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kiyasumeが吹く、ヘタクソなハーモニカ。
kiyasumeの、 昨日の昼の食事でした。(五目焼きそば。ミニチャーハン。餃子3個。)
今日は病院に行って来た。定期診察だ。診察と検査が終わって。薬の処方箋を書いて貰い。診察料を払って、この診察料が4千幾らか掛かる。そして、薬局に薬を貰いに行くのに。歩いて居て、腹が空いたのでコンビニで、鶏肉の揚げたものとサンドイッチを買い込んで薬局の外にある。自動販売機でカフェオレを買って、その前で、エアコンの室外機の上に食べ物を置きながら少しずつ食べて居た。まあ、外で道で食べて居たのですよ。何故だか?と思うでしょう。薬局の中にはソファが置いてあるし。一見。食事をしてもいい様だが、今は、そう言う処での飲食は禁じて居る処が多い。だから外で食べたのです。しかし大学生が通って、通りすがりざまにこう言われた。「近所に、精神病院があるから、キチガイがこうやって外でものを食ってやがる〜〜。」「そうだよ。文句があるのか?」と私が振り向き様に言うと。黙って足早に歩きながら、「本当にきちがいが多い。」と呟きながら立ち去ったが・・・・・。今の世の中、思いやりなど持って居る人間はただの一人も居無い!!生きる事に付いて本気で考えて居る奴がどれ程居る。私は最近怒りたくなって来る。どいつもこいつも、自分の事しか考えて居無い。それも、自分がどれだけ不安定な状態で生きて居るのかも知らずに居る。人の善意はおちょくって考える。そして自分が大した学歴も無く大した知識も持って居無いのに。他人の事をすぐにバカにして蔑む。自分は何様だ。自分の無知を知れ.....。
【JR東日本】品川駅に現れて暴れ回る真の気違い【字幕付きノーカット】
美輪明宏「生まれてきた意義」魂のレベルが高い人が持つ特徴<賢者の泉>
私は今の病院に掛かる時に初めて会った主治医から。こう言われた。私が「大学時代に・・・」と大学時代に発病したと言おうとしたら、「大学なんて行って居ないだろ!!」私が何言って居るのか?と思ったら。「貴様は大学2年で発病したんだろ!!高卒と言え!!」そうしたらそれを聞いて居た区役所の局員の付き添いで来た、女の子がこう叫ぶ様に言った。「ええ!!そうなんですよ。この人は兄弟からも見捨てられて居るんです!!」「大学って...。何だこの程度の低い大学は〜〜。」こんなに訳も無く、ただ精神疾患者だと言うだけで、この様に罵詈雑言を言われる覚えはない!!。私は怒りがこみ上げて来たが。しかし、ただ黙って居た。精神科医は自分を神の如く思って居るのですよ。でも同じ医者仲間からは医者としては最低の科だと思われて居る。私はその先生に今も掛かって居る。私は諦めたのですよ。何もかも。母が認知症になる前に私にこう言った。「〇〇。お前。これだけのお金は持って居なさい」そして数千万円を私に寄越した。「私はびっくりして、いいの?」と言ったら、こう言った。「お前が私に、25年間。ボーナスを全額と、給料全額渡して居ただろう?」私は聞いた「それ貯めてたの...?」。母は頷くと。銀行の通帳と暗証番号を私に教えて、「自分の口座に移しなさいね」と言ってくれた。そして間も無く母は認知症に成って訳が分からなく成って仕舞った。そのお金があったから、認知症の母を6年間介護出来た。そして私は、働けなくて働いても居ないのに8年間暮らせて来たのです。しかし、その事を聞いた弟は私に電話を掛けて来てこう言った。「貴様が何で数千万も金貰えるんだ!!。ふざけるなバカヤロー!!」兄弟でさえこうだ。誰が信用出来る...。弟は私にこうも言った。「貴様は親から大学の費用として1千万も掛けて貰いやがって!!」「自分が無知だと言う事を自覚しなさい!!」弟からこの様に言われる覚えは一切ない。弟は思い上がって居たのだ。私は弟に毎月、小遣いだとお金を2万だけだが挙げて居た。しかし弟は、その金は母から言われて、親が出した金を、私が弟に渡して居たと思って居たのです。そしてこう言われた「僕は貴様から小遣いなんて、ただの一銭も貰った事など無いぞ。」自分は医大で幾ら親から金を掛けて貰えたのだ。数千万円だろ!!人はお金が絡むと成ると汚くなる。そして弟は私を兄とも思わない言葉。「貴様」と呼んだ。
北斗の拳 本家声優版 シュウ死す
皆んなそうだ。このアパートに越して来てからも。ある訪問看護師に言われた。「10年間、持ち金で暮らして来たと聞いたけど?一体幾らお金持って居るのよ〜。お金持ち〜。教えなさいヨォ!!」。要するに「統合失調症患者が一端に金なぞ持ってるんじゃねえんだよ!!」そう言いたいのだ。人は醜い。。。こう言うことをblogで書くと、大抵の人は、「あ〜あ。こいつ。自分の恥をさらして居るよ。本当キチガイだぁな。まあ、読むには面白いけどねぇ〜。」と思うだろう。私の文を読んで、面白がって居る御仁は、沢山居るはずです。君たちよ面白いだろう。人の不幸は。
Do not discriminate simply by saying you have a mental illness.
