喫茶店でレモン・スカッシュを飲む志貴ちゃん、、
ポケセンの戦利品&自分の誕生日プレゼント紹介。
青木志貴ちゃん誕生日特集です。今日1月14日は志貴ちゃんの誕生日です。彼女について過去記事から抜粋してお送り致します。志貴ちゃん33歳の誕生日おめでとう。。。。しかし君はとても33歳には見えないよ。若々しいよね。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆彼女に付いてよく知らない方もこの記事で解りますよ。
私が彼女を知ったのは、YouTubeを見て居たら偶然彼女の動画が流れて居て、誰だこの子と思い観て見て知りました、そして、一目で気に入って仕舞ったのでした。それまで私はアイドルとか若い女の子を見て「いいなぁ」とは思わなかったのですが、彼女は違いました。そして彼女の自伝を読んで、生い立ちを知って、何と可哀想な女の子だと思ったのです。苦労して居て。まあ、一目惚れだったと言う事でしょうか?それ以来、彼女のファンに成りました。でも彼女は私に取ってミューズではあるけど。可愛い私の天使と言うか、娘の様な存在です。今日は彼女はファンたちと盛大なお誕生会を催して居ますが。私は陰ながら祝います.....。
『青木志貴ちゃんとは???』
私が好きで応援して居る。青木志貴ちゃんはパンセクシャルな女の子です。パンセクシャルとは、相手の性のあり方を条件としない人と言う事です。兎角とバイセクシャルと同じだろと言う方が居ますが。この場合は2つの性が好きになる事。男と女どっちもと言う事で少しパンセクシャルとは違います。彼女は産まれた時からすでにパンセクシャルであった為に、
幼き日におママごとをする時に、どうしても奥さん役はしたくは無くて。旦那役か、それがダメなら動物の役をして居たと言います。そして小学生の頃から高校まで、彼女はその美しい容姿とは裏腹に、パンセクシャルであると言う事で陰湿な虐めにあったと言います。例えば表上は、「青木!一緒に帰ろうよ」と言われて喜んで着いて行くと「お前?なんで着いて来るの?着いてくんなよ!!」と言った具合だったと言います。彼女は女の子が着る水着が嫌で夏になると女性用の水着の上に海パンを履きTシャツを羽織って海水浴をして居たと言います。たった一人で・・・・。彼女の親は確か父親がフランス人でしたが。そんな彼女の事は何も解ってあげられずに。籍を抜くと言ったそうです。
彼女にはお兄さんが居て。何時も虐められて居る彼女を庇い助けてくれたそうです。そして高校に行ってクラスでも成績がトップだった彼女は、学級委員長になり副学級委員長の男子生徒と仲が良くなりますが。彼から「付き合ってくれないか?」と告白されてもその事が嫌で、先生に涙ながらに「自分は人とは違う....。」と話すと。先生はもらい泣きをして。彼女の親元に行って話してくれたそうです。しかしその事やら諸々の事があって。学校を辞めてしまいます。東京に出て来た彼女は私立の芸能高校に通って芸能の知識を身につけ。そして声優になりたくオーデションを受けますが、なかなか通らず、その後、「アイドルマスター・シンデレラ・ガールズ」のオーデションに採用されて。・アイドルマスター シンデレラガールズ(二宮飛鳥)・カードファイト!! ヴァンガードG シリーズ(浅田マコト)・狐狸之声(ユシン)・真・中華一番!(レオン〈少年〉)・天空侵犯(二瀬真由子)・EDENS ZERO(ホムラ)などの役の声を当てて今があります。
彼女は今日でもう33歳になりますが、、私は応援して居ますよ、、志貴くんは性自認は男ですが、、それは表向きの態度であって。身体は女性そのものですし。内面には女性らしい仕草がありますよ。私はジェンダーに付いてはよく解らないけど。彼女は話して居て、何時も控えめで、下手な女の子よりも女性らしいです。こう言うと彼女は怒るだろうけど・・・・・・・・。確かに口では自分の事を。僕とか俺とか言って居るけどね、、彼女は人に対して嫌がる事やら決してしないし。いつも優しい温和な態度で接して居ます。たまに彼女を揶揄う真似をする人間もいますが、前に彼女は怒って言って居ましたが「僕を面と向かって罵倒してくる奴が居たらぶん殴ってやる」って、、でも彼女が言うと。余りに優しく言うのでして、この辺が彼女の男気が溢れる処かなとは思いますが。そう言っても居たって女性らしいです。彼女は33歳になりますが。まだ少女っぽさが残って居ます。控えめな性格で誰にでもやさしい女の子ですよ。
