寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

最近・・・・・・。

最近歳を取ったkiyasumeです

 kiyasumeです。老けては来たのだけども、それはそれみたいです。今日は朝の4時に起きました。食べ物が何も無いのでコンビニまで出掛けて来ました。食料品を3千円ぐらい買い込んで来ました。今日は朝は薄寒いですけど、過ごしやすいですね。来週の月曜に病院に行くので、早くオータムコートを着たいですね。最近は寒暖の差がよく分からないですよ。暑いと思って居たら突然寒くなるとか。早くコートを着たいですね。今日は1日寝ていようと思います。それでは、記事の方、宜しく読んで見て下さいね。。。

 

「東浩紀」

東京三鷹市出身。学部時代の専攻は科学史、科学哲学であり、大学院時代の専攻は、哲学(現代思想、フランス現代思想)、表層文化論である。本人は「現代思想好きのオタク」を自認する。思想系の研究者としての道を歩む中で、情報社会論も専門として居るが、決して社会学者ではない。大学教員としては、東京大学大学院情報学環客員助教授、国際大学グルーバル・コミュニケーション・センター副所長・教授、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授。早稲田大学文学学術院教授などを歴任している。しかし、2013年3月に早稲田大学教授を退職して、同年4月以降は大学への所属はない。

小説家でもあり、サイエンス・フィクション作家である。日本推理作家協会賞会員。


『新記号論 脳とメディアが出会うとき』は、2017年2月から11月にかけて東浩紀を聞き手として行われた石田英敬氏の連続講義(全3回)に、全面的な加筆・修正を行い書籍化したものです。あわせて石田氏による書き下ろしの補論「ハイパーコントロール社会について」(原稿用紙140枚)を収録しました。

講義は記号論という19世紀以来の学問を、現代の情報社会の条件に照らし、最新の脳科学の研究を踏まえてアップデートする事を目的として居ます。提示される例は動物たちの動きをダイナミックに捉えたクロマニョン人の壁画に始まり、リュミエール兄弟による世界初の映画、画面に触れて操作できるiPadやスマホまでじつに多彩です。スピノザ、フッサール、フロイト、パース、デリダなど、数々の哲学者の理論を踏まえたうえで、従来の記号学を超えた射程を持つ「新記号論」が語られる様子はまさに圧巻。専門用語や固有名詞には詳細な注釈を加え、高度で先端的な議論を理解しやすいかたちにパッケージングしています。構成は、ベストセラー『哲学用語図鑑』の編集・監修を務めた斎藤哲也氏が担当しました。

講義は東京・五反田のイベントスペース「ゲンロンカフェ」で行われ、のべ200人近い聴衆を集めました(インターネット経由の有料視聴者を加えると1000人超)。全3回の講義の模様は、動画配信サービス「Vimeo」で現在も配信しています。書籍版ではカットされたやりとりもすべて収録。書籍の予習・復習にもご活用いただけます。
 ゲンロンカフェ on Vimeo「石田英敬『新記号論』シリーズ」
 https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou

【徹底討論】インターネット変革、でもバカはバカ?(堀江貴文・東浩紀・宮台 真司)

東浩紀の仕事は一貫して居る。彼は二十歳に下ろした批評「ソルジェニーツィン試論」から「存在論的、郵便的ージャック=デリダについて」を通過し、現在(とは言えもう過去の)の「思想地図ーアーキテクチャ」に至るまで、その一貫した仕事は、端的には人間、情報(より広範囲の)、構造(やや反復だが)に対しての興味に貫かれて居ると言えるのではないかと思う。その中で本書は彼の中心的出発点であると言える。(それは有る意味では、終点でもある。)

どう言う事か。彼は、当初、博士論文において「デリダとメディア」(「自由を考える」参照)との関連で様々な文献を調査して居た。その中で、博士論文として書き下ろしたのが本書であるが、本書を読めばいかにハイデッガーーデリダーフロイトにおいて東浩紀ー哲学者が見いだす存在論的脱構築、郵便的脱構築が我々の認識、欲望、構造に由来して居るかが分かるはずだ。

つまり、デリダの理論を通過し、無限の脱構築の世界に突入した彼は、極めて形而上学的な議論(デリダが形而上学的言説を脱構築しようとも我々の愚かな能力は再び形而上学する)の果てにポストモダンの社会を見事に描いて見せて居る。(かなり消極的にではあるが)改めて簡単に述べるなら、デリダの理論を有る意味では終点とし、開かれたポストモダンを新たな出発点(それも有る意味では終わりである)としたと言える。以上の事を受けての議論は「動物化するポストモダン」「東浩紀コレクション」「思想地図」等々のすべての著作において明確に具現化して居る。そう言った現代において、人文学が行き着いた先は自らの開かれた限界だった訳だ。(もしかすると、これはデリダが考えて居た脱構築の意味とは違うかも知れないが、)その現実を見つめつつ彼の行動を見ればすべてが理解出来るではないだろうか。(価値観は共有出来ないにしても、彼の議論は現実的だ。) 

 

「動物化するポストモダン」

70年代までの「大きな物語」が有効だった時代に対し、80年代はイデオロギーや「大きな物語」が消失し、その空白を埋めようとして生じた「物語」消費の時代となった。しかしポストモダンが全面化した90年代に入るとそうした「物語性」ではなく、深層にある情報(データベース)とその情報の組み合わせである「小さな物語」を消費するというデータベース・モデルに移行したと言う事。

では、70年代までを支配した行動原理・世界観とはどの様なものだったのか。

東氏は「一方には、私たちの意識に映る表層的な世界があり、他方にその表層を規定している深層=大きな物語」があり、70年代までの近代的世界観では「その深層の構造を明らかにする」事が求められて居たのだと語る。