kiyasume
私は、今、無性に、自分の周りの状況を変えたいと思って居ます。良識のあるいい人たちに囲まれて暮らしたいですよ。
自分は知識も何も持ち合わせても居ないのに、人をすぐに馬鹿にして、人を落とし入れる事しか考えない様な人たちとは今後一切、縁を切ります。。。
デヴィッド・ギャレット - 愛と狂気のヴァイオリニスト
Time【訳詞付】- ピンク・フロイド
PinkFloyd - Money
GACKTの勝ち方 「GACKTが財産ショート?窮地を救った親友とは?」
【案外自由】精神病院の意外な真実をお話しします!怖がらなくていい
私の実家の職業。親父の職業は製菓材料の卸問屋だった。私の母親は弟の通って居た私立の学校で担任からこう言われた。「お父さんの職業はなんですか?」だから「食料品の会社の専務です」と言った。するとこう言われたと言う。「食料品と言うと飲食業かね?」「いえ、製菓材料の卸問屋です」「製花材料の卸問屋?」「いえ、製菓材料。お菓子の材料の問屋です」すると呆れた声でこう言われたそうだ。「お菓子の材料?。君は何を言って居るのかね?」続けて行った。「菓子に材料があるのかね?何だねそりゃ?」母は言ったそうだ「いえ先生。お言葉ですが。ケーキとか、パンや和菓子の材料です。」「ケーキやパンの材料?そんなものは小麦粉と卵があれば出来るだろう?」母は、言った。「いや先生。パンには薄力粉やら、イーストとかも居るんですよ。バターとかね。」するとその担任は顔を赤らめて怒って言ったそうだ。「そんなものはスーパーで買えるだろう!!何だそのふざけた職業は?」すると同級生のお母さんたちが、「先生。知ら無いんですか?そう言う職業ありますよ!!」と母を援護してくれたが。「そうかねぇ。私はそんなふざけた職業は知らん!!」。「君のお子さんは成績もいい。クラスでも一番だ。しかし親が、そんな乞食見たいなふざけた真似ではねぇ」母は驚いたそうだ。「この人は本当に先生なのか?教師なのか?」そうだよ。教師とはそんなモノだ。私は断言する。教育者?そう言えば聞こえはいい?でもね。本当の教育者は少ない、立派な教師?片腹痛いわ!!。そんな人は稀だ!!。話はその先生です。弟は卒業した。すると弟の処に、その先生から、毎年年賀状が届く様になった。その年賀状には「〇〇君。君の現状はどうでしょうか。私の現状を話そう。私は今、畑で野菜を栽培して居る。私が栽培して居るのだから日本一だ。当たり前だろう、、」そう書いてあった。私は弟に言った。「何?この自画自賛は?」すると弟が言った。「返事は書か無いよ」そしてその先生には目に入れても痛くない、自慢の息子が居た。その先生は息子を自慢して居た。処が息子は若くして癌で亡くなった。その先生は息子に死なれて堪らなくなり。私の弟を頼ろうとした。弟は冷酷だった。頼って来る先生を完全無視をした。仕舞いには先生の奥さんまでが連絡をして来た。それも無視をした。弟は怒って居たのだ。「自分は何様だ!!差別をするものが教師か!!」その後、その先生は奥さんにも先立たれて身寄りもなく最後は孤独死した。
GACKT:徹底解説! 人生が無敵になる方法!!
