いつものことだが
電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は坐った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 娘は坐った。 二度あることは と言う通り 別のとしよりが娘の前に 押し出された。 可哀想に。 娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も 下唇をギュッと噛んで 身体をこわばらせて---。 僕は電車を降りた。 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。 やさしい心の持主は いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。 下唇を噛んで つらい気持ちで 美しい夕焼けも見ないで。
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吉野 弘
詩集<幻・方法>所収 「現代詩文庫」思潮社 |
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やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
此間のblogで今回以降blogは更新が遅れますと言って居ましたが、、今回で本当に更新最後に成ります。此間言ったように、暫くは更新出来ません。理由は体調不良だからです。だから此処1週間ぐらいで更新した記事を読んで下さいね。今日は天気が悪いですね。。雨も降って居るし。何時もの様に、私がすぐに今回の様に更新出来るのでは無いかとお思いでしょうけど。今回ばかりは体調が凄く悪くなって仕舞いました。だから、本当に今回で最後に成ります。コメントは受け付けて居ますので、書き込み貰えれば直ぐには返事できなくても、必ず返事は書きますから宜しくお願い致します。それでは....。
昨日、「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」が吹き替え版でTV放映して居た。主演のジャンゴはルパン三世の次元大介の声(小林清志)だが、フィルムが古いものなのだろう。音声の声は随分と若くて精悍だった。ただ画面の画質は可也綺麗だったのだ。私は、一応録画しておいたので正解だったなと思った。2年前の2月に、劇場でリバイバル公開された4Kデジタル・リマスター・バージョン並みに良かった。ただCMが入るのがよく無かったが。一昨日は近所の美容院に行った。美容院と言うか、2人でやって居るので美容室だろう。髪を切って下さいと言ったのだが。自分でどの位辺りか、髪に手を当てて下さいと言われたので、大体10センチぐらいに手を当てて見た。美容師も10センチならこのぐらいですよと言うので、10センチ程切って貰った。美容師が「ガンプラ」を自作するのが好きだと言うので、(ガンプラとはガンダムのプラモデルの事だ)「私が若い頃のプラモデルはドイツ軍やら世界各国の戦車やら装甲車。特にドイツ軍のものが人気だった」と言って。「それのプラモデルを自分で変形させてジオラマにして、よく玩具屋でコンテストがあった」と言ったが。
アニメの話になって行ってデビルマンは良かったと言ったら。その美容師は全巻漫画を所有して居るとの事だった。数年前に3D CGで作られて公開されたものも見て居て。あれは失敗作だったと言って居た。そして初めデビルマンを見たのは1970年代に放映されたTVアニメの再放送だったらしい。それから見たから、原作があんなに残酷で黙示録的なものだとは思わなかったと言って居た。デビルマンのモチーフはエヴァンゲリオンに受け継がれて居る。そして私が丁度「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」の話をして「棺桶を引きずって出て来るガンマンが棺桶の中に機関銃が入って居て。ガンマンがそれを人種差別者の悪党どもに向けてぶっ放す」と言ったら、助手の女の子が軽く笑い。要するに意味が解らないのだろうな。そうしたら男の方の店長の美容師が「流石にアメリカの西部劇ですね」と言うので。「嫌、イタリア製の西部劇だよ」と言ったら、訳が解らない顔をして居た。それは、そうだろう、今時の若者だ知らないだろう。だが、マカロニ・ウエスタンの事を好きな若者も結構居ますよ。まあ、趣味の問題だから。私なんかは、クリント・イーストウッドがセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンで黒澤明の三船敏郎主演のアクション時代劇「用心棒」を勝手にリメイクして作った「荒野の用心棒」の大ヒットで、一躍スーパースターになる前に出て居た。TV西部劇「ローハイド」のロディ役の時から知って居るが。この西部劇のキャリアがなければ「荒野の用心棒」の大成功もなかった…。、イーストウッドの俳優人生における原点的作品です。そして声を吹き替えたのがルパン三世でお馴染みの「山田康雄」でした。
