私が応援して居る、声優で、モデルで、舞台俳優で、歌手で、自己のアパレルメーカーのデザイナーで、コラムニストで、ゲーマーで、YouTuberの青木志貴ちゃんです。歳は今年で33歳でしょうか???皆さんも応援頼みますね。
ボディメイクに目覚めた者が毎朝食べているごはんを紹介。
しかし、暑いですよね、、昨日なんか東京は39度もありましたから・・・・・。今、私は休養中ですが、もう当分、blog記事は上げ無いと言って居ましたが。今年の1月に亡くなった、ロック・ギタリストの鮎川誠のドキュメンタリー番組をテレビで見て感銘を受けたので、此処に記して於たく思い急遽書いた次第です。皆さんも良く知って居るギタリストでロッカーだと思います。愛妻家であって。「シーナ&ザ・ロケッツ」と言うバンドで夫婦で演奏して居ましたよね。「ロックバンド、シーナ&ロケッツのリーダーでギタリストの鮎川誠(あゆかわ・まこと=本名同じ)さんが29日午前5時47分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。74歳。所属事務所が30日、発表した。
昨年5月にがんが発覚し、余命5カ月程という宣告を受けたが、本人の強い思いで公表しなかったという。2月4日に東京・代沢の森巌寺(しんがんじ)開山堂で「ロック葬」を執り行った。喪主は長女でモデルの陽子(46)」。
シーナ&ロケッツのシーナさん(左)と鮎川誠さん(11年8月11日撮影)
sheena&the rokkets 鮎川誠 74歳のロックンローラー
でも私も調子が悪い為に、新しい記事は今回だけで、もう当分の間上げられ無いと思いますので。宜しくお願い致しますね。なんか最近は、この間は「頭脳警察」のパンタが亡くなってしまったし。レジェンド達の葬式が多いですよね。皆んな亡くなってしまいます。寂しい事です。此間は私も自分が死んだ時にどうして貰いたいかとケア・マネージャーに伝えときました・・・・。余りに体の調子がおかしいのでして、それにもう歳ですからね。64歳に成りました。あと生きても75歳まで生きても11年しかありませんからね。私は長生きは此無いだろうと、いや出来無いだろうと思って居ますから。しかし暑いですよね、今朝の8時頃だけども、屋外の気温は27度はあると言いますから....。
なんだか調子が悪い、、だから少し寝ます。皆さん記事を読んで見て下さいね、動画もご覧下さいね。それではどうぞ。
鮎川誠が亡くなりました。奥さんのシーナ(悦子)さんは8年ぐらい前に亡くなって居るしね。彼は味のあるギターを弾いて居ましたよね、はっきり言ってそんなにテクニシャンでは無かったけど、歌を支える味のある良いギターが弾けたギタリストでした。
「サンハウス」って良かったでしょう???知って居ますか?ところで、私が住んでいるアパートの名も「サンハウス」ですからね、、サンハウスって言う黒人のデルタブルースを歌うブルース・シンガーでギタリストが居るんですけど、、その人から、、恐らくは名を借りたんでしょうね、そして、「シーナ&ザ・ロケッツ!!」鮎川誠がめんたいロックを作った様な物ですからね。博多産のロックをね・・・・・。
今日は「シーナ&ザ・ロケッツ」のドキュメンタリー見て居たけど、、あの夫婦には女の子が3人も居たんですね。子供らはもう40代ぐらいですけど。僕はシーナと鮎川誠の夫婦見たいな、お互いを必要として居る絶対無二の存在に今付き合って居る彼女と僕もそう馴れれば良いなと思って居ますよ。
映画『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』本予告【8.11(金・祝)福岡先行公開/8.25(金)全国公開】
美人3姉妹の両親はシーナ&ザ・ロケッツ
鮎川誠がロックを辞めずに済んだ妻の一言に涙腺崩壊…「シーナ&ロケッツ」で活躍していたミュージシャンの壮絶すぎる生い立ちに言葉を失う…
娘さんが奥さんの悦子(シーナ)さんとの間に三人居ますよね。長女の陽子さんはモデルで、次女の純子さんと三女のルーシーさんはバンドをやって居ましたね。次女と三女のパンクロック・バンドは海外でも人気があるそうですね・・・・・。鮎川誠とシーナが世界でも認められて居たからね、、、。娘の陽子さんが言って居ますよね・・・