皆さん「レ・ミゼラブル」は知って居ますよね。でも皆さん。あの小説を最後まできちんと読みましたか?あらすじを紹介しますね。ジャン・バルジャンは貧しい生活をして居ました。彼は姉さんたちと住んで居て。木こりをして居ましたが。生活に追われて。ある日。子供に食べさせるモノもなくなった。家を飛び出たジャン・バルジャンは、パン屋の窓ガラスを割り一欠片のパンを盗みます。逃げたジャン・バルジャンでしたが。警官は彼を逃しません。彼は捕まりました。そしてパン一欠片盗んだ罪で懲役30年を言い渡されます。彼は言い訳をしましたが。裁判所は彼を許しはしません。彼は服役し。そして、重労働を課せられます。同じ囚人たちが彼に聞きました。「お前はどんな悪事をしたんだ」彼は言います「パンを一欠片盗んだ」すると仲間の囚人が言います。「パン一欠片で30年?酷え、、」ジャン・バルジャンは独房生活が耐えられなくなります。彼はある時、海沿いの監獄の外で作業中にロープの手を離して、海にわざと落ちて。うまく刑務所を脱出する事に成功します。彼は逃避行を繰り返しながら考えました。「オレが悪いのか、世間は何だ・・・。」そして彼はゆえあって道すがら知り会いになった牧師の処に世話に成りました。彼は食事を世話に成ります。その牧師は親切で彼の素性も聞かずに、世話をし、その晩。家に泊めましたが。彼はその牧師の家にあった銀の食器に目が行きます。彼は寝室に通されて毛布を当てがわれますが。遂にその銀の食器を盗んで夜の街へと消えて行きます。しかし警察官にすぐに捕まって仕舞います。
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彼を捕まえた警官は牧師の元に彼を差し出し言います「司祭様。こいつは銀の食器を持って居ましたが、これは司祭様のものではありませんか?」その言葉を聞いたジャン・バルジャンは驚きます_「司祭様だと。牧師ではないのか?」すると司祭は警官に「その男を離して下さい」と言います。そして警官にこう言ったのです。「その銀の食器は彼に挙げたものですよ。彼もそう言って居たでしょう?」警官はびっくりして言います。「では本当なのですね。司祭様」司祭は続けて言います「そうそう。あなたはこれも挙げたのに持って行かなかったのですね.....。」そして銀のローソク立ての燭台を彼に渡して。警官に立ち去る様に言います。警官は納得して立ち去り。そして司祭は彼にこう言います。「この食器は考えて見ればあなた方の様な不幸な者たちのものだったのです。」「これを持って立ち去りなさい」そして言います。「約束して下さい。真人間になる事を....。私は銀の燭台と食器であなたの悪心を買ったのです。」ジャン・バルジャンは泣き崩れました。それから月日はたち彼は、身分を隠してある街の市長になって居ました。しかし彼をジャン・バルジャンと睨んだ敏腕警部。ジャベールがやって来ます。彼は執拗に市長の身の周りを調べ始めます。そんな折。ジャン・バルジャンは街の娼婦に悪態を突かれます。彼がよくその娼婦に話を聞いた処。彼の作った織物工場から、不当に解雇されて、身を持ち崩した事を知ります。彼は娼婦に謝り。職を与えようとしますが。やって来たジャベールはその娼婦を市長侮辱罪の名目で連行しようとします。ジャン・バルジャンは彼と喧嘩になりますが娼婦は持病が悪化して倒れて仕舞います。ベットに横になった娼婦から、彼女には娘が居る事。そして彼女を遠い町外れの居酒屋のテナルデイ夫妻の処に預けて居る事を聞きます。その娼婦は一心にジャン・バルジャンに話します。彼は彼女を介抱しますが、そこへ先程のジャベールがまたやって来て。彼女を市長侮辱罪で再び連行しようとしました。しかし病状が悪化した彼女は娘の名を呼んで絶命します。ジャン・バルジャンはジャベールに言います。「お前が殺したんだ。彼女を!!」ジャベールは言います。「貴様はジャン・バルジャンだ!!。脱獄犯で盗人のな!!」ジャン・バルジャンはスキを付いて逃げます。そして娼婦が言った居酒屋に行きます。そして彼女の娘のコゼットを引き取ろうとします。しかし居酒屋のテナルディは悪党で、彼女を手放すには大金を貰いたいと言います。彼は逃げる時にかき集めて持って来たお金で、要求の金を全額彼に渡してコゼットを引き取り。二人で隠れて修道院で暮らさせて貰い。暫くは平穏な日々が続きますが。やがてフランス革命の波が押し寄せます。ある日。コゼットと街を散歩して居たジャン・バルジャンはコゼットを見つめる革命を説いて居る美しい青年を意識します。その後フランス革命が起き。その青年は革命の渦の中に飲み込まれて行きます。街にバリケードを作って、中で銃で武装した彼とその仲間は軍隊と激しい銃撃戦になりますが。その彼らの事を案ずるコゼットに、ジャン・バルジャンは居ても立って居られなくなり、何とその戦火の中。革命の闘士であるコゼットの恋人を守る為に駆け付けます。