例えば自分たちの身近にあった裕福な家庭と貧しい家庭。こうしたものもかってであればマルクスによる階級闘争に歴史の1断片として取り扱う事も出来ただろうし、それを克服するものとしての「共産主義」が信仰されただろう。あらゆる「小さな物語」は背景にある「大きな物語」の表象であり、常に「大きな物語」とつながって居たのだ。

しかしこうした「大きな物語」に対する信頼は、ベトナム戦争や共産主義国家の現実、あるいは「連合赤軍」の終焉など、70年代を通じて失墜して行く事になる。

現実には「大きな物語」は凋落して仕舞ったものの、とは言え「大きな物語」を求める心性はそう簡単に無くなるものではない。例えば79年から放送され未だに根強いファンを有する「機動戦士ガンダム」。この「ガンダム」のファンたちは単に「ガンダム」のストーリーを追いかけて居るだけではない。その背景に広がる「世界観」こそを求めており、それこそが《架空の》大きな物語として消費されたのだ。

こうした状況を大塚英志は「消費されて居るのは、1つ1つの<ドラマ>や<モノ>ではなく、その背後に隠れて居たはずのシステムそのもの」だとし、このシステム=「(架空の)大きな物語」を消費する為に、1つ1つの「小さな物語」=「1話」やそれぞれの「商品」を購入する様子を「物語消費」と呼んだ。これが80年代のスタイルとなった。

しかしこのモデルはポストモダンの本当の姿ではない。連合赤軍が「理想の時代」の終焉を告げた様に「オウム事件」が「虚構の時代」の終焉を告げる事になる。

90年代に注目を集めたものとして「萌えキャラ」がある。こうした萌え系のキャラクターは、メイド服、ネコ耳、ネコしっぽ…。などの形式化した「萌え要素」の組み合わせで構成されており、オタクたちがそうした萌えキャラに「萌えた」のは、キャラクター(シュミラークル)への盲目的な没入や感情移入と同時に、その対象を「萌え要素」に分解しデータベースの中で相対化しようと試みたからだった。

「同人誌」やマッド・ムービーの制作など、本来の「ストーリー」とは別に、個々の要素を抽出・マッシュ・アップし、盗作やパロディやサンプリングとは違う原作と同じ価値をもつ「別バージョン」を生み出そうと言う欲望が背景にあったのだ。

此処にポストモダンの行動原理である「データベース消費」の構造が見られる。萌え要素のようなデータベース(大きな非物語)から必要な「情報」を読み込み、「小さな物語(シュミラークル)」を作り続ける。それは近代のツリー・モデルのように「小さい物語」の背後に「大きな物語」がある訳ではない、そこにあるのはあくまで意味を持たないデータベースであり、即時的な「小さな物語」が無限に生産・消費され続けるのだ。

こうした変化は「大きな物語」が失われた後に登場した「日本的スノビズム」から「動物の時代」へ移行したと言う事も出来る。コジェーヴによれは人間は「欲望」を持つが動物は「欲求」しか持たないと言う。「欲求」とは、空腹→食べる→満足と言う様に、ある対象の欠乏とそれを補う事で完結する単純な回路だ。これに対して「欲望」は満たされる事がない。

学校で1番の美人を彼女に出来たとしよう。それで満足するかと言うとそうではない。彼女に自分の事だけを思って欲しいとか、他人から羨ましく思って欲しい・自慢したいとか「他者の欲望を欲望する」という間主体的な感情を持って仕舞う。これを動物的な「欲求」と対比して「欲望」と言う。

かっての様に深層に「大きな物語」が存在しない以上、ポストモダンに生きる人々が「生きる意味」を与えてくれるのは表層の「小さな物語」だけである。データベースは意味を与えてくれない以上、そこから紡ぎ出される「小さな物語」によるお手軽な「感動」を楽しみ、感情移入するしかない。こうして「ポストモダンの人間は『意味』への渇望を社交性を通しては満たす事が出来ず、むしろ動物的な欲求に還元する事で孤独を満たして居る。」「世界全体はただ即物的に、誰の生にも意味を与えず漂って」居るのだ。


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今、この著を読み返す意味は、1つにはインターネットを含めた現代の状況を確認する事だ。先日読んだ「東京から考える」では、経済のグローバリズム化や消費社会の進展にともない都市そのものも動物化した時代に即した「ジャスコ的郊外」が広がって行くとあった。

確かにそうだろう。インターネット上でのサービス・IT技術の進展はそうした状況をますます加速させるのだろ。人は便利なものに慣れ、手軽じゃないないものは避けるかも知れない。エンターテインメント分野では1つの「ヒット」をもとに要素の組み合わせで無数の類似作品が生み出されるかも知れない。

しかし同時に20年代に来た今、それだけでは物足りない動きも感じられはしないか。

コンビニでは店員とお客さんとの関係が「冷めた」ものから「声を掛け合うもの」・「手を包むようにお釣りを渡すもの」へと変わり。J・POPの世界では、「大塚愛」「オレンジレンジ」のような即時的なバカ騒ぎ系から「コブクロ」「倖田來未」「絢香」のような「関係性」や「生」「つながり」を求めるものへ。あるいは東氏が「人文系が語るネット」で記したように、ニコ動の盛り上がりは人と人との繋がりを希求して居るのかも知れない。

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ーデビルマンの歌ー まあ、騙されたと思って聴いて見て下さい....。

 

 

 

 

当分更新が途切れると思います。また調子が悪いのです。ですので宜しくお願い致します....。

それと長いblogの記事なので、読み辛い方は、少しずつに分けて読んで見て下さいね。・・・・。

 

 

