「エッセイ・其のI」
今日は朝6時に目が覚めてトイレに行って、また寝込んで7時半まで寝て居た。久々に睡眠が取れた。私は乾燥肌をして居る。だから起きて顔を洗ってから直ぐに化粧水と乳液を浸けるのですよ。敏感肌用の無印良品の化粧水だ。私には是等の化粧水が肌に合って居る様だ。値段も安いしね。しかし生活保護費の14万は如何にも少なすぎる。自由に毎月使えるお金は6千円です。本やら雑貨を購入したら毎月お金は残らない。此話は以前聞いた話だけども保護費を20万位にしようと言う案が30年前ぐらいに出たそうだ。しかし。非正規雇用の人たちが、「それじゃあ、働く俺たちと同額か、もしくは多いいじゃ無いか不公平だ!!」と言って、立ち消えになったと言う。生活保護になると死ぬ確率が高くなる。何故なら食べ物が満足に食べられずに栄養失調になるからだそうです。最近は食料品が値上げで高いし、私は料理はお米は炊きますが。そんなに料理はしないのですよ。コンビニで餃子(260円)焼き鮭(340円)お新香(160円)を2つぐらいずつ買って、あとは野菜サラダ(レタスのもの、これはスーパーよりコンビニの方が安い(136円))それに食パン。最近は牛乳。そしてレトルトカレーを買ってそれらを夕食にして居ます。たまにサンドイッチとコーヒー牛乳。朝食は、野菜サラダに、食パン、アイスカフェオレを作って食べた所です。そして今日は昼に唐揚げてりタル丼をデリバリーでガストから取った。
今日の昼です・・・・・・。
しかし何故生活保護費が14万4千円なのかと言うと、ワーキングプアの人と同じにして居るからです。詳しくは次回の記事にて書きますが。ワーキングプアの人たちよりも保護費は高くは出来ない見たいですね。ただね確かにそのぐらいの金額でも自分一人だけならどうにかなるのですよね。私は彼女に毎月数枚のBlu-rayにケーブルテレビとか持って居て録画出来る物を焼いて上げて居ます。彼女は映画とか好きなんですよ。この間は原田芳雄さんの歌を歌って居る貴重な映像と「シンガポールスリング」と言うもう発売も放映もされないであろう貴重な若松孝二監督で原田芳雄主演の映画を上げましたが。喜んで見てくれた様です。彼女は若松監督も原田芳雄さんも好きなんですよ。それにちゃんと毎回Blu-rayの映画だとかドキュメンタリーだとかを挙げるとちゃんと見て感想を述べてくれますが。彼女以外の人に上げても、ろくに観ようともしない。前にヘルパーのおばさんが言って居たけど「あたしはさぁ、よく此の本貸すから読んで見なよとか。此間なんかアランドロンの「太陽がいっぱい」のDVD観ろと渡されたけど、なんだかさ、見てもさ、ちっとも良くないし解らないし、本だなんて、そんな他人がいいと言って居る本渡されたって。全然面白くもなんとも無いわよ」と言って居ましたよね。人ってそうだと思う。私はケア・マネージャーに「約束」と言う岸恵子と萩原健一の名作映画と「続・夕陽のガンマン」を上げたけど。「観ました?」と聞いたら「ああ、あんなものどこかに行ってしまった。」「あんなもの???」人が録画してブルーレイに焼いて上げたのに、「あんなもの???」
私は、そのケアマネージャーの事は信用しなかったですよね。それ以来。そしたら引き継ぎもせずに事業所を辞めて行きましたよ。今いるケア・マネージャーだって7月にモニタリングに来ただけでもう来ないしね。クソの役にも立たない。特に最近の30代は、礼儀が成っては居ない。そして最新の物だけがいいと思い込んで居る。人生の深みも何もない。それはね。まだ30代だから仕方が無いけどね。私は此れでも若者の事をよく思って居る方だとは自負しては居ますけどね。まあ、ねぇ?私も老人なんだろうけどね。でも若者の言う事は幼すぎると思いますよ。特に最近の若者はね。
しかし私は逸の間にこんなに歳を取ってしまったのだろうか、つい此間までは、まだ40代だとタカを括って居たのだが、そうですね、1990年代から2000年代が私のバブル期でした。もう本当に何遍も言うが。私は家にお金を入れて居た。給料とボーナスを全額親に渡して居た、そして自分が月に使えるお金は3万円だけだった。でも私は酒もタバコもやらなかったから、3万あれば好きな中古LDやらビデオが買えた。私が実家を建て替えた時だ。それまで買い付けて居た、ビデオソフトと録画したビデオテープを。特注で作って貰った棚に2千本並べて居たら。三菱地所ホームの私の家の担当の職員多分まだ20代後半だったろうと思うが?そいつが部屋を見せろと言って入って来たのだ。そして私のビデオコレクションを見ながら皮肉を言うのですよね。「なんだかなぁ、こんなに金掛けて、こう言うのはな、おかしいよな。映画なんて一度見ればいいものじゃない?大体が贅沢だな、良くないね!!」まあなぁ、普通はそうなんだろうが。私は映画は特に好きな映画は録画して何遍も鑑賞したく思うのですけどね。