映画『レ・ミゼラブル』予告編
すると中には。何とジャベールが捕まって居ました。ジャン・バルジャンは激しく動揺します。しかし彼は司祭との約束を思い出します。彼は革命の同士から銃を貰うと、彼を人気の無い路地へと連れて行きます。手を後ろにゆわかれた彼はジャン・バルジャンに言います。「そうか、遂にオレを殺すんだな。さあ、早くうち殺せ!!」彼は言います。「後ろを向いて!!」そしてナイフを取り出します。ジャベールは言います、「そうか銃では無く。ナイフで殺すか?お前らしくていい!!」しかし彼はゆわかれた紐を切り、ジャベールに向かって言います。「あなたは自由だ、お逃げなさい」ジャベールは呆気に取られますが、言われてそこを離れます。すると政府軍の一斉砲撃が始まりバリゲートとアジトは破壊されて仕舞います。大怪我を負って傷付いて居るコゼットの恋人をジャン・バルジャンは担ぎ上げて地下の排水が流れるトンネルに逃げます。しかしジャベールがその後を追います。ジャン・バルジャンは排水が流れるトンネルから出て、気絶して意識の無い革命の闘士を建物の影に横立わせると。ジャベールの名を大声で呼びます。「ジャベール!!」すると物陰から彼が出て来ます。手に手錠と銃を持った。そのジャベールに背を向けて彼は言います。「さあ、私を殺しなさい」、ジャベールは言います。「ついに年貢の納め時だな、姑息な犯罪者!!」そう言って後手に彼に手錠を掛けます。そして銃を頭に向けて狙い。「其の儘にしていろ....。」と言って。彼はこう言い出します「私の両親は犯罪者だった。いいか、私は牢獄で生まれたのだ。何人と言えども法は絶対の真理なのだ...。」そして何故か鍵を彼の足元に投げると、ジャベールは後ろ向きになって川に転落して絶命します。ジャン・バルジャンは暫く。その場を離れられませんでした。時は流れました。コゼットは何時も通り旦那と昼食を食べて居ます。しかしそこにジャン・バルジャンの姿は見えません。何と助けられたコゼットの恋人とコゼットは夫婦になった時に。ジャン・バルジャンから自分は犯罪者だと告げられて、彼を疎ましく思い。遠ざけて居たのでした。その食事の最中にテナルディーがコゼットの旦那にいい話を聞かせると言ってやって来ました。テナルディーは旦那にこう言いました。「あの革命の時にあんたを担いで静かな処に連れて行き大金を貰って殺そうとしたのジャン・バルジャンなんだぜ。」と。彼はコゼットの旦那から大金が欲しくてそう作り話を教えたのですが。逆に彼は「自分を助けてくれた恩人はジャン・バルジャンだったのか!!」と要約解りました。彼はコゼットに言います。「俺たちは何て言う人で無しだったんだ。お父さんを早く迎えに行くんだ、コゼット!!」二人は馬車を飛ばして獣道を通り急いで迎えに、遠く離れた人里離れた処に、住んで居る彼の元に急ぎます。そしてジャン・バルジャンが住んで居る。ほったて小屋の様な家に着いた二人は、病気で瀕死の状態で誰にも介抱されずに、横たわって居る彼を、見つけます。コゼットは「お父さん!!」と泣きながら駆け寄って手を握りますが。彼は最後に一言。聞き取れないほど弱々しい声で「これで要約楽に成れる....。神様ありがとう。最後に私の望みを一つだけ叶えて下さって・・・。」と呟いて事切れました。
