今回は最近の音楽の皆さんの見方とモノについてとファッションの考察です。
コメント下さいね。どんな事でもいいですよ。よろしく。。。。
処で、こんな話があるのですが、、
私が尊敬して居る BBkingと言う、
ギタリストが居たのですが。
彼は自分の愛器のエレキギターに女性名の、
「ルシール」と言う名前を付けて、肌身から
離しませんでした。飛行機に乗る時には、
隣の席を彼女名義で予約して、隣に乗せて
居ました。
バスでも隣の席。そして特急列車でも隣の席に
置いて居ました。ある日コンサートに出るので
宿泊して居たホテルが寝て居る間に火事に
なって仕舞いました。彼は着る物も着ずに
パジャマの侭で、逃げました・・・・。
処が彼は自分の愛器の「ルシール」が、
ベットの隣に置いてあった事を思い出し、
消防隊員が止めるのも聞かずに頭から、
大量の水を被り、猛火の中に・・・・。
暫くして、彼は軽い火傷を負いながらも「ルシール」を救出して来ました。
そしてルシールにキスをしました。
翌日はコンサートでした。その日のルシールは
絶好調で、泣きのブルースギターを嬉しそうに
奏でました。この話は、伝説になって居る話です。
それから数年経って、BBkingは病のベットに
居ました。医者からあと1ヶ月の命だと言われて居ました。
BBkingはその時もベットの傍に「ルシール」を
置いて居ました。もう力が出なくて弾けないけど。
何時も一緒に居たのです。
彼はベットの隣に置いてある「ルシール」に呟きました。
「長い事、有難うな、ルシール....。」
すると「ルシール」のギターの弦が一つ、切れました。
彼は間も無く亡くなりました。
「ルシール」は一人ぼっちになりました。
そして誰がこのギターを弾いても、、
音はもう鳴りませんでした。
彼女もBBkingの後を追ったかの様でした。
「ルシール」を弾くBBkingです、聞いて見て下さい。
The Thrill Is Gone
1970年に手塚治虫氏が監督をして作った、
大人向けのアニメラマと言う、アニメ映画が
有ります。公開当時はエジプトでも公開されて、
世界的にアニメは子供向けだと言う、観念を
取り去った映画です。
アメリカやフランスなどでも公開されました、でも知らない方の方が殆んどだと思います。
今回、此処にそのアニメに、その映画の挿入歌を
被せた映像があったので紹介致します。
「クレオパトラの涙」と言う曲です。
作詞が中山千夏。作曲が冨田勲です。
歌って居るのは、由紀さおりですよ。
まあ、是非、この短い動画を見て下さい。
6分程ですから。宜しく・・・・。
最近はまた、ナショナリズムが出て来て居るのか?21世紀も進み出したら、全世紀的な思想。封建主義的な考え方が蔓延り始めて居る。それは、物を所有すると言う概念を危険思想と見なす事だ。私は確かに前世紀的な物を所有し、そしてそれらに囲まれて、暮らして居る。それが、無駄な事で、時代にあって居ない、ダメな考え方に寄って成り立って居る無駄な事だと思う人が大半なのです。例えば、ラジカセだ。私は今に相応しく。「BoomBox」と呼んで居ますが。カセットテープで音楽を聴く事を、もう終わった無駄な事をして居るバカと見て居る人が殆んどだ。何故なら今はスマホで例えばiPhoneなら、アップル・ミュージックに加入すれば、音楽はストリーミングで聴き放題で聴ける。音楽をデーターとして聴いて居て。物の概念が全く無いのだ。レコードやら、カセットテープ、そしてCDには、モノとしての音楽の概念が詰まって居た。人はレコード屋に行き。レコードのジャケットを見て、ジャケットに描いてあるイラストを見て、芸術的なフォトを見て。また、レコードに掛けてある帯を見て、または中に入って居るライナーノーツを読んで、その行為その物も、音楽と言う媒体の一部だった。カセットテープに音楽を自分で録音する事自体が音楽の共有部分だったし、カセットテープの表紙を自分でコラージュしたミュージシャンの写真やらイラストを貼り、文字に対するレタリングを楽しんで居る事そのモノも含めて音楽だった。CDもそうだった。同じだった。