映画と言うものは一度見たぐらいで全てが解る様には作られて居ない。またその監督たちの言いたい事はその監督の撮影方法やら演出方法にこだわりがあるのですよね、それは同じ映画を数回は見ないと解らないものです。そいつは当時40歳の私に向かって随分と失礼な事を言って居る事すら解っては居ないのですよね。そして10畳間の部屋をぐるりと見て周り、「ふ〜〜ん」と言うと出て行ったのです。私は呆れた.....。住宅メーカーの社員のそれが態度でしたからね。。しかし見て居て20代30代と言うのは、本当に人間としてダメだと思う。それはまだ若いと言う事もあるが若いくせにやたらと威張った様な事を言うからね、、。最近では、この間入って来た32歳の看護師、正確には彼の歳は解っては居ない訊いても言わないからだ。随分と若い割に歳を言った様な事を言う男で。50男の様なことを言ったりもする。
此間来た時に私は、「Blues 」って聴いた事あると訊いたら。突然「ブルースと言ったら、淡谷のり子だよ「別れのブルースとかさぁ!!」と得意げに言うので閉口してしまった。私は「そっちじゃなくて、それは歌謡曲でしょう。僕が言って居るのは日本の「Blues」についてだよ!!」と言ったら「日本のブルースって他に何かあるの?????」ダメだこりゃとは思ったが「例えばウエストロード・ブルースバンドだとか?ダウンタウン・ブギウギバンドだとか?憂歌団だとか・・・・」そう言って見たら何も知らなかった。日頃50歳ぐらいの事の話を、して居るからそんな事は知って居るだろうと思った、私が甘かった。
前にもそう言う女の子が一人居た。私が「1970年代のロックがさぁ、、」と言ったら、その子がこう言った。「1970年代なんかロックなんて何も無かったわよ。あったのは歌謡曲と演歌だけよ!!」私は「ロックはね正確には1968年ぐらいから日本のロックはあったんだよ。その前はグループサウンズというバンドが居てね。その前がロックンロール。ロカビリーだったんだよ。」そう言っても「信じない」と言うのですよね「ある訳は無いわよ。ロックなんか此処20年ぐらいに出て来たものだわ」と言い切る!!だから歳聞いて見た「君歳幾つ?」すると21歳だと言う。だから私は言った「64年間、、世の中を見て来た僕が言ってるんだよ。解らない???」すると黙って居る。何も知りはしないのですよ。
特に若者から見たら。今は、ブルースなぞ聴く若者は可成りな音楽通なら居るだろうが、最早、若者は聴かないのです。殆どがヒップホップなどだ。時代は過去の遺産を急激に淘汰して過去のものとして封印をして仕舞う。だから、YouTubeで、通が昔の音源を上げると歳が行った者は皆んな懐かしがって聴いて居る。そして若者たちは一部の人間たちを除いて過去の遺産には手を触れない。今の技術で今の最先端のものを欲しがり享受して楽しんで居る。今日、久々に前来て居た訪問看護師の女の子が来てくれた。その子は私に良くしてくれて居る。そして久々に私の部屋に入って驚いて居た。ただ、その子にとって私の生活は理解が出来ない物らしい。今時の女の子だ。ものを持つのを極端に嫌がるのだ。しかし私はこれでいいと思って居る。その子にも言ったが、私は生きても後10数年だろう。だから過去のものから最新のものまで、自分が良いと思ったものに囲まれて生きて死にたいのです。私は幸せな家庭は持てなかった。家族は一人も居ない。たった一人だ。だから、自分に投資はするのですよ。いいでは無いですか、此れが私の人生です。。。。
「エッセイ・其の2」
昨日、J:COMから借りて居る「4KBOXチューナー,」で、YouTubeをテレビで見て居たら、YouTubeチャンネルが選べ無くなって仕舞った。私はパソコンでもYouTubeを見るのですが、最近は自分の所有して居る、55インチの4K対応テレビでYouTubeをよく見て居る。テレビは何偏も言うが、3番組同時録画が出来る。チューナとHDD搭載のパナソニックのケーブルTVチューナー搭載機のブルーレイ・レコーダーをJ:COMからレンタルして居て、そのHDDに番組を撮り溜めて居て。後からゆっくり鑑賞して残したい映像だけをブルーレイに録画して保存して居るのだが。その間、興味があって観たいYouTubeを鑑賞して居るのですよ。それで、J:COMに電話を掛けて出たカスタマーセンターの職員と話をして、「4KBOXチューナー」を誘導で直して貰ったのだけども。今借りて居る、ブルーレイ・レコーダーが生産中止だとかで、、、