皆さんはビック・モローと言う俳優を知って居ますか?「コンバット」と言う。TV戦争ドラマで軍曹役を演じて居て渋い俳優だったが。1980年代の初頭にベトナム戦争の映画撮影中に子供を抱えてヘリの下を潜るシーンで、ヘリが撃落してしまい子役ともどもヘリの下敷きになって亡くなってしまった。他にアメリカのTV西部劇「ライフルマン」で銃身をカットしたライフルを巧みに操るガンマン役で1963年から放映されて日本中を風靡した「チャック・コナーズ」などが居た。まあ、詳しく言えば愛用のウインチェスター73カスタムメイドを拳銃のようにクルクルと回しては百発百中の腕前、ライフルの名人ルーカス・マケインが息子とともに悪や暴力と闘う西部劇だった。他には「ララミー牧場」と言うTV西部劇があった。1960年代前半、日本で放映されるやいなや、ジェス演じるロバート・フラーの甘いマスクと吹替を担当した久松保夫の渋い声、抑揚の利いた“べらんめえ調”の日本語のセリフ回し、デューク・エイセスによる「草は青く山遠く~」の主題歌などで好評を博し、高視聴率を維持した。内容は1860年代後半の米国はワイオミング州ララミー。父親の遺した牧場で駅馬車中継所を営むスリム、流れ着いた一匹狼のガンマン・ジェス、両親を先住民に殺されたマイク坊や、未亡人のデイジーおばさん―さまざまな人生が行き交う大陸横断の中継所である牧場を舞台に繰り広げられる、友情と正義の傑作西部劇だった。しかしそんな西部劇に強烈なアンチ精神と残酷フレーバーを混ぜて売り出したのがマカロニ・ウエスタンだった。
マカロニ・ウエスタンとは何偏も言うがアメリカが作った西部劇ではない。イタリア人がアメリカ人になりすまして作った西部劇だ。そのストーリーはそれまでのアメリカの道徳的で牧歌的な西部劇を凌駕した。アクション・シーンが凄かったのだ。大体が「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」に見られる様に、ガンマンが泥のぬかるみを棺桶を背負って登場する西部劇なぞ、それまであったか?主人公のジャンゴは世捨て人でクールなガンマンで、棺桶の中にはなんと機関銃が入って居たのだ。そんな西部劇を作る発想はそれまでのアメリカ人には無かった。しかも主人公のジャンゴはメキシコ人とアメリカ人のハーフの女性を助けた事から両手を潰されてしまうのだ。凄まじいリンチ・シーンだ。こんな発想はアメリカ人には無かったものだ。これは我が日本が世界に誇る名匠・黒澤明監督が撮った2本のアクション時代劇「用心棒」と「椿三十郎」と世界の名画の中でも最高傑作の名に恥じない「七人の侍」からの影響なのだ。なんでも真似をして消化するイタリア人気質。それにイタリアには戦後リアリズムを徹底的に描いた「イタリアン・ネアレアレスモ」と言うジャンルがあった。イタリア人は何だか日本人と似て居るのだと思う。だから私は、物心付いてからアメリカの西部劇と戦争ドラマ、そして小学校も3年生頃になると当時鮮鋭だったマカロニ・ウエスタンに興味を惹かれた。
アメリカの西部劇にも。サム・ペキンパーと言う名匠が出て来て「ビリー・ザ・キッド・21歳の生涯」「ケーブルホークのバラード」そして極め付け、「この映画が完成したら黒澤監督に見せるんだ。」とフィルムを持って日本まで持って来た。アメリカン・バイオレンス西部劇の名作「ワイルドバンチ」などの名作がある。今観ても、そのバイオレンスさは凄まじい映画だ。マカロニもこの頃になると舞台を西部からメキシコに移し、メキシコ革命の映画を撮り出した_セルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」セルジオ・コルブッチの「豹/ ジャガー」「ガンマン大連合」「突撃0号作戦」そしてダミアーノ・ダミアーミ監督の「群盗荒野を裂く」などの名作を輩出して居る。ダミアーノ・ダミアーニ監督は「警視の告白」というフランコ・ネロとマーチン・バルサム主演の社会派の政治告発の映画の名作も撮って居る。だが、この映画は残念ながら。ビデオではポニーキャニオンから発売されたが。DVDにはなって居ない、だから私はDVDーRにビデオの映像をダビングして持って居る。まさに名作だ。イタリアでは発売されて居る様だけども日本では発売されては居ない。処で私はまた調子が悪い。病院まで後3日だ。しかしものが無くなるのがおかしいのだが。金は盗まれず食料品と本が無くなると言うのは何なのだろうか?まあ昨日、ヘルパーのおばさんが休みで管理者が来てくれたが。設置したリモートカメラを見て、「これ作動するの」と言うので「もうして居るよ」と言ったら「・・・・」だった。