それが丸で無くなって仕舞ったのです。今の若者なら仕方が無いだろう。生まれた時から、音楽はスマホでストリーミングを聴き、音楽に形があったと言う事を知らないのだから。しかし、それ以外の人たちまで右へ倣えをして居る。何故なら、ラジカセなどは買って持っては居たが、今は押し入れで壊れて聴け無く成って置いてあるし、ステレオは元からいいものは持っては居ない。レコードなども買って、持って居たけど、今は、処分したし、残りの処分しきれなかったレコードはやはり押し入れに入って居る。大体がレコード・プレーヤーが無いと大抵の人は言うのだ。そんな時に私は「レコード・プレーヤーなら昔と違って今は7千円ぐらいから小型のアンプを搭載してスピーカ付きのものがありますよ」と言うのだが、今更買う気にはなれないと言うのだ。音楽はスマホで聴けるからそれでいいと言うのですよ。ミュージシャンは今は食えない職業に成り下がって仕舞った。苦労してギターなどを弾く技術を身に付け、その技術を駆使して、自分のフィーリングで考えた音楽を演奏してそれをレコードなりCDにして売って、評価を得て、ライブで自分たちバンドの音楽を発表して評価を得ながら活動をする。それが今や崩れて仕舞って居る。最近はDJがクラブやらコンサートと銘打った。DJ主催の音楽会で、レコードを何枚も同時に変則レコード・プレーヤーで再生して音をサンプリングして、変則的にエフェクトを掛けて再生して、それでクラブ・ミュージックだと言って、自分はミュージシャンだと言って憚らない。楽器は何も弾けないのですよ。感覚刺激だけだ。最近のロックバンドを聞いても。ハッキリ言って、ブルースの影響が丸で無い。非常にお粗末な発想の音作りをして、ギターソロなどはまるでど素人か?と見舞い違いする程度のアドリブしか弾いて居なくて、そんな程度で実力があるなどと言われて居る。
以前、今からもう10年ほど前になるがテレビで深夜音楽番組を見て居たら、実力派・プログレッシブ・ロック・バンドと言う触れ込みである若者たちが結成して居るバンドの音楽を流したが、私は唖然とした。単に音は幼稚な羅列にすぎなかった。確かに。前衛的な音作りをするジャーマン・プログレと言うジャンルも昔あった。「カン」やら「クラフト・ワーク」または「タンジュリン・ドリーム」などと言うバンドたちが居た。どのバンドも1970年代から1990年代まで演奏は続けて居た。しかし彼らは音こそは前衛的だけども、例えばイギリスの「イエス」「ピンク・フロイド」「EL&P」またイタリアの「イ・プー」「ニュートロレス」「ムゼロ・ローゼンバッハ」フランスの「オルメ」などを聴けば解るが彼らはクラシックとブルース。そしてジャズをちゃんと学んで居て、それらの音楽を演奏が出来る実力を持った上で、あえて前衛に走って居るのですよ。今の若者は上部だけ真似て、基本の部分のそれらの音楽を丸で解って居ないし学んで居ないのです。私は最近、応援して居る若手のバンドが居ます。それはブルース・ハーピストである千賀太郎くんが作ったブルースを軌軸に全く新しい音楽の創造を目出す、ロックバンド「Monster大陸」とロックとブルースを基調にしながらも、新しさを感じさせるサウンドを鳴らす、男女2人組。 ハスキーで圧倒的存在感のヴォーカルと、 ブルージーで感情豊かなギターが特徴の松尾レミと亀本寛貴の男女2人による日本の音楽ユニットグループ「グリム・スパンキー」の2バンドです。彼らの実力は折り紙付きです。こう言った若手のバンドが居る限り私は日本のロック業界も安泰だなと思えるのです。話は音楽に付いてに成りましたが......。
Concerto Grosso n. 1, I Tempo: Adagio (Shadows)
Pink Floyd -"Echoes" Pompeii
YesSongs #7: YES - Roundabout
Sorona
M1 The Call Performed by MONSTER大陸
問題ない(NOT a PROBLEM) / Song by MONSTER大陸
めぐりあい (feat. GLIM SPANKY)
GLIM SPANKY「ダミーロックとブルース」