孤高のデスラー

最近、本を読んで居る暇が無い。と言うか、身体が言う事を聞かない。変な話だと思われるだろうけど、風呂にも入れないのですよ。何故かと言うと、薬を飲むと身体がだるくなり、寝て仕舞うからです。朝の薬だけでそうです。朝起きて食事をする。そして薬を飲む。すると昼12時過ぎると眠くなるのです。そして昼になりまた薬を飲む。それで夕方眠くなる。朝の薬では昼過ぎから3時半頃まで寝て仕舞う。そして夕方は昼の薬で5時から7時ぐらいまで寝て仕舞う。ねえ、これでは何も出来ないでしょう。1日寝て居るのです。そして起きて居る隙間の時間でblogを更新したり、ハーモニカの練習をして居ます。だから、夜寝るのは毎日午前1時頃になる。そして夜の薬もあるのです。夜の薬を飲むとすぐに眠くなるので、夜の薬は寝る直前に飲むのです。じゃ無いと毎日何も出来ません。だから風呂に入るには朝方入るしか無い。今日は今、夜の10時41分だが、0時になったら風呂に入ろうと思う。今日は食料が無かった。パンが無いので、朝は生ラーメンを茹でて食べた。昼はコンビニ弁当を食べて、夜はご飯に納豆で。あと焼きそばで済ました。コンビニに買いに行こうと思ったが、風呂に入って居無いし、眠くて行けなかったです。処で最近はワーキング・ハードの時代見たいで、パソコンがあれば仕事は出来る時代ですね。私はそれでも仕事は出来ないが.....。

そしてミニマムな生活には魅力がある。最近ではタイニー・ハウスが欧米で流行って居る見たいだ。タイニー・ハウスに見られる様に、自分の手の届く範囲内にものを置くのはいい事だとは思う。何でも国連はタイニー・ハウスを奨励して居るそうだ。昔は日本の家屋はウサギ小屋だと嫌われて居た。それが一時的な住まいとして。今、小さな家、タイニーハウスが注目されて居るのだ。しかし私のアパートの部屋は小さい。だから自然と身の回りに物がある様にはなっては居ます。部屋が狭いですからね。物が多いので物で溢れて居ます。確かに身体を動かせば、自ずと物に当たると言った具合です。私は畳で寝て居る為にマットを敷いて、その上に布団を敷いて居る。そして側にレコードが置いてあるので、布団は表に出しっぱなしだ。だから2つ折りにして置いて居る。この布団が邪魔なのだ。週に1回来るへルパーのおばさんがベランダに毎回干してくれるのだが、布団が無くなると6畳間と言えども広くなるのです。しかし私はもう死ぬまで、この部屋で暮らさなければならない。此処で無いと生活出来ないのです。東京で新宿やら渋谷、下北沢に近くて家賃5万7千円などと言う処は他には無い。しかもお勝手4,5畳と6畳間、そして8畳間風呂とトイレが別々で家賃5万7千円です。まあ、その分、ボロいですが。私は終の住処として気に入って居ます。

私は実家では、10畳間と6畳まで暮らして居ました。10畳間と6畳間の2部屋が自分の部屋で。楽器演奏をするのと音楽を聴くので防音だった。その部屋で30年間暮らした。楽器はエレキ・ギター2本と、ガット・ギター1本。それとベース・ギター1本。そしてギター・アンプ1台と、ブルース・ハープ36本とハーモニカ・アンプ1台。そしてステレオ・セット。レーザーディスク。ビデオ・デッキ。TV。DVDレコーダーを持って居た。時代は変わり、ケーブル・テレビに加入して、レンタル・チューナーを借りて、初めはビデオデッキに録画して居たが、その後DVDレコーダーからブルーレイ・レコーダーに焼く事となった。そして事情が出来。実家を離れて8畳間と5,5畳間のデザイナーズ・マンションに引っ越した。そこで6年暮らし、そしてまた引っ越してアパートに移って来た。この16年間は持ち金で暮らした。その持ち金は最早、尽きた。。だからアパートが取り壊すと言うので。今度は8畳間と5畳間と4・5畳間のお勝手がある。いい物件に当たったので。その後は生活保護を受けて暮らして居ます。生活保護で認められて居る居住費は5万3千7百までだ。今住んで居る処は家賃が5万7千円です。だから、生活保護の決められた居住費に足りない分3千3百円を払って暮らして居ます。此処が最適なのです。それから、此間、カセットテープをカセットデッキで聴こうとしたら、デッキが壊れた。まだ購入してから5ヶ月しか経って居ないのです。製造元のTEACに連絡を入れたら、修理になると言う。そして、カセットデッキを修理センターまで送ってくれと言うので、荷造りして送って居たのだが、今日、電話が掛かって来て、直ったので送ると連絡があった、デッキの部分を全て取り替えたと言って居た。今度は大丈夫だろうと思う。

 

 

くどい様だけど。私が障害を持つ様になったのは大学2年の終わりだ。そして今から10年前に発作を起こし。兄弟から疎まれた。それ以後、この10年間一人暮らしです。皆さん。身体だけは気をつけた方がいい。私は何だか疲れて来て居る。もう歳なのだろう...。処で風呂に入ろうとしたら、お湯が出ない。風呂が壊れた見たいなので、不動産屋に電話を掛けて言ったら、直にサービス・センターに言ってくれと言うので、電話を掛けた。「水しか出ないんですよ...。」と言ったら、ガス屋まで直接連絡してくれた、修理費はすべて大家持ちだと言って居るので、直接、東京ガスお客様センターに連絡した。連絡すると、直ぐに、修理人を寄越すと言う。私のアパートの風呂は手動でレバーを廻して「カチカチ」と音を言わせて、種火をつけなければならない。恐ろしく古い風呂なのです。東京ガスの修理人は、水を出して見て、、下のレバーを押して居る。私が「あれ、下にレバーがあったのか?」と見て居ると、夏と冬とでこのレバーを切り替えないと行けないと言われた。それで「直ったか?」と思って見て居たが、一番温度が高いレベルに設定しても、ぬるま湯しか出ないので、、修理人は、「壊れてますね。」と言って、「修理をするけど、その前に・・・」と、玄関を出て階段を降りて、なんか電話で大家と話し込んで居た。暫くして、部屋に戻って来て、「オーナーさんは風呂はもう古いのでまた壊れると嫌だから、新しい物と取り替えてくれ」と言って居たと言い。要約、風呂は新しい物になる事になった。しかし、発注するので2、3日時間をくれと言われた。私はコンロはIHの電気コンロを使って居るのだが。アパートは20アンペアしか無く。直ぐに飛ぶのだ。だからこの際と思い。「ガス・コンロ」を私が購入すると言ったら、車に行ってカタログを持って来てくれた。しきりに2つ付いた物を勧められたが、3万8千円はすると言う。私は独り身だし、今までも一人様だ。だから一人用の物をくれと言ったら、一番安い物で6千幾らだと言う。安いなと思ったが念のために7千幾らと言うのもあったので、「そちらとの違いは?」と訊くとステンレス製だと言うのでそっちの方に決めた。

