Kan Mikami – 船頭小唄:三上寛えん歌の世界
私には今付き合って居る通称『妹』と読んでいる女性が居ます。彼女は私の事を気遣ってくれます。私に取って掛けがいの無い人です。彼女は某アニメーションの制作会社で、アニメの仕上げ担当のチーフをして居ます。此処に『妹』のTikTokを上げて置きます、ご覧下さい。クリックで見れます。宜しく。(((o(*゚▽゚*)o)))♡
「エッセイ」
此の間、友人から、カントの「アンチノミー」と埴谷雄高の「自同律の不快」の概念は似て居るのかと訊かれ・・・ 何だかな…。全然違うだろうにと思って、一応説明をしたのだけども、アンチノミー(二律背反)とは相互に 矛盾し対立する二つの命題が、同じ権利を持って主張される事で、自同律の不快とは普通の人は決して矛盾を感じないであろう単純な命題「AはAである」と云うのが自同律であり、その事に不快感を持った埴谷氏が構築した概念であって、氏に寄ると、「自分自身に対する払いのけがたい、異様な違和感が本当に小さな子供の時からある、 何か持ちきれない、自分が自分であるのは変だという感じが、重苦しい気配として感覚的にあってそれが論理的に整理された物」だそうだ。まあ、ある意味、アイデンティティーの喪失感から来た物だと云う事でしょうか・・・
アイデンティティーと云えば、日本の音楽文化、特に日本人のフリージャズを考えた場合、若松孝二とその周辺の監督たち(足立正生とか大和屋笠たち)のアングラ映画に触れなければならないと思う、60年代末期から80年代前後まで高樫雅彦や佐藤允彦や山下洋輔や阿部薫などが次々に公開されるアングラ映画(前衛ピンク映画をも含む)の 音楽を担当したことからフリージャズの認知ないし普及が広まり、特に若松監督の映画とフリージャズのセットは前衛ジャズの普及に貢献しましたね、ちなみに大和屋笠は、あの、ルパン三世のテレビシリーズで大隅正秋、宮崎駿・高畑勲の演出下で脚本を担当して居ましたし、以前にこのblogでも紹介した、手塚治虫の虫プロが制作したアニメラマ・シリーズの最終作 「哀しみのべラドンナ」では佐藤允彦が印象的なプログレッシヴ・ロックの味付けの音楽を担当し、出崎 統監督の 「あしたのジョー」の主題歌の作詞は寺山修司だし、ロック界に目を向けてもカルメン・マキ&OZとかね、、カルメン・マキを見出したのは「天井桟敷」と云う演劇集団を主謀していた寺山修司だしね、、、
その後も、若松監督、原田芳雄主演作「われに撃つ用意あり」「キスより簡単」若松監督の弟子筋にあたる沖浦勲の「出張」、黒木和雄の「泪橋」とか、ムーブメントとしてアングラは切っても切れない存在でしたよね。
われに撃つ用意あり 🎵 原田芳雄 🔻桃井かおり・蟹江敬三
最近、日本の若い人達のロックを聴くたびにグランジだとかビジュアル系だとかしか無いのかと思って聴いて居たのだけども、、此の間、ケーブル放送で深夜にロック・フェスティバルの模様をやっていて、観て居たら可也、本格的なプログレのバンドとかも居たので、正直、ホットしたと云うか、、まあ、Bluesは良いバンドが新旧織り交ぜて居るので安心なのだけども、jazzの方も若手で有能なミュージシャンが居るので良いのだけども、Rockは大丈夫なのか?と思って居たものだから、、
それから、押井守監督作の実写映画の「紅い眼鏡」を久々に観て見たのだけども、宮崎駿が昔、庵野秀明の実写映画「式日」の方が映画に成って居るとこっけなしていたけど、あの、世界観と云うか、薀蓄とギャグのあらしの演出は何時観ても好きですね。 嗚呼、早く、押井 守監督の新作が観たい今日、此の頃です。。。。
カルメン・マキ 2011 Lilly was gon
きょうだい心中
