若手ブルースバンド「MONSTER大陸」の演奏です。いい演奏ですので。是非聴いて見て下さいね。。。
Let me love you baby-Buddy Guy | MONSTER TAI-RIKU【#12】
kiyasumeは今日は、松屋のカレーを食べました。美味しかったです。。。( ◠‿◠ )
毎度おなじみの、kiyasumeのきったない部屋です。。。
今日は、近所を探索するために散歩に出た。。。この近辺は店屋が多いです。
そして本屋に行き。書店内を見てみるが、購入したい書籍は見つからず。。。。
「吐き出さなければいけない話」
私のバカ親父の事だが、、まあ、自分の父親を何時までも恨んでるのか?と言われるだろうけど。恨んで居るし言わないと、吐き出さないと私の病気が収まらなくなるから言うのです、、私が働いて居た時に、親父から120円を借りた。そうしたら、5分も経って居ないのにこう言われた。「俺の金を返せ〜!!俺の金を返せ〜!!💢」私は財布を忘れて来たのですよね。それなのに、そう言う事を言い乍、私が家に居ると「○、今日はな、お前の運勢がいい運を持ってるんだ。だから俺に1万円を寄越せ。俺はそれ持って競馬に行くからなぁ〜〜」と言う。まあ、呆れたが、一応あれでも親だと思って私も人がいいから1万円を渡した。そして帰って来たから、儲かったかと訊くと。「ああ、儲かった〜。」と言うので1万円返してくれと言うと「何が〜!」と言うのだ。1万円を返しはしなかった。それから当時はビデオ・デッキだったが、バカ親父にビデオ・テープを貸すと必ず傷をテープに付けられた。私はなんでだと思い。或日、バカ親父の部屋に行って見ると、なんとテープをサーチで巻き戻して居る。再生しながら巻き戻して居るのだ。
私は、だからテープに傷が付くのかと思い慌てて止めて言った。「あんたはバカか!!こう言う事をするからテープに傷が付くのだろう?」と言うと。「だってこうしないと巻き戻らないんだ!!」と言うので私はブチギレて言った。「普通はサーチで巻き戻しなんかしないだろう!!停止ボタンを押してから巻き戻しボタンを押すんだろう!!あんたみたいなバカにはもう貴重な映画の入ったテープは2度と貸さない。もう2度と映画は観られないと知れ!!大バカ野郎!!💢」そう言って2度とテープを貸さなかった。すると私が居ない間に勝手に私の寝室に入って来てテープを漁って見て居るのだ。私はつくづく親父と一緒に暮らすのが嫌だった。私は小学生の頃に母から顕微鏡を買って貰った事があった。そうしたらバカ親父が来て私の口の中に指を突っ込んで歯クソを取って。「○。これを見ろ!!」とビーカーに擦り付けた。私はバカ親父のこの行為にうんざりした。私は小学校低学年の頃にさいとう・たかおの「0011/ナポレオン・ソロ」の漫画の単行本を買って見て居たら、漫画を寄越せと言って。大きなマジックで空いて居る処に私の名前を大きく書き込んでしまった。私は怒って言った。「どこに、こんな大きなマジックで表紙に自分の名前を書く者が居るんだよ!!」すると「これで無くならないだろう!!」と言うのだ。
また、こう言う事もあった。会社でアルバイトから、広島カープの本を貸して貰えたと喜んで居た。親父はカープが好みの球団だったからだ。そして、その本は大切に読んで居るからと、念を押されて借りたと言うのだ。そして本を読み出したのだが。私は妙な胸騒ぎがした。バカ親父は本と言うものを読んだ覚えが無いのだ。だから親父がトイレに入って居る隙にその本を観て見た、そしたら、案の定ページを半分に筋を付けて折って居るのだ。私はバカ親父に言った。「これ、何でこんな風にして居るの???」するとあのバカ親父は言った。「バカヤロー!しおりがねえんだ!!」私は「バカはどっちだ!!アルバイトの石井君が大切にして居ると言って貸してくれた本だろう!?」「大体がしおりなら。俺が沢山持って居る。なんで一言言わない!!」