今借りて居るものが壊れたら、契約を打ち切るとの事だったので、話をして見たのだが、そんな事は無いと言って居たので安心した。最近ではケーブルTVは旗色が良く無い見たいだ。電話に出て来た若者はミレニアル世代のY世代で,最近では若者たちはテレビは皆んな、ネットで、配信して居る物をパソコンやら、タブレットやらスマホで見て居て、映画などはNet Felix そしてAmazonプライムなどで見て居ると言い。ケーブルTVの需要は減って居るらしい。私が、自分はモノラル・ビデオの頃から映像を録画して保存して居て、ビデオの映像やらLDの映像はDVDに焼いて残して居る。だが、まだビデオテープを数十本所有して居るからビデオデッキもまだ持って居るし、その後出た、レーザーディスクも今は処分したが700枚程持って居たし、DVDも購入して居たり。DVD-RWに焼いて貴重な番組を所有して居るし、最近ではブルーレイにも焼いて居ると言ったら。そう言えば昔、自分のお父さんがビデオデッキでビデオテープに録画して居たと言う。そして私が「最近の若者は番組をブルーレイに録画しないのか?」と聞くと。今は皆んな一度、テレビのNet FelixやらAmazonプライムビデオで配信される物を見ればいいので、録画はしないと言う。
私の様な映画やらドキュメンタリーオタクでBS,CS放送を録画する事は、最早、全世紀の遺物らしい、最近の若者はパソコンですらもう所有して居なくて、皆んな、スマホの高級機種を一台だけ持って居てそれで全てがやれて居るそうだ、テレビはインターネットTV。映画は、Net Felix。AmazonプライムTV。それらをスマホで見て居る。そして録画は殆んどしないそうだ。何故なら、また観たくなったら、再度アクセスすればいいだけだからだ。ネット上にコンテンツは沢山あるからだ。それに彼らが映画と言う時、それは最新の映画のことだ。だから映画館で見ればいいとなる。私は最早唖然とした。通りで皆さん断捨離をする訳です。過去の遺産はもう壊れて居るし、大量に処分するのですよ。そしてそれをタダで引き取った業者が、残って居る。映像オタクとかオーディオ・オタクにオーバーホールしてリペアして改造し結構な値を付けて売るのですよ。最早、私の様な人間は少数派だ。私は最近になって、このblogで散々書いて居るが。BoomBox(大型ラジカセ)を購入した。最近になって、前から持って居る多少調子が悪い大型ラジカセを人に挙様とした。しかし皆さん興味が無いのです。「今時、ラジカセ?カセットテープ何か持って居ないし。買う気も集める気も無い。なぜなら音楽ならスマホで1千円払えばストリーミングで幾らでも聴けるから」と言う。確かに時代は便利になった。
私もスマホでアップルミュージックに加入して居て、ロック。ジャズ。ブルース。歌謡曲。アニソンとBluetooth機能で、BoomBox (ラジカセ)に飛ばして聴いても居たのですが。最近ラジカセの方のBluetooth機能が壊れてしまい。そしてCDレシーバーコンポで最近はストリーミングを聴いて居る。Bluetooth機能がついて居ますからね。そしてCDレシーバーのCD機能は壊れて居るので。レコードを聴き。カセットデッキにもCDが装備されて居て。カセットとダビングできる様に成って居るので。TSUTAYAからCDを借りて来て、カセットテープに録音して居る。カセットデッキに搭載されて居るCDプレイヤーと。最近購入したCDラジカセでCDを聴いて居ます。それが私の道楽です。そしてその事をミレニアル世代の若者に話したら、最後に、「どうかお元気で身体に気を付けて暮らして行って下さい」と、丸で年寄りに接するかの様に丁重に最後は扱われて電話は切れた。成程、私は64歳だ。世間的に見て私の歳はもう年寄りなのですよ。自分でも何時の間にこんなに歳を取ったんだろうかと言う思いが強いです。もう完全に年寄りです。それではこの辺で、話を終わりにします。。。。
===一昨日の昼は「ルポーゼ・スギ」にて昼食===
此処の喫茶店の洋食は美味しいのです。オムライス。ポークジンジャー。ナポリタン・スパゲッティー。ビーフ・カレーライスと結構美味しいです。此間は久々、ホットケーキ、そしてコーヒーフロートと奮発しました。何故ならこの2点セットだと4百円引になるのですよ。。。。ホットケーキが200円です。。。
お腹が空いて居るkiyasume.....