私を観て「ロック・ミュージシャン見たい」と言うので。だから私が「「ヨウジ・ヤマモト 」に凝って居るからね」と言ったら。私が初めてkiyasumeさんの処に来たのは。確かkiyasumeさんが54歳だっけ?と言うので。「そうですよ。あれから9年ですね」と言ったら「えっ?そう言うことは、今63歳?」と言うので「そうだね」と言ったら「前期高齢者まであと数年じゃない?」と言うので。「そして、その後の5年でもう70歳のジジイだよ」と言ったら。「でも若いわよ」と言うので「そう言う風に見えるの」と言ったら。「若く見える。50歳にしか見えない」と言う。そして自分は、若い頃。服飾メーカー。要するにアパレル業界で働いて居たと言って居たっけ。「服なんかいい加減なもので。タグの付け替えで値段が高くなったりするのよ」「昔は山本耀司はワイズが有名だったけど、、」「山本耀司の名前が付いて居るだけで、物凄く高い値が付いたわよ」と結構詳しくて驚いた。そしたら彼女が「あれ?この間。山本耀司は死んだわよ、76歳で?」と言うので「えっ!!」と驚いたら。「いや、待って。ああ、そうだ、山本寛斎だった」と言って「私、勝手に殺しちゃってるわ〜!」と言って笑って居た。そして「ヨウジ・ヤマモトはいいけど。私は山本寛斎の服は着られない」と言って居た。。。
だから私も「ヨウジ・ヤマモト の服は2、30万円は更にするから。古着で買ったのと若者向けの安いものと後、黒いYシャツなぞは、これ、UNIQLOだしパンツは同じくUNIQLOの黒い感動パンツだよ?」と言ったら「それでいいのよ....。」と言って居た。彼女は流石にヒートテックとかの下着はUNIQLOで買う見たいだが、一応服は安くて質が良い服をブティックで購入して居る見たいだなぁと思った。まだ若いから、色々と女性だし、ブテックなぞは結構いい店、知って居るのだろうな。私は1980年代から1990年代に若者たちがメンズ・ブテックだとかで洋服カッコイイものを購入して居た頃。私は母が買ってくるデパートの既製品しか着られなかったから。2000年代になって、伊勢丹のメンズ館だとかで洋服見たらカッコイイのが売っては居たけど高いので買えずに、皆んなは一体あんなにカッコイイ服どこで購入して居るのかなと思って居て。自分がパソコンを使える様になって検索掛けたら。出てくる出て来る。安くてカッコイイ服が。それで「何だかなぁ、皆んなもう、服はネットで購入して居るんだな....。」と思って自分も買い始めた。
〜懐かし映画館〜(その1)。
「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」1966年、イタリア製作。
マカロニ・ウェスタンの名匠セルジオ・コルブッチが1966年に手がけた傑作西部劇。メキシコとの国境沿いにある寂れた村。南軍の残党ジャクソン少佐とメキシコの独立運動家ウーゴ将軍率いる2つの勢力が激しく対立するこの土地に、棺桶を引きずった流れ者のガンマン、ジャンゴがたどり着く。彼の棺が開く時、壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。フランコ・ネロ演じる陰鬱で神秘的な雰囲気をまとったジャンゴの姿は強烈な印象を残し、マカロニ・ウェスタンの伝説的ヒーローとして後世に語り継がれる事となった。クエンティン・タランティーノが「ジャンゴ 繋がれざる者」でオマージュを捧げた事や、三池崇史監督が日本を舞台にして撮った「スキヤキ・ウエスタン/ジャンゴ」でも知られる。日本初公開は66年。2020年1月、オリジナルネガから4Kスキャン・レストアされたデジタルリマスター版をリバイバル公開した。
1966年製作/93分/イタリア・スペイン合作
原題:Django
配給:コピアポア・フィルム
日本初公開:1966年9月23日
○ストーリー
メキシコ国境に近い宿場町。ここでは元南軍のジャクソン少佐とメキシコ独立運動家ウーゴ・ロドリゲス将軍の率いる二つの勢力が対立して居た。棺桶を引きずりながら現れた流れ者のガンマン・ジャンゴは、ジャクソン一味に殺され掛かって居た娼婦マリアを救う。町に入ったジャンゴは酒場で出会ったジャクソンの部下ジョナサン神父を挑発し、話を聞きつけて酒場を訪れたジャクソンの部下たちを射殺する。ジャクソンは40人の部下を引き連れて報復に現れるが、ジャンゴは棺桶から取り出した機関銃を乱射し返り討ちにする。しかし、ジャンゴはジャクソンを見逃し、酒場の主人ナタニエレと共にジャクソンの部下たちを埋葬に向かう。埋葬を終えたジャンゴは、かつての恋人がジャクソンによって殺された事を語る。