そして続けて言った。「大体がページを折るなんて普通はしない!!しおりがなかったら、新聞紙の切れ端でも何でも挟んで居れば良いだろう!!」「どう石井君に言い訳をする気だ!!バカヤロー!!💢」と怒鳴った。全く常識と言うものが無いのだ。それからDVDレコーダーが普及し出した頃だ。私がある時にある映画のDVDを探してもどこにも無いのだ。おかしいなぁと思い、暫く経って見てみると。何時の間にかあれだけ探してなかった映画のDVDが、ラックの一番前に置いてあるのですよ。バカ親父が勝手に見て居たのですよね。そしてある時にバカ親父は私にこう言った。「俺が好き勝手にお前のDVDを見られないじゃ無いか?」私は怒って言った「俺のものだろう。なんで人のものを好き勝手に見られるんだ!!」するとこう言った。「俺はお前に給料を出して居るんだ。だからお前が働いた金は全て俺の金だ。だからその金でお前が買ったものは全て俺のものだ!!」私はこの時ほど実の父親を殺してやりたいと思った事は無い。
大体がバカ親父は貧乏人の10人兄弟育ちの三男坊だ。物の考え方が全て貧乏人根性なのだ。まあ、利口では無かったのだろう。私が小学生の頃だ。親父は日常茶飯事(にちじょう・さはんじ)を(にちじょう・ちゃはんじ)と言って居たし。人質(ひとじち)の事を(ひとじき)と言って居た。あまりに親父がそう言うので。私は小学校の高学年まで、そう読んで居たのだった。あの人は明治大学を卒業して居ると言っては居たが。果たして本当か?と思いますよ。余りにバカすぎた。親父の兄弟たちは皆最低の人間たちで、私は親父の親戚はどいつもこいつの大嫌いだ。碌な物では無い。しかし、その親父も死んだ。まあ、私のお袋も大概にしてくれと言う迷惑を認知症になってから掛けてくれたが。その母も今は施設で暮らして居る。姉さんたちが面倒を見て居るから、私には一切会わせません。まあ、迷惑を散々掛けられた。今回、また親父の嫌な話でしたが。私はトラウマになって居るんですよね。ちなみに、私は5年前に貧血で輸血で血液が全部人の血になった。だからもう勝手の自分では無いと自負して居ます。散々な〇〇家からは、もうおさらばです。それでは、また..。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
「エッセイ」......。
まあ、思うに物事を深く考える人は、大抵失敗しますね。私も昔はそうだった。知識が全てだなどと思って居た。だから、知識を欲したし。小難しい本も沢山読んだ。それはそれで血肉とは成ったが。人もその尺度で測って見て居た。だから知識が無い人を見るとダメだなと思った。だが生活とは人好き合いとはそんな事は関係無いのだと、20年程前に考え直した。良く能書きが言えるとその人を頭がいい人だと思いがちだ。しかしそんな物は、本を読めば幾らでも言えるのだ。私はそう言った人を身近に見て来た。そして大概の人は知識に振り廻される。学校教育の弊害だと思う。大体が学校の先生は自分には知識がある。だから生徒で勉強が出来ない生徒が居ると訝しく思い。その生徒をバカだと決め付ける。よく事業中に漫画を描いて居た生徒が居た。
先生はそれを見つけるとサド/マゾ的にバカにした。こんなものを書いて居ると。私は中学時代、授業中に漫画を描いて居た生徒の絵を取り上げて、「漫画か?お前の頭も漫画なんだろう!!バカが!!」と冷笑を浮かべて、うすら笑う教師を軽蔑の目で見て居た。あんたの頭の中にあるのは「タンクタンクろう」やら、「のらくろ」なんだろうと反対に軽蔑をした。人間、50歳から65歳ぐらいの教師ほど訳が分からず。厄介な人間は居ない。文化を何も解っては居ない。戦前の考えか戦後の封建的な時代の考えで固まって居る。そんな教師こそ、太宰治がいいだとか、与謝野晶子がいいだとか言い出す。確かに日本文学を学ぶのも大切だ、だが、時代は変わるのだ。今や漫画が文学的な文脈で読まれて居るし。確かに日本文学はいいものだが、最近の漫画、そしてそう言う人が言う処の漫画であるアニメは私小説的な内容のものが最近は多い。