志貴ちゃんは確かにパンセクシャルであると自分のことを公言して居るが。パンセクシャルとは、「相手の生物学的な性やジェンダーに関わらず、その人そのものに惹かれる事。」バイセクシャルと似て居る様に見えるけれど、バイセクシュアルは「2つ以上の性に関して魅力を感じる事」。
性が関わって来るのに対して、パンセクシャルは性やジェンダーと言う枠に囚われない。セレブ界にもパンセクシャルをカミングアウトして居る人たちが沢山居ます。そのコメントを聞けば、パンセクシャルや取り巻く状況について一層理解を深められるはず。レズやら、オカマでは無い。
彼女は苦労人で。今はそう言う存在として芸能界で生きて居る。声優。タレント。モデル。舞台女優。歌手としてね。私は彼女の事を一眼見て気に入って仕舞った。彼女はYouTubeで告白したが。その収録の時も泣いて居た。彼女が言うのには、高校の時に学級委員長をして居て、彼女の事を好きな男の学生と連んで、話して居たら周りの女学生から「あなた、あの子と付き合ってるの!?」とやっ噛みを散々言われたらしい。彼の方が話しは合うし志貴ちゃんの事を好きだった見たいだ。それで告白されて「俺と付き合ってくれ」と言われたが。彼女はその子の事では無くて男性から付き合ってくれと言われた事が腑に落ちなくて。とうとう高校を辞めて仕舞った。
その男子学生は顔もよくハンサムで、ジャニーズ事務所のオーデションにも行って居た子だったらしい。まあ、高校を辞めた経緯は色々その他にもあった見たいだが。彼女は田舎から15歳の時に単身出て来て、東京の芸能高校?に編入したらしいけど。私は初めて聞いたが。まあ、芸能高校は色々と東京にはあるが。堀越高校。東京都中野区にある共学の高校です。全日制課程への通学が困難な芸能人やスポーツ選手に対応した「トレイトコース(旧・芸能活動コース)」「体育コース」を設置して居ます。単位制で、芸能活動などで忙しく補講を受けられない場合は、学校側の判断により全く出席しなくても進級・卒業出来るケースもあるそうです。
芸能人第一号は歌手の田辺靖雄さん、芸能人第二号は初代ジャニーズの中谷良さんだそう。また、日出高校は、プロダクション・劇団と綿密に連絡を取る事で、生徒の出席状況やスケジュールを管理し、校生活と芸能活動が両立しやすい環境を整えてくれて居るそうです。芸能活動により欠席が多くなって仕舞ってもレポート補習で、不足授業時数を補って貰えます。ちなみに芸能人生徒第1号は山口百恵さんです。現在活躍中の芸能人では、女優の松岡茉優さんや、ももいろクローバーZの百田夏菜子さんが卒業生です。
まあ、芸能コース専門では無いけど。芸能人を多く輩出して居る高校は慶應義塾高校。明治大学附属中野高等高校があります。此の高校は2002年までは定時制があったため、芸能人も通いやすい環境だったようです。【卒業生】宇崎竜童・宇梶剛士・保阪尚希・野々村真・近藤真彦・本木雅弘・麻丘めぐみ・小泉今日子など。青木志貴ちゃんがどの高校に通ったかは知りませんが、そこでも何時も1番の成績だったそうです。だから彼女はそこを通いながら。夜間の芸能専門訓練学校にも働きながら通って日舞。バレー。ボイス・トレーニング。そして何故か楽器も演奏しろと言われてベースギターを学んだそうです。そしてバンドを組んで居たそうですが。
そのバンドを見たプロダクションが、彼女にモデルをやらないかと言い。この時期から雑誌の読者モデルや舞台などにも出演。高校卒業後は声優学校に通うお金もなく、将来の事で悩んで居た時、偶然動画投稿サイトの動画を見て、面白そうと思い「魔王」の名前ゲーム実況を始めました。この縁でニコニコ生放送の公式放送にも呼ばれるようになったそうです。もっとゲームを通していろいろな仕事がしたいと思い、ゲーム実況のリスナーから教えられた『週刊ファミ通』(KADOKAWA)ゲーマーズエンジェルのオーディションに応募し、2013年1月に合格(応募時は蒼崎らむ名義)。
