福祉事務所まで行って来ました・・・・・。調子が悪いので行きはタクシーで、、1200円掛かりました。。。
帰りはバスで帰って来ました。。。
さっき福祉事務所から帰って来ました、、生活保護課は、細々とした面倒を見てくれますね、、
例えば引っ越しの時になど不動産の物件から、荷造りまで手伝ってくれるそうです、今日は、行きはバスで行こうとしましたが、、調子が最高に悪くて、力が湧いて来なくて、、出掛ける直前まで寝て居ました、、食事は昼に卵かけご飯を少しだけ食べて、もう待ち合わせの2時まで間に合わないかと思い。タクシー会社に配車して、、そしたら5分でやって来ましたが、、運ちゃんに福祉事務所までと言うと、
「あれ、お客さん!!、此間も福祉事務所まで行きましたよね?」と聞いて来て、
見て見たら前に福祉事務所に行った時に乗った72歳ぐらいの運転手でした、「そうでしたっけ???」と言ったら、「この辺はよく慣れて居ないものですみません」と言いました。福祉事務所に着いたら、まだ10分前だったのでベンチで少し休んで居ました、、それで5分前になったので、2階の福祉課に行ってみると男の職員さんが来たので、、
「すみません、保護費貰いに来たのですけど」と言ったら、「相手の職員は誰ですか?貴方のお名前は?」と聞いて来たので、「ケースワーカーの小串さんです。〇〇です」と言ったら、「なんか顔色が優れませんね?、大丈夫ですか??小串はまだ外出から帰りませんので、そこの椅子に腰掛けて、お待ち下さいね。」と言われたので椅子に座って居て、暫くしたら、後ろから小串さんが来て、「ああ、〇〇さん、どうしたんですか?調子悪い???」と聞くので「ええ、少し・・・」と言ったら、「小部屋で待って居て下さいね」と言われて待って居ると書類を持って来て、、「なんか調子が悪そうだから、早めに書類を見せて説明して終わらせますね」と言って、「ところで今日は行き何で来ました?」と聞くので、「いや、バスで来ようとしたのですが、調子が悪くて、、タクシーで来ました」と言ったら「調子悪そうだものね、、」「早めに済ましますからね」と言って、、
生活保護の注意点などを話して、「あとは水道局への書類、NHKの書類、年金免除の書類、と書いて下さい」と言われて書いたら、「全て免除に成りますから、」と言ってくれて、ハンコを押して全て整ったら、最後に「銀行の通帳番号を用紙に書いて下さい。3月分から振り込みに成りますからね」と言うので「郵便局にします。銀行は遠くにあるので」と言って書き込んだら、、「これで滞りなく終わりました、それでは保護費をお渡ししますね」と封筒に現金を入れて持って来てくれて、ハンコを書類に押して、現金を貰いました。10万860円でした、、
そして帰りはまたタクシーかと聞くので、「いえ、お金も無いし、バスで帰ります、アパートの近くの駅まで行きたいのですが?」と言ったら、「私が案内しますね」とバス停まで付き添ってくれて、何か涙が出て来ました、、私は「ありがとう」と言って来たバスに乗り込み。教えて貰ったバス停で降りてから、、歩いて駅まで行き、まずは、妹に送るDVDを入れるレターケースを郵便局で買い、そして駅前のATMにお金を入金して、、そこから、大家さんに家賃を入れました。一体誰が生活保護課は鬼の様なところだと言ったのでしょうか???私はそう聞いて居たし、初めの職員の男性は少し威張っては居ましたが、、
私担当の女性のケースワーカーさんは優しく親切でした、、確かに職員によってはつっけんどうな人も居る見たいですが、、しかしそれは、受給者の態度が悪い場合ですよ。「金よこせ!!」だとか、「金足りないだとか!!」そう言った態度の受給者には警官上がりの職員が当たります。真っ当に接して居れば嫌な目には会いませんよ、、私はこんなに親切にされたのは久し振りでした、、駅前のATMにお金を入れた帰りに、どこかで食事をしようかなと思いましたが、いやいや、お金はもう無駄使いは出来ないと思い帰って来てから、今、昨日炊いてあったご飯の残りで、あと振り掛けと刺身の残りで少し食べました。あとでお腹が空いたら、また塩ラーメンにキャベツを煮込んで食べようかと思います。ただ帰りに道を正気が無く歩いて居たら、後ろから来た23歳ぐらいの女の子2人連れが、
「この人何?」と言う顔をして通って行きましたけどね・・・・。人は様々です・・・・・・・。