此間、大学時代の友人の家に行こうと、知合いの友人が云うので、(友人は自分と同じ大学では無い)一緒に出かけて来た、、その友人は、ハード・ボイルド小説、セリ・ノワールにもっぱら傾倒して居て、、レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメットは云うに及ばずコーネル・ウールリッチ、ライオネル・ホワイト、J=P・マンシェット、ジョゼ・ジョバンニ、ゼェイムズ・エルロイ辺りの本が書斎に無造作に積まれていた・・・
話をしていて、ロマン・ノワール(フランスのハードボイルド)の元祖は何かと云う話に成って、、ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」だよね、と云う話に成って、ジャン・ヴァルジャンを付け狙うジャベールはヴォートランーヴィドックが反映されていると云う話になり、、要するに、ミリュー物の傾向だよね、と云う話に成った、色々と話をしていく中で、フィルム・ノワールの映画の話に移って行きJ=P・マンシャットの「骨のみ」をクリストファー・フランクとアラン・ドロンが共同で脚色し、監督・主演をアラン・ドロンが務め演じた「危険なささやき」は1980年代に新宿ピカデリーまで観に行ったと云う話に成り、どうやら、あの映画はアメリカナイズされた乾いた感覚のノワールだったので、ドロンはレイモンド・チャンドラーの「ロング・グットバイ」を1970年代にエリオット・グールド主演でロバート・アルトマンが、現代感覚でフィリップ・マーロウを具現化させたのと同じ手法で演出していて、狙いは同じだよね、とか話し合った。古い処では、ジョバンニの監督作、フィルム・ノワールの傑作「ル・ジタン」が良いと云う話になった、(主人公のユーゴ・セナール、通称ル・ジタンは暗黒街に生きる一匹狼。ジプシー出身の彼はその宿命を背負い、社会に対する反逆の人生を送って来た 数年前、彼は仲間を虐待した村長を殺害し入獄。獄中で名うての銀行強盗ジョーと知り合い脱獄を果たす。そして彼らは次々に銀行を襲い、再び警察に追われる身となる。終盤に絡んでくる老金庫破りとの友情、別れが有り、最後は独り寂しく逃避行を繰り返して行くストーリーで終わる)
この映画は良いです。とにかくジタンと金庫破りのヤンの絡みが良い。この二人の絡みは、確か原作にはなくて、「気違いピエロ」(ゴダールの映画ではなくて原作の小説の方)の話を持って来ている。
ジョゼ・ジョバンニ(監督・脚本)の美味しい世界の集大成みたいな映画だけれど「ラ・スクムーン」よりさりげなく大人っぽく泣かせる。傷ついたジタンと獣医のエピソードも胸を打つ。主演のアラン・ドロンが義理と人情の世界に生きる一匹狼を好演した。原作は柴田練三郎の訳でケイブン社という出版社から出て居たはずです。 勿論、小説の著者はジョゼ・ジョバンニ、
彼に付いて知らない人も多いと思うので簡単に経歴を書いて置きます、レジスタンス運動から銀行ギャングに成って、それから、作家に転向し、ジャック・ベッケル監督に脚本を依頼されて、脱獄物の名作「穴」に参加し(ちなみに、この映画はベッケルの遺作となった)、それ以来、ノワールの名脚本家、オーギュスト・ル・ブルドンと肩を並べる存在に成り、監督としても処女作「生き残った者の掟」から「べラクレスの男」(自身の小説を脚本化して映画にするのが多い人だけども此れはイギリスの作家ジョン・カリックのハードボイルド小説『禿タカ』が元ネタ)「ル・ジタン」「暗黒街のふたり」「ブーメランのように」とドロンと組んでの仕事が特に有名、ロベール・アンリコ監督の名作「冒険者たち」の脚本も担当している。でも、最近、彼がレジスタンス活動の闘士で戦時中の血気盛んな生活が忘れられずに暗黒街のギャングに成ったというのは全くのデタラメで対独協力者としてレジスタンスの闘士を売った為に暗黒街に出入りする様になったと云う話もあるみたいだ、真意の程は解らないけど、彼の遺作は「父よ」だったと思う。
『ル・ジタン(Le Gitan)』 予告編 Trailer 1975.