 
 
Mark Hummel & The Ultimate Harmonica Blowout - Things Ain't What They Used To Be (101.9 KINK)
 
Mark Hummel & The Ultimate Harmonica Blowout - I'm Just Your Fool (101.9 KINK)
 
Mark Hummel's Ultimate Harmonica Blowoff
 

 

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今日は最近死去した、オーティス・ラッシュをストリーミングで聞いて居る。オーティス・ラッシュは素晴らしいブルース・シンガーでブルース・ギタリストだった。私は彼のコブラ盤など彼の名演奏を収めたレコードなどを多く所有して居ます。彼のギターの特徴はアール・フッカーやらロバート・ナイトホークのスライド・ギターのトーンやフレーズを指で再現しようとして。その試みが彼のダイナミックでアーシーな独自のプレイと成って居た。1970年代、高校生だった頃に、当時のロック・ミュージックの月刊誌「ミュージック・ライフ」にオーティス・ラッシュの事を教えてくれとハガキを出した処、採用されてオーティス・ラッシュのミニ記事が掲載された事があった。それから、大学の頃、当時の日暮さんが編集長だったブルース専門誌「ザ・ブルース」にシュギー・オーティスを始めとした彼の父親のジョニー・オーティス・ショーについて日本での評価が低いと手紙5枚ぐらいに考えを述べて送った処、それが採用されて雑誌に載った事がありました。

1930年代の後半に南西部で好まれたジャンプ・ブルースは、ビッグバンド編成でブラス楽器がリフ・フレーズをガンガン吹くのが特徴です。そんな演奏に負けない様に、大きな声を張り上げて歌うのがボーカリストの特徴に成りました。 その様なスタイルのボーカルを「シャウター」と言います。つまり、叫ぶ歌手です。 1940年代にシャウターは活躍しました。そんな彼等の人気が下火になった頃、彼等と自らのバンドのパッケージを組んで、 ツアーをしたりしたのが、「ジョニー・オーティス・ショー」です。ジョニー・オーティスはタレント発掘の達人であり、 いろんな人を世に出しています。13歳の天才少女「リトル・エスター」も、彼の元で「ダブル・クロッシング・ブルース」の 大ヒットを出してデビューしました。

ジョニー・オーティスはギリシャ移民の二世で白人ですが、子供の頃から黒人達と交流がありました。最初はドラマーとして活動してましたが、 後にサックス、ビブラフォーンに転向しています。1970年に成り、かつての仲間をゲストに繰り広げられるライブは最高のテンションで、言う事無しです。息子のシュギー・オーティスは若干14歳でプロのブルース・ギタリストとしてデビューしてアル・クーパーなどとレコードを吹き込んで居る他。自身のアルバムも5枚ぐらい吹き込んでいます。ニューオリンズで活躍して居る日本のブルース・ギタリスト山岸潤史に吾妻光良が「シュギーのギタープレイは白人のブルース・ギタリスト、マイク・ブルーム・フィールドに似て居る」と言ったら、「彼のプレイは独特だよ。」と反論された事がありました。

会社で働いて居た頃に、同僚の男と同じ車に乗って荷物を配送して居たのですが、彼は色々と顔が広く、何と「スイング・ジャーナル」と言うジャズ雑誌の編集長の家に連れて行ってくれた事がありました。自宅に伺って見ると、家の中は、ほぼジャズのレコードで埋め尽くされて居てコーヒーとケーキを出して貰った事が懐かしく思い出されます。又、以前にも書いたので重複に成って仕舞うのですが。私が倉庫番をして居た頃に、トラックに荷物を載せて来た、20代の若者がブルースを掛けて来たので、「俺もブルース・ハープを吹いて居たよ」と言ったら「今、吹いてないの?」と訊かれたので「今は吹いてないよ」と言ったら、「何で?」「他人が如何の斯うのじゃないですよ」と言うので「そうなんだけどね....。」と言ったら「やらなきゃダメだよ!あなたの歳で吹けばまた違った音色が出るよ、きっと」と言われて、その他、新宿の路上でギターでブルース弾いて居た黒人の若者に「俺もブルース・ハープ吹いてたよ」と言ったらその黒人からも「今、ハープ持ってないの?」と言われて「持って居ない」と言ったら、「ハープ1本どの位の重さだよ?ジュニア・ウエルズが言ってたじゃない。いつも持ち歩いて居ろとさ、もしあなたが今ブルースハープを持って居たら、此処でセッション出来たのにさ!」と言われて、そうだなと思い直し、またブルース・ハープを演奏する様に成ったのです。今はズボンのベルトに携帯フォルダーを付けて何時もブルース・ハープを持ち歩いて居ます。

 

Shuggie Otis with The Johnny Otis Show Live at Monterey, 1984 

 