「父はいつも考え事をしている感じで、自分からはあまり話しかけてきたりしない人でした。こちらから話しかけると喋ってくれるんですけど、自分があまり興味ない話だと『ふーん』くらいで終わっちゃって会話にならないんです。音楽の話だと、話し始めたら止まらないくらいいっぱい喋るのに(笑)」
普段は両親との仲はよかったが、躾は厳しく、反抗期の時期など、時にはぶつかることもあった。だが、それでも両親のことは大好きだったと陽子さんは言う。
「門限もあって、私が部活で遅くなり6時半を過ぎても帰ってこないと、学校に電話をするほどでした。また、学校に行くときにスカートを短くしたりするのを見つかると大変で、すごく怒られました。父は『外には魔物がおるけ』って言ったりして(笑)。高校生くらいのときには、それでぶつかったりすることもありました。相手はたいてい母ですけど、父も必ず母に味方するんです。でも、それで両親を嫌いになったりすることはなかったですね(笑)」
「両親を支えないと」という気持ちは小さい頃からあったそうだ。地方のライブで両親が不在のことも多いため、料理を覚えたのも早いという。それは幼い頃に両親を応援していた祖父母の影響だったと言います。
「友達がビックリするくらい両親には気を使う子供だったと思います。『そんなに気を使うの?』ってよく言われました。幼い頃から二人を応援している祖父母の姿を見ていたので、東京で両親と一緒に暮らし始めたときも、ずっと近くで応援している気持ちだったんですよね。両親も、『今度レコーディングがあるんよ』とか、『こんな曲作ったよ』など、仕事のことも全部話してくれたし、できあがったばかりの曲を皆で聴くこともありました。友達みたいな、兄弟みたいな関係でもあったんです」
デビュー以来、休むことなく活動を続けてきた『シーナ&ロケッツ』にひとつの転機が訪れたのは2015年のこと。シーナさんが子宮頸がんのため亡くなったのだ。
「娘としてはとにかく父が寂しい思いにかられてしまうのが心配だったんです。でも父は『シーナ&ロケッツ』を続けていくと決意していて、メンバー3人になったシナロケで1年かけて日本全国をまわることにした!って言ったんです。47都道府県だからちょうど47(シーナ)。長年応援してくれた全国のファンに直接お礼を言いたいし、ステージに立っていると母と一緒にいられる感じがすると、言っていました。
そんな父を娘全員で応援しました。そして徐々に、三女のルーシーがシナロケのゲストボーカルとして参加するライブの本数が増えていき、19年には正式なバンドメンバーとなって、ボーカリストとしてステージを支えていました。新しい曲や長年ライブではやらなかった曲まで演奏したり、毎回進化していくようなステージが繰り広げられていました。本当にかっこよかったです」
「12月31日の大晦日ライブに出られなくなったのは、突然のことでした。当日、本人は出るつもりでいたんですけど、病院で診てもらったら思ったよりも状況が悪くなっていて、『無理をすると何が起こるかわからない』と、ドクターストップがかかってしまったんです。在宅で先生に来ていただけることがわかったので、自宅で療養生活に入りました。2月にも大きなライブが控えているし、それまでに回復したいと父は思っていたようです。
そのときの父は普通に生活できていて、先生の言葉が大げさな心配のようにも思えました。それでも心配でしたから、姉妹3人で8時間ずつローテーションを組んで、24時間ずっと父のそばについて過ごすことに決めました。できるだけ身体にいいものを食べてほしくて、食事について皆で考えたり……」
だが、大丈夫そうに見えても、やはり病魔は鮎川さんの身体を蝕んでいた。亡くなる少し前まではパソコンで選曲をしたり、ギターを弾くこともできた鮎川さんだが、強い痛み止めを使うようになってからは、意識がボーッとした状態になる時間が多くなっていったという。そんな中で陽子さんは最後に交わした会話を覚えていると言います。