ジャクソン一味が居なく無った町にジョナサンが現れ、「マリアが町に災いを呼んだ」と責め立てる。そこにロドリゲス一味がやってきてジョナサンは殺される。ロドリゲスは酒場で、命の恩人であるジャンゴを見付けて再会を喜ぶ。ジャンゴはロドリゲスに対し、ジャクソンが金塊を預けているメキシコ政府軍の砦を襲撃する事を持ち掛け、独立戦争を仕掛ける為の軍資金を求めて居たロドリゲスは提案を受け入れる。ジャンゴたちはナタニエレの荷馬車に隠れて砦に向かい、油断していたメキシコ軍を襲い金塊の強奪に成功する。酒場に戻ったジャンゴは金塊を山分けして立ち去ろうとするが、ロドリゲスは金塊を独り占め仕様とした為、彼らが祝杯を挙げて居る間に金塊を盗み出し、マリアと共に逃亡する。メキシコ国境まで来たジャンゴはマリアと別れ様とするが、銃が暴発した勢いで馬が驚き、金塊を入れた棺桶が沼に落ちてしまう。棺桶を追って沼に飛び込んだジャンゴは沼に沈んでいき、マリアは助けようとするが、追い付いたロドリゲス一味に撃たれ重傷を負い、捕まったジャンゴは二度と拳銃が握れないように両手を潰されてしまう。
墓地の決闘でのジャンゴ
ジャンゴをリンチした後、ロドリゲス一味はメキシコに向かうが、待ち伏せしていたジャクソンとメキシコ軍に襲撃され全滅する。酒場に戻ったジャンゴは、ナタニエレにマリアの手当てを頼み、同時にジャクソンとの決着を付けるために、彼を墓地に呼び出す。ナタニエレからジャンゴの伝言を聞いたジャクソンは、彼を殺してジャンゴが待つ墓地に向かう。両手を砕かれ引き金を引けないジャンゴは、銃の用心金を歯で外し十字架を盾に決闘に備える。5人の部下と共に墓地に現れたジャクソンはジャンゴから距離をとり長銃で十字架を狙い撃つ。追い詰められる中、ジャンゴは1ショット1キルのファニングショットで応戦してジャクソンたちを射殺し、彼らの死体が横たわる墓地を後にする。
「続・荒野の用心棒」予告編
スタッフ/キャスト
スタッフ
Django 1966 tribute
冒頭, 泥土に塗れた砂漠を一人の男が棺桶を引きずりながら歩いて居る。
次の場面では女が鞭打たれている。下衆な笑いを浮かべた男達が縛られた女を取り囲んで居る。鞭が振り上げられる事、何度目か,突如銃声が立ち, 男達が倒れる。観客は当然, 棺桶の男が女を助けたのだと思う。ところがその期待は外れる。川向こうから赤いスカーフを巻いた男達が女のもとにやって来る。女を拷問していた連中を撃ったのは彼らだったのだ。女の味方だろうと思う。しかし彼らも「メキシコ人に寝返った罰だ」などと言って, 女を十字架に掛けて焼き殺そうとする。観客の頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされる。そこへ棺桶の男が現れる。悪党とのありきたりのやりとりの後, 電光石火の早撃ち....
この導入部は『荒野の用心棒』よりもよく出来て居ると思う。「前作」では町に巣食う二つの勢力の対立がセリフで説明されて居たのに対し, 本作では一見めちゃくちゃな導入部によって「ああ, なんか敵対する二つの組織があるんだな」と言う事を活劇らしいアクションで匂わして居る。この差は大きい。
こう言う古典的な活劇が無くなったのは残念だと思う。初めの出会いの時点で, マリアがジャンゴを好き, ジャンゴも彼女を愛して居るのが解る。凝った表現が無くともしっかりと描かれて居る。「嬉しかった。わたしを助けてくれた時, わたしを愛してくれたのだと思えて・・・」と言う単純極まるセリフがこれ以上ない美しい響きを帯びる。同時に, その単純さが彼らのこれまでの人生の過酷さを物語っても居る。この映画はバイオレンスだ。しかし根底にあるのは虐げられた人間の悲哀と男女の愛だ。私は若い頃この映画を観て機関銃で人種差別者の悪党たちをなぎ倒す処と最後の主人公が痛め付けられ、且つて愛した恋人の墓標を盾にして。拳銃のトリガーが弾けないのを根性で引いて、ジャクソン一味を皆殺しにするラストシーンを見て感動した。いい映画を観たと思ったのだ。今、この様な映画が撮れるだろうか?バイオレンスシーンならこの映画以上のシーンがCGで撮れるだろう。だが肝心の極限状態での愛が描けるか?主人公のジャンゴは且つて早撃ちで鳴らしたガンマンだ。