今から20年程前の事。母がデパートに出かけて夜遅くに成っても帰って来ない。心配して居たら、大きな袋を持って帰って来た。そして、「これ、お前に買って来てやったよ」と言って袋から取り出したのは、何と、天野喜孝画集だった、「どうしたの?」と訊くと、何でも天野喜孝の個展が伊勢丹でやって居て。人が結構居たのだけども、お前が好きそうだと思い買って来たと言う。あと1時間居れば本人が来てサインを画集にして貰えたが、時間も押して居る為、待たずに帰って来たと言う。

母は私が美大に入るのを反対して居たが、後年になってお前には悪い事をしたと言って居た。でもね、良いのです。美大に入らなかったのは時代の雰囲気だったし、昔は絵描きは食えないから、それに美大は疎まれて居た。ただ私はアニメ製作会社に入って、アニメーション監督に成れれば良いなとは思って居たが。映画監督にも憧れて居たけど、1970年代当時は映画が斜陽な為、映画の撮影スタジオは入り難く。芸大を出た人でも映画関係では就職先が無かった。アニメーターは過酷な職業だし。その事は小学生の頃にはもう良く知って居た。手塚治虫が作ったアニメ製作会社、虫プロのアニメーターの子供が同級生に居て、その子の弁当は何時も日の丸弁当だった。白いご飯に塩を掛けて梅干しが真ん中にちょこんと乗って居た。虫プロでは激務の為、アニメーターが良く倒れたそうだ、死んだ人も居るようだ。「哀しみのベラドンナ」で有名な山本暎一監督が著書の「虫プロ興亡記」の中で書いて居る。

何日も徹夜続きの為、アニメーターが倒れて、中には血を吐く者も居て、手塚氏は漫画の連載で何時も虫プロの横にある自宅で執筆をして居たが、医者の免許を持って居た手塚氏がその都度、呼び出されて、様子を見てからそのアニメーターを救急車で病院に搬送したそうだ。手塚氏は日本アニメの基礎となるリミテッド・アニメを開発した。戦後テレビ・アニメの『鉄腕アトム』制作に制作費や制作時間を削減するために採用した。これによりリミテッド・アニメーションを進化させ同時に日本製アニメーションの手法として定着させ、現在では洗練されアニメの手法として発展して居る。フル・アニメーションと違って画面の一部だけを動かす場合、特にキャラクターの体や顔の向きと輪郭はそのままで、目や口だけが動く、画面内の多くのキャラクターのうち、1・2名のみが動く、複数のキャラクターが全く同様の軌跡で動く、などが特徴である。海外のリミテッド・アニメは、動画枚数が1秒(24コマ)あたり12枚、つまり2コマにつき1枚の動画(セル画)を作成する事が多いが、日本のリミテッド・アニメはさらに少なく、1秒あたり8枚、つまり3コマにつき1枚の動画を作成する事が多い。他にも同じ様なシーンでセル画を使い回すバンクシステムなどの工夫が知られる。特定のシーンの動画、あるいは背景を"バンク"(銀行)のように保存し、別の部分で流用するシステムである。必要に応じて預金を引き出せる銀行に例え、手塚氏が命名した。

まあ、テレビ・アニメに於いては今だにこの技法が使われて居るが、東映スタジオ出身でアニメーターから成り上がって来た、宮崎駿はこれに意を唱え、フル・アニメーションに戻す方向で考えて居たと思う。

 天野喜孝はタツノコプロの作画監督だった。押井守と組んだ「天使のたまご」は名作の誉れが高い。今は確かパリに居て画家としても活躍して居ると思う。

 

YDEと天野喜孝のコラボレーションが実現! 天野喜孝×HYDE展 天命と背徳~NIPPON EVOLUTIOHN~ 

FINAL FANTASY Ⅵ 天野喜孝ギャラリー

「天野喜孝展」開催記念!天野さんに生でいろいろ聞いてみよう〜!

 

 

【天野喜孝プロフィール】
1952年静岡市生まれ、15歳でアニメ制作会社タツノコプロに入社。
「タイムボカンシリーズ」や「科学忍者隊ガッチャマン」など数多くのキャラクターデザインに関わる。独立後の「ファイナル・ファンタジー」シリーズのイメージ・イラストは天野の名を世界的なものとして居る。その繊細で妖艶・幻想的な絵柄は日本に留まらず、世界中で熱狂的な人気を博し、また現在活躍する様々な 分野のクリエイターに多大な影響を与えて来た。90年代後半から徐々にファイン・アートの世界に活動の中心を移し、パリ、ニューヨーク、ドイツ等で個展を開催。数々の賞を受賞するなど、芸術家として高い評価を得て居る。 2014年には日本テレビの「24時間テレビ」のオリジナルTシャツのデザインを担当するなど活躍の場をますます広げ、2014年9月から2017年6月まで全国で開催された『天野喜孝展~想像を超えた世界~』で更に評価を高めて居る。
  

母は少し変わって居たと思う。それは幼少期に莫大な財産を持つ地主で医者の家に生まれ、お父さんが死ぬまで何不自由無い生活を送って居たからだ。母の父、つまり私の祖父は東大出の医者でドイツに留学した経歴を持って居た。戦前、家には往診用の自家用車があり。お抱え運転手が居て、政界の要人たちとも親交があった。母に言わせると小学校3年までお金を知らなかったと言う。なぜならデパートでも街の商店でも全ての人が母の家を知って降り、お金は後から請求されたらしい。町に水道を引いたのも祖父だった。知事選にも立候補した。それが戦後、祖父は直腸癌に掛かりあっけなく亡くなって仕舞った。さあ、それからが修羅場だった。祖父の財産を狙った親戚縁者が毎日のように自宅に押し掛けて、ついには祖母まで若くして白血病になり死んで仕舞った。後には3人の姉妹が残された。其の儘だったら莫大な財産と土地があった訳だが。なんと戦後GHQによる農地改革が始まった。

