此間、ゴールデンウイークの前に、病院に行って診察して貰ったのだけども、主治医に、毎日眠くて仕方がないので、一応、睡眠薬をもう飲むの止めると言ったのだけども、そしたら「連休の予定はどうするの?」と聞かれた。だから、毎日眠くて寝ているのだと言っているのに、聞いて居ないのか?と少し腹が立った。人の話を聞いていないのか?連休処では無く、半端なく眠いのだ。睡眠薬を外して居るのにまだ眠い。調子が悪いからだ。それから今掛かっている歯医者だが、870円の治療代を請求されて、小銭が無かった為に一万円札で頼むと出したらお釣りの9千円を千円札で渡すのに結構時間が掛かって、お札を数えながら、次回は歯が入りますからと言うので、「幾らですか」と聞いたら、先生が即「2万!!」と言う。1万と言っていたのに、初めは5万と言って居て、高くて払え無いと言ったら、じゃあ、1万と言って居たのだが。そしたら歯科助手の女の人が黙っていて。私はあれ、、お釣りは130円まだ貰って居ないだろうと思ったが、もう此処の医院はダメだと思い、お釣りをくれ無いけど其の儘帰って来た。最近の医者はお釣りを誤魔化す。いい加減だ。この歯医者にはカモにされて居るのは解って居るけども・・・他はもっと酷いしね・・・・さてと、、此処まで書いて居たら、また、眠たく成って来た・・・少し寝ようと思う。(空白1時間)今、起きて来た。昼の食パン1枚にコーヒーを飲んでいる。。。。。
処で幼稚園の頃から小学校低学年の頃だが、父方の祖父は聞く処に寄ると、工事現場の主任をして居たそうで、左手が麻痺して居て、ゆだれが止まら無い状態だった。なんでもある日、仕事から帰って来てから大飯を喰らい寝てしまって、起きたらそういう状態に成って居たそうだ。医者に連れて行っても原因が解らないとの事だった。その祖父は飛行機が好きで、親父が何時も車に乗せて羽田まで飛行機見学に連れて行った。勿論、私も付いて行った。よく親戚の従兄弟が付いて来る事もあった。私は羽田のロビーでレストランにあった唐揚げを見て生まれて初めて見る唐揚げと言うものに興味を示し食べたいと言ったら、一緒にいた従兄弟たちまで食べると言い出した。勘定は全て此方持ちだ。私は食べた後に母から拳骨で殴られた。「お前が食べるというから今日はいくら掛かったと思うんだ」と言うのだ。従兄弟はゆきかず、けんじの他に、かおる、りか、しげる、さとると4人居た。いつもついて来る様に成って、私たちはウンザリして居た。私が何か買うと、かおるとしげるらが自分にも買ってくれと母に言うのだ。そのせいで何時もそいつらの分まで母が買ってやる羽目になり。私はその度に母から拳骨で殴られた。思えば子供の頃からいい思い出など無い。しかもみんな私立に小学校から行っているのだ。私は子供心也に私立のちゃんとした小学校から中学校、高校、大学に行けば、素晴らしい大人になれると信じていた。私は家に居た、慶応大学の学生やら上智大の学生を見ていて、あんな大学生に成れればいいなあと思っていた。しかし思いは叶わなかった。父が会社の経営者であっても、薄給なのだ。だから自宅に学生を5人も置いて居たのだ。母は苦労して居た。私は前にこのblogで書いた通り、小学校2年生の時に扁桃腺の手術をした。それまでは、いつも40度の高熱を度々出しては寝込んで居たからだ。身体はガリガリに痩せて居た。父は二番目の兄貴の家によく私を連れて行った。二番目の兄は築地でまぐろ問屋をして居て金持ちだった。自宅は日本庭園がある広い純日本家屋の豪邸だった。私は何時も「原子力潜水艦シュービー号」と「バットマン」のTVドラマを、そこの家のカラーテレビ、当時まだ、カラーテレビは発売したばかりで鮮明に色彩は付いては見えず。観れた代物では無かったが。しかし私は当時、子供達に人気だったバットマンとロビンの活躍を面白く観ていた。そして小学校2年生の時に扁桃腺の手術をする為に、父の二番目の兄貴が知って居た医院まで母に連れられて行った。先生は温和な先生で「坊や、おとなしく手術を頑張って受けるとお母さんから何が貰えるのかな?」と聞かれて、「宇宙家族ロビンソンの、宇宙船のプラモデル!」と嬉しそうに言ったら。「そうかじゃあ、痛いけど我慢だね」と言われた。手術はハサミ状の先が丸っぽく成って居て先端が鋭利にギザギザに成っている器具で扁桃腺をねじり取ると言う方法だった。喉に局所麻酔を注射で4、5本打たれて、「さあ、取るぞ坊や!我慢しろよ!」と言われその器具で腫れている扁桃腺を掴むと一気にねじり取った、片方を取り、もう片方も同じくねじり取った。麻酔が効いて居た為、思って居たほど痛くは無かったが、取るときの音が凄かった。手術器具でねじってブチ切るのだ。バリバリ、ブチと言う音がした、大きな音だった。扁桃腺を取ると先生は私に見せてくれた。何とゴルフボールぐらいはあろうか、2つとも随分と肥大して居た。医者は其れから直ぐに自分の布団を敷いてくれて1時間程、横になって居なさいと寝かしてくれた。だんだん麻酔が切れてくると、鈍く扁桃腺を取った後が痛み出した。そして、橋の上で焼き芋を買って(何故か覚えている)タクシーで家まで帰って来た。それから水差しにカルピスの冷やしたものを入れて、2ヶ月半ぐらいはそれしか飲めなかった。それからおかゆを3ヶ月ぐらい食べて治るまでに半年は掛かってしまった。私はそれまで学校の成績は良かったのだが半年授業を休んでいる間に勉強に付いて行けなくなってしまった。その後は前にblogに書いた通りです。成績はガタガタに悪く成って行った。自分では誰かに半年休んでいた分を教えて貰いたかったが、それは叶わなかった。誰も勉強など教えてくれはしないのだ。その後明日テストだというたびに父の妹、まあ、叔母さんが従姉妹を連れて来て、泊まりに今日来いと強引に自宅に私を連れて行った。「叔母さん、僕は明日テストだから勉強しないとだから行けないよ」と行っているのに強引に連れて行った。