そして、ホットケーキとコーヒーフロートです。。。。
此処で、、また、kiyasumeの、17歳当時のブルースハープを演奏して居る音源です。
出しゃばらずに効果的に吹いたつもりです。下手ですが、、
ムードブルース。
この曲は、ジャズの要素を入れました。ギターとサックスがメインです。初めから聴いて見て下さいね。音は小さいです。ボリュームを結構上げて聴いて下さいね。。。
ジャズ・ブルース。
「メガネについて」
今私は、メガネを新しくしようかどうか考えて居る。何故なら目が見えないので、メガネを探すのだがどこにも無いのですよね。そしてよく考えてアレと目頭を触って見ると眼鏡掛けて居るんですよ。そしてたまに物が2重に見えるメガネを掛けて居るけどね。だから度が合わなく成って来て居ると思って居ます。だから此間松沢病院の眼科に掛かった。松沢の眼科なら確かだからだ。街の眼科なんか金儲けのことしか考えて居ない。私は今から5年前にメガネを空き巣に取られた。その為にネットの眼鏡市場でメガネを購入した。レーバンの物で今掛けて居るものだ。レンズは笹塚にある「ビジョンメガネ」に行って選んでメガネに入れて貰ったのだが、店員の若い女の子の態度が全く良くなかった。私はそれまでそのメガネ屋でレンズを入れて貰って居たのです、いつも3万幾らのものだった。しかしその子は5万幾らだと言うのだ。私はそんなにして居ませんでしたよと言うと、3万幾らのものだと言い直すのだ。3万幾らって片方でですからね。両目で6万7千円ぐらいはメガネはザラに掛かります。私はその金額のレンズ6万7千円を払ってメガネを作って貰ったが。私のレーバンのフレームを見て小さな声で、「此のメガネ高い」と言うのですよね。そこの眼鏡屋で取り扱って居るメガネは皆安くて1万8千円はして居る。私はネットの眼鏡市場で、此のメガネはレーバンのフレームのものは確かに定価は2万幾らかして居るだろうけど。私は1万3千円で購入したものだった。そしてメガネの代金は現金で払ったのだが、お釣りを渡す時に片手にカードを持って「此れ居る!?」と言うのですよね。なんだと思ったら割引券だった、、あのなぁ💢「此れ居る?」じゃなくて「次回お使い下さいだろ」と少しムッと来た。😤、だからもう引っ越したのだし、大体がメガネ代は生活保護で新調は出来る事に成っては居るが。今度は此街の眼鏡屋でレンズを入れようと思って居ますよ。安いしね。
「弟」
或日、母が「〇〇大変だよ!」と慌てて私の部屋までやって来た。何と弟が私の銀行の口座から私になりすまして200万を引き出したと言うのだ。母には「いやぁ〜〜銀行員にあなたは本当にこの通帳の持ち主の〇〇さんなのですか!?と厳しくってなかなかお金を下ろすのに手間取ったよ。」と言ったという。私は、まさか信じていた弟に200万もお金を取られるとは夢にも思っていなかった。やはりバカ親父の血筋が成せた事だろう。弟は悪びれる様子もなくその後も実家に来ては世間話をして帰っていった。勝手に人になりすまして降ろした金の話は一切しなかった。此処で少し詳しく弟の経歴を言って置く。弟は杏林大の医学部を卒業した。そして義理の兄貴の推薦もあり医局は眼科に入局した。しかし弟には合わなかった。教授やらの兼ね合いやら義理の兄貴との軋轢などで、とうとう弟は家出をして医局を辞めてしまった。