改革の目的は、農地を所有しながら自らは耕作をしない地主と、土地を借りる代わりに農作物の大半を地主に納める小作農との格差を縮める事だった。 農地改革に関する法律は、農地を耕作農民に解放する立場から、一世帯が所有できる農地を家族が自ら耕作できる面積に制限する事だ。特に所有地に住んで居ない不在地主からは国がその所有地全部を、北海道以外の地域に住む在村地主からは1ヘクタール(2.5エーカー)、北海道の在村地主からは4ヘクタール(10エーカー)を超える分を強制的に買収して、小作人に売り渡した。そして祖母が残して居た遺言状は全て親戚や養子にして居た兄貴に寄って奪われ、財産は全て奪われて仕舞った。慌てた母は役所に掛け合ったが、言われた事は「あんた、女の子だから誰か養子の婿でも貰えば財産は自分の分は国に召し上げられずに済むよ。結婚でもしたらどうだい?えっ?」と15歳の身の上で言われたそうだ。私が子供の頃に母は良く私を連れて茅ヶ崎の大学教授の家に遊びに連れて行ったが。度々、教授から「あれだけあった家の財産はどうなって仕舞ったのかね」と言われて居たのを思い出す。

母は幼い姉妹を遠縁の親戚に預けて一人でその大学教授を頼って上京した。そして ‎三省堂書店などやらデパートの店員を転々とし3畳半の部屋を間借りして暮らして居たそうだ。稼いだお金は、高校受験を控えた妹たちに送って居たと言う。預けられた姉妹たちは冷遇されて居たそうだ。でも、叔母たちは成人し。貧しいながらも娘を短大まで出して、もう一人の叔母はイギリス、アメリカに娘を留学させた。やはり血筋でしょう。母は姉を大学まで行かせた。弟は小学校から私立に行かせ大学は医大、その後、弟は二つの大学院を自力で医者として働きながら出た。私は一応は大学に行ったが。宗教哲学を専攻した姉と医者の弟に比べれば劣とる。一応、大学では商学部で第2外国語はインドネシア語を学んだが。まあ、殆ど忘れて居る。大学では成績は取って居たが。途中で病気になり。又、好きだった音楽活動も辞める羽目になった。父は根っからの商人で、会社を実の兄貴と起こし、私は病気だったが、会社に入れた。会社と言っても小さな会社だけども。ただ許せないと思ったのは、弟が医大の受験勉強をして居るのに。格下の大学に入って商売を継いでくれと、毎日のように説得した事だ。その為医大に入ってから弟は家出をした。

父は晩年に成ってテレビと競馬とパチンコが趣味で、私がビデオデッキを2台持って居て、そのうち1ヶ月前に購入した新品の方を父が良く見ている時代劇を録画して楽しむように渡したら、「お前、このビデオ・デッキは幾らに値切って買ったんだ!」と言うので「それは、ほぼ新品だよ」と言っても「新品なら箱を見せろ!!」と言うのです。私は父を蔑みながら、息子の親切心を仇で返す父が許せなかった。母が父と知り合ったのは、母が神保町の三省堂の書店員として働いて居た頃だと言う。父はまだ大学生だったそうだ。いつも本を買いに来るが。その本の下に「自分と付き合ってくれ」と書いた手紙を握って居たそうだ。初めは、そんな父を訝しがって居た母は、職場の主任に言って裏口から帰って居たそうだが。父は毎日来たそうだ、母はその熱意に負けたらしい。戦後間も無く結婚した両親はリアカーに母の部屋の荷物を乗せて、3畳半の下宿から父の実家へと移って住む様に成ったらしい、結婚式は兄弟と親戚だけで自宅で挙げたと言う。戦後、間も無くは結構そう言った結婚形態は至る所にあった。

 

母は、音楽には理解があって70歳を超えて居るのに、Led Zeppelinが演奏するBluesの「Since  I've been loving you 」が好きで、何時も聴かせてくれと部屋に入って来ては、ライブ映像を見ながら、「いい曲だわね〜」と聴いて居ました。ロバートプラントの歌声が好きだった見たいだ。ジミー・ペイジのギターのソロも素敵だと言って居た。

 

 

Since I've Been Loving You - Jimmy Page & Robert Plant

 

 

歌詞:日本語訳。

【Since I've been loving you】

Working from seven to eleven every night
毎日朝から晩まで働いて
It really makes life a drag
人生は退屈なものに変わった
I don't think that's right
こんなはずじゃなかったのに
I've really, really been the best of fools
おれはとんだ道化者になったもんだ。
I did what I could'
俺は俺の出来る事をして来たんだ。
Cause I love you, baby
何故ってお前を愛してるからだよ
How I love you, darling
How I love you, baby
How I love you, girl, little girl
俺がどんなにお前を愛して居るか
But baby, since I've been loving you
でもお前を愛し始めて
I'm about to lose my worried mind
Oh, yeah
不満も不安も麻痺しちまったよ

Everybody trying to tell me
皆しきりに俺を諭そうとするんだ。
That you didn't mean me no good
それはお前の為にならないってさ
I've been trying
俺だって分かってるさ
LORD,let me tell you
Let me tell you
なあ、聞いてくれよ
I really did the best I could
俺はすべき事は全部して来たんだ
I've been working from seven to eleven every night
毎日朝から晩まで働いて、
I said It kinda makes my life a drag
そのせいで俺は不幸になるのか
Lord, that ain't right
ああ、そんなのってないよ
Since I've been loving you
お前を愛し続けて
I'm about to lose my worried mind
俺の人生は変わっちまった


Said I've been crying, my tears they fell like rain
こぼれ落ちる涙が雨のように激しく地面を打つのに、
Don't you hear
聞こえないのか?
Don't you hear them falling
お前には聞こえないのか?
Don't you hear
Don't you hear them falling
この涙の音が聞こえないのか?