そして叔母さんが教えるとか行ってトンチンカンなことを教えて、「かおる!お前は私立に行ってるんだからこんな公立の勉強なんか、簡単に出来るわよね〜え」と言うのだ。今考えれば嫌がらせだったのだ。。。。そうこうしていたら、北海道から明星大学に通う学生が下宿人として来た。前に書いたけど、この北海道から来た大学生はヤケになって明星に入ったという学生で本当は東大でも入れるぐらいの頭脳明晰な頭をしていた。私はこの大学生に飛び付いた、家に居る時はどうせ自分の部屋など無いのだし。この学生の部屋に入り浸ってこの学生が読んでいた「ガロ」とか「COM」を読ませて貰った。子供向けでは無い白土三平の「カムイ伝」とか、つげ義春の「ねじ式」「赤い花」とかを読んで、そして寺山修司やら蜷川やらの芝居を知った。この学生は結局6年間はうちに下宿していた。しかし、親に下宿屋の子供の勉強を見てやっていると何気なく言ったら送金がストップされてしまい下宿代も払えなく成ってしまった。その学生は慌てて母に事の次第を伝えたら、母は下宿代は要らないからと言って下宿代をタダに仕手置いてやって居た。ただ夜寝る前にラジカセでラジオをタイマーを掛けてロックなどを聴いて寝て居て朝起きるとラジカセが無いのだ。初めは何故無いんだ?と思ったがよく耳を澄ますとその学生の部屋からラジオが聴こえてくるのだ。「お兄ちゃんか....仕方がないなぁ」と思い部屋に行って「勝手に寝てる間に取ってかないでよ...」と行って返してもらう毎日だった。でも時には丸一日貸してあげて居たこともあった。何せ、その男も複雑な家に生まれて居て、親はいなくて育ての親に育てられて居たからだ。送金が一銭も送って来ないのだ。でもその学生が大学に行っている処を私は見た事が無かった。専攻が建築なので、テストの時だけ図面を引いて居たのは見たが、テストの成績は満点を取って居た。恐らく姉さんやら、私が居なくなった後、明方近くまで勉強していたのだろう。
「紅い花」(つげ義春)映画ゲンセンカン主人(1993年石井輝男監督)より
つげ義春はなぜ懐かしいか Part2 音楽;寺山修司、総監督:秋蛇星 2016.12.12発表
その学生の友達は冬は何時もマキシを着て現れた。お兄ちゃんも長髪にして居たが、その男はもっと長く髪を伸ばし、そしてレイバンのサングラスを何時もして居た。ただこの男は水商売の女に引っ掛かり大学を中退してしまった。お兄ちゃんは嘆いていた。
そんな彼がたまにバイトをしているなと思ったら、トランペットを新宿の楽器屋で買って来た。私は興味津々で「お兄ちゃんジャズやるの!」と聞いたら。甥っ子に買ってやったそうで。音楽を嫌っていた。高校で吹奏楽部にいた甥っ子はプロのトランペット奏者に弟子入りするというのだ。あんなものはロクなものでは無いと怒っていた。中学1年になって私が質流れのガットギターを弾いて、ブルーノート・スケールを弾いてロックぽく演奏し始めたら「〇〇ちゃん、弾き方が普通の人とは違うよ。そんな本格的にロック見たく弾く様に何時の間に成ったんだい。辞めた方がいいのに!!」と怒っていた。そして大学を卒業すると北海道の実家に帰って行った。
Blues Harmonica 1 - A two hour long compilation
私が高校2年の頃だ、従兄弟のしげるが火事を出して豪邸が燃えてしまった。しげるは親が金を持っていたのでトランペットやらギターを持っていたが、全然演奏出来なかった。火事になる前に一度遊びに行った時にしげるが、「俺は上手くはないけど友達は弾けるぜ」と行ってギターを取り出したので、貸してみてと行ってバーニー・ケッセル風なジャズ・ブルースを弾いたら、驚いて聴いていて、「〇〇ちゃんは絵だけじゃないんだ?!」と驚いていたが。絵に付いては私が嫌がったのに必ずたつろうの家に行くと、バカ親父はお前は絵を描けというのだ。嫌だと言うと怒る。しょうもない見栄のために自分では何も対抗ができないので私を代わりにダシに使っていたのだ。全く嫌な話だ。しかし金があると言う事は凄いもので、焼け跡にすぐに業者が入って前とは違った超近代的な家をすぐに建てた。処でバカ親父が2度目の家を建てた時に、うちの前に小さな庭を作ったのだけども、兄貴達の影響でか、この時代に、会社の社員に石を持って来るのを手伝わせて並べているので家族で一体何やってんだと怒ったら「兄貴たちみたいに日本庭園を造るんだ灯籠も買って此処に3つ並べるんだ!!」と言うので私が、物凄い勢いで「今は平成の世の中だ!!何、何時迄も昭和30年代しか頭に無いんだ。何言ってるんだ!!あんたはバカか!!」と怒鳴りつけた。石はかしろうの家に置いてあったし、灯籠はたつろうの家に置いてあった。私は怒声で言ってやった。「あんたね。少しは考えな!モダン建築の家を見てみるとか建築家の本を買ってみるとか家を建てる時にしなかっただろう。何時迄、昭和30年代で止まって居るんだ、少しは勉強したらどうだ!!」「オリャ〜兄貴見たく成りてえんだ!!」と叫んでいたが、家族全員で「灯籠なんか買わせないから!」と言って辞めさした。当時は建築家では礒崎新とか有名で安藤忠雄とかが出てきた当初で、2度目の家も三菱地所で建てた家だった。最近では建築家では右上純也などが有名ですね。私は楽器をやったり、映画とか音楽をドルビーサラウンドのケンウッドの4チャンネルのステレオで聴くので部屋は防音室作りに成って居た。バカ親父は本当にギャンブルと時代劇の事しか頭に無かった。私は映画のビデオ・ソフトを買い。コレクションして居たので、例えばダミアーノ・ダミアーニ監督のマーティン・バルサム。フランコ・ネロ主演のネオレアリスモの系譜を引いている名作「警視の告白」やらコスタ=ガブラス監督の「Z」「戒厳令」らの社会派映画やら、マカロニ・ウエスタンの名作「群盗荒野を裂く」「続・夕陽のガンマン」やらフィルム・ノワールの名作。