「ちょうどその時期に、私は自分の絵の個展の準備をしなければならなかったのですが、ただ、父に見られたら気を使わせてしまうので、台所でこっそり絵を描いていたんです。でも、気づいたら、寝ていたはずの父が近くに立っていて、急に『ワォ!』と声を上げた。驚いて何も言えずにいたら、父は『みんなを幸せにする絵を描いてね』って言ってくれて……。嬉しかった。それが父との最後の会話になりました」
そして最後の瞬間が訪れる。
「父がベッドで朦朧とした状態になり、どんどん死が迫ってきているときに、シナロケ(『シーナ&ロケッツ』、)のCDをかけていたんです。昔のライブ盤で、ちょうど母のシーナがメンバー紹介をしているシーンでした。父は目を瞑っていたんですが、よく見ると左手がギターのネックを持つような形になっていて、右手でかき鳴らすようにこう……それを何度も繰り返してやっていた。父は最後の瞬間までライブでギターを弾いていたんです。大勢のお客さんの前で、きっと母も近くにいて、幸せな気持ちで……」
陽子さんにとって家族とはイコール『シーナ&ロケッツ』そのものだったという。小さい頃は北九州のシーナさんの実家に預けられており、小学校に上がるときに東京で両親と暮らすことになった。当時『シーナ&ロケッツ』はすでにスターだった。
最後までロックを貫いて前に進みつづけた人生だった──。
「ようやく父のことについて、語ることができる心境になりました」と陽子さん(提供:FRIDAYデジタル)
何だか最近、日本のロックのレジェンドたちが皆んな亡くなって行ってしまうよね。若手が育って居ないから.....。どこかで出て来てくれるといいけどね、、
鮎川誠が作った最初のめんたいバンド(博多系ロック)の「サンハウス」が再結成した時の映像です。。。
サンハウス スーツケースブルース
サンハウス ふるさとのない人達
サンハウス ミルクのみ人形 1998.11.2 at Liquidroom
サンハウス/キングスネーク・ブルース
サンハウス 風よ吹け
鮎川誠が奥さんと作ったシーナ&ザ・ロケッツ。
SHEENA AND THE ROKKETS(シーナ&ザ・ロケッツ) TV LIVE 1981
You may dream/シーナ&ザ・ロケッツ(1980年)
SHEENA AND THE ROKKETS(シーナ&ザ・ロケッツ) LIVE at 久保講堂 1981/6/27
鮎川誠が死ぬ直前の娘さんとのライブ、調子が悪いのにね、、膵臓癌でしたからね・・・・・・・。
SHEENA & THE ROKKETS - "Sweet Inspiration" - Shinjuku Loft, Tokyo, Japan 2022-11-23
奥さんのシーナが61歳で亡くなって、鮎川誠は74歳までロックをやって居ましたね。福岡のライブハウスで知り合った2人でしたね。そして2人は意気投合してバンドを作った。博多のライブハウスで「サンハウス」を偶然観たシーナはライブ後に彼に直ぐにあったそうです。そして付き合いが始まった。そして結婚して、「サンハウス」解散後に夫婦で「シーナ&ザ・ロケット」を作りました。今さらながら、ご冥福をお祈りします、、
それから「頭脳警察」のパンタも亡くなりましたね。パンタの赤軍派の、声明文の歌は「世界革命戦争宣言」だったよね、、確かファーストアルバムに入って居たから。レコードは発売中止になったんだよね.。でも今、CDでは購入出来るんだよね。僕は昔レコード買えなくて、、3年前にTSUTAYAのレンタルでCD借りてカセットテープに録音して持って居ますよ・・・・・・・・。まあ、過激な歌詞だらけの歌が入って居ましたよね。パンタも73歳で亡くなりました。皆んな70歳を超えると死んでしまうよね。母なんか生きて居るのかと思うよ、、生きて居れば92歳か93歳ですよ、今年でね、、、もし死んでも遺産分けには僕は呼ばれないだろうから、大体が遺産と言っても実家はもう無いし、母の遺産金があるだろうけど。僕は遺産放棄をしなければ成ら無いですからね、、生活保護になると遺産が手に入ったら保護は打ち切りに成りますから、だから財産放棄をする様に言われて居ますからね。それにあの姉が言って来る訳も無いしね。何しろ母にはお金が掛かって、居るそうだから?「誰が渡すか!!」でしょうしね、、