それから、家族みんなで弟を探した。そしたら品川の病院に居る事が解った。弟の友人たちはもしかして新興宗教にでも入ってしまったかと慌てて、空港などの飛行機の搭乗名簿などを調べて乗っていないので私の職場まで電話を掛けて来て知らせてくれた。私は安堵し、つい口から「飛行機には乗っていないようだな・・・」と呟いたら側の机に座っていた。菅原留五郎という男が「けっ!飛行機だなんて贅沢しやがって、大体がボンボンブリやがって気に食わない」と絡んで来た「旅行の話をしているんじゃないんだ!!」と言ったらようやく黙った。その男は東北から歌手を目指して東京に出て来たとか言っていて、この手のバカが如何に多いか、音楽業界の仕組みも知らずに。。。まあ、それ止まりの男だ。私が以前に「マカロニ・ウエスタンのすべて」と言う本を机の上に置いて読んでいてトイレから出て来たら、破いてあった事がある。そいつがやったことは明白だった。そう言えば親父も石原裕次郎が嫌いだった。矢張り理由はボンボンブリやがってと言う事だった。私はこう言う事を言う人間を見ると無性に腹が立つし軽蔑する。そういうことを言う人間を正直言ってぶん殴ってやりたく成る。人間誰しも良い環境にたどり着けるとは言えない。だからなんだ!!たどり着けないのは自分の努力が足りないせいだろう。親が金持ちだったからそこのボンボンだから、それが自分と何が関係して居る。人は持って生まれた血筋と言う物もあれば、頭一つで、または体一つでのし上がって行く男も居る。ボンボンはきれえだという言葉は、たんに僻んで居るだけの男としては最低な人間だ。親父の会社に入った時に駄菓子屋からこの会社に入ってきた人間に「〇〇ちゃん、大学さはどう言った事を教えるのか、おらさに教えてくれや?」というので「いろいろ複合的に勉強しますよ。経済学から。思想から。金融論から。外国語から」と言ったら。「おらさはそんなこと聞いても解らない、具体的にどんな話を聞くのだ」と言われ、、殆困り。「まあフォード社での工場での車の作り方とかね、、いろんな話、経済経営に関して幅広く聞きますよ」と言ったら「そんな車のしかも外車の作り方なんて学んでも専務に行ってみろや相手にもされないぞ!!」と言うので「たとえでしょう?」と行ったら「おらさはあんたが大学行って居て乙に済ましているから嫌いなんだ!!」と言うので「解らない人にな!!大学の話を聞かせても解らないんだよ!!。あんた小学校もまともに出ていないんだろう!!」「せめて中学まで行けて居ればあの当時は金の卵と持て囃されて職もあっただろうに!!!」「おらさは勉強が嫌いだった」「だ、か、ら、それが俺とどう言う関係がある!!」と言ったら「そうさ、どうせ〇〇ちゃんは大学行ったんだ」と言うので・・・・こっちが怒りが込み上げてきた💢。
結局弟は実家に帰ってきて品川の病院に勤務しながら順天堂大学の麻酔科と昭和医大の大学院を出たのだが、その時大学院で論文を通す時に教授に金を渡さなかった為になかなか論文が通らなかったらしいのだ。教授は論文を通す時に必ず賄賂を要求して来る。それで200万円の金が必要だったみたいだ、でも弟は一言も理由を言わない。私が「そうなんだろ?教授に渡す金だったんだろ」と言うと「必ず全額お返し致します」としか言わなかった。
私は「返さなくてもいいよ。ただ、残念なのはな、何で一言貸してくれと言えなかったんだ。貸さない俺ではないだろうに」と言った。そして弟は名古屋の病院に勤務になった。当時はパソコンがブームになって来ていた。その頃私はウインドウズ95やらマッキントッシュ・パソコンの隆盛をただ黙って見ているしかなかった。所詮自分にはパソコンは使えないし、縁の無い物だと思っていた。すると或る日、大きな箱が名古屋のビックカメラから宅急便が送られてきた。「なんなんだ?」と思い開けてみると当時の最新鋭のゲートウェイのデスクトップ型のしかも高級機種のパソコンだった。私は驚いた。差出人を見てみたら弟からだった。するとその週の病院が休みの日に名古屋から実家まで来てくれて、パソコンをセットしメールアドレスなんかもプロバイダーと契約してくれていて。「これで使えるよ・・・」「これからはパソコンが出来ないと後れを取るよ」と言ってくれた。私は感激した。そのパソコンは50万近い金額の機種だったからだ。音声はスーパーウーハー付きのサラウンド仕上げだった。「お前、無理してこんなに高級なパソコンをくれるのか?」と言ったら弟は微笑んでいた。