私はね、自分の生い立ちをこの歳に成って、振り返って考えてしまうんです。幼少の頃は、親父が自宅で暴力を振いちゃぶ台などをひっくり返して(バカそのもの)私の手にフォークが突き刺さったり、フォークでスパゲッティーを食べて居たら、バカ親父が暴れて、私はフォークを上唇と歯の間に刺してしまい。ざっくりと切ってしまった事がありました。それで医者に担ぎ込まれた事がありました。そんな事からか挙動不審になり。児童・思春期心性障害になり。此の頃から少し親父の家系の、悪い血が入って居たのでしょうね、私は幼年期に既に精神病に罹って居ましたよ。小学校の時には鉛筆で自分の目を抉ろうとして、隣の子に止められたりね、まあ、結果的に宗教団体の、信者の嫌がらせで統合失調症を発病したけど、何も嫌がらせぐらいで統合失調症は発病しませんよ。私にその因子があった為でしょう。全部あのバカ親父の家系のせいだ。。。侘しいものです・・・・・・・・。
まあ、此れからは行政の手を借りて暮らして行く第3の人生ですね....。第2の人生は母と別れて実家を追い出されて1人暮らしを始めた8年前でしたから、、今回で死ぬまで生活保護に厄介になります。。行政の手を借りて暮らして行く様になるとは思っても居ませんでしたけどね。でもヘルパーさんから「良いわよね。生活保護者は優遇されて居るから!!」ともう皮肉を言われて居ますよ。まあ、確かに生活の基盤は、政府から面倒を見て貰ってこれから暮らして行く訳なんだから。でもね、私は歳だし、健常者でも64歳にも成ったら働く所はありませんよ。増しては私は障害者です。どこも雇ってはくれませんしね。大体が毎日調子が悪く怠くて働けませんから。今日も福祉事務所に行って来ただけで、もう息急き切って居て、調子が悪いのですよね。私は果たして70歳まで生きられるのか???と思いますよ。ところで先ほど塩ラーメンにキャベツを入れて煮込んで食べるかと言いましたが、、コンビニに行ってカツ丼を買って来ました。それを食べます・・・・。カツ丼食べたかったので、、500円でした.....。
もう、デリバリーは取れません。まずは、保護費が入ったら、お米を買い込んで、あとインスタント・ラーメンとキャベツを買い込んで、卵と納豆を買い込んでそれで日々の食生活が始まります。たまにコンビニ弁当とパンでしょうか、食費には3食で2万円ぐらいしか掛けられませんからね。だから自炊を始めます....。今までの様にデリバリーはもう取れません。贅沢しすぎて居ましたよ、今までは、月に18万ぐらいで暮らして居ましたからね、、まあ、保護費も3月になったら14万6千円ぐらいは貰えますが、、それまでは10万ちょっとで暮らさなければなりませんから・・・・・・・。でも私はケースワーカーさんとか、良い人に巡り会えました。まあね福祉事務所の方は、ケースワーカーさんは、ずっと同じ人と一緒と言う訳では無いみたいなので、数年で交代になる様ですが。今回はいい人に当たりました。それではカツ丼を食べます。お腹が空いた。。。
【ヨウジヤマモト特集を大公開!】
やれる事をやれる年代にやれないと悲惨ですよ。最近、私の髪型を見て居て色々と思う処がある人が居る見たいだ。前のblogで書いたが、概ね50代の女性からはよく思われる事がある。此間も言ったが、勧誘のおばさんとか、側に居るおばさんから「長髪が良いですね」と言われる。何故なら彼女らが青春時代はまさにロックの全盛期で、ハードロック。ヘビメタ。とかを聴いて居た世代だからだ。最近の若い人もロックが好きな人は長髪が悪いとは言わないが。大体が若者は今時だが矢張り皆、長髪が多い。冒頭に言ったが、やれる事をやれる時にやれて居ないと後から幾ら後悔しても遅いです。私は20歳ぐらいまでは長髪だったけど。それ以降は一応は親父の会社だと言え、食品の材料の会社だったから。髪を長く伸ばしたくても伸ばせなかった。確かに初めのうちは会社でも、長髪は許されて居て。高校中退の男で髪を後ろに束ねて縛って居る男も居たが。親父やら親父の兄貴は別段それを咎めはしなかったが。ゆきかずが突然全社員にサラリーマンカットにしろと御触れを出した。笑ってしまうが彼は自分は会社勤めをして居て。会社の厳しい研修をして居ると言い張って居て、それを誇りとして居たのだ。