しかし南北戦争が嫌になり、金しか信じられなくなって居る男だ。そして悪党ジャクソン一味に恋人を殺された恨みがあった。彼に助けられた女は白人とメキシコ人のハーフでこの場所では誰からも愛されて居ない。そんな二人が出会い。そして最後は敵であるジャクソン一味を倒すのだ。何故、マカロニ・ウエスタンが50年も経過しても今の人たちにも感銘を与えるのか。それは低予算なれども、人間を描いて居るからだ。なる程、この映画には、ジャンゴがマリアを愛そうとするシーンが少しだけ描かれて入る。しかし暗示だけだ。セックスシーンは一切ない。ストイックに撮って居るのだ。ジャンゴの悲しみ。マリアの悲しみは最後の方ではまた繰り返されるのかとさえ思う。しかしライフルで撃たれたマリアを両手を潰されながらも担ぎ上げて、酒場に連れて行きマリアを横たえて、ジャンゴは言う「ケリを付ける。ジャクソンを殺さなければ俺たちに安らぎはない」と。この映画は、綺麗事は一切言っては居ない。ジャンゴも金塊が目当てでこの因縁がある町にやって来たのだ。しかし、虐げられて居る女性を助けた。これも何かの縁だ。彼は彼女とまた人生をやり直そうと思ったのだ。死んだ恋人の墓標に拳銃を備え付けて、電光石火の早撃ちで憎きジャクソン一味を撃ち殺したジャンゴに歌が被る。
ジャンゴ お前が愛したのは一度だけ
ジャンゴ それも忘れてしまったか
生きることも愛することも
たった一度の事だから
ジャンゴ お前が愛したのは一度だけ
ジャンゴ お前はいつも一人ぼっち
愛はとっくに消え失せて
お前は永遠にさすらい続ける
空に星が現れる それはお前のため
地に薔薇が咲く それもお前のため
ジャンゴ 苦しみの後に希望が湧く
〜さすらいのジャンゴいい歌だ〜。
「さすらいのジャンゴ」を三か国語で歌ってみた♪
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ーーーーgacktの思想ーーーー
自分を変えられるのは自分だけだ。
誰かの揚げ足を取るのではなく
物事をよりシンプルに考え、
昨日より今日、思ったことを実行に移す。
考えるよりも前にともかく動く。
何かを知ったことで満足しない。
覚えて居るつもりにならずに
実際に自分の体に入るまで繰り返せ。
何よりも動けば答えが見えて来る。
動けば問題点がいくつも現れ、
明確にあなたを引っ張ってくれる。そして寝る前に
今日の悪かったところが何なんかを考えればいい。
全てはあなたの未来の為に。
「知・覚・考・動」
「世の中の大半、普通の人の思考はこうだ。これじゃ成功出来ない。
じゃあ、成功する人間の思考パターンが分かるか?
「知・覚・動・考」
たったこの二つの違いが成功する人とそうでない人を分ける
この4つのアクションの中で成功するにあたり一番大切なファクターはどれだと思う?
考えあぐねるだろ?あなたの前に何が見える?
答えはあなたの目の前にある。一文字ずつ指を指して言おう。
「とも(知)・かく(覚)・うご(動)・こう(考) 」
あなたに一番足りないのはそれだろ?
「すべての人間の行動は思考が支配して居る。思考が結果を生み出す」
===「「GACKTの勝ち方」から彼の考え方です。参考になればと思い抜粋しました」===
〜最近の自分〜
今、午後5時45分です。今日はヘルパーさんが来てくれました。私は最近体調が良く無い。薬の後遺症で午後1時を過ぎると眠くなって仕舞う。だから今日も彼女が帰った後から、夕方の4時半頃までは寝て居た。そして何時も夕方5時に夕飯を食べてから、パソコンに向かってblogを見たり更新したりして居る。ネットも見る。しかし夜も10時に薬を飲むと11時には寝てしまう。今回のblogは本当はもっと後ぐらいに書こうと思ったのだが。書く事があったので、書いて見ました。私はテレビは最近は余り見ない。と言うのは見たい番組は皆んな、Blu-rayレコーダーのHDDに取り溜めて居るからだ。私はテレビに振り回される生活は嫌なのだ。だから取り溜めた番組を後からじっくり見る。そして残して置きたい番組だけをBlu-rayに焼く。私は高校まで自分の部屋らしい部屋は無かった。中学の頃は自分の部屋が無くて廊下の踊り場に机と椅子を置いて、自作のスピーカを一つ置いてその上にラジカセを置き、そしてラジカセの音を音が良い自作の20センチのスピーカーを入れて作ったスピーカーボックスに繋いで聴いて居た。その当時、同級生である男が居た。彼の家はお金持ちで、彼は8畳間の部屋があり、ステレオがあり。16型のテレビがあり。エレキギターを持って居た。そしてラジカセを持って居た。その同級生の親は弁護士だった。一度父親の本棚を見せて貰ったが、哲学書のラテン語で書かれた本やら。六法全書。経済書。趣味の本やらが置いてあって、私は自分の参考にさせて貰ったものだ。しかしその息子である友達はダメだった。エレキギターを買って貰って居るのに自分では弾く事が出来ずに、何時も私が遊びに行って弾いて居た。彼はレコードも月に5枚ぐらいは買えた。小遣いが多く貰えて居たからだ。