そして、それから6年後、パソコンも型崩れを起こして最新鋭のOSがインストールできなくなって困ったな?と思っていたら。また、名古屋から宅配便で大きな箱が届いた。中を開けてみると今度は当時最新鋭のデルの据え置き型パソコンだった。これも60万ぐらいはする最新鋭の機種だ。また、弟が病院の休みに実家まで来てくれて、セットアップしてくれた。私は弟に聞いた「パソコンをただで貰えるのは嬉しいけど。こんなに高スペックなものは必要ないよ?」と言ったら、弟は「兄貴は映画とか好きなんだから動画を取り込んだり、CGを勉強すれば良い」と言う。しかし、私は病身の身だ到底出来ない。まあ、弟はやる事が派手だったのだ。その後、新宿の紀伊国屋書店の哲学書売り場で本を立ち読みしていたら、後ろからポンと誰かが肩を叩く、振り向いたら弟で、食事に行こうと言う。インド料理を食べながら話して居て、私はふと弟に「お前、先生になりたいんだろう。せめて大学の助教授か講師に・・・」と言ったら「実はそうなんだ。今母校の杏林大学の名誉教授とそのことで話している」と言う。「矢張りな、お前らしいよ」と言ったら、「近直、結婚を考えているから」と言って名古屋に帰って行った。
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う〜〜〜〜〜む。少しは痩せたかな。。。3kgぐらいかな・・・・
そして結婚した。相手は広島の女の子だった。看護婦さんだった。笑顔が気に入ったと言って居た。そして芸能人が経営するマンションで暮らし、ミニチュア・ダックスフンドを飼い。免許は取っては居たが。嫁さんが車の運転がうまかったので、いつも嫁さんが運転して居た。しかし、その芸能人が経営するマンションは舞台の稽古場にするとかで、出なければ成らなくなり。田園調布に家を買った。そして子供が3人生まれた。しかし母はその頃から認知症特有の冗談を言う様に成って行った。一時は弟も考えて実家は3階建の基礎工事が入った家だったから3階を立てて、そこに私と母を住まわせて1階と2階を自分らが使うと言って居た時期もあった。ところが嫁が反対した、「お母さんの食事は作れても、なんで私がお兄さんの食事を作らないといけないのよ!」と言い出したのだ。その話を聞かされてやはり他人は他人だよなと思った。私と母は二人で十分に自活する気でいたからだ。まして私の食事を作るのが嫌だ?そりゃそうだろうよ。私と結婚した訳では無いのだし、しかし嫁にはもう少し利口に成って貰いたかった。元来私は女が好きになれない。いや正確に言えば男だから女性は素敵に見えるし魅力も感じる。でも一緒に生活するのとは別物だ。よく楽しいのは恋愛中だけと言う諺があるが、私もなんかそんな感じがする。現に弟は離婚をした。離婚をして、フランスの学会に行ったらそこに同じく出席していた女医のフランス人の女の子と気があったらしい。婚約を約束していたらしい。ところで、ボンボン育ちは嫌いだと行った菅原留五郎はある日私にボンボンぶりやがってと行って首を思いっきり閉めて来た。もう少し強かったら、金タマを蹴り潰してやろうかと思ったぐらいだ。しかし、こいつは結局会社の集金の金を盗んでクビに成った。なぜ、人は、自分と他人を比べるのか、人は人、自分は自分となぜ思えない?そう思えないのは大概のバカだと思いますよ。その後の話は散々私は言って来たのでこれ以上はもう言いまい。弟は亡くなった。48歳の人生だった。まだまだやりたいことがあったろう。私は何故生きて居るのだろう。この間。私が死ぬ夢を見たと言ったら私の彼女が「私のために死なないで」と言ってくれた。そうだ私にはまだ身内が居た。彼女の事です。親兄弟は私を見捨てたが、彼女だけは分かってくれて居る。だから私はそれでいいのです・・・・・・・。今回は短いですがこれで、、、また逢いましょう。。。。(((o(*゚▽゚*)o)))♡