アラン・コルノー監督のイブ・モンタン主演作「真夜中の刑事」ドッチオ・テッサリ監督のアラン・ドロン主演作「ビックガン」などや勅使河原宏監督の「他人の顔」「砂の女」寺山修司の「書を捨て町へ出よう」「田園に死す」などを始め親父とお袋には相当数の映画を観せた。親父にもお袋にも押井守の「天使のたまご」「ゴースト・イン・ザ・シェル・攻殻機動隊」などのアニメも観せたが、気に入って居た様だった。ところが貸した後、テープにひどいノイズが入って居たり蓋を開けると明らかに傷が付いて居るのだ。何故だと思い。或る日、親父にテープを貸して観に行ってみたら、テープを戻しのサーチで再生しながら巻き戻して居る。慌てて部屋に入って行って「なんでこんな事をやって居るんだ!!だからあんたに貸すとテープにノイズが入るんだろう!!」と止めたら。「バカヤロー!!こうしないと巻き戻らないんだ!!」と言うので。「バカヤローはどっちだ!!観終わったら停止ボタンを押して巻き戻しだろうが!!。操作の仕方も解らないのか!!わかった。もうあんたには貴重なテープは貸さない!!2度と今日から映画は見られないと知れ!!自業自得だ!!バカヤロー」と言ってそれ以来2度と貸さなかった。私は自慢をする訳ではないがビデオソフトは800本ぐらいは所有して居た。障害を持つようになってから実家を追い出されて、親父が死に、弟が死に姉が実家を売る時に、此方には知らせずに売ってしまった為に実家にあったビデオテープ。録画したものも含めて1千本のビデオテープがどう処分されたんだかは解らない。電話か、ケア・マネージャーのところに掛かって来てセコムを1時間だけ空けといてやるから必要なものは取りに来いとの事だった。1時間で実家に行くまで20分は掛かるどうする事も出来なかった。私は今は8畳間と5畳間の部屋に住んでいるが、近々順調に行けば引っ越す予定だ。今度は6畳一間とあっても3畳半か4畳ぐらいのお勝手だ。レーザーディスクは今現在300枚ほど所有しているがもう売れもしないので、処分するしかない。ビデオテープも実家から持って来たものが40本ぐらいあるがこれも廃棄処分だろう。皆さん自分が大切にして来たものを捨てなくては成らない気持ちが分かりますか、訪問看護師や区役所の職員などは本棚が二つあると言うと本を処分しろと言う。まあ、人の事だと思って言いたい放題だ!!落ちぶれたくは無いものです。。。。それから訪問看護師に言える事だけども、特に若い子。あのねぇ〜〜いくら障害で此処数年着るものもいいものを着ずに、ブクブク醜く太って居たからと言ってもねぇ〜〜薬の副作用だから、・・・年の差はねぇ、、変えられないんだよ。あんたらはまだこれから結婚したり、結婚してるなら子供をちゃんと育てたり。俺の年までにはやらなきゃならないことが山程あるんだよ。俺はね、もう人生一周した人間なんだよ。同列に考えなさんな。バカにしたけりゃバカにしな。そんな事はどうでもいいんだよ。それにね、女と男を同列に比べなさんなと言いたい。俺はもう生きても十数年という歳なんだよ。。。それから私が何か気の利いた事を言おうとするとせせら笑う。私はあなた方、訪問看護師たちにいい気になって愚痴だとか生い立ちだとか言い過ぎたんだよな。私は自分のことを解って貰いたくて言っている面もあったがもう言うの辞めるよ。此れからは病状の事だけしか言わない様にする・・・・何言っても人をおちょくって見ているのだから。それから、こう言ったblogの事だけども。無料なんだから自分でも書いて見れば良いじゃないか........気に成るならば・・・・それからこのblogに書き込みしたかったならしていいよ。仮名を書けば言いたいことが描けるだろう。大体が私は昔からなんでも一人でやって来た。誰も頼りに成ら無いからね・・・・今回ね、不動産屋に連絡入れてあるけど、どうせ、また駄目だろうよ。物件が見つかってもね、半分以上は断られると言われて居るんだよ。生活保護に成るまで此処で暮らしたいよ。出来ればね、親は駄目。姉弟からは見捨てられる。他人は駄目。毎日死ねと言われて居る様なものだよ。私はもう姉も頼りにしていないし。誰も頼りに仕手居ないよ。自分一人だけだよ。これ以上立ち行かなくなったら、さっさっと自殺するまでです。言っとくけどあの世なんて無いから。解剖学者が言って居たけど。ガンとかで死ぬ寸前まで苦痛の表情を浮かべていた人が死ぬ間際になって急に温和な顔になって死んでいくと、皆さん天国に行ったからだと言うらしいけど。苦しんでいた顔が死ぬ間際になって温和で穏やかな顔になるのは、死ぬと硬直していた筋肉が普通に戻るからだそうです。縮まって居た、筋肉の筋が伸びるからだそうですね。天国は関係無いよ。ただ身体機能の停止で穏やかな顔になるだけだから。私が今一番望んで居る事は安らぎだけだよ。
「Follow me」
Follow me to a land across the shining sea Waiting beyond the world we have known Beyond the world the dream could be And the joy we have tasted. 私について来なさい、光り輝く海を渡り、 我々の知るこの世界の彼方で待っている国へと 夢見たことさえ無い世界が、 味わったことの無い喜びが待っている国へと。 Follow me along the road that only love can see Rising above the fun years of the night Into the light beyond the tears And all the years we have wasted. 