例えばもうちょっと古いが「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」などはその最たるものであろうし、漫画でも「つげ義春」などはもろ私小説だ。構造主義の文脈において多用される分析手法に「構造分析」がある。これは周知の通り、「神話や民話」を分析する分野において確立されてきた手法である。グレマスやプロップ。更にはレヴィ=ストロースの研究はこの種の「構造分析」に立脚して居る。「構造分析」は「神話や民話」の分析にしか用いる事の出来ない手法では無い。彼らがもっぱらそれらのテキストを研究対象としたのは「それらのテキスト」の真相に「有能な意味」が隠されて居ると、考えた事によるものである。そしてこういう言い方も出来るかも知れない。「グレマスやプロップがもし現代日本に生きて居たら必ずや彼らはアニメや漫画を構造分析の対象にしたであろう」と・・・。「ポーの一族」において主人公エドガーは、、、
人間を自分が生き延びるために餌にする家畜だと考える事が出来ない。人間を家畜と同じ類的存在として見ずに、そこに個的存在を見出しながら、しかし、自分が生きる為に彼らの命を奪わなくてはならないとしたら、自分が生き延びる事それ自体が禍々しい暴力となって生起するだろう。「ポーの一族」と言う作品は、吸血鬼である事を険悪するエドガーの実存を通して、自らが生き延びる為には他者を殺さねばならないと言う、そして他者が死んでもなお自分が生き延らえてしまうと言う、人間が生き延びると言うことが不可避的に孕んでいるある暴力性を示唆して居る。これは太宰治の「人間失格」と同格では無いのか。そしてエドガーは作家、太宰とその存在が被る。太宰はその生涯に何度も自殺を試み、39歳の時に成功した。21歳の時に女と鎌倉で死のうとした時は、一緒に死のうとした女だけ死んで、自分は生き残った。こう言った事からも、日本文学と漫画は不可視な均衡を保って居る。ミステリーやSFと言うジャンル的な横軸と、書法としての自然主義的リアリズムーその中心が純文学だ。漫画・アニメ的リアリズムーと言う縦軸を分けて考える必要はもはやない。それぞれはもはや不可視な均衡なのだ。
女流漫画家、萩尾望都。。。
勿論、私は日本文学が嫌いでは無い。太宰治も川端康成も三島由紀夫も好きだ。ただ、もはや時代はそれらの文学を内包して居ると思うのだ。結果出て来たものが、漫画、アニメだと思う。林静一が「ガロ」に漫画家として登場し、代表作「赤色エレジー」が話題になった1960年代後半から1970年代初等に掛けて時代はベトナム反戦やら、全共闘運動、カウンターカルチャーなどが嵐の様に起こり、実に騒々しい世の中だった。「ガロ」もそうした喧騒の中でたくましく「COM」と共に漫画の時代を誕生させ現代に牽引して来た。具体的には、戦う白土三平と世捨て人のつげ義春を両輪として進んできた。「ガロ」に当時輩出した漫画評論家たちに、押される様にして劇画に代わる新しい漫画を予想させる一群の漫画が登場したのだ。それと話は変わるが。テレビアニメの制作には、一話作るのに1000万円ほどの費用が必要だ。この制作費を賄うためにビデオソフト・間連書籍・キャラクターグッズ販売やらテレビアニメに付随するビジネスで利益を生もうと言うスタイルが確立した。