だから私が統合失調症の薬で言葉をなまって言って仕舞ったりすると「あう〜あう〜か?このバカが!低脳野郎が!!」と人を目一杯バカに仕出した。自分は大学の頃に「棒」と言う字が読めなくて書けもしなかったのにだ。私が小学校3年生の頃だ。ゆきかずの家に行ってステレオを掛けて、ラジカセにレコードを録音させて貰いに行った時だ。彼が丁度アナウンサー部に居て、アナウンスでナレーションを冒頭に録音してやると言うので頼んだら、「マカロニ・ウエスタン/テーマ曲大全集」と言うレコードを録音したのだが、冒頭の2曲目の「荒野の用心棒」のテーマ曲を読み上げようとして「荒野の用心・・・・。荒野の用心・・・・。」と読めない。私が何だろと思って居たら。「○ちゃん?此の字なんて言うの?」と訊いて来たのだ。私は何だろと思い。「ゆきちゃん!!棒でしょ!?」と言ってもよく解らない。だから「棒切れの棒ですよ???」と言ったら「此の字、棒(ぼう)って言うの???」と訊いて来て、呆れた事があった。当時、私は小学校3年生で、彼は大学生だろ?笑い話では済まされない。そんな事すら知らないのだ。よしんば「棒」と言う字が知らなくても文脈の前後から考えて読めば「ようじんぼう」と読めるはずだ。呆れ果ててしまった。また、こう言う事もあった。私が渡辺貞夫の話をしたら、こう言ったのだ「○ちゃん!!俺は、ナベサダの伝記本買って、読んで縦笛を買ったんだよ、え〜〜○ちゃん、そしてな、ドレミファソラシドが吹けたんだよ!!どうだ凄いだろ!!俺は天才だろう!!」私はダメだなこりゃと思って聞いて居た。サックスでは無くて縦笛とは??しかしドレミファソラシドとは?せめてCメジャースケールとか、ペンタトニックスケールとか言えと言いたかった。
会社で一度、ゆきかずから止むを得ず120円を借りた事がある。その時に、私はノートの切れ端で借用書を作って。借賃が120円有ると書いた。そしたらどうやらこの「有る」と言う漢字が解らなかった見たいだった。前に彼は私をバカにして「大学は本当は入って居ないのだろう?本当のことを言え!嘘をつくな!!」とか言ったり、自分の出た「明治学院大学は優秀な大学だぞ。え〜〜!!皆んな!!」と小卒やら中卒や高校中退者に威張って言って。私に大体どこの大学に行ったんだと聞くから「拓殖大学ですよ」と言ったら、「けっ!!低脳のバカが行く大学だな!!」と言って居た。なるほど・・・・・。私は「明治学院大学は、そんなにも有名校の名門で偏差値が高い大学なのか?ふむふむ〜〜。」と感心した。彼は私に卒業論文は何を書いたのかと、しつこく訊くので私は卒業論文の題名を教え内容を話したが。私が「ゆきちゃんは論文何書いたの?」と聞いても「けっ!!」と言ったきり何も言えないのだ。卒業出来たのかい、ゆきちゃん???彼はド演歌しか聞いては居なかった。冒頭に言ったが人はやれる時に吸収出来る時にして居ないと、後々苦労する事になる。ロックを聴かないのは。嫌いなのは好みの問題だから、別に良いとは思うが。最低限のバンド名ぐらいは知って於か無いと人との会話が成り立た無いであろう。
例えばビートルズとローリング・ストーンズ。此のぐらいは知って居無いとね。例え聴いて居なくても名前ぐらいは知らないとね?常識です。まあ、他にもフェイセス。キンクス。アニマルズ。ヤードバーズ。ビーチボーイズだとか1960年代から活躍して居たバンドは数限りなく居る。前に会社でスーパーの「いなげや」のピッキングをして居た頃だ。版重にイーストとかショートニングやら缶詰を入れて置く作業をして居たら。まあ、私はレッド・ツェッペリンの「天国への階段」やらケート・プッシュの「嵐が丘」を聴きながら作業をして居たのだが。ゆきかずがやって来て「こんな雑音のロックなんざ聞くな!!」と怒鳴るのだ。私は言ってやった「「ジェプ」の「天国の階段」が雑音ですか?」すると「ロックなぞ皆同じ雑音だ!!」と叫んで居たが。私は知らん振りをして、構わずに聴きながら作業を続けて居たら。「音楽はな演歌だけが良いんだ!!」と何か言いたそうだったが。私はラジカセを止めなかった。すると苦虫を噛み潰した顔をしながら居なくなった。彼は全共闘世代だ。彼らの世代が「「ジェプ」ことレッド・ツェッペリン」の事は本当は詳しいはずなのだ。これも学ぶ時に学んで居ない例だろう。またけんじは、物事を何にも知らなかった。会社でも皆んなの話が理解出来ない。皆んなが言って居る事が何も理解出来ないのだ。