I Girasoli / ひまわり(イタリア映画)
今日は、YouTubeでの「ヨウジ・ヤマモト」のパリコレのファッション・ショーをテレビで見て居た。3時間半は見ただろうか、此処数年分の映像は全て見た。見た感想だけども、彼が、日頃言って居る。汚く見えるものにも美しさはある。成る程、「ヨウジ・ヤマモト」の作る服にはそれがある。ヨレヨレなのに張りがある。いかがわしさとシンプルと言う、両立不可能なものがスレスレの均衡を保って居る。ヨウジは自分の作る服の事を、「いかがわしい服」と表現する。それは、この世界のどんな人間類型を思い起こさせる様な服と言う意味だ。サラリーマンらしくも芸術家らしくも無く、ジャーナリストらしくも学生らしくも無いし、老人らしくも若者らしくも無い。そのどれにも成り切る事を拒む様な、ある意味抽象度の高い服。私は昔から1970年代の格好を服で表そうと思って色々と着て来た。私はまず、昔のマキシを試みた。だから10年ほど前にネットで探した。そしてあるブランドがロング・トレンチコートを発売して居たのでそれを購入して暫く来て居た。
それで喜んで居た。そして、ある時にループ・ニットを購入した。どれも1970年代の匂いがしたからです。
しかし、今日、「ヨウジ・ヤマモト」のファッション・ショーを見て居て、こう思ったのです。私が、探し求めて居た服のイメージは全てヨウジの服にその要素が詰まって居たのだと。しかし「ヨウジ・ヤマモト」ブランドは高い。1着、安くても軽く26万はします。だから、私は、此の間は「ヨウジ・ブランド」でも彼の若者向けの2万ぐらいで軽いコートなどが買えるブランドの所から薄手のコートを1着購入した。それは秋口に着られると思う。そしてネットを見て居たら。「ヨウジ・ヤマモト」ブランドで売って居る様なロングのブレザー・コートが6千8百90円で売って居たので、即購入した、先ほど届いたが、着た感じはモロ、「ヨウジ・ヤマモト」だった、安いが品質もそう悪くは無いし。大体がヨウジの服に可成り似せてある。世の中は、今、彼がブームだと彼の服に似せた類似品の服が出回るモノなんですよ。私は結構。安い物でデザインが優れて居てカッコイイ。高級そうに見える服を買うのがうまいのですよ.....。
YOHJI YAMAMOTO pour homme A/W 20-21 Show Footage
しかし本物の「ヨウジ・ヤマモト」ブランドの服は是非欲しい。彼の作る服には哲学がある。私は持ち金で暮らして居る。そしてそのお金はもう尽きようとして居る。他人は贅沢に買い物なんかしやがってと思うのだろうけど。生活保護を受けるには持ち金が一銭もなくなら無いと、認可が下り無いんですよ。私はよく近所の喫茶店に行く。そこで此間写真を撮られた。食事をして居て。フラッシュが焚かれて光が差し込んだので分かったのです。そうしたら店の従業員さんたちが、「あの人、歳行って居るよな....。」「いやまだ若いだろ~~。」とか私の事を話して居た。そしてこう言って居るのが聞こえて来た。「芸術家なんだろ。髪長いし、、」ただ写真は誰が撮ったのか分からない。一瞬だったからだ。こう書くと。また反感を持つ人が居るかとも思うが。私が20歳当時。新宿を友達のギター弾きと歩いて居て。矢張り一人のカメラマンがカメラを向けて私の写真を連写で撮って居た事があった。私はよく分からずに「何だろ?」と思って居たら。その一緒にいた友人が「 BB!!(私の仇名。)今、お前写真撮られたぜ!!」と言うので、「何で?」と言ったら、そのカメラマンらしき年取った男の人が寄って来て。その人はある雑誌の専属のカメラマンで、「次回の雑誌で若者のストリート・ファッションの特集をするのだけども。今日は、貴方の服装が個性的だったので撮った。雑誌に載せるから宜しくね」と言って、名刺をくれた。それから程なく。書店に並んだ、その雑誌の写真記事に成る程、私を写した写真も載せてあった。しかし、私は。その当時、余り服装には凝っては居なかった。
Yohji Yamamoto | Master of the Shadows
どちらかと言うと、有りの儘と言うか。その時の服装は。薄汚れた青いジーパンに、レッド・ツェベリンのギタリスト、ジミー・ペイジの写真がプリントされた白いTシャツ、このTシャツは一緒に歩いて居た友人の知り合いの女の子が作ってくれたモノだった。そして一丁らのジャケットを着て居ただけだった、靴は革靴だった。ジャケットは少し大きくて、ダブ付いて居たし。まあ、色はブラウンだった。丁度、アメリカ映画の「ダーティ・ハリー」でクリント・イーストウッドが来て居たものと同じモノを東急デパートで母に買って貰ったものだった。当時は5万円ぐらいして凄く高かったモノだった。確かに履いて居たジーパンは裾を直して居なかったので少し長く、引きずって居たような格好だった。その格好がラフで良いと雑誌には書かれて居た。確かに髪は長く長髪だったし・・・。その格好にギターケースを担いで居たから。尚更、目立ったのだろうと思う。ちなみに友人は写真の専門学校に通って居た。彼は今、どうして居るだろうか、、おそらくファッション・カメラマンになったと思う。もう歳だ。ギターは相変わらずに弾いて居るのだろうか?私のブルースハープを「余り巧くは無いけど。ブラックなフィーリングがある。俺は好きだ。」と言ってくれて居た。親友だった。よく一緒にギターを弾いたよなぁ。。。。