どうでしたか。知って居る方は私の文を読んでもしかしたら、ちゃんと説明をして居ないと、思われるかも知れませんが。簡単に短く纏めて話して見ました。これが世間です。これが世の中なんですよ。烙印を押されて居る者には永久に安心も平和な暮らしも巡っては来ないのです。私もそうです。はっきり言って。統合失調症になると言う事は、世の中から見捨てられると言う事です。私は死ねるのならそうした方がどれだけ楽かと思います。私が最近よく話す。GACKT君はその事を身に染みて知って居ました。だから、彼は死に物狂いで自分に課した困難を克服しました。彼は若い頃に精神病院の独房に入れられて居たのですよ。彼は何時まで経っても独房から解放されませんでした。彼は退院したい一心で医師の身振り手振り話し方、話の内容までも覚えました。そしてその要領で先生に接しました。すると医者は。ようやく退院を許可しました。また死ぬ様な目にも何度も会いました。喧嘩をして10人程から殴る蹴るの暴行を受けました。その為に彼の鼻の骨は砕けて仕舞ったそうです。彼は思いました。「僕が病弱で弱いから喧嘩を売られるんだ。だから体を鍛えよう。」だから彼の本を読んで見て下さい。彼の真剣で真摯な生き様が語れて居ますよ。私はもう歳で、どうにもなりません。私は弟を亡くして居ます。生きて居れば彼ぐらいでした。だからこう言うと GACKTファンからは怒られると思いますが。彼を身近に感じて居るのですよ。私は彼の事を最近になって知りました。いや。正確には10数年前には知って居ましたが。本当の意味で彼を知りませんでした。そして去年彼の事を。特集した特番を見ました。彼の口調、そして彼の物腰から彼が如何に真剣に人生を生きて来たかを知りました。同時にテレビで見るGACKTのキャラクターは彼の演技である事に気づきました。そして困難を乗り切って真剣に生きて居る。彼の中年と言えどもまだ若々しい姿は。私に希望を当たえてくれました。私は死のうと思って居ました。今は、こう思い出せました。「GACKT君を見てみろ。彼はあんなに頑張って居るではないか。私ももう少し生きて見ようか....。生きてもいいのではないか?」と....。
GACKT、恩人。緒方拳を語る
風林火山 GACKT謙信 CUT#11
【衝撃】GACKTさんの壮絶すぎる過去がヤバい
怒るGACKT 。。。(2011)
人は悲しいドラマを見て簡単に涙しますが....。本当の悲しみは知りません。何故なら精神的にも金銭的にもボロボロになるまで追い詰められ。どん底に陥って仕舞った人生。そして、その事で向けられる人の露骨な酷い蔑みを、殆んどの方は知らないからです。人は弱い立場の人間に優しい言葉は間違っても掛けません。同情は絶対にしないものです。世の中の人たちが考えて居る。規格や規定から外れて、仕舞った者には容赦はしません。精神障害者なら尚更です。人とはそうした生き物です。今日は訪問看護師が来ました。私は彼女に本音を言いました。彼女らの事をblogに書いて居る事を。そしてあなた方のせいで近所付き合いに障害が出来て居ると言う事を。彼女は真剣な顔をして聞いて居ました。私は同じ障害者で交流があった女の子が自殺した事を言いました。話をして居て涙が出ました。彼女は黙って聞いて居ました。そして解ってくれた見たいでした。いや、解りはしないでしょうが。理解はした様でした。私は誰も基本的に傷つけたくは無いのです。話し合いで事が解決出来るならば、こんなにいい事はありません。だから本音をぶつけたんです。彼女に、私が物事をあなた方に話すのは矢張り幾ら外見が若く見えても。歳なんだよと言いました。そして私は自分の生い立ちを簡単に全部話しました。あとはどうなるか解りません。此間、議員秘書に喫茶店であったら録音して居るボイスレコーダーを預からせてくれと言って居ました。私は渡しましたよ。此処まで読んでくれてありがとう。
17LIVE/GACKT
三島由紀夫の生い立ちと挫折。
丸山眞男と戦後日本 2 永久革命としての民主主義
〜〜懐かし映画館〜〜
「パリの灯は遠く」
1976年フランス,イタリア映画。
「緑色の髪の少年」で映画監督としてデビューしながら赤狩りによりハリウッドを追われ、イギリスを拠点に活躍したジョセフ・ロージーによる、ユダヤ人狩りに揺れる1942年のパリをミステリーの舞台とするフランス映画。ロベール・クラインは自分と同姓同名のユダヤ人の存在を知る。しかももう一人のロベール・クラインは、二人を同一人物であると見せかけようとして居る。ロベールは身を守る為にまだ見ぬもう一人のロベール・クラインを探し始める。
監督:ジョセフ・ロージー 出演者:アラン・ドロン(ロベール・クライン),ジャンヌ・モロー(フロランス),シュザンヌ・フロン(アパートの管理人)、ジュリエット・ベルト(ジャニーヌ)、フランシーヌ・ベルジェ(ニコル)、マイケル・ロンズデール(ピエール)ほか