彼は何時も私を指標として居た。私のやる事は皆、真似た。私がロックを聴いて居るから自分もロックが好きになり聴き始め。そして私が絵を描いて居るから、イラストを描き始めた。しかし、ある時に、学校の教室で私に突然腕を絡ませて言った。「俺は何でお前に勝てないんだ!」それは鬼気迫って居た。そして私の腕を折らんばかりに力を込めて絡ませて来た。それはそうだろう。そいつは主体性が何も無かったからだ。私は怒って辞めろと言った。そいつが得意になって私に見せる事はすでに私が経験して居る事だらけだった。そのうちに私がブルースを聴き始めると、「ブルースってどんな音楽だ。お前がエアチャックしたカセットテープを俺に寄越せ!!」と言って来た。私は「もうこいつと付き合う必要は無いな・・・」と思い。それ以降、付き会わなくなった。要するに他力本願なのである。その後、彼は私に自分の書いたイラストを得意に成って見せた。私は言った「上手いじゃないか....。」するとその一言で、要約、自分の本当に好きなものが判った様だった。それ以降。彼は漫画雑誌を収集し始めてちょっとした漫画博士になった。私が高校生になって用事が出来て。そいつの部屋を尋ねると。部屋には日本中の漫画本があるのかと言う位、漫画本に溢れて居た。しかし「ガロ」と「COM」は無かった。しかしそれだけだった。集めただけなのだった。その同級生が描いた絵は全てはっきり言って本音を言うと上手くは無かったし。イラストは描けても漫画は掛けなかったのだ。私は思った。親が子供に金を渡しても、子供に何も才能がなければ、その金は無駄金にしか成らないと。でもそいつはそれで満足して居たし。あれだけの数の漫画雑誌を収集するのは大変だったろうとは思う。少年漫画誌から小女漫画誌。そして青年漫画誌から。アダルト・ポルノ青年漫画誌まで何でもあった。
今月のお気に入り&微妙だったアイテムを発表していく。
今日は昼はATMで大家に家賃を入れて来たので。それに生活費を下ろして来たので、馴染みのスナック喫茶でポーク・ジンジャー定食を食べました。久し振りです。洋食を食べるのは、、それにもう、生活保護になったら、何も食べられなくなるから、1週間で使えるお金は2千円ですから。それで食べなければならない。だから、食事は1食になりますね。よくて2食か....。今日来た看護師は「モノが無くなると言われると私たちまで嫌な気になる。」と言うので私は言いました。「モノが無くなるのは確かな事だろ。誰がやってるのか解らないけど、、」と言ったら黙って居る。私ははっきり言ったが。この私のblogを読んで居るのが悪いのだろう。看護師やらヘルパーが読んで居るのは私は知って居ますよ。そして勝手に怒って居る。私は「このblogは私の感情の、思いの吐口なんだ」と言った。私はラジオでスクール・オブ・ロックを聴いて居るが。若者の歌が何で皆んな悲しい歌なのかが最近よく分かって来た。15歳の女の子が泣いて電話を掛けて来て話をして居る。「ワンピース」が何故受けたのか「鬼滅の刃」が何故受けるのか。15歳の少女たちは自分の居所が無いのだ。学校では虐め、シカト。そして家では横暴な親に文句三昧。「兄弟の中でお前ほどバカな子は居ない。」と言われる。話を聞いて居たデスクジョッキーも泣きながら話を聞いて居たが。私も彼女らの純粋さに泣けて来た。
一概に子供だからだとは言えないだろう。実際に私の友達も中学時代にクラスの生徒から暴行を受けて、その後、精神的におかしくなってしまった。彼にしたら女の子からも腹を思いっきり蹴られたのは苦痛だったろう。食べた昼食を全て吐いて居たから。何故そんな目にあったか?九九が言えなかったからだ。その子は少し知恵が遅れて居た様だった。それ以来。そいつは人前に出られなくなってしまった。大学へは入ったが、何時も学食が食べられない。人と一緒に食事をする事が出来ないのだ、吐いてしまうから。だから、大学の草むらの中に入って隠れて親が作ってくれた弁当を食べて居たそうだ。廃人同様になってしまったのだ。私だって、ある宗教団体のしつこい勧誘と話をほぼ半年以上されて、その上に私は小柄だから馬鹿にされる頻度は多いのですよ。大学ではその主教団体の仲間たち6人掛りで毎日授業を受けるのを妨害された。そして学生課に相談に行ってもヘラヘラ笑って話されてお終いだったし。教授を頼ったが反対に大学改革の先方に立ってくれと利用されそうになった。1970年代だからね。そして私は統合失調症を発病した。もう私は若くは無い。最近の若い女の子は身長が170センチはざらにありますからね。その上にヒール履いたら何センチになりますか?