Do you remember mama,
なあ覚えてるだろう?
When I knocked upon your door?
俺がお前の家を訪ねた時のこと
I said you had the nerve to tell me
You didn't want me no more, yeah
もう俺を愛して居ないのか、俺はお前にそう聞いた
I open my front door
Hear my back door slam
でも勝手口の閉まる音を聞いて悟ったさ
You must have one of them
New fangled back door man
お前には誰か居るんだろう、裏口から情けなく逃げ出す新しい男がな

I've been working from seven, seven, seven
To eleven every night
毎日朝から晩まで働いて来た
It kinda makes my life a drag
それなのに幸せにはなれなかった
Baby, since I've been loving you
ベイビー、君を愛したせいで
I'm about to lose, I'm about lose to my worried mind
俺はこの泥沼でもがく事さえ辞めてしまったんだ
 

それから間も無くして父は亡くなり。母はアルツハイマー型の認知症に成って仕舞った。私は8年間認知症の母の面倒を見た。其の間。姉さんの子供。姪っ子が大学を卒業してからシンガーソング・ライターとしてCDを出し。その後、IT企業からヤフーに引き抜かれた東大を出た男性と結婚した。そして5年前に弟が48歳の若さで亡くなって仕舞った。

しかし母の思い出と言うと余り良い話ばかりでもなく。例えば私が二十歳に成った時にトレンチコートを買いに行くと言ったら、何故か猛烈に怒り。デパートに行って小田急で初めてダーバンのトレンチコートを買ったら、「お前は、あんなものを買ってどうするんだ。店員に騙されて居るんだ!!」と言うので、喧嘩に成り、デパートの下の道が見渡せる3階にある喫茶店に行き、私が「下見て見ろ!皆んな何着てるんだ!」と怒ったら「皆んなトレンチコートを着ている・・・」と要約、言わなく成った。結局、時代が1980年代に成り1960年代後半からの1970年代に掛けてのフーテン族。ヒッピー・ムーブメントの煽りを受けて、また当時流行っていたマキシ・コートに対する嫌悪感が根強くあったのだろう。私の家は親父の稼ぎだけでは苦しくて、母が自宅の部屋を3部屋、下宿にして大学生を食事付きで置いて居た。私は小学生の頃に大学生のお兄ちゃんたちのラジカセから流れてくるロックを聴いて育った。だから洋楽はすんなり聴けた。ビートルズ。ローリング・ストーンズを始め。ピンク・フロイド。レッド・ツェッペリン。ジミ・ヘンドリックス。ブラック・サバス。ジャニス・ジョプリン等、色々、ロックを聴かせて貰った。。

中学頃に成るとステレオを買って貰えないので、秋葉原まで行って1,600円のスピーカーを買って来て、ベニヤ板でスピーカーボックスを作り、スピーカをはめ込んで、自作でスピーカーボックスを作り。それにラジカセを繋げて聴いて居た。高校に成ると要約バイトで貯めた金でステレオを買ったが、残念ながら近所の同級生たちはロックを余り聴いてなくて話が合わなく、まあ、小学生の頃から話は合わなかったのだけども。。。そして今だ。色々あった。映画でも寺山修司のATG映画だとか見て居ると、同級生は「フーテンの寅」を見て居ると言った具合だった。今は母は施設に居る。姉さん達が会わせません。此処6年間連絡が取れません。まあ、良いのだ。母の面倒は私は見て上げた自負があるから。しかし寂しいですね。あれ程。仲の良かった姉との仲が親と弟が死んでからバラバラになって仕舞ったのだから。長々と此処まで読んでくれた方、有難う御座いました。この話は此処までにして置きます。

 

【かあさんへ】 島津亜矢/吉 幾三

 

 

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〜〜懐かし映画館〜〜

 「天使のたまご」1985年 徳間書店・鈴木敏夫プロデュース作品。押井守監督作品.....。

 

アート・アニメです。
旧約聖書をモチーフに天野喜孝のヴィジュアルで構築した、頽廃した幻想世界での映像作品。

ストーリーと呼べるストーリーは無く、禅問答に似たエッセンスが提示され、終わる。71分もの時間を使って。
禅問答のような側面があるので、観る人の感性によっては非常にフェイバリットな仮説に辿り着くのだろう。その解釈は人によって異なるし、主観的には正しい解釈でもある。本当の答えは当時の押井守の脳内にしかなく、主観的解釈も仮説に過ぎないと割り切って居るのであれば、本作を解釈する事は楽しい知的ゲームであるとさえ言える。

しかし実際の処、中身は無い。卵を抱える少女は舞台装置であり、登場する青年は押井守の自己投影に過ぎない。起承転結も無い。この作品を高く評価して居る人は、この作品自体がインテリジェンスに満ち溢れて居る訳である。

一方で映像的にはイマジネーション溢れる魅力が散見される。まぁ71分もあるのだから映像的な魅力も皆無では話に成らないが、例えばBGVにするには丁度良い様な感じの映像がちらほらと見受けられる。
参加した作画スタッフは実力派ベテラン・アニメーターの名前ばかりで、天野喜孝のイラストタッチの絵を雰囲気を崩さず上手く動かして居る。

しかし総じて…よく言えば「人を選ぶ作品」、悪く言えば「監督の自己満足を71分見せ付けられる苦行」と言ったアニメだ。アート作品と割り切っても71分は長すぎる。比類ない長さだ。
アートっぽいアニメ作品は「ロボット・カーニバル」「迷宮物語」と言ったものや、海外のアニメーターによる短編作品があるし、主だったストーリーの無い長編映画はリュック・ベッソンの「アトランティス」などがある。しかし本作には短編アニメだという最低限の救済措置も無いし、「アトランティス」のような構成の起伏も無い。本当にただ1時間以上も殆ど起伏の無い架空世界を見せ続けられるだけの作品なのだ。

