時、銃が暴発して戸井田を殺してしまったことを打ち明ける。そして対策を練っていた時、秋川が香港ヤクザに殺されてしまい、メイランもさらわれてしまう。克彦は一人でメイランを救出することを決意する。そんな克彦と行動を共にする季律子。リボルバーを手に香港ヤクザのいるフィリピンパブへ向う二人は、ヤクザと警察を向こうに激しい銃撃戦の末、メイランを無事逃がす。そして、負傷した二人は互いを支え合いながら薄れかける意識の中で笑い合うのだった。

 

 

われに撃つ用意あり。(READY TO SHOOT)

 

 

新宿、歌舞伎町ロケの生々しさと、青春をどこかに置き忘れて来た中年男の哀愁と苛烈さが相まって、物語に独特な雰囲気を醸し出させています。筋立ては凡庸なものですが、原田芳雄、桃井かおりを始めとした個性派俳優の演技で最後まで魅せてくれる。また、石橋蓮司が撃たれるシーンではスローモーション、ラストシーンはコマ落としではなく写真の連続などなど、物語とともに映像も楽しませてくれます。若松孝二がアウトロー俳優として評価が高い原田芳雄の為に撮ったような映画です。私は原田芳雄を兄貴と慕っていました。ですのでこの映画は思い入れがあります。人間臭さ、アウトローな男としての魅力はこの俳優ならでは、若くしてこの世を去った松田優作が矢張り兄貴と慕っていました。決して甘いマスクをしている訳でもなく不器用な中に感じる男らしさ、そしてちょっとした動作にアウトローを感じさせる。そんな男を演じたら本当に上手いし、そう言う

男の役が良く似合った俳優でした。若松孝二監督は新宿のロケに当たって、地元のヤクザの親分に相談に行ったらしいです。まあ、若松監督は苦労人で、若い頃ヤクザだった事もあり、そう行った行動に出たのでしょう。ロケは大変だった見たいで。ラスト近くの銃撃戦を撮影したら、その時、ちょうどヤクザ同士の発砲事件があり、原田芳雄の家に電話が掛かって来て、警察に来るように言われて。撮影クルー全員が取り調べを受け、原田芳雄に至っては拳銃で何発撃ったかと尋問されたそうです。原田芳雄は撮影中は何時も怒っていて、桃井かおりに言わせると、「芳雄は怒っているから、もう来ないかと思ったら次の日にまた来ているのよねぇ〜」という事だったらしいです。

香港の人気女優、ルー・シュウリンが日本にこの映画の撮影に来て一番最初に覚えた言葉が「バカヤロー」だったそうです。元全共闘たちへの鎮魂歌。あるキッカケで青春時代に熱くなっていた精神が蘇る感じが良く映画に表現されている。原田芳雄&桃井かおり ベストキャストです。音楽担当のフリージャズのサックス奏者、梅津和時が良い雰囲気のジャズを劇中で披露してくれます。本人も劇中に登場しサックスを披露しています。多分、若松監督は、フリージャズのサックス奏者、阿部薫が好きなので彼をイメージして梅津を起用したのでしょう。私の言葉だけではこの作品を語るのには充分ではありません。是非一度御覧に成って観て下さい。そして、男らしくカッコイイ芳雄さんをその目に焼き付けて下さいね。

 

新宿心中 - 原田芳雄

 

 

 

 

 

「エッセイ」

私が会社勤めをして居た時だ。私はやまちゃんと言う56歳ぐらいの男性の車に何時も乗って居た。私は免許が取れないからね。常識で考えて見れば解ると思いますが。精神疾患者は車の免許は取れません。勿論、そんな事は会社では私は誰にも言っては居ない。大体が誰でもが、私の状態を見れば免許を持つのは無理だろうと思うからだ。しかしその事が解らないバカも居た。ゆきかずだ。彼は私に何時もの如くに、車の中に先に乗って居てと言っては後から乗って来て「何で免許を取らないんだ!!普段贅沢に暮らしてるんだろう(笑)。免許取る金が無いのか!?無いなら会社から借りて取れ!!」と言うのだ。そして、私が幾ら今日は彼女と会うから、大切な人との待ち合わせだから早めに帰してくれと言っても、嫌がらせをして、わざと遅らせて待ち時間に間に合わない様にした。まあ、バカなゆきかずの事は如何でもいいが。今回の話はやまちゃんに付いてです。