最近は断捨離が大いに称賛されて居る。テレビ番組では特番の番組があって、モノが捨てられない、お年寄りや老年・中年の人が番組に登場して如何に断捨離をしてモノを捨ててスッキリしたかと言う事を放映して居るのですよ。まるでモノを所有して居ることが贅沢で行けない危険思想な様な考え方です。私の処に通って来て居る。60歳を超えたヘルパーのおばさんは言います。「服なんか、身体が隠れるTシャツにズボンがあればいい。あんたの様な格好は暑く無いのか?着込んで居て。」「私は別段、大そうな偉い場所に行くのでも無ければ、近所を彷徨くだけだ。この格好で十分だ、シャツは四百円で充分。ズボンだって八百円で買える。」そして言う。「あんた、そのロング・ベスト幾らしたの?」「これ?、嗚呼、安いですよ3千幾らだから・・・。」「そのジャケットは?」「嗚呼、コレは、Yohji・Yamamotoの物に似て居るものをたった7千円で手に入れたんですよ。あのブランドの服は8万幾らかするので、コレは安いでしょ?」「何て高いの?高いわよ。服にそんなお金掛けてどうするの?」「あんた、家にいる時から洒落た格好して居るけど、意味あるの?自己満足かい....。」と今の時代に洗脳されて居る....。60歳超えて居るのに・・・・。今は、ファスト・ファッションが主流の時代です。UNIQLOが全盛だ。あとGUに無印良品などで皆んな服を購入して居る。UNIQLOは革新的だ。「UNIQLOーU・」と言うブランドがユニクロにはある。デザイナーが違う そもそもUNIQLOーU.のデザイナーさんはUNIQLOパリR&Dセンターのアーティスティックディレクター、クリストフ・ルメール氏が率いるパリのデザイナーチームによって作られて居ます... ... 。彼は、2011年にエルメスのウィメンズアーティスティックディレクターに就任して2015年SSコレクションで退社。何故、高名で知られる。高額な高級ブランドを作って居たクリストフ・ルメール氏がユニクロとタイアップしたのかは謎だが、これで、パリ発の最新のモダンなファッションがUNIQLOーUブランドとして、低価格の数千円で買える様に成ったのです。この事は凄い事なんですよね。そして無印良品は今から10年ほど前には、あの山本耀司氏が無印良品のデレクションをした服を売って居ました。名前は表に出なかったけど。「ヨウジ・ヤマモト」の服が低価格で買えると評判でしたよ。そして古着屋にはルイ・ヴィトン、エルメス、クリスチャン・ディオール(ディオール・オム)、アルマーニ、ランバン、プラダ、グッチ、トム・フォード、トム・ブラウン、キートン、ジル・サンダー、イヴ・サンローラン、キャサリン・ハムネット、ジョン・ガリアーノ、マーク・ジェイコブス、ラルフ・ローレン、コム・デ・ギャルソン、ツモリ・チサト……。などの高級ブランドの服やらアクセサリー。時計や靴。メガネなどが豊富にしかも安く売って居ます。私は最近になって古着を購入して居ますが、大体は、高級ブランドのデザインに為せて作ってある、ブランドの服を購入して居ますよ。同じ様なデザインで安いので。先程も言いましたが、例えば、「youji・Yamamoto」の服は山本耀司さんは幾つもの自分のブランドを作って展開させて居て、若者向けのシャツ、ブレザー、コート、パンツなどは低価格のモノもあります。ほぼ1万から2万で手に入ります。私もたまにそこで購入しますが、サイズが今の若者のサイズなので小さい事がありますので、此間購入したスプリング・コートは2万円のモノを購入しましたが、サイズがキツキツでした。まあ着られなくは無いのでいいのですが・・・・。それから「ALLEGLO」と言う、モード系の服を結構安く売って居る店からも購入します。まあ、若者向けなのですが、カッコイイ服が多く売って居るのですよ。例えば山本耀司さんの服は80歳を超えた老人にさえ着られる程のカッコイイ・デザイン性を持って居るのですよ。私は観ましたが、テレビで80歳になる女性が、「ヨウジ・ヤマモト」のロング・コートを颯爽と羽織り、「山本耀司さんの黒いコートだとかブレザーは、こうやって私なんかの80歳廻った老人でも格好良く切れるんですよ💕」と言って憚らない。