私について来なさい、愛だけが見ることのできる道を通って、 歳月を重ねた夜の喜びよりも高みへ昇るその道を、 決別の涙も及ばず、 費してきた歳月も及ばぬ、光の中へと。 Follow me to a distant land this mountain high Where all the music that we always kept inside will fill the sky Singing in the silent swerve a heart is free While the world goes on turning and turning Turning and falling. 私について来なさい、この高い山の向こうの遠い国へと、 そこでは、私達がいつも内に持っていた全ての音楽が空を満たすでしょう 静寂なる逸脱の中で歌えば、心は開放され、 そして、世界は周り、回り続け、 回って、落ちてゆくのです。
話がズレたが、、親父は銀行とか行ってもお金を積む事も、下す事も出来なかった、特にATMに成ってからは、私にやり方を教えろと言って来たが。一切教えなかったし、母も教えなかった。まあねぇ・・・あのゲーム機のようなパチンコはできたのにねぇ〜〜必ず1日、1万、2万掛けてすっても、自分は遊ばせて貰ったんだ。だから対等な対価だなどと、のたまわっていたけどねぇ。。。それに機械音痴というか、姉さんは今年で64歳ぐらいになるけど、パソコンはキーボードが打てません。ローマ字打ちも出来なければ、キーボード・アレルギーで本当に簡単な操作しか出来ません。まあ、文章は書けないでしょうね。このgoo blogを見ていると70歳過ぎの方、80歳になろうと言う方。などが沢山居られますがねぇ...さて、書く事も、もう無くなって来たので。今回も此処まで読んでくれて有難う御座います。最近、私のblogは荒れてますがそう言った心境なので、まあ、長い目で見てやって下さいね。処でこのblogを荒らしていた人は警察が捕まえました。サイバーポリスが言うのには何かもう一人ぐらい居るそう見たいでして、何かまあ、二人からやられて居た見たいです。それ以上詳しい事は言えませんが。今この文書きながら、HDに録画して居た蝶野正洋選手司会の、過去の新日本プロレスの番組見ながら書いていますが、昔のプロレスは良かった。藤波辰爾の過去の試合映像ですが。地方の試合で、体調悪くてちんたら試合して居たら。アントニオ猪木が竹刀持って入ってきて「てめえら、何ちんたら試合してるんだ!!」とぶん殴られたそうですね。客がビックリして居たとか。。。まあ、ゆきかずちゃんの言った事だけども、タイガーマスクこと佐山聡がダイナマイト・キッドと試合して居て床に倒れて居て、ダイナマイト・キッドがトップ・ロープに上がったら起き上がって雪流れ式ブレーンバスターをしたのを見たらしく。八百長じゃないかと言って居たので「はぁ〜〜?」と言ったら本当に倒れて居たら立ち上がらないから八百長だと言うのですよ。選手は試合の流れを見ながら演出面も考慮しながら戦っているのですよ。なんでボクシングに10カウントがあると思いますか?あれはダメージを受けても10カウントまで休めるようにです。プロレスじゃ受け身を選手は知っているので、まあ、あとは相手を油断させるためにわざとダメージを負っているふりをしたりとか駆け引きですよね。な〜〜〜〜んにもわからず。私が1980年代にプロレスブームでプロレスを見ていたら「〇〇!!お前はバカだ。あんな八百長見て居て、解らないのか!!このバカがよぉ〜!!」と言ってたけど。「お前が余程のバカだろ。。。。ゆきかず。。」
藤波辰巳 vs カルロス・ホセ・エストラーダ (1978.1.23)
あんたさ、フランスに会社の親会社と言うか、うちの業種は特約店制度だったから不二製油の社員と共にフランス行った時に手帳に「I can’t speak Englishと意味、私は英語を話せません」と書いてさあ〜「あい、きゃんと、すぴーく、いんぐりっしゅ」とひらがなでなんで発音書いてあったの?中学生レベルの英語だぞ。前に外国人が道聞いてきたので私が「I don’t speak English.」と言ったら笑って聞いていてさあ、私は「私は英語を話しません」と言ったまでだぞ?。大学で何習ったんだ貴様。自分がどれだけバカか考えた事あるのか?まあ、前に先に車に乗っていてと言って。またか!!と思っていたらぐちぐちいびり出したんで(笑)「ゆきかず!!貴様!!あんたは、皆んなからどう思われているのか知っているのか!!」と怒鳴ったら「言わないでくれ〜言わないでくれ〜」と耳塞いで泣き出して。当時私が40歳、貴様が50幾つだったよなぁ〜〜お前一度首くくれや、ゆきかず。。。ああ、また、ゆきかずのことを言ってますね。この位にして置きます。ああそれからこんな簡単な英語はみなさんご存知だとは思いますが。can't 出来ません。don’t しません。は使い分けるといいですよね。そんな簡単な英語は知ってるわい!!と怒られそうですね。すみません・・・・・
I mostly don't understand English 「ほとんど英語が解りません」
この文は私が外国人と話すときによく使います。だって解らないから(笑)
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痩せたと思っていたら、また太った。体重計がおかしい?昨日64、6kgで今日が 74 kgって、なんで1日で10kg以上も体重が増えるの?体重計がおかしいんだよ。。。。
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『 21世紀の哲学へジル・ドゥルーズ』
『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』ついに日本語字幕版発売!