Jimmy Page's Chopin Prelude n.4 - Arms Concert New York 1983
なんてったってジミーペイジ(天国への階段)Jimmy Page
ジミー・ペイジ DEPAPEPE
それからこんな事もあった。私の会社にケーキ屋の息子が入社して来た。彼は顔が広かった。そして、少しヤンチャだが。苦労人だった。彼と一緒に得意先巡りをして居た時だ。彼は私に言った。「〇〇ちゃん。少し前まで、バンドを組んで居たと言うけど、楽器は何弾いたの?」そう聞かれたので、「ギターとハーモニカですよ。」と言うと「何、フォーク・ギターで?、、」と言うので「いや、生ギターも弾いたけど。エレキギターですよ」と言って、まだギターダコが残る指を見せたら、「演奏したテープあるだろ。今度、聞かせてくれる?」と言うのですよ。それで次の日に。当時に持って居たカセットデッキを車に持って来て、聴かせたら。突然。「「スイング・ジャーナル」の編集長を知って居るから、会わせてやるよ」と言って。確か玉川沿いのお宅だったと思うけど。「スイング・ジャーナル」の編集長の家まで私を連れて行って呉れた。私は編集長の家に入ると、部屋中がレコードだらけで、特に、壁と言う壁、一面に棚が並んで居て、レコードが収まって降り。その膨大なレコードの数に圧倒して仕舞って居た。彼は編集長に「最近、余り顔を見せに来ないよねぇ、」と言われて。仲良く話して居たが。自分は食料品の卸問屋に入社した事と、何故か私を。「こいつは働いて居る会社の専務の息子で・・・。」と言って紹介し始めた。
kiyasume17歳の時の演奏です。下手ですけど。。。
エブリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース
そしてこう言った。「こいつ。日暮さんの「ザ・ブルース」に投稿した事あるんですよ....。」と言い出した。確かに私はこの時より少し前になるが。1970年代当時。ブルース評論家の日暮泰文さんと言って、彼はブルースの評論雑誌「ザ・ブルース」と言う月刊紙を発行して居て。出版業界でもブルースの専門家として名を馳せて居たのだけども。その雑誌に、投稿した事があったのです。内容はもう余り定かに覚えては居ないが。確か「ジョニー・オーティス・ショーと。シュギー・オーティスに付いて」と言ったモノだったと思う。便箋に書いて送ったのだが。それが採用されて誌面に乗った事があったのだ。今、思うと彼が何故、そんな事を「スイング・ジャーナル」の編集長に言ったのかと言うと。毎日、私を会社で見て居て。「此処にはあって居ないだろうに・・・。」と思って呉れたのだろう。そして「こいつはジャズ・ブルースのギターも弾くんですよ。」と言って呉れたのです。私はただ、なんか恥ずかしくて黙って居たら。編集長が「日暮さんはブルース得意だからなぁ....。」と呟いて。「ジャズでは誰が好きなの」と聞いて来たので、「一番好きなのは、アルト・サックス奏者のソニー・クリスでしょうか....。」と言ったら、「なんだ。結構渋めだねぇ。」と言って笑って居た。私はその他に。『ソニー・ステットとオスカー・ムーア。あとギターではバーニー・ケッセル。そしてグラント・グリーンは可也好きです。」と言ったら、「ナット・キング・コール好き何だぁ。」と言って。「オスカー・ムーアが好きだなんて。流石にギター弾いて居るだけの事はありますね」と言って居た。彼はザ・ナット・キング・コール・トリオの一員であり、当時コールが録音した殆んどすべてのレコードで演奏をして居る。ムーアは優れた、影響力のあるギタリストであったが、自身はチャリー・クリスチャンから影響を受けて居た。バーニー・ケッセルは、スモール・コンボに於けるジャズ・ギタリストの役割を確立したのはムーアだったと述べた事がある。
また、kiyasumeのブルースの演奏です若い頃のギターソロです。前にも挙げてましたが。また度上げておきます・
ストーミーマンディー
そんな事を話して居たら。奥さんがショート・ケーキと紅茶を入れて持って来て呉れた。私は遠慮がちに頂いたが。紅茶を飲もうとしたら。奥さんが膝に抱っこして居た赤ん坊が口から角砂糖を吹き出してそれが紅茶の中にポツンと落ちた。奥さんは、「あらら、この子、いつの間に角砂糖を口に入れてたのかしらねぇ」と言って居た。私はそれを「赤ん坊だから汚いとは言えないしなぁ、」と思い。其の儘飲んだ。編集長の家を出て、車に乗るとその人が少し怒り気味に私にこう言った。「なんで、自分を売り込まなかったの?俺は、紹介したんだぜ。」だから言ったんですよ。「紹介はありがたかったけど。自分は、今、音楽どころでは無いんですよ。病気の症状が重くて、、」と言った。すると彼はこう言った。統合失調症の事は俺は通り一片の事しか解らないけど、俺の前では薬飲まなくても良いよ。」そして続けて行った「まだ若いのに・・・。」そんな事とか色々有りましたよ。