今は何でも在りの時代ですよ。まあ、長く書いて来ましたが。今は過去のモノから最新のモノまで何でも或る時代なのですよ。昔のモノをリぺアして改造して、今の時代に合わせて今風に使うと言う事は良い事なのです。最先端の事がモノだけが必ずしも良いと言う訳では在りません。だから私はブルースをこよなく愛すし、演奏します。そしてロックもジャズも聴きます。今の時代を表面だけで捉えて、皆んながこうするから正しいとマスコミに踊らされて、一部の修正主義者の言う事をSNSなどで、読んで、本気にして、過去のものを断捨離し。思い出も古いものは悪だと切り捨てて楽しいのでしょうか?今こそよく考える時では無いでしょうか。私はそう思いますよ。此処まで読んでくれて有難う御座いました。
Akira Sakata 坂田明 - Summertime
Stan Getz and Chet Baker 1983.flv
Stan Getz - Valérie (extrait de la musique du film "Mort d'un Pourri")
Stan Getz - Mort d'un pourri (extrait de la musique du film "Mort d'un Pourri")
フランスの作曲家「フィリップ・サルド」の曲を挙げて置きます。私が好きな作曲家です。
映画『帰らざる夜明け(La Veuve Couderc)』 original sound track 1971年
暗黒街のふたり Deux Hommes Dana la Ville Original Sound Track
そしてもう一人。作曲家を紹介します。「エンニオ・モリコーネ」です。
Ennio Morricone - Trilogia del Dollaro (Dollars Trilogy) Soundtracks
Il Grande Silenzio (The Great Silence) - Ennio Morricone
Le Clan des Siciliens シシリアン (フランス映画)
眠たくてたまらないkiyasume.......
ウトウトとして居ます〜〜!!
- マカロニウエスタンの影のヒーロー「サルタナ」
数えきれないほどの荒くれ者たちが、アメリカの大西部ならぬスペインはアルメリア地方の荒野を駆け抜けて行ったイタリア産西部劇=マカロニ・ウエスタン。クリント・イーストウッドが演じた「Man with No Name」(名無しの男)を筆頭に、数多くのマカロニ・ヒーローも誕生したが、その中でもジャンゴやリンゴと並んで高い人気を誇る名物キャラクターが、本作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』の主人公サルタナである。
まずは基本的な情報から整理しておこう。ジャンゴ・シリーズやリンゴ・シリーズと同様、数多の映画を生んだサルタナ・シリーズだが、正式なシリーズ作品は下記の5本とされて居る。
・1作目 Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死に祈れ)
・2作目 Sono Sartana, il vostro becchino(俺はサルタナ、お前の死の天使)
・3作目 C'è Sartana... vendi la pistola e comprati la bara(サルタナが来た…お前の拳銃を棺桶と交換しろ)
・4作目 Buon funerale amigos!... paga Sartana(良い葬儀を、友よ…サルタナが支払う)
・5作目 Una nuvola di polvere... un grido di morte... arriva Sartana(埃の雲…死の叫び…サルタナが来る)