1. オイディプス的構造を乗り越えるために
「いつの日か世紀はドゥルーズ(Gilles Deleuze)のものとなるだろう」とフーコー(Michel Foucault)が予言して、はや数十年の月日が流れた。この間、現代哲学の主流はフランスのポスト構造主義から英米を中心とした分析哲学へと移行し、ドゥルーズの弁を借りるなら哲学はまさに哲学内部から出現した哲学の暗殺者によって殲滅の危機に瀕していると言える。
ドゥルーズにとって分析哲学は科学の範疇に属するものにすぎず、またそれが科学である限り思考をオイディプス化に導くものであり、生命の力を衰退させる否定的な力の側に与しているのである。こうした現代哲学の窮状を見れば、フーコーの予言にあるドゥルーズのものとなるはずの「世紀」がもはや20世紀でなかったことは明らかだが、翻ってこの21世紀は果たしてドゥルーズのものとなるのであろうか。
「哲学とは概念を創造することである」とドゥルーズはつねに言い続けてきた。概念とは一般に事物が思考によって捉えられ、かつ表現される時の思考内容や表象、またその言語表現の意味内容のことをいう。ドゥルーズ自身、表象=再現前化を一貫して批判し続けた哲学者だったことを考えれば、彼が論じる「概念の創造」における概念という言葉が持つ意味は一般に使用されるそれとは全く違うものであることは容易に想像出来る。
2011年に生起した「3.11」という出来事以降、生命の力に対する迫害や抑圧を国家と個の間におけるダブルバインドというかたちでより一層リアルに感じるようになったわれわれ日本人にとって、ドゥルーズの言う「概念の創造」はこのダブルバインドを人間にもたらしているオイディプス的構造を乗り越えるための唯一の方法であると感じている。その意味でもドゥルーズが彼の哲学において一体何を企図していたのか今一度真摯に検討を加えてみる必要があるだろう。
この小文ではドゥルーズの絶筆となった『現働的なものと潜在的なもの』という小論をもとにドゥルーズ哲学のエッセンスとその思考のベクトルが秘めた可能性(ドゥルーズならばそれこそ潜在性と呼ぶだろうが)についてその概要を探ってみたい。
2. 現働的なものと潜在的なもの
『現働的なものと潜在的なもの』はクレール・パルネ(Claire Parnet)との共著での『対話』の中の巻末付録として設けられたわずか7ページほどの短い論考である。ドゥルーズ哲学の最も基底的な骨格とされる「現働的なもの」と「潜在的なもの」という二つの概念がそのままタイトルに付されたこの論考がドゥルーズの遺稿となったことは決して偶然ではないように思われる。
周知のようにドゥルーズの思考の足跡は大きく四つの時期に区分することができる。まずは思想史家としてヒューム、ベルクソン、ニーチェ等の研究をスタートさせ、第二期はそれらの研究成果を『意味の倫理学』差異と反復といった主著の中でドゥルーズ独自の理念論として発表する。第三期になると一転、精神分析家のフェリックス・ガタリと共同して『アンチオイディプス』や『千のプラトー』を著し、自らの理念論をより実践的な思想とするために社会学的、政治学的な分野へとその応用可能性を論じていく。第四期は打って変わって知覚論や感性論へと分け入り、『感覚の論理』『シネマ』等の極めて深遠なドゥルーズ的芸術論を繰り広げる。『現働的なものと潜在的なもの』はこうした思考の遍歴を経た後に自らの思想の一つの総括のようにしてしたためられた。
元来、「現働的なもの」と「潜在的なもの」という対比概念は『差異と反復』の第二章「それ自身へ向かう反復」で示されたドゥルーズの時間論にその多くを負っている。ここではその詳細を語る余裕がないので別の観点からの説明に止めざるを得ないが、「潜在的なもの」とはドゥルーズが考える理念の様態のことであり、「現働的なもの」とは潜在的なものが諸々の種や対象として現象の中にあらわれ出たもののことをいう。通常、この現働的なものと潜在的なものはドゥルーズ哲学を支える二元的要素に見られがちなのだが、しかし、これら両者は決してプラトンのイデアと仮象のような短絡的な二項関係を意味するものではない。
ドゥルーズが展開する生成の地理学においては、この両者は互いが互いを包含するような形で、ある二つの仕方において一つの回路を形成している。それはドゥルーズに言わせれば「ある場合には、潜在的なものが現動化されるような巨大回路の中で、現働的なものが[自ら]とは別のものとしての潜在的なものに向かうという仕方で、ある場合には、潜在的なものが現動的なものと結晶化するような最小回路の中で、現働的なものが自分自身の潜在的なものとしての潜在的なものに向かうという仕方」においてである。
ここで巨大回路と最小回路という明瞭な対比で言及されているように、ドゥルーズによれば、生成は現働的なものと潜在的なものとのカップリングによって絶えず変動を起こしていく〈時-空間〉的力動であるのだが、このカップリングの仕方には大きく分けて二つの類型があるのである。それは単純明快に言えば力が大きく開いて生成を産出する場合と、力が小さく閉じて生成を産出する場合の二通りの仕方と言っていいだろう。力が大きく開いて働く場合は潜在的な諸力が浮上し、現働的なものとして作用していた諸力はあくまでもその補完部分の中に取り込まれる。反対に、力が小さく閉じて働く場合には現働的なものが自らの中に潜在的なものを押さえ込み、潜在的なものを表象=再現前化の再帰的円環の中に閉じ込めてしまう。
ドゥルーズ哲学に敢えて二元論的要素を見て取ろうとするならば、このような二通りの生成の回路の在り方がそれに相当すると考えなければならない。これら二つの生成の回路は『意味の論理学』で論じられたところのクロノス的時間における生成とアイオーン的時間における生成とも言えるだろうし、スピノザ(Baruch De Spinoza)に即して言えば、順に能産的自然と所産的自然と呼ばれるものに相当するだろう。
このような新しい二元論的図式の構想はドゥルーズの中ではすでに「ニーチェと哲学」において用意されていたと考えてよい。なぜなら、この二元性はニーチェ(Friedrich Nietzsche)が能動的な生成と反動的な生成と呼ぶものにほかならないからである。ドゥルーズがニーチェの哲学の中に見たのは、これら二つの回路の切り換えを決行する蝶番とも言える「根源」の到来についての思考であったと言ってよいだろう。この「根源」の到来は周知の通り「存在するものすべての最高の形相」であるところの永遠回帰と呼ばれているもののことである。ドゥルーズはいう。「根源には、能動的な力と反動的的な力との差異が存在する。能動と反動は継起的な関係にあるのではなく、根源そのものにおける共存関係のうちにある」のであり、「反動的な力の側からみると、差異的な系譜学的境位は逆さまに現れる」と。そして、ここで逆さまに現れる差異的な系譜学的境位こそが、潜在的なものを最小の回路の中に閉じ込めている現働的なものが主導権を握ったわれわれ人間=自我という反動的生成の場なのである。