2013年2月25日に芸名を「青木志貴」に改名。
11月に三木プロダクションと契約し、『神様と運命錯覚のクロステーゼ』の十六夜フェレスのオーディションに合格し声優デビュー。その後も数作のオーディションを受けて来たがうまく如何ず、2015年で受からなかったら声優業は諦めようと考えて居たが、マネージャーが紹介した『アイドルマスター・シンデレラガールズ』の二宮飛鳥のオーディションを受けた処合格した。2019年末頃より以前から開設して居たYouTubeチャンネルでの活動を再開し始め、2020年より本格的に活動。同年3月20日にチャンネル登録者数が10万人に到達した。ほか、Twitchでのゲーム配信も頻繁に行って居るそうです。2021年3月10日、自身初の著書である『わがままに生きろ。』がKADOKAWAより刊行。
いじめに遭っていた学生時代や、後述の性自認の苦悩などの困難にぶち当たりながらも、前を向く姿を綴ったエッセイを出しました。はっきり言って私が好きなのは。古い処では風吹ジュンさんだとかだが。此の青木志貴ちゃんは一眼見て気に入りました。それ以来ファンになって彼女を応援して居ます。彼女はもちろん。見た目も可愛い美人の女性です。歳も、もう30歳を超えたしね。芸能界には綺麗な人。可憐な可愛い女の子は沢山居ますけど。私は志貴ちゃんが苦労人で誰にでも優しく思いやりを持って居て。異性からも同性からも好かれて居る処が好きですね。まぁ、此の記事をもし志貴ちゃんが読んだら「僕はこんなジジイは嫌いだよ、、」と言われそうですけども。彼女にはそれだけの魅力があります。他の女の子には無い何かが...。
今回の記事は、また過去記事を修正して再投稿します。。。
kiyasumeが吹いて居る、下手くそなハープソロ
KEITH「さすらい」 歌 原田芳雄
私には今付き合って居る通称『妹』と読んでいる女性が居ます。彼女は私の事を気遣ってくれます。私に取って掛けがいの無い人です。今まで紹介しようとして居ましたが、彼女からの許可が無かったものでして。私は彼女の嫌がることは支度は無いのでして、ようやく彼女から許可が取れましたから、此処に『妹』のTikTokを上げて置きます、ご覧下さい。初公開です、リンクを貼って置きます、、クリックで見れます。宜しく。
「『ガロ』と『COM』、全共闘世代が熱烈に読んだ月刊漫画誌。」
去年の暮れに掃除をしていて、『ガロ』と『COM』をもうそろそろ捨てようかと考えた。まだ数冊は持っているのです。『ガロ』は白土三平が載っている号のは余り所有していませんが、1970年代前半から1990年代の廃刊間際まで、不定期だが買っていた。『COM』は1970年代の中頃から矢張り不定期ながら買っていました。今までに何回か捨てようかと思ったのだけども、捨てられなくて、其の儘、仕舞い込んで居たのです。
日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964に創刊された。誌名は白土三平の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っているほか我々の路すなわち「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあった。誌名の複数の候補からガロを選んだのは長井の甥である。題材・内容とスケールから連載する場所がなかった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的だった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。
長井勝一は後年「執筆者が7人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊時を振り返っており、水木しげるや白土三平が複数の名義を使い執筆者を水増ししての創刊だった。当初は白土三平の赤目プロの援助を受けて刊行された。雑誌のロゴも白土が発案し、レイアウトのほとんどを白土が構成した。表紙のレイアウトは週刊誌『朝日ジャーナル』を意識した。『ガロ』に触発された手塚治虫は虫プロ商事より『COM』を創刊、『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった。