私は此処で自分の身長を言う気は更々無いが、、ただバンド活動中でも電車乗って居ても別段嫌味を言われたり差別されたりした事は無いですが....。今は皆んな男は最低身長が175センチはありますから。まあ、私はそれ以下だと言って於ます。このblog読んで、私に罵詈雑言を言う人たちに言いたい。私はあなた方に読まれるのは、はっきり言って嫌です。このblogは、私のネットの友人たちとの語らいの個人的な場です。好奇心で精神障害を持った者がどんな記事書いて居るかと思って読まれたくは無いですから。私が顔を明かして自分の症状を言って居るのは。同じ精神病を持って居る人とか自分に自信が無い人達に向けての鎮魂で励ましであり。そして憩いなのです。人によっては色々言うでしょう。そんな事は解って居ます。でも私は同じ精神を病んで居る人とか、人生に悩んで居る人たちに向けて「こう言う話があるよ....。」とか。「こう言う私の様な男も居るよ....。」とか「こんな映画、アニメ、音楽があるよ....。」とか知らせて。勇気付けたいからこのblogを書いて居るのですから。私を蔑みたい人も居るでしょう。そう言う人は勝手にそうすればいい。私は別に何も言わないし。そう言う態度やら物腰のいい様には離れて居ますから。「子供達に取って今の世の中は便利なはずなのに生き難いんだなぁ、、」と昨日スクール・オブ・ロックを聞いてそう思った。皆んな頑張れ!!この世に生まれて来ちゃいけない人間なんて誰も居ないんだ。生まれて来たのは。ある意味宿命かも知れないけど。皆んな悩みながらも前向きに生きて行くんだから。だから、頑張って生きて行って下さい。こんな私に言われたくは無いかも知れないけど。人は皆哀しいんだよ。だけど諦めないで決して・・・。私にはこの先、絶望しか無いかも知れないけど。あなた方には未来があるのだから。元気を出して。自分が悲しくなったら、悲しいアニメやら、悲しい映画を見て。哀しい歌を聞いて、思いっきり泣いてもいいんだよ。そうやって自分の中の悲しみを思いっきり発散してごらん。気持ちが晴れるよ。そして気を晴らしたらいい事を考えようよ。私はそうして居るよ。泣く事は恥じゃないですよ。泣けない人は反対に可哀想だなぁと思いますよ。
今日の昼食です。。。
13. 大人の習い事 テンホールズハーモニカ ( ブルースハープ ) 教室 /ハーモニカ バラエティー HAMONICAFE(ハモニカフェ)
kiyasumeが吹いて見たハーモニカ・ソロの短いものです。挙げて於ますね。2分ほどです。良かったらもう一度聴いてやって下さい。
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〜懐かし映画館〜(その2)。
「帰らざる夜明け」1971年。フランス映画。
「メグレ」シリーズで名高いジョルジュ・シムノンの小説を映画化。仏の片田舎に流れて来た犯罪者ジャン。彼はとある農家の未亡人の所に身を寄せ、彼女と次第に深い関係に陥って行くが……。田舎の美しい田園風景をバックに、孤独な男と二人の女のやるせない愛が描かれる。髪を短く刈り込んだドロンが抑制されたいい芝居を見せる。
緑に囲まれたフランスの田舎町。通りすがりの男ジャン(A・ドロン)は、車の荷台から石油ふ卵器をおろしている未亡人クーデルク(S・シニョレ)の手助けをした事から、彼女の家で働く事になった。運河の跳ね橋を挟んで、夫の妹夫婦(M・ショーメットとB・ラポワント)が住んでいた。彼らはクーデルクと一緒に住んでいる父親アンリ(J・ティッシェ)を丸めこんで、クーデルクが支えてきた農地を自分たちのものに仕様と企んで居た。クーデルクとジャンの間には、男と女の微妙な気持ちが流れ始めた。ジャンが人殺しの前科者で脱獄して追われている身と分かってからも、クーデルクの愛は深まるばかりだった。一方、アンリ老人も彼女が夜の求めに応じなくなったのは、ジャンのせいだと思っていた。妹夫婦にはフェリシー(O・ピッコロ)と言う十六歳の娘があったが、知的障害者の様な処があり、誰の子か分からない赤ん坊まであった。