つまり、根源には根源の転倒した「人間」という像が常につき纏っているのだ。ドゥルーズが絶えず哲学に「概念の創造」を要求するのもこのニーチェ的な「根源」としての永遠回帰の場所性から見たものとして考える必要があるだろう。となれば、「概念の創造」とはニーチェのいうところの「力への意思」の言い換えでもあり、ドゥルーズにとってこの「概念の創造」が力の発生論的な境位であるとともに、かつ諸力の総合の原理たる理念となるのは理の当然となる。ドゥルーズはこの確信を以て、『差異と反復』において諸力の総合の原理をそのままドゥルーズなりの超越論的構成の原理と重複させて語っている。
つまり、現働的なものが支配する超越的な場の中で「思う我」と「ある我」との両極の間でひび割れていたデカルト的コギトはニーチェのいう「価値評価する視点の転倒」を自ら是正することによって自らが形作る〈現働的なもの/潜在的なもの〉がただ反復するようなクロノス的円環に捻りを入れ、このひび割れを修復するような超越論的運動に入るということである。この新たな境位において主体は今まで文字通り潜在化していた潜在的なのものを純粋な内在性のうちに自らの本性として発見することになる。潜在的なものが現動的なものの支配下にあるうちは単にベルクソン的な持続としてしか働くことはなく、表象=再現前化の運動の中に絡み取られてしまう。それは「反動的諸力は能動的な力からその一部ないしほぼすべてを抜き去り、そしてそれによって能動的になるのではなく、逆に、能動的な力を反動的諸力と合流させ、新たな意味においてそれ自体反動的となるようにする」からである。
ベルクソニズムが哲学の中に潜在的なものというアイデアを導入したのは大いに評価されるとしても、その潜在的なものの奥行きを悪戯に拡張していっただけでは、それはクロノス的時間の中で現動的なものに回収されるにすぎず、神秘主義と見紛うような茫洋とした生気論に終始するしかない。ドゥルーズにとってベルクソニズムをより精度の高い生成論に生まれ変わらせるためには、ニーチェという逆光のプリズムを介入させ、潜在的なものの諸力をそのままダイレクトに能産的自然の諸力として変容させる必要があったのである。ドゥルーズ哲学のキーワードとなる差異と同一性の関係についてもほぼこれと同じことが言える。現働的なものにおいて差異は同一性に従属するものでしかないが、ニーチェ的な存在の転回においては大いなる肯定によって潜在的なものが認識の表面へと出現し、そのために今度は同一性が差異に従属する側に回ることになる。つまり、同一性は差異の系譜学的展開であるところの、「諸差異を他の諸差異に関係させるシステム」によって担保されるものでしかなくなるのである。
3. 現代物理学とドゥルーズ的思考
『現働的なものと潜在的なもの』の冒頭において、ドゥルーズは「哲学とは多様体の理論である」ともいう。ドゥルーズによれば潜在的なものも現働的なものもすべてこの多様体の範疇の中に含まれている。哲学が「概念の創造」であり、かつ、それが同時に多様体の理論であるのであれば、哲学とは理念としての多様体を思考によって空間的に創造する営みにほかならない。それは直裁的に言えば、〈時-空間〉的力動の在り方を現働的なものの優位性から潜在的なものの優位性へと転換させ、われわれの時空に対する知覚様式を全く別な様式へと変革していくことに等しい。この変革によって、今まで客観世界に従属して働いていた内在野は主客関係を超越論的に総合した内在平面へと変容を起こし、そこでの概念を理念として機能させることが可能になるのである。
しかし、周知のように、あのソーカル事件以降、「多様体」「微分」「特異点」といったドゥルーズが用いる物理数学的概念は科学者たちからは概念の濫用として幾分疎まれがちなものになったことは否定できない。願わくは科学者たちには細かい専門用語の用法ではなく、ドゥルーズの思考の底辺に流れるそのダイナミズムにより注意を払ってほしいものである。
量子力学が明らかにするところによれば、物理的な力の成り立ちは位置と運動量や時間とエネルギーの間の正準交換関係における差異に依拠している。このことは本論で紹介した現動的なものと潜在的なものの二通りのカップリングが作る差異によって力の根源の場が生まれるとするドゥルーズの思考にいたって酷似してはいないだろうか。かつ、量子力学から発展した場の量子論では、電磁力や弱い力、強い力における三つの相互作用の統合を高次元の複素多様体における回転対称性の拡張の中に求めているのだが、こうした統一理論の理論的発展の流れは差異の差異化を潜在的なものの進展と見なすドゥルーズの思考線に沿って進んではいないだろうか。さらに言えば、現在、超弦理論よりもより根源的な理論と考えられているM理論に登場する空間の極大領域と極小領域を関係付けるT双対性は、極大と極小は同じであると豪語するドゥルーズの思考に酷似してはいないだろうか。
こうした現代物理学が到達した知の状況をも踏まえて、われわれには今、科学的思考の先端と哲学的思考の先端との協同における新しい「概念の創造」が必要なのである。ドゥルーズが長年にわたって温めてきた理念論はそのための高精度な羅針盤として欠かすことのできないものであり、現働的イマージュの中で捕縛された科学的な表象を潜在的イマージュの中へと回収する能力を秘めている。科学的諸概念がひとたび潜在的なものをベースとする領域へと価値転換を起こしたときには、現代物理学がいうところの力の超統一場の理論は、文字通り、力の発生論的境位における諸力の総合の原理と奇跡的一致を見るに違いない。なぜならば、ドゥルーズが言うように科学的思考はすでに「時間の空虚な形式」としての永遠回帰を経験しているのであり、あとはそこに流れる直線的時間を「別の円環」へと縫合するイマージュさえ加わればあのアイオーンの扉が開くことになるからである。そのときわれわれはドゥルーズが言わんとした巨大回路の入口に立つことになるだろう。無論、これはあくまで21世紀がドゥルーズのものになればという仮定の話だが。