1960年代の『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』と水木しげるの『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆう、つりたくにこ、永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。永島慎二は『COM』にも連載を持っていたが、『COM』の編集長の手塚治虫から、なんで『ガロ』の連載を辞めないのかと訊かれ、「永井さんには売れない時に面倒を見て貰っていたから」と答えている。新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、多いときには2日、最低でも3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れた。
『ガロ』は商業性よりも作品を重視しオリジナリティを第一とした為、編集者の干渉が比較的少なく、作家側にすれば自由に作品を発表できた。また、新人発掘の場として独創的な作品を積極的に掲載した。こうした事はそれまで漫画という表現を選択する事のなかったアーティストたちにも門戸を開放する結果となり、ユニークな新人が続々と輩出されるようになった。発刊3年後の1967年には、主に『カムイ伝』を目当てにした小学館による買収および、当時の同社の中学生以上の男性向け雑誌『ボーイズライフ』との統合話が持ち上がったが、破談に終わる。現在は『ガロ』『COM 』両誌とも廃刊。
下は所有している、『ガロ』と『コム』から一部の写真です。
1990年代、初代編集長、長井勝一氏を偲んで集まった著名人。
また高校生の頃、私が描いたマンガです。。。
goo blogにはイラストやら絵が上手い人が大勢いらっしゃるので、恥ずかしいのですが....
まあ、幼き日に描いた物だから、下手ですが、挙げておきます、( ´Д`)y━・~~
さて映画です。今回は「ワイルド・バンチ」です。
『ワイルドバンチ』(原題: The Wild Bunch) は、1969年製作のアメリカ映画です。サム・ペキンパー監督による西部劇です。時代の波に取り残された無法者たちの滅びの美学を描いた作品であり、西部劇に引導を渡した「最後の西部劇」と呼ばれている。ペキンパーの最高傑作として高く評価されている。定義にもよるが「アメリカン・ニューシネマ」の一つとされる。
1913年、テキサス州国境の町サン・ラファエル。パイク・ビショップ率いる強盗団の“ワイルドバンチ”は、騎兵隊を装い鉄道事務所の銀貨強奪を図る。しかし、牢獄からの釈放を条件に鉄道会社に雇われたかつての旧友デケ・ソーントンに指揮された賞金稼ぎたちに待ち伏せされ、銀貨強奪には失敗し、パイクたちはメキシコへ逃走する。賞金稼ぎたちとの銃撃戦で生き残ったのは、パイクの他にダッチ・エングストローム、ライルとテクターのゴーチ兄弟、エンジェルの4人だけだった。仲間のサイクスと合流したパイクたちは、国境を越えてエンジェルの故郷の村に辿り着くが、村が政府軍のマパッチ将軍に脅かされていることを知る。さらにエンジェルは、恋人テレサがマパッチに連れて行かれたことを知って嘆く。
ソーントンと賞金稼ぎたちの執拗な追跡を受けて、逃げる場所のなくなったパイクたち一団は、マパッチ将軍のメキシコ政府軍が本拠地とするアグアベルデに逃げ込む。そこでエンジェルは、テレサがマパッチの膝の上に乗っているのを見て逆上し、彼女を射殺してしまう。エンジェルは暗殺を企てたとして政府軍に捕らえられるが、マパッチを狙ったのではないと解りすぐに釈放される。エンジェルを引き取ったパイクは、1万ドルの報酬でアメリカの軍用列車から武器を奪うようマパッチから依頼される。