フェリシーは、ハンサムなジャンに興味を持ち、ジャンもクーデルクに無い、初々しさに惹かれ、結ばれた。その夜、クーデルクは新調したネグリジェで彼の帰りを待ちわびた。翌朝、クーデルクはジャンに出て行く様に言ったが、彼は、ふ卵器だけは動く様にして行こうと考えた。妹夫婦は、ジャンを目の仇にして居た。老人を問い詰め、ジャンが人殺しらしい事を知るとフェリシーを唆し、彼のスキを伺って身分証明書を盗みださせた。その頃、ジャンの苦心がやっと実って、ふ卵器が幾つかの卵を温めだした。卵は二十一日でヒナにかえる。クーデルクの怒りはふっ飛んだ。翌朝、フェリシーが戸を叩いた。警官がジャンを掴まえに来ると言うのだ。妹夫婦の密告で、ジャンの身元が割れ、凶悪犯人として大がかりな捕り物がくり広げられ様として居た。急を知って、ジャンはクーデルクを残して裏口から逃げた。だが付近一帯は既に警官に包囲され、ジャンはクーデルクの所に舞い戻った。彼女はジャンから逃げるよう進められたが、自分の家にとどまる覚悟を決めて居た。弾丸がこの家に集中し始めた。ジャンは戸外に走りだしたがたちまち射殺された。クーデルクもまた、ふ卵器の石油に引火した火焔に包まれ、炎の中で死んで行った。
【La Veuve Couderc】 Alain Delon / Clips & OST
この映画は1970年代、中学の頃、テレビの深夜放送の「深夜の名画座」で見た。アラン・ドロンは当時人気があり。私もその人気で見て居たが、この作品を見て、ドロンは演技派だなと思ったものだ、誰も評価しないから言うが。彼は演技派なのだ。一見あのマスクに寄って、単なる二枚俳優と思われがちだが、良く映画を観て見ると演技がしっくりして居る、上手いのだ。この作品は文学的な香りが高い作品だが、それもそのはずで原作はあの”メグレ”シリーズで有名なジョルジュ・シムノンの小説「片道切符」の映画化だから納得である。主演のアラン・ドロンはフランスを代表する俳優だが、本作品の共演は「燃えつきた納屋」でもドロンと共演したシモーヌ・シニョレで「年上の女」でアカデミー賞主演女優賞受賞のドイツの女優。そして「わが青春のフロレンス」でカンヌ国際映画祭女優賞受賞のオッタヴィア・ピッコロでイタリアの女優。と国際色豊かなキャスティングとなった。
アラン・ドロンとオッタヴィア・ピッコロの共演は「山猫」から始まり、本作品では準主役として共演。そして「アラン・ドロンのゾロ」ではヒロイン役と格が上がって行くのも興味深い。と言う訳で、文学的香りの中にサスペンスの香りも漂うのは、原作の力に寄る処が大きいと言えるが、それを見事に演じきった3人の力も素晴らしい。
特にアラン・ドロンは「真夜中のミラージュ」でセザール賞最優秀男優賞を受賞しただけで、その演技力より二枚目の主役の顔が目立っているが、本作品では演技力もあることを証明している。”一人の男と二人の女のやるせない愛”という言葉では、とても言い尽くせない切ない物語と、フランスの田園風景や運河の跳ね橋が見事に溶け込んだ忘れがたい作品である。
晩年のシモーヌ・シニョレは、美貌は失われて仕舞ったけれど、疲れた淋しげな雰囲気が大変素敵です.この作品のシニョレは、かなり痛々しいです.小さな農家の村で、親族や世間そして人生からも冷たい目で見られて来た淋しい女性.そこにジャンという脱獄して逃亡している若い男性を働き手として雇います.そのジャンがアラン・ドロン.やがて二人は親密になりますが、年齢も離れている二人に夢や希望を持っても叶う訳はなく…若さを失いジャンに嫉妬する彼女の姿は物語同様に可也悲しいです.音楽はフィリップ・サルド.一度聴くと忘れられない程に美しい曲です 。
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それでは、調子が悪い為。今回でまた、更新はしばらく遅れます。皆さん宜しくお願い致しますね。それでは また、、♪( ´▽`)