パリの灯は遠く 予告編
=ストーリー=
1942年1月のパリ。美術商のロベール・クラインは愛人のジャニーヌを同居させ、ドイツ軍占領下でも優雅に暮らして居た。迫害を恐れて国外へ脱出しようとするユダヤ人から美術品を安く買いあさって居たのだ。この日も一人の男が先祖伝来のオランダ絵画をもって来た。だが、彼がロベールのアパートを出る時に、1通の郵便物が落ちて居る事に気づく。客の落とし物かと思ったが彼も同じ「ユダヤ通信」をもって居た。ユダヤ人の団体が同胞の為に有益な情報を伝えるための新聞である。 ユダヤ人でない自分に「ユダヤ通信」が届けられた事を不審に思いロベールはその団体を訪れるが、何者かによって彼の住所氏名で購読が申し込まれて居た。購読を取り消すが、顧客台帳が警察のユダヤ人管理課にわたって仕舞った事が告げられる。
翌日、ロベールはもう一人のロベール・クライン氏が住んで居たアパートを探し当てるが、クライン氏のことを探りに来ていた二人の刑事と出くわす。管理人の女性にクライン氏の荒れ果てた部屋を見せて貰う。写真フィルムがロベールも所有して居る『白鯨』のページの間に挟まって居るのを見つける。写真店で焼いて貰った写真にはクライン氏とある女が写って居た。ロベールのアパートに戻るとピエールとニコルの夫婦ら友人たちがパーティーを開いて居たが、そこには同じ二人の刑事が先に来て居た。
ある雨の日、クライン氏あての一通の手紙が届いた。1月26日に来てくれないと別れると言う、女からの手紙だった。ロベールは、手紙の指示通り汽車でバスチーユへ行く。駅で降りた彼はクライン氏として晩さん会の開かれて居る城へと案内された。手紙の差出人フロランスの夫には、クライン氏の同姓同名の友人として話をとりつくる。翌朝ロベールは、警察にクライン氏との関係を話すと脅してフロランスからクライン氏の居場所を言わせるが、彼女の知って居るクライン氏の現住所はロベールの住所そのものだった。
パリに戻ったロベールはジャニーヌから警察がロベールを調べて居ると聞く。彼にユダヤ人であると言う嫌疑がかかって居た。ロベールは親たちの出生証明書を集め始める。その件で弁護士であるピエールとレストランで話して居る時にクライン氏への電話がかかって来る。だが、ロベールが電話に出ようとすると、別のクライン氏が出て既に電話を終えて店を出て居た事がわかった。それをきっかけにロベールはクライン氏を探す事にのめり込んでいく。写真に写っていたクライン氏の恋人がダンサーをして居た事がわかったが、仕事を辞めた後の足取りはつかめなかった。ロベールの祖母の出生証明書が手に入らない。警察がロベールの家を捜索し、絵画等を押収していく。多くの私権を制限される。そしてジャニーヌが彼の元を去る。
ピエールが国外脱出のための偽造パスポートを用意する。マルセイユまで汽車で行って船に乗るはずだった。ところが、偶然ロベールは汽車で別のロベールの恋人の向かいの席に座る。クライン氏は彼女を駅で見送って居た。そしてアパートの管理人が彼を匿って居た事がわかる。パリに戻ったロベールはピエールの家から電話を掛けてもう一人のロベールとついに話をする。しかし、ロベールがクライン氏に会うべく彼のアパートに行ったとき、彼はちょうど連行され、管理人が泣き叫んでいた。ピエールが警察に通報したのだった。
ロベールは彼の家を訪れた警官に偽造パスポートの偽名を告げるが、彼の顔を覚えて居る警官が居た為に、ユダヤ人を詰め込んだバスに入れられて仕舞う。バスが広場に到着する。人々でごった返している。その時「ロベール・クライン」と言う名がアナウンスされ、自分と別の男が挙手するのをロベールは見る。ロベールを見つけたピエールが「出生証明書が届いた」と声を掛けるが、ロベールはもう一人のロベールを探し続け、とうとう強制収容所行きの列車に乗って仕舞う。
『パリの灯は遠く』(前編)ゆるく考える映画史 001
『パリの灯は遠く』(後編)ゆるく考える映画史 002
この映画は、水野晴郎の「金曜ロードショー」で1970年代の終わり頃に見た記憶がある。ユダヤ人狩り。戦後の日本でもレッド・パージ(赤狩り)があった。共産主義者が狩られたのです。差別は無くならない。多勢に無勢だ。そしてこの映画は1980年代に。TDKコアからビデオが発売されて。それを購入して持って居た。