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読書カフェ「マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する」レジメつきbookcafe20190223
マルクス・ガブリエルは、2009年に29歳の若さでボン大学の哲学科教授に就任した、ポスト構造主義(ポストモダニズム)以降の「新実在論(new realism)」の旗手として、今、世界で最も注目されている「哲学界のロックスター」である。
ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、中国語のみならず、古代ギリシャ語、ラテン語、聖書ヘブライ語などの古典語にも精通しており、2013年に刊行した『なぜ世界は存在しないのか』(原題:Why the World Does Not Exist)は、哲学書としては異例の世界的ベストセラーとなった。
一体、若きガブリエルの何がそれほどすごいのか、なぜこれほどまでに世界中で注目されているのだろうか。それを理解するために、ガブリエル自身の言葉を借りながら、現代哲学の歴史を振り返るところから始めてみたい。
ドイツのマルティン・ハイデガー(1889-1976年)に始まる「実在論(realism)」は、第二次世界大戦後に、フランスのジャン・ポール・サルトル(1905-1980年)らの「実存主義(existentialism)」に受け継がれ、様々な国の運動として広がった。これは、人間の実存(事物一般が現実に存在することそれ自体)を哲学の中心に置く思想的立場であり、これを一言で表現すれば、「実存(existentia)は本質(essentia)に先立つ」と言う事である。
この考えは、キリスト教などにおける、人間には本質(魂)があり生まれてきた意味を持つという宗教的な考えを真っ向から否定するものである。第二次世界大戦ですべての意味が破壊される悲惨な状況を見て、人々は神が人生に意味を与えてくれなかったことを悟り、「自分の人生以外に、自分の人生に意味を与えるものは何ひとつない」、つまり、「まずあなたが存在する。そして、人生に意味を与える」と考える様に成った。
その後、1960年代に入ると、実存主義は、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)、ジャック・ラカン(1901-1981年)、ミシェル・フーコー(1926-1984年)などの「構造主義(structuralism)」による厳しい批判にさらされ、それに取って代わられる様に成る。
構造主義によれば、自分の主観は、自分を取り巻く文化的な価値観、家族、育った場所など、様々な要素からできあがった構造に依拠しており、それが人生に意味を与えるのだとされる。構造主義の祖・社会人類学者のレヴィ=ストロースが、世界各地の神話に共通で普遍的な構造が存在することを発見したことを契機としており、構造主義はそれを研究対象とし、そうした構造が何であるかを見つけ出そうと努めた。
更に、これへの反動として、1960年代後半から 70年代後半のフランスにおいて、静止的な構造を前提とする構造主義に対して、近代的な物語を解体して、「脱構築(deconstruction)」しようとしたジャック・デリダ(1930-2004年)に始まる「ポスト構造主義(post-structuralism)」(ポストモダニズム)が興る。
それ自体で完結した、時間の流れや歴史的な変化を考慮しない構造を分析しようとする構造主義は、生成や変化といったリアルタイムで進行しつつある出来事を扱い得ないものとして批判される様に成り、ポスト構造主義は20世紀の哲学全体に及ぶ大きな潮流と成った。
しかしながら、その後、世界の歴史は、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに続く東西ドイツの再統一、ソヴィエト連邦の崩壊という大きな転換点を迎えることになる。こうした大転換期を経て、当時は自由民主主義こそが人類の平和と繁栄を実現するための唯一の選択肢であり、希望でもあるように思われた。
ところが、2001年の同時多発テロ、2008年の国際金融危機(リーマンショック)へとつながっていくことで、人類がよって立つ、資本主義と自由民主主義という世界を支える二つの概念が大きく揺さぶられる中で生まれたのが、ガブリエルが主導する新実在論である。
実存主義にせよ、構造主義にせよ、ポスト構造主義(ポストモダニズム)にせよ、その根底にあるのは、社会構造というのは人々が共同行為によって作り上げている夢の様なものであり、そこには当初から意味を持った現実など何もないという理解である。
こうした前提に基づいて、人々は1960年代から1980年代にかけて、第二次世界大戦やベトナム戦争の様な社会を抑圧する大惨事から逃れ、皆が自由になるために社会をどの様に変えられるだろうかと構想したのである。
そして、こうしたポスト構造主義(ポストモダニズム)の思想が経済体制として結実したのが、今のネオリベラリズム(新自由主義)であり、更に、この社会的現実など何もないのだというポストモダニズム的な思考を、政治の世界に持ち込んで大成功したのが、第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプなのである。
ガブリエルの新実在論のポイントは、「本質主義(essentialism)」(個別の事物は必ずその本質を有し、それによりその内実を規定されているという考え方)対「相対主義(relativism)」(認識や価値はその他の見方と相対的関係にあるという考え方)という対立の図式から抜け出す第三の道を開く事である。
この点について、立命館大学大学院准教授の千葉雅也による『半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考』の解説が分かりやすいので、その一部を紹介してみたい。
千葉雅也は、一例として、富士山を、同時にAとBが見ている場面を挙げる。本質主義によれば、富士山が唯一の実在であり、AとBは異なる見方で富士山を見ているが、AとBそれぞれの視点における富士山は単に視点の相違にすぎず、実在的ではない。これを自然科学の立場から言えば、富士山の実在は物質的・数理的に説明され、それだけが真である。これに対して、相対主義によれば、我々は常に何らかの視点から見た、主観的な構築としての富士山しか知る事が出来ず、実在的な富士山にはアクセス出来ない。