知識が何も無いから。だから間が持てなくなり作り話をしだすのだ。本当にけんじは何も知らなかった。彼は明治大学を出たと言うが本当かと訝しく思う。一番、皆んなから笑われた話は、「ヤマダ電機駅」だ。或日、けんじは皆んなにこう言った。「ねぇ、皆んな。「ヤマダ電機駅」が出来たんだよ。え〜〜皆んな。知らないのかい???」皆んなからは一笑に付されて言われた「けんじさん?ヤマダ電機駅なんて言う駅が出来る訳がないでしょ?」そしたら言うのだ「だって見たんだもの!!ヤマダ電機駅と書いてあったんだもの!!」無視されたら、翌日になって「昨日は御免なさい。私の見間違いでした。」と言った。皆んなからは「ケッ!!」と言われて誰れからも相手にもされて居なかった。
Kate Bush - Wuthering Heights - Official Music Video - Version 1
Stairway to Heaven - Led Zeppelin (lyrics) Released: 1971「天国への階段」レッドツッペリン【和訳】
私もやれる時代にやれる事をして来なかった、と言うか。私の場合は障害のために薬で頭を塞がれて居て。何も興味を持てる様な事には慣れなかった。ただ1980年代の一番薬が強い時に。ビデオテープとレーザーディスクを購入して映画だけは見て居た。後アニメだ。不思議とドラマは見なかった。何故なら、毎日帰りが遅く夜の11時に成らないと帰って来れなくて、そして早めに帰って来ても。何時も夜は8時に成ると薬を飲んで寝て仕舞うので、放送時間帯は起きて居なかったからだ。そうしないと、疲れて仕舞って翌日の仕事が出来ない。だからその頃に見たドラマは「大原麗子と石立鉄男主演の「雑居時代」「水漏れ甲介」ぐらいか、、「北の国から」「高校教師」も殆んど真面に見ては居ない。今はCS放送やらNetFelixなどの配信で、民放のドラマは過去のものから最新のものまで、全て見られる時代だ。だから観れば見られるとは思うが。如何にせん。その放映当時の時代性が無いのですよ。だから興味が湧かない。
だから言うのですよ。やれる時代にやれる事をして於か無いと行けないと。私は本はよく読んだ。実は最近も6冊も書籍を購入した。しかし読んで居る暇が無いのですよ。いや正確には抗精神薬の後遺症で眠くて読書どころでは無いからです。私は今、思って居る事があります。此れからはゼネラリストの感覚を持ったスペシャリストで居ないと行けないんじゃ無いかなとね。自分がやれるうちに体力も思考もあるうちに動くうちに考えられるうちに、その時にやれうる事はしっかりとやって於くべきだろうと思います。最近のGACKT君の言葉では無いけど。「つべこべ言う暇があったら行動に移せ。まだ共、あと共、言うな。やるべき事はすぐに行動に移せ。」とよく言いますよね。
私のバカ親父の事だが、、まあ、自分の父親を何時までも恨んでるのか?と言われるだろうけど。恨んで居るし言わないと、吐き出さないと私の病気が収まらなくなるから言うのです、、私が働いて居た時に、親父から120円を借りた。そうしたら、5分も経って居ないのにこう言われた。「俺の金を返せ〜!!俺の金を返せ〜!!💢」私は財布を忘れて来たのですよね。それなのに、そう言う事を言い乍、私が家に居ると「○、今日はな、お前の運勢がいい運を持ってるんだ。だから俺に1万円を寄越せ。俺はそれ持って競馬に行くからなぁ〜〜」と言うのだ。まあ、呆れたが、一応あれでも親だと思って私も人がいいから1万円を渡した。そして帰って来たから、儲かったかと訊くと。「ああ、儲かったさ〜。」と言うので1万円返してくれと言うと「何が〜!」と言うのだ。1万円を返しはしなかった。それから当時はビデオ・デッキだったが、バカ親父にビデオ・テープを貸すと必ず傷をテープに付けられた。私はなんでだと思い。或日、バカ親父の部屋に行って見ると、なんとテープをサーチで巻き戻して居る。再生しながら巻き戻して居るのだ。