サルタナ・シリーズの特徴を一言で表すならば、ずばり「西部劇版ジェームズ・ボンド」であろう。お洒落でエレガント、荒唐無稽にして軽妙洒脱。全身黒づくめのギャンブラー風に決めたニヒルな謎のガンマン、サルタナが、愛用の小型リボルバーと数々の秘密兵器を駆使して悪党たちを一網打尽にする。レオーネやコルブッチなどのシリアス路線や、リアリズム志向のガンプレイを愛するマカロニ・ファンには賛否あろうと思うが、しかし猫も杓子もレオーネのエピゴーネンを競って居た当時のマカロニ業界にあって、あえて差別化を図ると言う意味で正解だったと言えよう。しかも文句なしに面白い。 そもそもの始まりは’67年に公開されたマカロニ・ウエスタン『砂塵に血を吐け』。この作品でアンソニー・ステファン演じる主人公ジョニーよりも目立って仕舞ったのが、強烈な存在感を放つサイコパスな弟サルタナ(ジャンニ・ガルコ)だった。そう、もともとサルタナは悪人キャラだったのである。しかし、この映画が当時の西ドイツを中心に大受けし、ことにガルコ演じるサルタナの評判が高かった事から、「ならばこいつをメインに映画を作れば当たるに違いない!」と言う事で誕生したのがサルタナ・シリーズだった訳だ。
ただし、今回はれっきとした主人公なので、流石にサルタナが悪党の侭では困る。ゆえにキャラ設定は初めから仕切り直し。ジャンゴみたいな悲壮感漂う復讐ドラマは御免こうむりたい、もっとシニカルでユーモラスなヒーローがいい、衣装も小汚いカウボーイじゃなくて粋でお洒落なイメージで!と言うジャンニ・ガルコ自身の意向を汲みながら、新たなサルタナ像が形作られて行ったと言う。各作品の劇中で使用される秘密兵器なども、主に彼がアイディアを出して居たらしい。会計帳簿にピストルを隠した帳簿GUN(4作目)、車輪の穴にダイナマイトを仕込んだ車輪BOMB(2作目)、時にはトランプカードやダーツの矢、懐中時計まで起用に武器として使うサルタナの華麗なアクションは、ジャンニ・ガルコが演じてこその賜物だったのである。
シリーズ全体のトーンを設定したのは1作目のパロリーニ監督。マカロニにありがちな情念やペシミズムは一切なし。毒を持って毒を制するかの如く、狡猾で抜け目のないサルタナは常に敵の一歩先を行き、腹黒い悪党どもをてんてこ舞いにして、最後はまんまと金塊の山をかすめ取って行く。ストーリー展開は極めてアップテンポ。アクションも一切出し惜しみせず。続く2作目でバトンタッチした、アンソニー・アスコットことジュリア―ノ・カルニメオ監督は、基本的にパロリーニ監督のライトな路線を継承しつつ、よりコミカルでナンセンスなユーモアを盛り込んだ。’70年代初頭に流行するコメディ・ウェスタンの先駆けである。ただ、E・B・クラッチャーことエンツォ・バルボーニ監督の『風来坊』シリーズなどと違って、粋で洗練されたユーモアセンスこそがカルニメオ監督の醍醐味。ベタな大衆喜劇的コメディに走らないサジ加減が絶妙だ。そう言う意味で、このシリーズ最終作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』などは真骨頂と言えるだろう。
消えた大金を巡って、三つ巴・四つ巴・五つ巴の裏切りと騙し合いが繰り広げられるストーリーも悪くない。まあ、厳密に言うと1作目の焼き直し的な印象は否めないのだけれど、恐らく視聴者の皆さんの多くが未見だと思うので問題ないでしょう(笑)。悪党どもをお互いに対立させて、漁夫の利を得ようとするサルタナのずる賢さ(?)も相変わらず。ある種のピカレスクロマン的な魅力すら感じられる。脚本はティト・カルピとエルネスト・ガスタルディ。どちらもイタリア産B級娯楽映画の黄金時代を代表する名脚本家だ。
12/28リリース『俺はサルタナ/銃と棺桶の交換』予告
Uniqlo U
Uniqlo Uとは、アーティスティックディレクターのクリストフ・ルメールが、上質なワードローブを追求するコレクション。シーズンを追うごとに、究極のデイリーウエアは進化し続けます。
ー1970年代のレナウン・ファションブランド「ダーバン」のアランドロン主演のミニ・ストーリーCM。この当時、このCMは一切を風靡しました。
ALAIN DELON in D'URBAN/Part3
ALAIN DELON in D'URBAN/Part4