ポストモダニズム以後、こうした対立が解決できないまま残され、特に人文学においては、科学的世界像も含め、「あらゆるものは幻想である」という相対主義的傾向が強まり、それへの批判が繰り返し行われてきた。
こうした半世紀にもわたってくすぶり続けてきた哲学上の難問に挑んだのがガブリエルであり、それが故に彼の発言が今最も注目されて居るのである。
ガブリエルによれば、AとBそれぞれの視点における富士山があるのは確かだが、物事の実在はそもそも特定の「意味の場」と切り離すことはできず、それは単なる主観的な構築ではなく、それぞれが実在的である。そして、富士山とは、諸々の実在的な見方の交差の事であり、「意味の場」から独立した富士山「自体」は考えようもない。
此処で、ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』で言う処の「世界は存在しない」の意味が明らかになる。「世界」とは、実在のすべてを包括する最大の集合を意味するのだとすれば、実在的視点は際限なく増加するから、そのような包括は出来ないと言う事である。
ガブリエルの新実在論は、「存在する」と言う事を「意味の場に現象する」事ととらえているという意味で、新しい実在論ということができる。他方で、こうした無限の意味の場をすべて包摂する意味の場(世界)は存在しないという意味で、無世界観を唱えて居るのである。
見方は様々だという相対主義だけならまだ「認識論(epistemology)」の内側にとどまるが、ガブリエルはこのように、「存在論(ontology)」にまで相対化を徹底して居るのである。こうしてガブリエルは、特定の意味の場を特権化し、自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だとする、世の中で広く支持されている科学主義の立場にNOを突きつける。非科学的な実在性も、ファンタジー的な実在性もあると言うのである。
此処までが、千葉雅也の言及している、『なぜ世界は存在しないのか』のポイントなのだが、書籍『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』では、逆に自然科学の重要性が繰り返し強調されている。
ガブリエルが否定して居るのは、科学が唯一の意味の場となって、そこから人間が取り残されてしまうことであり、逆に、事実を認識して知識を獲得する手段としての科学については、人々が道徳観を形成する上で絶対的に重要であるとしている。
相対主義というのは、「ものごとの事実などないと論じる」ものである。これを道徳に当てはめてみると、現代の人々の多くは、世界には様々な道徳観があるという「道徳的相対主義」が正しいと考えている。
道徳的相対主義者は、西欧には西欧の、ロシアにはロシアの、日本には日本の道徳観があり、「これらの道徳観の善悪を決する基準などない」と思っている。しかしながら、もしそれが真実なら、「正義などなく、あるのは征服だけである」と言う事になる。実は、それがトランプの世界観であり、ビジネスモデルなのである。
ガブリエルの新実在論は、こうした考え方を真っ向から否定する。相対主義が一般的に常に正しいのであれば、例えば、「子どもを拷問していいか」という質問も相対化されてしまう。ところが、実際にこうした質問をすれば、国や宗教のいかんを問わず、絶対多数の人間がNOと答えるだろう。それはつまり、世の中には「道徳的事実(moral facts)」が存在すると言う事を意味している。こうした道徳的事実は、「他人の立場になって考えてみた時にわかる類のもの」である。
但し、それは、自分が全ての事実を承知していて、状況を正確に理解していることが前提条件となる。もし知識と科学を攻撃する者がいて、そのねつ造に成功すれば、我々は道徳的になることが不可能になってしまう。例えば、気候変動を否定する人々は、科学の専門家を攻撃し、知識を葬り去ろうとしているのであり、これがトランプに代表されるような権威主義的な人間が科学を攻撃する理由なのである。
そして、本書の一番重要なポイントとして、ガブリエルは最後に次のように語っている。
“僕らは、今こそ、本当の事実を見つけ出すため、人類全体として力を合わせはじめなければならない。経済的事実、宇宙に関する事実、そして道徳的事実。もし僕らが、何が事実か、何が明らかな事実かを知りさえもしなければ、民主主義の出番など絶対にないだろう。なぜなら、民主主義とは、乱暴に要約すれば、僕が「明白な事実の政治」と呼ぶものに基づくべきものだからだ。それこそが守るべき価値だ。民主主義は人々が実際に知っていることを集め、僕らが実際に知っている点と点を結び、現実の系統的解釈を考え出す。そして現実の系統的解釈の上にのみ、つまり特に「現実がどのようなものかを知ることなどできない」という幻想を乗り越える解釈、この基礎の上にのみ、僕らの時代における大いなる疑問に答えはじめることができる。・・・僕と君は、根本的には同じだ。現実と道徳的事実がどのようなものか知る能力を持つ人間であり、動物だ。人間であり動物であることの合理性に関するこの洞察を、僕らの教育システムに組み込みことがとても重要だ。そしてようやく、僕らが絶えず直面する嘘やフェイクニュースを疑いはじめることができる。そして哲学はこれを手助け出来る。なぜなら哲学の義務はイマヌエル・カントがすでに18世紀に古代ローマの詩人、ホラティウスの言葉を引用して、言った通りだからだ。Sapere Audeすなわち、知恵を持つことに勇気を持て!
”
本書の終章で、著者の丸山俊一は、以下のような西田幾多郎(1870-1945年)の『日本文化の問題』言葉を引用し、西田哲学とガブリエルの思想の興味深い符合について語っている。
“動物から人間に進化したと云つても、人間は動物でなくなったのではない。動物の生命と云つても、既に自己矛盾的である。私は人間は動物を反極として有(も)ち、動物は人間を反極として有(も)つと云ふ所以である。人間も動物も創造物である。衆生である。・・・但人間は作られたものから作るものとういふ歴史的生命の極致に立つものである。神其像の如くに人を創造したまへりと云ふ如く、矛盾的自己同一の頂点に立つのである。そこに人間は絶対矛盾的自己同一に面する。神に対して立つと云ひ得るのである。
”
およそ80年の時を経て共鳴する東洋の叡智とヨーロッパの知性の不思議な一致に、我々は何を読み取るべきなのか。
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