そのための権利調整の仕組みが「製作委員会方式」で、主にテレビ局や制作会社が出資する。テレビアニメでは90年代から盛んになり、今では多くがこれだ。ただ、この方式は限界が出て来て居る。特に主力となるDVDが高画質な衛星放送とBlu-rayディスクレコーダーの一般化によって急落して居る。そして国を上げてアニメーターを育成して居る韓国や中国のレベルは相当向上して来ており、是等の方向性によってはそう言った部分が海外に流出してアニメーターの産業空洞化が起きる可能性もあり得ると言われて久しい。ただ、アニメ制作に関わる人間は動画、原画、背景、仕上げ等々、非常に幅広い大人数の人材が必要なチームの作業で、そのメンバーを同じ方向性で、揃えられるかと言う点や、アニメ文化が積み重なって初めて生み出されるセンスと言う観点ではまだ日本には1日の長があると思う。その上で「10年〜15年にわたって放送を続けられる様なアニメは日本にしか無い」と言う。
これは日本には優れた漫画家が居ると言うアニメと漫画の相互関係の賜物だろう。勝手、アメリカの西部劇はイタリアのマカロニ・ウエスタンによって淘汰されて以来、本場の西部劇は、ほぼ滅んだ。日本人が漫画やアニメに対して文学的な価値を見いだせなければ、これら新しいサブカルチャー文学も滅びると言えると思うのですが・・・。漫画は海外でも作り手が現れて居る。日本人の自助作用に置ける、これらのサブカルチャー文化をうまく育てて行かないと行け無いと思う。まあ、昔に比べてはサブカルチャーの地位は向上はしたが。。日本のお家芸である自動車産業も、時代が変わりガソリン車はそのうち淘汰されて、電気自動車やら水素自動車が主流になるのは。まだ近い将来の事だとは最早言えない時代だ。現にトヨタはソフトバンクと組んだ。自動車産業は IT産業との競合をしなければやって行けない時代に成った。時代は変わるのです、最早、今までの常識は考え直さなければならない。しかしまだ、日本の良い面もある。音楽は今や世界的にリズム重視のサウンドが主流に成って居るが、外国の観光客が日本に来て安らぎを覚えるのは、日本にはまだメロディーを主流としたロックやら歌謡曲があると言う事だと言う。日本の1970年代後半から1980年代に駆けて流行った日本の、ニューミュージックの中でも欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練された。メロディや歌詞を持つものが『シティーポップ』と称されて海外で注目されて居る。多くがシンガーソング・ライターが作った曲で。ジャンルと言うよりもムードを表す言葉であったともされ、もっぱら日本語で歌われて居た点も特徴として挙げられる。
日本人が海外で活躍した1980年代のバンド「サディスチック・ミカ・バンド」やら「YMO」やらのバンドは当時革新的だった。そして現代。アメリカのハード・ロックやヘヴィ・メタル系の音楽サイト、ラウドワイアーにて、必聴の日本発メタル・バンド10組が発表されて居る。記事によると、日本では多岐に渡るメタルのジャンルをすべて吸収しつつ、とてもユニークな独自のアーティストの幅を生み出して居ると紹介。特にインターネットが普及してからはさまざまなアーティストを発見しやすい環境が出来上がって居るので、ぜひ探検して欲しいと勧めて居る。日本はこの様に世界的に評価もされて居る。数年前に亡くなった日本文学を翻訳して海外で三島由紀夫やら川端康成を紹介した、ドナルド・キーン氏は、はじめ日本の文学は中国の模倣だと同じアメリカ人から貶されたと言う。しかし氏は素晴らしい日本の文学を海外に紹介するために翻訳をし続けた。その甲斐あって、今や川端康成や三島由紀夫は全世界で愛読されて居る。今やネットの時代だ。良いものは国を超えて称えられそして向かい入れられる。そんな時代だからこそ、サブカルチャーは本当の意味での市民権を得たのではないでしょうか。。。。
上條恒彦&六文銭 出発の歌.m4v
だれかが風の中で 木枯し紋次郎
K・O(ノック・アウト) / SHIMIZU YASUO 清水保男
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「マカロニウエスタンとは?」