ナチス占領下のパリで、ユダヤ人と思しきもう1人のクレイン氏は誰で、どんな顔だと言うミステリーを中心にした映画。恐らくロージー自身の赤狩りの影響下にある話。前半、ほぼ全場面に鏡面が存在して居る気がする。鏡やガラスや水面と言った様な。さらに写真のネガも加わって、端的に向こうの世界の同姓同名の男が纏わり付いて来る。そして肖像画やクロースアップで示される顔につぐ顔が、主人公(と観客)の脳内で判然としないクレイン氏への疑いを助長する。途中、手に入れる写真が何も語らない。映っている女はイザベルなのかキャシーなのかフランソワーズなのか…。写真はかつてそこにあった事実を示すが、それすら破られてしまう。
ナチス占領下のパリで、自分と同姓同名のユダヤ人を追いかける画商の苦悩と好奇心を描いた、ジョセフ・ロージー監督のサスペンスドラマ。アラン・ドロンが演じるのは、原題にもなって居るロベール・クラインと言う人物。国外に逃亡するユダヤ人から絵画を安く買い取る事で富を得て居るが、ある日「ユダヤ通信」と言う新聞が自分の処に届く。身に覚えのないクラインは新聞社や警察を訪れ、近所に同姓同名の別人が居る事を知る。自分がユダヤ人と間違えられるのは避けたいクラインは、自分の出自がユダヤ人に関係ない事を証明しようとすると共に、もうひとりのロベール・クラインを追跡する。
本映画は、ナチス占領下のパリでのユダヤ狩り(映画冒頭のシーンは強烈)と同姓同名の人物の謎と言う2つのテーマが有機的に結合しながら、一つのストーリーが展開して行くと言う構造である。このストーリーがなかなか興味深いし、赤狩りによって母国アメリカからイギリスに亡命せざるを得なかったジョセフ・ロージー監督自らの経験も生かされて居るであろう。しかし、映画向きか小説向きかと言われれば、個人的には後者の様な気がしてならない。主人公のクラインの心の中では、自分がユダヤ人と誤解される事への恐怖と、それでも隠しきれないもうひとりの「自分」への好奇心が同居して居る。これを映像的に表すのは容易ではないと思う。アラン・ドロンの演技も悪くはないのだが、いかんせん映画全体を通じてポーカーフェイスなので、この複雑な心情が伝わっ来ない。恐怖を感じて居るだけならば、さっさと国外へ逃亡すればよいのだから。そこが上手く表現されて居ないと,ラストシーンが活きないのである。
女性陣は、もうひとりのクラインの愛人役がジャンヌ・モロー、もうひとりのクラインが住んでいたアパートの管理人役にシュザンヌ・フロン、アラン・ドロンの恋人役にジュリエット・ベルトとなかなか充実している。ジャンヌ・モローのエメラルド色のドレスと、シュザンヌ・フロンの表情が印象的だった。
去年にアランドロン氏が名誉パルムドールを授与された時の事です。
去年の5月19日の日
11時からは、ドロンによるマスター・クラス(特別講義)が開催
「この名誉賞は監督たちにあげたかった。私は第一バイオリンやピ
そして “彼ら”との思い出話も披露しました。例えば、『太陽がいっぱい
また、恩師で盟友のメルヴィルが、自身の映画スタジオを火事で失
そして午後、ドロンはレッドカーペットを歩いたのち、名誉パルム
授賞式後は同会場で、ドロン主演 & プロデュース作として名高いジ
さて、名誉パルムドール授与については、映画祭開幕前からアメリ
しかし、フレモー総代表はこの反対運動を「我々はノーベル平
人間疎外論です。少し、難しい文ですが、是非一度とうして読んで見て下さいね。
ヘーゲルの人格疎外論
まず、ヘーゲルの人格疎外論です。ヘーゲルは、人間は自由な意志をもつ自由な人格として最高の存在であると考えました。この自由な意志により、人間は自分自身を認識対象として客観的に見つめる「自己意識」をもち、「有限性のなかでそのように自分を無限なもの、普遍的なもの、自由なものとして知る」(『法の哲学』三五節)として居ます。