此間、撮った写真です。64歳老けたな・・・・。😱
此間病院まで行ってきましたが。足が痛くなってしまって。足はね、恐らくは、普段使わないから、、筋肉痛だったんだろうと思います。今日になったら痛みが半減して来ましたから🤔...。部屋の中でもトイレに行く時とかお勝手に行く時ぐらいしか歩かないから・・・・。
毎日布団に横たわって、毛布にくるまって寝て居ますからね、、殆んど動きませんからね、、そんな風だから。体がおかしくなってしまいますよね。腰だって痛いしね・・・。処置なしですよ・・・。実は今も寝て居ました。喉が渇いたので冷蔵庫から冷水飲んでパソコン見て居ましたから・・・・・・・。
昨日はドキュメンタリー番組を見ました。IPS細胞の事は…小保方さんは可哀想でしたよね、、彼女は潰されてしまいましたよね。IPS細胞を山中教授が発見してから10年余り、今や再生医療などで研究が進められて、近年は臨床試験が行われる段階まで来ましたよね。ドキュメンタリー番組では心不全は日本人の死因の第2位を占め、患者数は増加の一途。有効な手立てを講じることは急務と言えます。こうした要請に応えようと、大阪大学医学系研究科の澤芳樹教授(心臓血管外科)が、患者さんから採取した筋肉の細胞を培養し、シート状にして心臓に貼り付け機能を回復させる再生医療に世界で初めて成功。さらにIPS細胞からつくった心筋細胞シートによる臨床研究では、2020年1月に重症心筋症の患者さんへの移植を実施するなど、心臓における再生医療のトップランナーであり続ける。一方で。日本再生医療学会理事長として、再生医療の発展に向けた旗振り役も務めて居る事を紹介して居ました。
ところで、ケア・マネージャーとケースワーカーさんは、今度の人たちはそれはそれはダメですね、、事務的にしか仕事をして居ませんからね。心が通って居ませんから・・・・・・。大体が、何でも嫌がりますからね。とくにケア・マネージャーは、3ヵ月に1度は前には来て居たんですが、最近は、言わないと来なく成りましたしね。来ても自分から話をしませんしね。前の人は此方に有益な情報とか教えてくれて居ましたけど、今度の人は何も話してくれませんからね💁
生活保護課のケースワーカーの女の子もそうですね、前の担当の子は、良く此方に配慮して話をしてくれて居ましたが、、今度の子はねぇ、、随分と事務的で、要するに2人とも今風なんでしょうね・・・・。心が通って居ないんですよね、通り一遍だけ仕事だからして居るだけと言う感じですね。やらない訳では無いけどね、、やはり心が籠って居ないと言うか、最近の若者なんでしょうね、、それがね、、何だか味気ないと言うか、2人揃ってね。まだ20代後半と30代の初めですからね。なんか最近の若者たちは、いわゆるZ世代は、会社でも上司が色々話しても、、コミニケーション応力が無いらしく、黙ってただ突っ立って居るだけで、上司が呆れて居ると言って居ますからね、、ケアマネージャーなんかは、此方が色々と話し始めると目を瞑って居ますからね???電話で話しても、自分の言う事だけ言ったら、それじゃあとも言わずにただ黙って電話を切るしね・・・・・。
初めのうちは、「なんだ、こいつ???」と思ったほどですから・・・・・。まあ、仕方が無いです、、
IPS細胞の…小保方さんは確かに論文をコピペしたけど、そう聞くとなんだ人のを勝手に使ったのか!!となるけど。学術論文は往々にして、人の論文も参照する物だからね。何でもそうでしょ、、哲学書だって他の哲学者の論説を真似て参考にして書いて居るからね。彼女は良い様にやられてしまったんだよね。彼女を教えた教授が自殺したのだって。色々とマスコミが彼女を槍玉にあげて教授にまで責任を取れだとか言って居て、言いたい放題だったからね。覚えて居るので酷いこと言われて居るなと思ったのは、他の大学の理研の研究員の女がさ、「小保方は可愛い子ブリッコして居る幼稚な女だ」と言って居てね。マスコミも教授と色々と関係があっただとか、デタラメを言ってさ、私だって、生活保護下で申請の事で話していたら。突然、ケア・マネージャーが私を罵り出して、、