マカロニ・ウエスタンとは、1960年代前半からイタリアの映画製作者が主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称です。ただし、これは日本だけでの呼び方で、イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタン、あるいはヨーロッパ製ウエスタン、イタリア本国では単純に「ウエスタン・アル・イタリアーナ」(=イタリア製西部劇)などと呼ばれて居ます。
実は『荒野の用心棒』が大ヒットして世界中にマカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、数は多くないもののドイツやイギリス製の西部劇が作られて居ました。さらにブームのさなかにはフランスやアメリカ製西部劇もマカロニの聖地であるスペイン・アルメニアの荒野で製作されました。もちろん、本場スペインも独自の西部劇を作るようになりました。こうした「ヨーロッパで作られた西部劇」を総称して「ヨーロッパ製ウエスタン」と呼びます。
まあ、これが本質的には一番正しい呼び名でしょう。スパゲッティ・ウエスタンとは、基本的にアメリカ人が本場ハリウッド西部劇に対してチープなニセモノ西部劇をさして呼ぶジャンル名とされて居ます。そして、わが日本でも少々バカにした気分で、映画評論家の淀川長治と深沢哲也両氏が最初にマカロニ・ウエスタンと命名したとされて居ます。いまでこそ「マカロニ」と言われても定食屋で出てくるマカロニ・サラダくらいしかなじみはありませんが、当時の日本ではイタリアの食べ物の代表といえばマカロニだったのでしょうね。スパゲッティはともかく、パスタなどと言う呼び方は誰も知らなかった時代です。その証拠に、日本のパスタ・メーカーの組合は最近まで「全日本マカロニ協会」と命名されて居たのですよね。歴史観、正義感、道徳、整合性、リアリティ……。そんな、映画評論家が大事に胸に抱きしめて居る様な教科書的ルールのおとがめ一切なし、面白ければそれでいいじゃないか、の精神で作られた娯楽アクション映画の元祖。それがマカロニ・ウエスタンです。
娯楽至上主義のマカロニ精神は、のちにカンフー映画やブラック・プロイテーション・ムービー、さらにはスター・ウォーズなどのSF映画にも確実に伝えられました。悪人しか住まない町、何発でも発射される主人公のコルト、こんなもん存在したの!? と観客が呆れる暇もなく銃弾を撒き散らすガトリング機関砲、次々と倒れる数百人の悪人、どんな酷い目にあっても最後には必ず勝つヒーロー(例外もあるけど)、よく考えてみるとひどい奴にしか思えない主人公なのに、エンディングに流れるクールな主題歌にのせられて「カッコイイぜ」と思いこんだ観客たちはガンマン気取りで町へ繰り出した……。
時は1960年代、世界中が変わろうとして居ました。イギリスからはビートルズが、フランスにはヌーベル・ヴァーグが、アメリカでは人種差別撤廃・ベトナム戦争反対のムーブメントが巻き起こって居ました。そんな時に、純粋な娯楽として作り出されたイタリア製ウエスタン映画が世界中で熱狂的に受け入れられたのです。それは、ハリウッドが作りつづけてきた正統派ウエスタンへのアンチテーゼ、伝統に対する異端、安定に対する行動、クラシックに対するロックンロール!だったのです。
セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64年)は黒澤明の時代劇『用心棒』の盗作とされ訴訟騒ぎになり(結局レオーネは謝罪し黒澤はアジアでの配給権を得た)、所詮「マカロニ」とさげすまれ馬鹿にされました。しかし、ダイナマイトの大爆発、その硝煙爆風をバックにポンチョに身を包んだイーストウッドが姿を現すクライマックスの決闘シーンは、明らかに本家よりもスタイリッシュでカッコよかった。たとえ、イーストウッドの銃が、その先に居ない敵を撃ち倒そうとも、続編『夕陽のガンマン』(65年)が実は共演者であるリー・ヴァン・クリーフの物語であろうとも、イーストウッドはマカロニ・ヒーロー第1号となり、その後ハリウッドへ戻るとまるでマカロニ的としか言いようのないワイルド刑事『ダーティ・ハリー』(71年)として再生したのです。かつてジョン・ウエインらが演じていた往年のハリウッドのヒーロー像とはまったく違う、「悪」の一面を持つ人間的なヒーローのスタイルはその後もシュワルツェネッガー、スタローン、メル・ギブソンらによって華やかにスクリーンを飾り続けられて行きました。
『続・荒野の用心棒/DJANGO』(66年)に登場する西部の町は泥だらけで、底無し沼があり、女たちは泥レスに興じ男たちは殺しあうばかり……真面目なアメリカ人なら「そんな酷い町はわが国に存在しなかった」と異議を唱えるのでしょうが、そうは問屋がおろさない。19世紀のアメリカは、大都会のニューヨークでさえ、公共の場所には痰ツボが置かれ(そのまわりにはドジな男のはずした痰が……)、馬車が主要な交通機関なために道路には馬糞がいっぱい転がって居たといいます。それが、文明から遠く離れた西部の町なら……誰でも想像出来るはず。『続・荒野の用心棒』の監督セルジオ・コルブッチはただ「面白くするために」そんな町を創造し、めったやたらに殺戮シーンを撮りまくっただけなのでしょうが(そのために役者が足りなくなり悪党一味の部下に顔を隠す赤いマスクをかぶらせたほど)。異端は正統になり、ハリウッドから出稼ぎに来ていたイーストウッドとは違う、純粋イタリア産ヒーローとしてジャンゴ=フランコ・ネロをも産みだしたのです。
マカロニ・ウエスタンは一説では10年足らずの間に1000本は作られたと言われています。
『続 荒野の用心棒』とは全然関係ない「ジャンゴ」シリーズも50本はあるという言う。もちろん、イーストウッド、ネロのほかにも、アクロバチックなアクションと甘いマスクで女性に人気の高かったジュリアーノ・ジェンマ、ネロの贋者的にデビューしたが後期のコメディ路線でバカ売れしアメリカにも進出したテレンス・ヒル、イタリアのクリント・イーストウッドと呼ばれて何本も主演した渋いアンソニー・ステファン、ジャンニ・ガルコ、ジョージ・ヒルトン、ハリウッドから出稼ぎに来たトーマス・ミリアン、トニー・アンソニー、マーク・ダモンといったマカロニ・スターを輩出しましたが、その作品の殆んどは映画史的あるいは映画批評的にまったくもって無視されて来ました。
21世紀の今、60年代、70年代に量産されたマカロニ・ウエスタンを改めて見ると、意外にもしっかりした作りの作品が多いことに気づきます。史劇やコメディを作って居たベテラン監督が手がけた作品は構成がしっかりして居るし、スタントマン(後にスターになった者も多い)は体を張ってアクションして居る。セットは使いまわしが多いにせよ、本職が作りあげたリアリティあふれる背景だ。衣装にせよ、小道具にせよファッション大国イタリアの実力が発揮されて居るのです。素人がいきなり映画を撮る事が多くなり、なんでもCGで「絵」にしてしまう現代の映画作りとはまったく違う次元にマカロニ・ウエスタンは存在する。まさに、映画の中に肉体が躍動して居るのです。