彼は身長185cmの長身で、学歴は高卒だった。彼はうちの会社に来る前は確か喫茶店でコーヒーを入れて居たと思う。だからコーヒーに付いての蘊蓄は会社の誰よりも詳しかった。彼の話で面白い話がある。彼が高校時代に、野球部の先輩とすき焼きパーティーをすることになったそうだ。彼は先輩から金を貰って肉屋で肉を買って来てくれと言われたが、彼と彼の仲間2人はその金をネコババして肉は買わず。何と野良付いて居た、赤犬と野良猫を棒っ切れで撲殺して、肉を削ぎ取りその肉を先輩に渡したそうだ。昭和20年代から30年代に掛けては野良犬は結構居たのだ。しかも毎回だったそうだ。

そして先輩たちはその犬やら猫の肉を食べさせられて居る事すら解らなかったらしい。ただ、この話にはおまけがある、何とそんな事をして居たやまちゃんは。其れ以来、肉が食えなくなって仕舞ったのだそうだ。撲殺された野良犬と野良猫の祟りだ。私が働いて居た1980年代だが。当時はファミリーレストランが全盛だった、彼と一緒に乗って居る時は。何時も昼は会社が材料を入れて居たファミリーレストラン「ペキニーズ」で昼を食べたが、彼は肉が特に挽肉がダメなのでハンバーグだとか食べられなくて。何時も最上の値段の鶏肉のソテーしか食べれなかった。そのおかげで私も彼の奢りで鶏肉のソテーを毎日食べて居た、

このメニューにはサラダとチキンスープにライスが付いて居て、食べでがあった。私はお礼に彼に録画した映画が入ったビデオテープをよく渡して居た。特にアラン・ドロンとクリント・イーストウッドの映画を上げた。彼は喜んで居たっけな。そして私から受け取ったビデオが40本になると言ってビデオラックを購入したと言って居た。今はBlu-rayレコーダーの時代だ。DVDですらもう古い。話は変わるが私はDVDに、映画、アニメとかドキュメンタリーとかを録画したモノを4,700枚は所有して居る。Blu-rayに録画したものは630枚ぐらい所有して居ます。まあ、人に依っては、ハードディスクに撮りためるのが、今の時代には当たり前に流行って居ると言うが・・・・。

私は盤に拘ります。ハードディスクは単価当たりが高いですからね。盤なら1枚あたり80円位で済みますから。ただ場所を取りますけどね。いいでは無いですか其れも楽しみの一つですから。そして購入したDVDとBlu-rayのソフトは併せて、648枚ぐらい所収して居ます。CDは約400枚。レコードは432枚はあると思います。書籍は約800冊は所収して居ます。何て贅沢なと言う人が居ますが。私は旅行もしないし。此れだけ貯めたのは、ほぼ40年で貯めたのですよね。人は色々な趣味があると思います。山登りが好きな人。ジョギングが好きな人。本が好きな人。サッカーが好きな人。人に依って千差万別です。私は音楽と映画と読書が趣味なだけですよ・・・・・・。(๑>◡<๑)

 

 

 

【普段メイク】志貴式適当デイリーメイクをご紹介します。※エンディングおまけ動画あり

:: English Sub -氷锁-(hyousa) by RURUTIA (ルルティア)

 

 

私が以前に入院したら、50代の男が入院して居まして、話をすると必ず。「へぇ〜〜?」と言うのですよね。まあ、病気な訳だからおかしいのでしょうけど。人が話し始めると必ず「へぇ〜〜?」と言う。私は段々とその男とは話さなくなって行きました。こう言う男。鼻から人を馬鹿にして罹って来る男。自分はもう50歳超えて居るのだろうに。常識も何も無い男。どうしようも無い。処で私をバカにした。以前書き込みをしたら「blogで自分の生い立ちなんか書いて居ないでよ!」と言ったgooの女性会員は、この間観に行ったら。gooを脱会して居ましたよ。その人は、毎年新学期になると、高校生やら中学生向けの励ましの言葉を書いて居ました。学校の先生気取りでしたが。誰も読んで居ませんでした。書き込みも一人しか居らず。その人も最近では書き込んで居なかった様でした。

私が言う事は全て気に喰わずに居て。私がその女性に合わせても。何時も「私の方が上よ」と言う態度でした。確かに本で読んだ知識はありましたが。知識に振り回されて居る典型的な女性でした。私はそれとなく。「蘊蓄が言えるのはいい事だけども。知識が全てと言う考え方はおかしいですよ」と言って居ましたが。耳を貸さずに居て。よく居るんですよね。蘊蓄が言えれば利口だと思って居る人が。確かに何も知識が無いと言うのは困るけど。普通に生活する上で必要な知識さえ学んで居ればいいと思いますよ。はっきり言って私も少し蘊蓄を言いますが。これ読んで居る方で「kiyasumeの幼稚な蘊蓄は要らない。」と言う人が居ても私は全然アリだと思います。

 