「お姉さんはもう歳で大変なんですから、今まで嫌なkiyasumeさんの面倒を見てきて、縁を切ったのだから!!」と言い出してまあ、ねぇ、、保護課の私担当の人の方がケア・マネージャーより利口だったから。あくまで、私中心に話を進めてくれてさ、、、私が色々と生い立ちを話し出したらケア・マネージャーが「そんな事とかあったんですか??」とか驚いて居てさ。何時、姉が私の面倒を見たと言うのでしょうかね???「お姉さんはもう70歳超えて居るんだから?kiyasumeさんは頼れませんからね!!」とか言って居るから「姉はまだ60代ですよ....。」と言ったら「あれ70歳とうに超えてるんじゃないの????」とか言って居てね。申請の途中でケア・マネージャーが辞めてしまったから。今のケア・マネージャーを連れて行ったら
その人が僕担当の福祉課の職員さんに「ほら、名刺渡すから、取っと居て必要でしょ!!」と渡したら、「ほう???」と言われてね。それはそうでしょ65歳ぐらいの職員に30代が一丁前にもの言ったら。反感持たれるだけでしょうに?と思いましたよ。それから前のケア・マネージャーは、ラジカセ見たら、「何でこんなに大昔のレトロなもの持って居るんですか???レコードなんか何で、捨てないんですか???」「DVDなんて今は誰も買いませんよ。今はハードデスクに入れるんですよ。大体が映画だとかはNetFelixで見れば良いしね。DVDなんて、移動の時に役立たせるだけだ普通はもう使わない」だとか、、「Blu-rayに録画してこれからの時代どうするんですか?kiyasumeさんのアパートに来る度にDVD屋かと思いますから。ビデオテープなんかも今だに持っているし」、「こんなに、バカ出かいテレビを持って居てバカ臭く無いですか?スマホで十分でしょう???」そう言うんだよね・・・・・・。昔の事を何も知ら無いくせに、「30代がなぁ60代に一丁前に物言ってるんじゃねえよ!!」と言いたかったですよね。
安倍晋三さんの1周忌に、ショットガンに見える黒い筒を持ってやって来て、警察に捕まったら、「表現の自由の侵害だ」だと!!バカガキが何言ってるんだ。最近の若いのは、若い経済学者が「老人は全員、切腹して死ね!!」だとか。宮台真司がクソしか居ないと言って居る意味がよく解る。いや、、なんか愚痴に成って居ますよね、、なんか今の若者は時代に翻弄されまくって居ますね。今は、昔のものだってある世の中です。レコード屋だってあるしカセットテープ屋だってある。若い人でも、昔のミニコンポのレコード・プレイヤーやらラジカセを購入してレコードやらカセットテープで音楽を楽しんで居る人達も居るんですよね。大体が映画にしても昔の映画はくだら無いと思って居る若者が多いですよね。新しいものはそれはそれで良いでしょうけどね。昔のものだって良いものは沢山あるのですよ。何にも知ら無いんですよね。私が若い頃は昔のものもちゃんと知ろうとしましたが。最近の若者は今さえよけりゃそれで良いと思って居る様です。私が付き合っている彼女は私よりもはるかに年下ですが、昔の良いものは認めて色々と映画などでも見て居ますよ。特に1960年代から1980年代に掛けての映画は好きですね。でも、現在の物も好きなんですよ。パソコンを操り仕事を在宅ワークでして居ますからね。今風ですが、昔の事も良く解って居る女性です。最近は闇バイトなどに若者がお金欲しさに関わってしまい、あの闇バイトで捕まったら自分が前科者に成るだけなのに、何だか、安易に飛び付いて居るとしか思え無いですよ。スマホにカメラが付けば、女の子のスカートの中を盗撮するしね。まあ、此間法律が出来たから捕まったら3年間以上の懲役だし、飛行機の客室乗務員なんか被害が激しいのだそうで皆さん、今度の法律が出来て安心したと言って居ますよね。スマホは確かに便利ですが、悪用したら行け無いですよね。ところで昨日は東京は最高39度もありましたよ、、今日も暑いです。だからエアコンは入れっぱなしですよ。扇風機も回して居ます。夜中はエアコンを切って扇風機を回して寝て居ますよね。昨年もこんなに暑かったでしょうかね....。
夏本番です・・・・・。