このジョゼ・ジョバンニのセリ・ノワールの小説はジョバンニが自ら監督し、アラン・ドロン主演で映画化しました。公開当時は可也話題になりました。彼はおもに、アラン・ドロンと組んでフィルム・ノワールの名作を撮った監督になりました。青春映画の傑作「冒険者たち」の脚本もジョゼ・ジョバンニが手掛けて居ます。また「堀った奪った逃げた」や日本映画。高倉健主演のパリ・ダカールラリーの話の映画、「海へ、see you」などもジョバンニが脚本を書きました。彼の処女作は「生き残った者の掟」で、その後アメリカの小説「禿タカ」を自分で脚本にしてリノ・ヴァンチュラ主演で「ベラクルスの男」を撮りました。他にもアラン・ドロンと組んだ物では名作の誉が高い、、
「暗黒街のふたり」この映画では前科者が刑事に疑われて、悪い事を企んで居るのだろうと勘ぐられて。恋人をその刑事に乱暴されそうになり。怒りに達した主人公が刑事を絞め殺してしまいます。その彼を見守る老保護師にジャン・ギャバンが扮し、燻銀の存在感を醸し出して居ました。最後は大統領への嘆願書も虚しく。ギロチンによって首を跳ねられて主人公は死にます。また「ブーメランのように」では、元ギャングの前科者が更生して大企業の社長となり。奥さんと子供らに囲まれて幸せに暮らして居ましたが。なんとその一人息子が、ドイツ人の放任主義によって育てられた友達のパーティーに行き。マリファナを吸ってそのパーティーの様子が変だと見に来た。警官が懐中電灯でその子を照らしたら。麻薬のせいで意識朦朧として居たその子は。ドイツ人の子供らが所有して居たショットガンで、警官を撃ち殺してしまいます。彼は捕らえられ他の者たち。一番悪いはずのドイツ人の子供らは釈放されて、その子は死刑判決を受けてしまいます。後悔の念と悲観した彼は自殺を試みますが一命を取り止め。居てもたっても居られなくなったドロンは、また暗黒街の仲間と共に子供を囚人輸送者から助け出し二人で手に手を取り合ってスイスの国境を走って越えようとしますが、頭上には機銃ヘリが、ヘリの通信士は警視正に「もう彼らはスイス国境に入ります。追跡はもう・・・・」と言いますが。警視正は非情にも「射殺しろ!!」と言う処で映画は終わります。
これらの映画は皆1970年代の映画ですよ。今見たいに派手に人から血が吹き出す事も無く。それ故にリアリティーを持って見るものに対して。心情に訴えて来る映画で、人生考えろと言ってくれてる映画です。皆、悲しい映画ですけどね。私はそう言う映画ばかり観て来ました。だから私は最近の暴力的なマーベル・コミックのCG映画は嫌いなんですよ。勝手1960年代から1970年代に掛けて暴力映画は多数ありました。サム・ペキンパーの「ゲッタウエイ」「ワイルドバンチ」「ガルシアの首」「わらの犬」セルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」ダミアノ・ダミアーニの「警視の告白」ジャン・ピエール・メルヴィルの「影の軍隊」そしてドン・シーゲルの「ダーティハリー」皆さんが解りそうな映画を挙げて見ましたが。お解りになられるでしょうか?私はこう言った映画が本当の映画だと思って居ますよ。まあ、人それぞれなので。何もマーベル・コミックの映画を好きな人がダメだとは言いませんし。でも、日本映画は此処の処いい映画を撮って居ますね。河瀬直美監督作で主演が樹木希林の「あん」などやら、喜劇で居て革命を論じて居た「翔んで埼玉」とか。此処で一旦。今書いた映画の予告編を挙げて置きますね。
『暗黒街のふたり(Deux Hommes Dans la Ville)』 予告編 Trailer 1973年
「漫画原作者、梶原一騎/高森朝樹について、、」
彼が生み出しつづけた「スポ根」ものの背景には何があるのか。後年スキャンダラスにまみれた豪放磊落で強面(こわもて)の「梶原一騎」とそれは繋がるものがあるのか。「梶原一騎」と言う仮面の下の高森朝樹(本名)とはどんな人物だったのか。また、梶原作品にはどうして孤児院(『タイガーマスク』)や少年院(『あしたのジョー』)、不良[高校](『愛と誠』)や、強烈な「師弟関係」が、なぜ数多く描かれるのか。その鍵は、高森朝樹の少年時代にあったのです。そして作品は作者の心の裡を反映させると言われる様に、梶原作品も、高森朝樹自身の裡にある「マインド・ツリー(心の樹)」の露出であり噴出であり、「パンチ」であり「キック」だったのです。