ALAIN DELON in D'URBAN/Final
アランドロン1983年来日(当時48歳)インタヴュー
ALAIN DELON MIMI LEÇON DE VIE (LIBERTE - JAIRO)
【ヨウジヤマモト特集を大公開!】
Piggy 6 Oh! Oh! / 500 MILES
Yohji Yamamoto Pour Homme 20AW
デザイナー山本耀司 / Photo by Masashi Akiba (C) FASHION HEADLIN
デザイナー山本耀司 / Photo by Masashi Akiba (C) FAS
レジェンド、山本耀司の服作りが意味すること。
誰でも分かるヨウジヤマモト1分解説【ブランド紹介】Yohji Yamamoto
Yohji Yamamotoが黒にこだわり、COMME des GARCONSが黒にこだわらない理由
6.1 The Men | Yohji Yamamoto & Comme des Garçons Fall / Winter 1991 Joint Presentation in Tokyo
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 1/3
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 2/3
ファッション通信/山本耀司特集 3/3
レジェンド、 山本耀司の服作りが意味すること。
1981年以来パリでコレクションを発表し続け、第一線で活躍するレジェンド、山本耀司。そして今、若い世代を中心に新たな「ヨウジヤマモト」ブームが巻き起こって居る。日本のファッションを牽引し人々を惹きつけ続けるその魅力を探る。
社会の流れに対する疑問や反対意見を叫び、吐き出すことが僕の服作り。
──東コレから始まり40年以上、毎シーズン服をデザインし、コレクションを発表し続けて来たその原動力はどこから来るのでしょうか。
山本耀司(以下 YY) 生まれ付いての怠け者なので期限が決まって居ないと作れないんです。アートの世界は自分の納得の行く作品が出来てから発表しますが、ファッションの世界には期限がある。僕の場合、何時まででもいいと言われると、永遠に発表しないと思いますよ。ただ、こうして続けられて居るのは、毎回言いたい事をすべて伝えきれて居ない事があるからなんです。
──続けていく中でデザインに対する変化はありましたか?
── デザインの根底にあるのは反骨精神言う訳ですね。
YY 表現活動をして居る人は、もともと社会から外れて居る半端者なんですよ。カッコ良く言えばアウトロー。そうした表現者たちは、きれいな言葉や表現だけでは絶対に届かない何か、一般の意味で言うと悪性のものを持って居る。それを僕は服で叫ぶ訳です。それが誤解も含めて社会の中でさまざまな形で発信されて行く。そうした意味では、服を着る受け取り手は社会に反抗する僕との共犯関係にあるんです。
──共犯とは面白い発想ですね。
YY 僕が責任を取れるのはコレクションの本番まで。でもコレクションが終わっても服はそこでは完結しない。服は見て終わるモノでは無く、身に纏うものだから。服と着る人が出会って何らかの化学反応が起こる事で、初めてクリエイションは成立する。つまり着る人が共犯者となって僕の仕事は完結するんです。その中間にある雑誌などの媒体も共犯者だと思って居ますよ。コレクションの後、写真やムービーに切り取られ、そこからさまざまな解釈で伝わって行きますから。でも、それはもう別物です。だから俺のせいじゃない(笑)。
──受け取る側がいて初めて「ヨウジヤマモト」のクリエイションは完結するのですね。
YY そこには色々な完結の仕方がある。服は着る人によって一つ一つ違って来るモノだから。そこが服の一番楽しい処ですよね。僕は街で自分のデザインした服を着た人に出会って驚きたいんです。へぇーそんな着かたもあるんだって。インスピレーションを貰うのはそんな驚きに出会った時ですね。最近は、そう言う意味で分かり易い服を作りました。
──わかりやすい服ですか?