列車強盗を成功させ、約束通り武器を政府軍に引き渡そうとするパイクたち。マパッチ将軍の裏切りを予測していたパイクは、武器を小分けにすることで身の安全を図る。マパッチは渋々報酬を支払ったが、ダッチとエンジェルが交渉に向かった時に問題が起きる。マパッチを憎むエンジェルが武器の一部を反政府ゲリラに渡したことが政府軍に漏れていたのだ。それを知ったマパッチは、エンジェルを捕まえ残酷なリンチを始める。
仲間を見捨てることが出来なかったパイクは、エンジェルを助けるために4人で200人を越すメキシコ政府軍の砦に乗り込み、エンジェルを解放するように要求する。マパッチはエンジェルを解放すると見せかけて、パイクたちの目の前で殺害し、それを見たパイクはマパッチを射殺する。メキシコ政府軍は呆気にとられ呆然とするが、マパッチの相談役であるドイツ軍のモール参謀が拳銃を取り出そうとしたのをきっかけに銃撃戦が始まる。パイクたちは全員射殺されるが、同様にメキシコ政府軍を壊滅させた。
砦に到着した賞金稼ぎたちはパイクたちの死体と、メキシコ政府軍の死体から戦利品を手に入れるが、ソーントンはパイクの死にショックを受ける。賞金稼ぎたちと別れたソーントンは砦の城門で座り込んでいたが、そこにパイクたちと別れていたサイクスがメキシコ革命派のメンバーと共に現れる。サイクスはソーントンを仲間に誘い、ソーントンは誘いを受け入れて彼らと共に荒野へと去って行くのだった。
The Wild Bunch (9/10) Movie CLIP - Battle of Bloody Porch (1969) HD
スローモーションによる強烈なバイオレンスをアーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』に先を越されてしまった悔しさからか『ワイルドバンチ』の撮影現場で「俺たちで『俺たちに明日はない』を葬り去るってやる!!」とペキンパーが何百もの弾着を仕掛けながらそう言っていたと衣装係のゴードン・ドーソンは回想している。また『俺たちに明日はない』のラストのバイオレンス・シーンもペキンパーと同じくアーサー・ペンが尊敬している黒澤の『七人の侍』と『椿三十郎』を手本にしたものである。冒頭の銃撃戦のシークエンスの中に写っている子供たちの一人はペキンパー自身の子供である。当初は『ワイルドバンチ』の主演はペキンパーの飲み友達であったリー・マービンが予定されていたそうです。
この映画は1970年代にテレビの深夜放送の「名作劇場」で観ました。当時はマカロニ・ウエスタンが全盛で、本場ハリウッドの西部劇は人気がなかったのですが、この映画は、アメリカでもバイオレンス・シーンに使う血糊の描写が、解禁になったばかりで、B級西部劇のドル箱スターだったランドルフ・スコットとジョエリル・マクリーを主演に据えて、時代に取り残された老ガンマンの悲哀を描いた、名作「昼下がりの決闘」をやはり深夜放送で観ていて、サム・ペキンパーという監督の存在は知っていたので、大いに期待して観ていたのですが、いや〜素晴らしい映画でした。当時、マカロニ・ウエスタンで育った自分にも、それまでの西部劇とは違ったバイオレンス満載でいて男の哀愁が漂う演出には圧倒されました。ウィリアム・ホールデン、アーグネスト・ボーグナイン、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソンと豪華な主演陣。オートマチックの拳銃もこの時代にはあったのでしょうか、まあ、マカロニ・ウエスタンの作品でもセルジオ・コルブッチの名作「殺しが静かにやって来る」で軍用自動小銃のモーゼルが出てきましたが。しかしこのオートマチック、あの大銃撃戦の最中、一度もガンベルトから抜きません。ウイリアム・ホールデンの、時代からはぐれてしまった男の哀愁が垣間見られるのです。ラストの火を噴くマシンガンの破壊力を延々見せるのも死んでいく者たちの鎮魂歌を表しています。メキシコ軍を相手に4人で敵陣に入り凄まじい銃撃戦を繰り広げるのはバイオレンスシーン史上に残る一大叙事詩。まさに死のバレエと呼ばれるペキンパー監督独特のスロモーション撮影が見事に演出されています。4人揃って勝てる筈がないメキシコ政府軍に殴り込みを掛ける道すがら、メキシコの有名な歌が掛かります。此処でその歌詞の内容は言いません。ぜひ作品をご覧になって聴いて下さい。