人間は自由な意志を持つ人格として、権利能力をもち法の主体となります。したがって「私権の享有は出生に始まる」(民法一条の三)のですが、まだ自由な人格として完成して居ない未成年者や自由な人格になりえて居ない精神障害者の行為能力は制限されて居るのです。人間は自由な人格として、もろもろの知識、学問を身につけます。それは自由な人格と一体化した内面的な精神であり、それを譲渡したり、放棄したりする事は自由な人格の譲渡や放棄につながるものとして許されません。しかし内面的な知識や学問も、発表したり出版したりして外面化すれば、自由な人格から区別して譲渡したり放棄したりする事が可能となります。ヘーゲルにとって疎外とはまず内面の「意志」とそれを外在化した「モノ」とを分離する事を意味して居るのです。
言いかえると自由な人格は、自己の内面の意志から疎外された「モノ」を自己の所有物にする事によって、かろうじて自由な人格の疎外を克服する事が出来る事になります。
すなわち自由な人格は、労働により生産物のなかへ「自分の意志を置き入れ」(『法の哲学』四四節)外在化する事により、生産物を自己の所有とするのであり、生産者による生産物の所有は「人間の、いっさいの物件にたいする絶対的な、自分のものにする権利」(同)です。したがって自由な意志を外在化した労働生産物を、生産者の意志と無関係に生産者から奪いとり、搾取する事は、自由な人格の疎外の最たるモノと言えます。しかしヘーゲルは、生産者が生産物を所有する事は絶対的な権利だと主張するにとどまり、搾取による自由な人格の疎外を正面から論じる事なく、その課題はマルクスに引き継がれる事になったのです。
フォイエルバッハの宗教的疎外論
2つは、フォイエルバッハの宗教的疎外論です。
フォイエルバッハは、現実世界の苦しみの解決を宗教に求めようとする宗教的世界こそ自己疎外の根本原因であり、宗教的世界から解放されて世俗的世界に立ち戻る事により疎外から回復すると考えました。
「フォイエルバッハは、宗教的な自己疎外と言う事実、すなわち世界が宗教的な世界と世俗的な世界とに二重化すると言う事実から出発する。彼の仕事は、宗教的な世界をその世俗的な基礎へ解消する事にある」(「フォイエルバッハにかんする第四テーゼ」『「新訳」ドイツ・イデオロギー』一一一ページ)。
これに対してマルクスは、世俗的な現実そのものが自己疎外を生みだして居るのであって、疎外からの解放の為には、現実世界そのものが実践的に変革されなければならないと考えました。
「この世俗的な基礎そのものが、それ自身において、その矛盾のなかで理解されなければならないのと同様に、実践的に変革されなければならない」(同)。
マルクスの人間疎外論
マルクスの人間疎外論は、こうしたルソー、ヘーゲル、フォイエルバッハの疎外論の止揚のうえに誕生する事になります。
ルソーからは、人間の類本質、その疎外、疎外からの解放と言う、人間疎外論と人間解放論の統一、あるいは否定の否定の論理を学びました。マルクスは「資本主義的な私的所有は、自分の労働にもとづく個人的な私的所有の最初の否定である。しかし、資本主義的生産は、自然過程の必然性をもってそれ自身の否定を生み出す。これは否定の否定である」(『資本論』④一三〇六ページ/七九一ページ)として、人間解放の社会主義・共産主義を搾取による人間疎外を否定する「否定の否定」としてとらえて居ます。
ヘーゲルからは、人間の類本質の一つが自由な人格のもとでの自由な意識にある事、および生産者が自由な意識の外在化である労働生産物を所有する事が「絶対的な」権利である事を学び、マルクスはその事をつうじてヘーゲルが明確にしなかった搾取が人間疎外の根本的要因である事を理解したのです。
フォイエルバッハからは、なるほど宗教的疎外から解放される事も重要かも知れないが、それ以上に現実世界の苦しみの根源である搾取による人間疎外からの解放を求める社会変革が重要である事を、いわばフォイエルバッハを反面教師として学びとっていったのです。
こうしてマルクスの人間疎外論は、搾取を疎外論の土台にすえながら、人間の類本質のすべてにわたる疎外論を論じ、原始共同体における類本質の顕現した人間、階級社会における類本質の疎外された人間、社会主義・共産主義社会における疎外から解放されたより発展した人間と言う立体的構造をもつ「人間論」のなかに位置づけられて論じられる事になるのです。すなわち「あらゆる解放は、人間の世界を、諸関係を、人間そのものへ復帰させる事」(全集①四〇七ページ)にほかならないと捉えたのです。
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