私は、だからテープに傷が付くのかと思い慌てて止めて言った。「あんたはバカか!!こう言う事をするからテープに傷が付くのだろう?」と言うと。「だってこうしないと巻き戻らないんだ!!」と言うので私はブチギレて言った。「普通はサーチで巻き戻しなんかしないだろう!!停止ボタンを押してから巻き戻しボタンを押すんだろう!!あんたみたいなバカにはもう貴重な映画の入ったテープは2度と貸さない。もう2度と映画は観られないと知れ!!大バカ野郎!!」そう言って2度とテープを貸さなかった。すると私が居ない間に勝手に私の寝室に入って来てテープを漁って見て居るのだ。私はつくづく親父と一緒に暮らすのが嫌だった。私は小学生の頃に母から顕微鏡を買って貰った事があった。そうしたらバカ親父が来て私の口の中に指を突っ込んで歯クソを取って。「○。これを見ろ!!」とビーカーに擦り付けた。私はバカ親父のこの行為にうんざりした。私は小学校低学年の頃にさいとう・たかおの「0011/ナポレオン・ソロ」の漫画の単行本を買って見て居たら、漫画を寄越せと言って。大きなマジックで空いて居る処に私の名前を大きく書き込んでしまった。私は怒って言った。「どこに、こんな大きなマジックで表紙に自分の名前を書く者が居るんだよ!!」すると「これで無くならないだろう!!」と言うのだ。
また、こう言う事もあった。会社でアルバイトから、広島カープの本を貸して貰えたと喜んで居た。親父はカープが好みの球団だったからだ。そしてその本は大切に読んで居るからと、念を押されて借りたと言うのだ。そして本を読み出したのだが。私は妙な胸騒ぎがした。バカ親父は本と言うものを読んだ覚えが無いのだ。だから親父がトイレに入って居る隙にその本を観て見た、案の定ページを半分に筋を付けて折って居るのだ。私はバカ親父に言った。「これ、何でこんな風にして居るの???」するとあのバカ親父は言った。「バカヤローしおりがねえんだ!!」私は「バカはどっちだ!!アルバイトの石井君が大切にして居ると言って貸してくれた本だろう!?」「大体がしおりなら。俺が沢山持って居る。なんで一言言わない!!」
そして続けて言った。「大体がページを折るなんて普通はしない!!しおりがなかったら、新聞紙の切れ端でも何でも挟んで居れば良いだろう!!」「どう石井君に言い訳をする気だ!!バカヤロー!!」と怒鳴った。全く常識と言うものが無いのだ。それからDVDレコーダーが普及し出した頃だ。私がある時にある映画のDVDを探してもどこにも無いのだ。おかしいなぁと思い、暫く経って見てみると。何時の間にかあれだけ探してなかった映画のDVDが、ラックの一番前に置いてあるのですよ。バカ親父が勝手に見て居たのですよね。そしてある時にバカ親父は私にこう言った。「俺が好き勝手にお前のDVDを見られないじゃ無いか?」私は怒って言った「俺のものだろう。なんで人のものを勝手に見られるんだ!!」するとこう言った。「俺はお前に給料を出して居るんだ。だからお前が働いた金は全て俺の金だ。だからその金でお前が買ったものは全て俺のものだ!!」私はこの時ほど実の父親を殺してやりたいと思った事は無い。
大体がバカ親父は貧乏人の10人兄弟育ちの三男坊だ。物の考え方が全て貧乏人根性なのだ。まあ、利口では無かったのだろう。私が小学生の頃だ。親父は日常茶飯事(にちじょう・さはんじ)を(にちじょう・ちゃはんじ)と言って居たし。人質(ひとじち)の事を(ひとじき)と言って居た。あまりに親父がそう言うので。私は小学校の高学年まで、そう読んで居たのだった。あの人は明治大学を卒業して居ると言っては居たが。果たして本当か?と思いますよ。余りにバカすぎた。親父の兄弟たちは皆最低の人間たちで、私は親父の親戚はどいつもこいつの大嫌いだ。碌な物では無い。しかし、その親父も死んだ。まあ、私のお袋も大概にしてくれと言う迷惑を認知症になってから掛けてくれたが。その母も今は施設で暮らして居る。姉さんたちが面倒を見て居るから、私には一切会わせません。まあ、あのバカ親父には迷惑を散々掛けられた。今回、また親父の嫌な話でしたが。私はトラウマになって居るんですよね。ちなみに、私は3年前に貧血の輸血で血液が全部人の血になった。だからもう勝手の自分では無いと自負して居ます。散々な〇〇家からは、もうおさらばです。さてと、生活保護の受給が始まりました。これからは、新しい人生だと思って生きて行きます。それでは、また・・・・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
今回は此処までです。読んでくれて有難う御座いました。また見に来て下さいね、、、それではまたお逢いしましょう。。。