なぜ今もマカロニ・ウエスタンは世界中で熱く語られるのか。もうひとつの秘密は音楽の素晴らしさでしょう。朗々と歌い上げるバラードに乾いたギターやホーンが絡み、スクリーンに映し出されるスペインの荒野(=アメリカじゃないニセモノ)を、本当の大西部以上に雄大に感じさせ、主人公(大抵は流れ者)の孤独感を盛り上げる。オペラやカンツォーネの国イタリアの特色が最も顕著に出た特徴でしょう。決闘シーンには此処ぞとばかりにドラマチックな演奏が轟き、トランペット、ハーモニカ、鞭や鐘の音や銃声といったSE……そして特筆すべきはエレキギターが主役を演じたこと。ドラマチックなオ-ケストレイションに絡むエレキ・サウンドはGSブームに乗って日本中で大ヒット。66年〜67年にかけての洋楽ベスト10は常に半分以上がマカロニ主題歌、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもその後塵を拝した程でした。
イギリスの大学教授でスパゲティ・ウエスタンの研究家クリストファー・フレイリング氏はこう語って居ます。「アメリカの西部劇に日本の黒澤明の時代劇をうまく混ぜ合わせて生れ、世界中で好まれたたスパゲッティ・ウエスタンは、中国の麺がイタリアへ伝わりパスタとして農民たちの主食になったのに似て居る」一説では、「マカロニ」の語源は古代ギリシャ語の「マカリア」で、それは葬儀で供される麦のお粥の様なものだと言います。残虐シーンと銃弾の数より多く多く人が死ぬマカロニ・ウエスタンにはぴったりの由来だと思いますが、いかがでしょう。
処で、東洋と西洋が交じり合い、世界的に通用する「味」となる傾向は近年特に強い気がします。ハリウッドへの香港映画人の進出、日本のアニメの世界的人気……こうした娯楽商品の国際化のさきがけとなったのがマカロニ・ウエスタンとも言えるのです。マカロニ・ウエスタン自体は、先に述べた60年代後半の世情に乗せられてか、コルブッチの『ガンマン大連合』(68年)、レオーネの『夕陽のギャングたち』(71年)など、次第にその背景をアメリカの西部からメキシコの革命へと移して行き、その後、衰退して行きました。最後の作品はアンソニー・ドーソン監督の『ワイルド・トレイル』(75年)と言われて居ます。が、それは、すっかり「マカロニ」本来の濃厚な味付けとは程遠い、気の抜けた似非コカコーラの様な西部劇でした。その後、『続・荒野の用心棒』の正統派続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(87)が作られたりもしましたが、マカロニ・ウエスタンはほとんど息絶えました。が、そのスタイル、演出、音楽などは今も世界中の西部劇、アクション映画に受け継がれて居ます。
マカロニは消滅しようとも、その存在が世界中に与えた影響は甚大でした。香港では『燃えよドラゴン』(73年)による爆発的なカン・フー映画ブームを、マカロニ的やっつけ仕事で盛り上げました。どこかで見たような話に残虐味をふりかけ英語版を作って世界中に売り出したのです。ブルース・リーならぬ、ブルース・リ、ブルース・リャンなどが主役になったのは、かつて、二流三流のマカロニ西部劇の主役がみんな「ジャンゴ」だったことの倣いでしょうか。ジョン・ウーの『カラテ愚連隊』(73年)の国際版予告編には『復讐のガンマン』のテーマが使われて居た程。皆、マカロニを食べて大きくなったのだ。
その頃、日本ではテレビでの映画放映が大ブームになっており、なかでもマカロニは得意メニューで、日曜洋画劇場で放映された『荒野の用心棒』は視聴率24%を超え、かつてマカロニをバカにした淀川さんも、マカロニのおかげで面目を保って居たのです。レオーネ三部作やら、『続・荒野の用心棒』『ミスター・ノーボディ』など、彼のおかげでマカロニ・ファンになった男たちが日本中に無数に歩き回って居ました。さらには、放送作品が足りなくなり未公開のマカロニ西部劇が次々とブラウン管で日本デビューを飾りました。そして、テレビ時代劇にマカロニ調の主題曲やガトリング銃が登場するようになり、マンガの世界でも「マカロニほうれん荘」やら「浦安鉄筋家族」といったマカロニの影響大(?)と思わせる作品が生み出されて行ったのです。