完全に安心しきった姿♡ へそ天にすぐなっちゃうニャンコの日常を覗き見

 

 

「人間は考える葦である」。これはフランスの哲学者ブレーゼ・パスカルの言葉ですが。何か言い表し難いものを、それでもなお言葉で持って語ろうとするとき、人は「たとえ」を使います。見事なたとえは多くの人に知られる様になり、やがて皆が説明抜きでも理解で出来る様になる。「考える葦」もそうした、たとえのひとつと言えるでしょう。

 パスカルは『パンセ』の中で人間を葦にたとえながらこう語って居る。

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・」

折れやすくもろい葦は、確かに人間の弱さを象徴するに相応しいものかも知れない。だが、何「葦」なのだろうか? そもそも『パンセ』はキリスト教弁証論として構想された。懐疑論者や無神論者に対してキリスト教の正しさを論証する事がパスカルの目的だった。

特に人間の悲惨とキリストによる救いは『パンセ』の中心テーマのひとつである。パスカルは原稿を準備しながら聖書を丹念に読んで居た。そしてメシアについての預言や、イエスの受難の場面から浮かび上がって来たある植物に注目する。前田陽一氏は「考える葦」の由来を次の様に述べて居る。

 ・・・メシアの預言、荊の冠と対をなす葦の杖、十字架上へさしのべられた葦の棒と、キリストの一生の大事な時点に三回も登場して来る処から、「傷められた葦を折る事がない」(『マタイ福音書』一二の二〇)キリストを「考える葦」の尊厳の守り手と考えての事だろうと思う。

恐らくパスカルは、人間の弱さだけでなく、キリストの贖いをも象徴するものとして「葦」を選んだのではないか・・・。

勿論、由来をあれこれ考えなくとも、このたとえを理解し味わう事は出来るだろう。しかし、さらによく知ろうとする努力こそが「考える葦」には相応しい。「だから、よく考える様努めよう。」そうパスカルは付け加えて居るのである。

 

kiyasume17歳の時のバンドで吹いたハーモニカ。(エイント・ノーボディズ ・ビジネス/ストーミーマンディー)

kiyasume17歳の時のバンドで吹いたハーモニカ。(オフ・ザ・ウオール風エブリディ・・・)

kiyasume17歳の時のバンドで吹いたハーモニカ(キープ・オン・ゴーイング。)

リトルウォルターに捧げる。。。

ブルース・ソロ。

 

知ると言う事は確かに楽しい。しかし偏った、お勉強に成って仕舞っては元もこうも無い。前にも言ったが、本来、勉強と言うのは物事に精を出す事。努力する事だ。知識を学ぶと言う事とも言われるが、皆履き違えて居る。知識を知って居るだけでは駄目で。ひとつだけの知識は自分に取って弊害にしかならない。昔の「オタク」が良くバカにされたのは。アニメの知識は凄いが他に何も知らなかったからだ。しかし、大学の教授たちはどうだろう。同じ事が言えないか。要するに専門バカだ。それは普通の人より知識はある。しかし彼らはそれのみだ。要するに「学問オタク」なのだ。なんでもそうだ。私の様なものの事を「ハーモニカ・オタク」と言えよう。ガーディニングが好きな人は「ガーディニング・オタク」猫好きを「猫オタク」考えればキリが無い。

しかしオタク的知識はそれのみでは活用法が無い。その人間が使ってこそ本領を発揮する。私が言いたい事はそれだ。知識など今の時代、溢れ返って居る。本屋に行けば幾らでも情報は手に入る。本屋に行けなければ図書館でいい。手っ取り早くはこうやって人のblog記事を見るのもひとつの方法だ。巷には「ロジカルシンキング」の本が溢れ、ロジカルシンキング研修も活況を呈して居る様だ。しかし「物事を多角的に見る力」や「多角的に考える力」は「ロジカルシンキング」とは全く別の能力だ。一般に、ロジカルシンキングは「前提を置き」→「推論を働かせ」→「結論に至る」と言う筋道を辿る。しかしロジカルシンキングは「推論の働かせ方」は教えてくれても「前提の置き方」は教えてくれない。

逆を言えば「前提の置き方」次第で「推論の働かせ方」が変わり「結論」も変わってしまうのがロジカルシンキングだ。誤解を恐れずに言えば「何を考えるか?」は視点が決める。しかし、これを逆手に取れば「多角的な視点の持ち方次第で、ロジカルシンキングでは辿り着けない新たな世界を切り拓く事が出来る」とも言える。視野・視座を広げる方法はよく「イノベーションとは、常識を覆し、新たな常識を創り出す事である」と言われるが「多角的な視点」は皆んなが置いて居る前提を覆し、新たなアイデアやイノベーションを生む源となる。知識は一致半壊では困るのです。