せめて25分の作品なら魅力も凝縮され観れたものに仕上がって居ただろう。45分の作品でも長すぎると感じただろう。しかしそれ以上の71分もあるのだ。もし視聴途中で寝て仕舞っても、ラストでの少女の絶叫の声で目覚める親切設計だ(笑)。眠っている間に何かストーリーがあったか心配する必要は無い。物語は無いし、時間分の景色を見逃しただけに過ぎない。

しかし「悪い部分」と言うのは少ない。作画は綺麗だし、映像は時々イマジネーションに溢れた魅力的なものがあるし、例えるなら、浜辺など自然豊かな場所で風景をのんびり眺める感覚に似ている。自然豊かな風景の代わりに、ジョルジョ・デ・キリコの絵画をダークファンタジーにしたかの様な映像が流れ続ける。相変わらずの押井節でキリコというよりダリの世界だが。

しかし「寓話の世界の景色を眺めながら無為に時間を過ごしたい」のであれば本作は丁度良いのかも知れないし、時間に余裕があるのならば抽象的な禅問答に思考を集中させるのも悪くないだろう。

 

【鬱くしい】アニメ界の闇に葬られた超難解カルト映画!押井守『天使のたまご』【異端の創世記】

 

まあ、押井守の完全な趣味企画だった訳だけど、正直早すぎる。この発想は…。ましてこれが出た当時日本のアニメはキャラ萌えやロボアニメで賑わって居た訳で、そんな中でこんなアート・アニメ見せられても失敗するだけだった。実際これ以降パトレイバーの仕事来るまで干される訳だけど、ただじゃあ無意味なアニメだったかと言うとそう言う訳では無い。

少なくとも「キャラとストーリーに依存せずどこまで魅せることが出来るか?」という点においては成功して居る。天野さんの作画や絵は最高レベルだし、全体として退廃的な雰囲気も上手に表現してる。何よりも照明の明暗がこれまでになく明瞭に出て居て、凄く印象に残る映像になって居る。何だろう、原作物じゃないからこそ普段は気づかない様な処に気づけると言うか純粋に映像に集中出来るし良い感じに酔える....。

 

「テーマは無いアニメーションで、ストーリーやキャラクターに依存せずにどこまで世界観を表現出来るのか。それをやって見たかった。

良く考えると筋は通って居ないけど、妙な説得力と言うか圧倒されると言うか。そう言うものを形にしたかった。たった一人の妄想だけなんですよ。主題やテーマから離れても映画は成立するのではないか、アニメにはその力があるのではないか、と。」

by押井守

 

この言葉の通り。

しかし私は圧倒された。身体が震えた。それはどこかのおとぎ話のような幻想的な世界で、ありえない、妙な納得感がある。そう言うものなのだと納得して仕舞う。その意味では彼の表したかった映画は100%映像化されたと言っていい。

しかし、それはあまりにも個人的で、幻惑的で暴力的な作品であった。

 

ノアの箱舟や生命の樹等が出て来た為に、何かしらの宗教的もしくは、生命、進化に関するメタファーを訴え掛けて居る様にも思いましたが、明確なテーマの不在な事で哲学的に分析または解釈学的に分析されうる物であろうと思います。

それゆえに、ふに落ちない、難解、理解不能な作品になって仕舞ったのでしょう。

やはり人間はその映像化されたものに何かしらの目的や意図を見出し、探って仕舞うものです。しかし、それらが存在しないこのアニメーションは、アニメーションや美術を堪能するための作品でもあるのです、そしてだからこそ哲学的な問いを投げかけて来ます。テクストの読みでいいのです。心が荒れた時などに見るのが良いでしょう。

 

本人、著名アニメクリエイターの評価

一方で押井はこの作品を作った事により、「訳の解らない物を作る監督」と言うレッテルを貼られ、『機動警察パトレイバー』の企画が来るまでその後の仕事の依頼がさっぱり無くなって仕舞ったと言う。

ちなみに監督本人も通して見ると疲れるらしく、TVプロデューサーの堀越徹は一回目に寝て仕舞い、読売テレビも訳の解らない侭、テレビで放送したと言う。

宮崎駿は本作に対し「努力は評価するが、他人には通じない」と述べており、さらに押井によると、直接自分に対して「帰りの事なんて何も考えてない」「あんなものよく作れた」「頭がおかしい」と言ったと言う。

本作を観た押井の母親からも、「もう観客が来なくなるのではないか」と、今後を心配されて居る。

この作品自身もビデオソフトが後に廃盤になり、DVDなどで再発されるまでの間、作品の入手手段が完全になくなる不遇の時代を経験して居る。製作中、監督料は要らないから印税が欲しいと頼んだが、印税は殆んど入らなかったので貧乏生活を送った。

 

クオリティーと言う点に関して言えばもの凄いアニメだと言う事は間違いありません。

確かこの頃。私はカント辺りを良く読んで居たのだが、全体的にはキルケゴールとかセールとかショーペン・ハウエルとかと言った系統の哲学に心酔して居る時期だった。この事から『天使のたまご』は非常に座り心地の良い作品だった。また一方、時代は「ニュー・アカデミズム」全盛の頃で、右も左も「記号論」とか「ポスト構造主義」ばかりであった。私はそんな時にこの作品を見た。そしてこれはM・フーコーだなと思った。『言葉と物』などを読んで居た目には、この『天使のたまご』の中にフーコーの「考古学」の雰囲気が非常に強く感じられたのだ。方舟の回廊は知の考古学に説かれるエピステーメーの移りゆきを思わせ、ラストシーンは砂浜の相貌のごとく消え去る「人間」というフーコーの不気味な予言を感じさせた。

『天使のたまご』を、フーコーの言う処の16世紀的エピステーメーである「類似」の作品ではないかと考えた。いま観て見てもそう言った印象を持つ。フーコーの言うエピステーメーの変転を見出せるのだ。この作品は当時そう言う風に思って見て居たのです....。

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