世界的にもマカロニ再評価は進んで行きます。レゲエ映画の名作『ハーダー・ゼイ・カム』(72年)では、映画館で『続・荒野の用心棒』を見る観客が喝采する。悪徳の横行するジャマイカの首都キングストンで、歌手を目指す主人公ジミー・クリフは「ジャンゴ」のようにマカロニ機関砲で悪い奴らをなぎ倒したい気分なのだ。『シド・アンド・ナンシー』のアレックス・コックスは当時のアイランド・レーベルのミュージシャンたちを集めてスペイン・アルメリアのマカロニ・ロケ地を使い『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)を作りました。主題歌はポーグスによる『続・夕陽のガンマン』のカバーです。映画界でもマカロニの影響力は顕著です。黒人監督のマリオ・ヴァン・ピーブルズは『荒野の1ドル銀貨』(65年)のアイディアを頂いた『黒豹のバラード』(93年)を撮り、さらにはもうひとりのマカロニ・マニア、クリストファー・ランバートと組み『続・夕陽のガンマン』そっくりのストーリー展開の『ガンメン』(93年)も放ちました。クエンティン・タランティーノは「レオーネの『ウエスタン』は俺にとっての『市民ケーン』だ」とうそぶき、香港の名監督ジョン・ウーはハリウッド進出第1作『ハード・ターゲット』(93年)で『続・荒野の用心棒』さながらの“耳裂き”シーンを撮りました(アメリカではカット。またイギリスでは“耳裂き”のおかげで『続・荒野の用心棒』自体が30年間上映禁止だった)。トリニティという女主人公が登場した『マトリックス』のウォチャウスキー兄弟は、『暗殺者』(95年)の脚本を担当し『ミスター・ノーボディ』 (73)の中で語られた小話を引用して居ました。
ミュージック・シーンにもマカロニ・ファンは多いのです。モリコーネの曲を必ずレパートリーに入れて居た70年代のイギリスのバンドが「ベーブ・ルース」、最近ではヘヴィ・メタルの代表的バンド・「メタリカ」はライブのオープニングで鳴り響く『続・夕陽のガンマン』の「ガンマンの祈り」と共に登場しました。2007年にアカデミー名誉賞を受賞したエンニオ・モリコーネのために捧げられたトリビュート・アルバムでは、ブルース・スプリングスティーンが『ウエスタン』のテーマを奏でました。
こうして、マカロニ・ウエスタンは世界中の、映画、テレビ、音楽、マンガ、ファッションと言った世界で確実に生き続けて居ます。言わば、評論家の野心には響かなかった(そんなもの褒めても評論界じゃ偉くなれない)が、純粋な映画ファンや、アーティストたちの心には確実に根をおろしたのです。純粋に娯楽を目指す作り手たちには、マカロニはポップ・アートとして映るのかも知れません。または、徹底的に無責任に無秩序に作られた娯楽作品は、時として見るものによっては哲学的に捉えられる事もあるかも知れない。
For A Few Dollars More - Final Duel 1080p HD
続・夕陽のガンマン The Trio [The Good the Bad and the Ugly]
Django 1966 tribute
「南から来た用心棒 Arizona Colt」ラオール、Raoul
Un Dollaro tra i Denti (Trailer Italiano)
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此処からは、懐かしいポップスです。古い曲ですので、知っている方は知っていると思いますが。歌謡曲。アニソンも入っています。若い人で余り知らない人も、是非聴いて見て下さいね。
2012 サーカス :: Mr. サマータイム @ 432 Hz
ペドロ&カプリシャス/五番街のマリーへ・・・高橋真梨子
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