祖父・高森貞太郎は、同志社大学に学び、旧制中学の英語教師だったと一言でかたずけられない存在で、また優等生と言われた父・高森龍夫は線の細いそれでなく、上から押さえつけられるのが根っから嫌いな反骨精神旺盛なインテリゲンチャだったのです。まずは祖父の貞太郎は。「梶原一騎」が吹聴し続けた熊本に”根”を持って居ました。
父・龍夫は中央公論社で『世界文芸大辞典』の校正員(当初は定職ではなかった)として働いて居ました。昭和13年、中央公論社を退社した龍夫は、大正デモクラシーの高揚を背景に民衆解放の主張を掲げ、戦前・戦中の代表的総合雑誌となった『改造』の版元・改造社に職を見つけて居ます。入社した4年後に戦時下の言論弾圧の象徴となった「横浜事件」(1942年)が起こって仕舞います(論文が共産主義の宣伝だとし、『改造』と『中央公論』のみならず岩波書店、朝日新聞などの関係者ら60人余を治安維持法違反で検挙、拷問から4人が獄死、権力は2社を解散させて居る。すべてが神奈川県警特別高等警察の権力をかさにした思い込み捜査で、事件が冤罪であった事が今では判明して居ます)。龍夫は改造社で、『俳句研究』の編集長を務め、派閥意識に固まった俳壇の閉鎖性を打ち崩そうと「大東亜俳句圏」なる構想を打ち上げ様としましたが、「横浜事件」から改造社は解散の憂き目に。龍夫は小さな雑誌社の顧問として過ごして居ます。
後の青山学院初等部に入学。喧嘩っ早く小学1年で転校を言い渡される改造者
高森朝樹(後の梶原一騎)の気性が落ち着かず、喧嘩っ早い気質は、すでに戦中の幼少期にあらわれて居ました。それでも他の子供たちと同様、戦中の昭和18年、朝樹は渋谷の私立緑岡小学校に入学(戦後に青山学園初等部と改称)しますが、やはりすぐに問題を起こして仕舞います。青学と言えば、父・龍夫が師範科時代に在籍して居た学校でした。案の定、朝樹の荒い気質は、あまりにも青学のそれとは水と油。クラスや同学年の生徒たちと衝突ばかり。朝樹の身体がこの頃から太り気味で大きかった為、勝ち目は無いと踏んだ同学年の生徒たちは、上級生とつるんで逆襲して来るので流石の朝樹も体中生傷が絶えなかったと言います。
そのくせ目立ちたがり屋でもあった朝樹は、「喧嘩」が花の如く、「喧嘩」に自身の存在感を感じ取るのでした。小学校1年にして、まずは母方の血筋と父の反抗心が融合し、鉄拳の様な塊となり、<性根>が剥き出しになって居たのです(幼少期としては自然な状態ではあると思われますが)。朝樹の悪ぶる<性根>は、そうした尖った<性根>を集団生活と学校権力で制御しコントロールしようとする環境(学校や家庭、地域)をもすべて蹴散らして仕舞う程のものだったのです。朝樹は仕返しに彼等上級生(4年生の3人組)を奇襲し血染めにして仕舞います。
これは梶原一騎の初期作品『タイガーマスク』で中学生3人をやっつけた伊達直人が、素質を見込まれてレスラーの秘密の特訓施設「虎の穴」にスカウトされたと言う背景に酷似して居ます。最も朝樹が入れられたのは、「虎の穴」ではな無く、またスカウトもされず、当時家のあった原宿穏田のすぐ近くの公立の小学校でしたが、朝樹の心の内では、空想の中の「虎の穴」の様な処こそ、自身が所属するべき処と思ったにちがいありません。現実には、母が学校に呼びつけられ、入学してまだ1年も経って居ませんでしたが、早々に転校を勧められたのでした。
1970年はジョーの宿敵、力石徹の葬式が行われた。漫画の登場人物の死を本当に葬式をあげて弔ったのだった。寺山修司が弔辞を読み。現在まで続くフィクションと現実の隙間をあえて超えて見せる聖地巡礼の元祖みたいに、今でも度々話題に上がる。矢吹丈は力石を殺してしまった十字架を背負いながら宿敵たちと戦い。そして、最後はキング・オブ・キングス。世界王者。ホセ・メンドーサとの試合で最終ラウンドまで、片目をパンチ・ドランカー症状で失明し、見えなくなっても戦い抜き「真っ白に燃え尽きて」コーナーの椅子に座り込んだまま静かに死んでいく。昔の漫画や、アニメの主人公は戦い抜いて敗れ、そして、死んでいった。そう言う話が多かったと思う。
【公式】あしたのジョー2 第1話「そして、帰ってきた…」"Tomorrow’s Joe 2" EP01(1980)
あしたのジョー・ラストシーン- [ Ashita no Joe 2 - あしたのジョー 2 ]