私は此れからはスペシャリストの時代は駄目で。ゼネラリストの時代になると思って居ます。皆さん。今、私が物事を多角的に見ると言いましたが。物事をそう見る事は知識も多角的になると言う事です。此れも以前のblog記事にて書きましたが。私はミュージシャンの端此れだと此れでも自分の事をそう思って居るので言いますが。ひとつだけの音楽では駄目だろうと思いますよ。此れから多元的に聴いて居ないとね。ジャズのサックス奏者で「チャーリーパーカー」と言う人が居ます。Jazzに嵌り出した人には避けては通れないモダン・ジャズの巨人であり、スウィング時代以降のJazzの全てを変革した男。若きマイルス・デイヴィスはパーカーの天才振りを間近で経験し、その天才の凄まじさと「此れは、自分には無理だ」と言う思いから、その後のモード等のJazzを創出して行った。

さて、そのJazz史上、最大の天才であり、その後のJazzを全て変革して仕舞った程の人物、チャーリー・パーカー。彼はどんな音楽を聞いて居たのか?それはブルースとドボルザークなのですよ。方や黒人の伝統音楽。そして方や白人の伝統音楽のクラシックだったのですね。彼はビバップを発明しました。よく彼の演奏を聞いて見ると解りますよ。ブルースとクラシックが渾然と絡み合って居る事が.....。音楽を例に出して挙げると。クラシックとロックとの融合。プログレッシブ・ロックと言うジャンルの音楽があります。此れはバンドによってはジャズと融合して居る場合もあります。

 

チャーリー・パーカー/(現代ジャズへの進化)

まるっとジャンル解説「プログレッシブ・ロック」入門

 

複雑なリズムやフレーズが使われたり10分を越えるような楽曲が少なくないので、一聴では難しく聞こえて仕舞う事があります。しかし繰り返し聞いて行くとミュージシャンたちの高い技術による演奏や、楽曲の持つ世界観がクセになって仕舞うジャンルでもあります。今、こうやって音楽についても色々と言いましたが。私のホームワークはブルースですが。もうひとつはハーモニカでプログレを吹いても居ます。専門バカで良かった時代は、もう終わりを迎え様として居ます。そして書いた様に、蘊蓄を言えなければ行けない世の中もそろそろ終わりです。

物事の思考に於けるプライオリティーがそうなんですよ。なんかうまく今回は文に出来なかったかも知れないけど、(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾、私はその人間の型があれば、そこに仕舞う知識は蘊蓄では無くて。正確な情報でありえないと行けないのでは無いかと思って居ます。以前、私が人と自分のblogの掲示板で会話をして居たら。横から突然女性が「ほら、また難しいこと言ってる!!」と書き込んだ人が居たけど・・・。人は皆自分の型を持って居ます。それは自分が掲げて居る旗です。そして私は人の型(旗)要するに人の考え方もよく解るつもりです。kiyasumeの幼稚な蘊蓄は要らないと言う人が居てもいいし。自分は知識を広めたいと言う人が居てもいい。私は人の旗をとやかくは言いたくは無いし。今の世の中。色々な人が居てもいい。ただ、もうひとつの事だけでは、駄目だろうと思いますよ。そして相手を自分が気に喰わ無いからと、侮辱する様な事は困りますよね....。以上。kiyasumeの言いたい事でした...。今回は、短いけど、これで終わります。。。

 

 

ムーディー・ブルースThe Moody Blues/サテンの夜 Nights In White Satin (1967年)

Roundabout (2008 Remaster)

 

ビートルズの-「サージェントペパー・・・」の元ネタです。ザ・ビーチボーイズ - 「ペットサウンズ」(Full Album) 1966

 

今回は以上です。短いですけど、、それではまたお逢いしましょうね。。。

コメント一覧

kiyasume
nekono-hironyaさん、コメント有難うございます。
「塾の高校受験の国語のテキスト」にも似たようなことが
書かれて居ましたか???もしかしたら私はそう言うのを
過去に見て居たのかも知れませんね・・・・・・・・。

徳川家康と言えば「どうする家康」がもう終盤になって
来ましたね。昔は指南書が結構あったから、家康は読んで
居たのかも知れませんね。家康は頭が良かったから、、

それでは また来て下さいね。宜しく、、╰(*´︶`*)╯♡
nekono-hironya
こんばんは。
「読書も体験である。」との事。
実は、高校受験の前に夏季講習会でとある塾の国語のテキストにも同じ言葉が書いてありました。
 徳川家康も本を読み過去の歴史に学んだからこそ、太平の世の中を築けたのかなぁと思います。
 スイマセン。最後は脱線というか飛躍してしまいました。
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