YY これまでは服装史に無かったモノを探しながら服作りを続けて来たのですが、今回その役割は止めようと思って。いやらしくも、経験を積むとそうした先進的な服だけじゃなく、分かり易い服も両方出来るんですよね。だから今回はあえて着やすさも含めて着て貰う為の「変化をつくる」服を作りました。たとえばボタンを多用していますが、そのボタンの留め方によって同じ服がいか様にも変わる。つまり服は着かた次第で変わると言う事を、あえて分かり易く表現してみたんです。
ぶつかり合う衝撃こそコラボレーションの意味。
──メンズの春夏でアーティストのサイトウユウスケさんや内田すずめさんとコラボレートして居ましたが、コラボレーションとはどう言う意味を持つのでしょう?
YY ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、20世紀の終わりに感じなかった世紀末を今凄く自分の中で感じて居るんです。19世紀の作家たちが夜な夜なカフェに集まり、絵画や音楽は20世紀に成り立つのかと相談し悩み合って居た終末観の様なモノを。彼らは一人の仕事では次の世紀は持たないと言う結果にたどり着いてコラボレーションを盛んにやった訳ですが、それと似た気分を感じて居るんです。服だけでは何も変えられない。でも人格も作風も違う人がぶつかり合って生まれるバイブレーションで何かが起こせるかも知れない。その興奮やハプニングの危険性を求めて居るのかも知れません。なので、慣れ合いになるコラボレーションはしません。
──メンズとウィメンズの両方を手がけていますが、アイデアの原点に違いはあるのでしょうか?
YY 僕は男として生まれ、一生女性が好きなんです。同性としての男性を尊敬して居ますが、一度も恋情の気持ちで愛した事はない。これ、ファッション界では珍しいんです。化石って言われて居るくらい(笑)。女性を尊敬し愛する男が、女性の為の服を作る。これは大変な事なんです。気持ちが解らないどころか、まず着心地から全く解らない。だからウィメンズは、女性にこの服は如何でしょうかと言うスタンスなんです。これは僕のテーマなんですが、女性には永遠に女で居て欲しい。妻や母親と肩書が付いたとしても、それをとっぱらってずっと女で居て欲しいと言う儚い願いがあるんです。それに対してメンズの服は、「これ着ようぜ、なっ」見たいな感じです。
──コレクションと音楽についてお伺いしたいのですが。この数年オリジナル曲の弾き語りを使われていますが、コレクションにおける音楽のこだわりとは?
YY 以前はBGMとして専門家に選曲をお願いして居たんですが、名曲が持つ強さとか興奮が今回の服には邪魔だと思う事がどんどん増えて来て。モデルにも「ただ歩いて帰って来てくれ」と伝えて居ます。何もしないで欲しいと。だから本当は音楽も要らないんです。ただ、カメラのシャッター音や話し声は別の意味でコレクションの気分を削ぐので、まわりの騒音を消すぐらいの音は鳴らしておこうかと言う意味で作って居ます。見る人が服に集中してくれるといいなと思って。
今、山本耀司がパリデビューを果たした80年代以降に生まれた若い世代たちを中心に、熱狂的なファンが生まれている。彼らは新旧の「ヨウジヤマモト」をファッションに取り入れ楽しんで居ると言う。自身をアウトローと呼び、社会への反抗として服作りを続ける変わらない姿勢。心に訴え掛ける服だからこそ、その支持を得て居るのだろう。
此処まで読んでくれて有難う御座いました。今回は此処までです。コメント気軽に宜しくお願い致しますね。。。