原作者の梶原一騎の原作ではジョーは最後は廃人になり白木葉子に面倒を見て貰いながらサナトリュームで静養の人生を送ると成って居たが、漫画家のちばてつやが猛反対をし、最後は燃え尽きて死んでいくストーリーに変えたそうだ。私がアニメを見せる看護師さんは結構本気で見てくれるので何時も見せ甲斐がある。勿論飛ばし観で見せては居るのだが。それでも話は分かる。まだ、若いので昔のアニメを知らない。だから今度は「北斗の拳」(TVシリーズではなくOVA)の「トキ伝」を見せようと思っている、まあ、私のblogでも観れるのだが。やはりテレビの大画面がいいだろうと思う。そう言えば「北斗の拳」のラオウが死んだ時も本当に葬式を挙げたと言ったら驚いて居たっけ。。。その看護師の女の子が世田谷文学館でチラシを貰ったと私に持って来てくれた。何と「あしたのジョー」の原画が載って居た。ちばてつやの漫画の原画を世田谷文学館で展示したのだった。
その小誌チラシなのだ。私はちばてつやの「あしたのジョー」は漫画も出崎統監督が監督したテレビアニメも観て居るし。そして全話をBlu-rayに、数年前にCS放送で一挙放映した時に。全話録画して所有して居る。その私に「あしたのジョー」の小誌チラシをくれたのだ。訪問看護師のその女の子には以前「あしたのジョー」から数話見せて居たからだろうか。結構真面目に見て居たから覚えて居たのだろうね。そして私が好きだろうからと、多分何かの用事で世田谷文学館を訪れた時に入手したのだろうと思う。私は「あしたのジョー」のチラシを貰えたのも嬉しかったが。その子の優しさが嬉しかった。なかなか、こう言う事はしないものだと思う。思いやりのある子だと思いますよ。だからよかったのです。
荒木一郎/果てしなき闇の彼方に (1981年)
Rikiishi Toru No Theme - Hide Yuki [ Sub. Español ]
K.O. - Yazuo Shimizu [ Sub. Español ]
Ashita no joe music -joe forever-
Hateshinaki Yami no Kanata ni
まあ、長々と梶原一騎について書きましたが。彼が「あしたのジョー」やら「愛と誠」の様な名作が書けたのは自身による生い立ちにも依る事もあったのですよ。今時の20代から40代は「あしたのジョー」は知りません。漫画の方もいいのですが。私は出崎統監督のTVシリーズ、全話を観て貰いたいです。そしてジョーやら、段平。西。紀子。洋子の話を。力石徹。カーロス・リベラ。ウルフ金串。ホセ・メンドーサとの戦いを見て欲しいですよ。今のこの時代だからこそ。男の生き様は身に染みて見て居てグッと来るモノがあると思いますよ。昔のアニメも良かったんだと思える事でしょうね。
昔の話で恐縮ですが。スポ根漫画の「巨人の星」と「あしたのジョー」の原作,脚本家の梶原一騎は、あれだけの話を作った1960年代から1970年代の申し子でした。彼の作品ではのちにドラマ化と映画化もされた「愛と誠」と言う。悲恋物語があります。子供の頃にある金持ちのお嬢さんを救った事から顔に傷を負い。その女の子は彼の事をすまないと思い続けて高校生になりました。しかしその男の子は不良になって居て、愛に「あんたを助けてから俺の運は下がりっぱなしだ」と言って彼女が幾ら謝罪をしてもそれに応じません。そして時は流れて、彼女の父親が政界での汚職の罪を背負ってライフル自殺をしようとして居ると誠が現れて「お嬢さんにどう言い訳するんだ。あんた。父親として最低だろ!!」と言って。彼女の父親が猟銃を口に入れて引き金を引く様を見て静かに亡骸を見て去って行きます。
愛は彼を慕い続けます。何時かは彼も真っ当な人になって私の処に来てくれる。そう信じて生きて行きます。最後。誠は不良のヤクザ者のチンピラと喧嘩になり刃物で刺されて仕舞います。でも彼が愛して居たのは愛だったのです。誠は血が滴る横腹を抑えて愛の元に行きます。そして「お前の元に帰って来たよ・・」と言って、愛に口付けをして彼女の胸の中で息を安らかに引き取ります。しかし愛は彼が刺されて居る事を知りません。要約、自分の愛が実ったと彼をただ静かに抱きしめて。嬉し涙を流して終わります。まさにこれもヴァイオレット同様に純愛です。
死んだ男の残したものは 森山良子
昨日は病院に行って帰りに書店に行って。ルパン三世の特集が載って居る雑誌を買って来て。そして書店の側にある蕎麦屋の「笹陣」でマグロ丼と蕎麦を食べた。大盛りにしようかなと思ったが。お腹は減っては居たが、普通盛りで注文したがそれでもお腹は一杯になった。
_____________________________