It Ain't Necessarily So
Blues In B Flat
Barney Kessel blues
Elvin Bishop at The Little Fox
そして最後に、、書いて於ます。高校の時に。「ミュージック・ライフ」に葉書を出した事がある。内容は「ブルースマンのオーティシュ・ラッシュとバディガイに付いて教えてください」だった。すると当時の女編集長が雑誌の投稿欄にコメントを書いて呉れて。そのコメントにはこう書いて呉れた。「君は高校生でブルース演奏して居るの?最近はロックも、なんだか陰りが出て来て居るのよ。此間アメリカに行ったら。エルビン・ビショップのライブを見る機会があったんだけども。彼がブルース演奏したのよ。私もブルース大好きだから。ラジカセ持っていかなかった事を後悔したわよ。私もブルースの事とかもっとこの雑誌で言いたいのよ。でも最近はロックが主流だし、それも新しいウエーブが来て居るのよ。詳しくは次号見てね。しかし、貴方のお陰で私も好きなオーティシュ・ラッシュとバディ・ガイの紹介記事を書けたわ。ありがとう。」と。この二人についてのミニ・コーナを雑誌に作って記事が書いてあった。そんな事もあった。。。
Gambler's Blues (Single)
Buddy Guy - Key Don't Fit
SHUGGIE OTIS & AL KOOPER - Shuggie's Shuffle
私は小柄です。写真を見れば分かると思います。この数枚の写真は今まで撮った写真から掲載してます。「自分の写真か!!カッコイイとでも思って居るのか!!」と言う人も居るでしょうけど。まあ、堪えてやって下さいね。こうやって写真を眺めると「此処数年間。色々あったなぁ」と思います。。。私は今、61歳になります。「何時迄もガキの侭か!!」と言う方も居るでしょうけど。私は私です。。。。
kiyasumeの15年前の写真と最近の写真を並べて紹介します。。。
15年前のkiyasumeです.......
今までの写真有効使用につき、今回、思い付いた催しですが....。皆さんから顰蹙を買われるの必死でしょうねぇ〜。「豚は引っ込んで居ろ!!」とか、、
だから悪ふざけは此処までです。此処まで見て頂きまして恐縮でした・・・・・・。
kiyasumeのヘタなブルースのハーモニカ・アドリブ演奏。。。 調子が悪いので、、まぁ〜。。。。冒頭20秒程、音が初め出ません。無音状態です。それから、気まぐれに吹いた、ハープソロが入って居ます。よろしく。
「Off・The・Wall」風。「Every day I have the blues」です。18歳当時のバンド演奏です。まだヘタですが、、聴いてやって下さいね。。。。
最近 (_ _).。o○.....。kiyasumeはうつ状態です。人は醜いですねぇ・・・・・。弱い立場の人間は徹底的に嫌がらせをされますよ。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
皆んな、自分は最高だと思って居るのかなぁ、、其れとヤッカミ。。。。自分と相手をすぐに比べて、相手より自分が勝って居ると喜ぶ。男女問わずにね、そして、相手より自分が劣って居ると相手を憎む。そう言う人って居ますよね。私はこのアパートに越して来てから。1階に住んで居る子供たちにアニメやら映画のDVDを挙げて居た。そうしたら訪問看護師が来て、窓を開けて話す。悪気は無いのだろうけど。話は下に筒抜けだ。そうしたら、私の病状が聞こえたらしい。そして暫くして、私は1階の住人と話をして見たが、、態度が私を訝しがって居た。。。。此間。下の部屋のもう一方の住人が私が郵便受けを見て居たら私に「こんにちわぁ〜。自分が何言われて居るか知らないのかねぇ。」と呟いたのが耳に入った。つぶやき声だったが私は楽器をやって居るから耳はいい。折角、住人たちとはいい関係だったのにな。私は、今、議員さんと話して居ます。色々とアドバイスを貰って居ますよ。主治医とも話して居る。私がトイレに入った隙に、私のパソコンを見て居た看護師が居た。前のマンションの時に。私は病気で伏せって居たが、その時にヘルパーが二人連れで来て。私が掃除は任せて居たから、本を少し読んで居たら。来てこう言う。「あらあら〇〇さんが本を読むなんて!!なんて進歩かしらねぇ。どうしたのぉ〜〜。」そして私が見て居ないと思って隣の部屋で、引き出しを開けて見たり恐らくはパソコンも見て居たのだろうと思う。散々ですよ。そして、私が大切にして居るハーモニカアンプ「ハーピスト」のスピーカーに。上に乗せてあるマイクのプラグが突き刺さって居た。なんでそう言う事をするのかな....。私はちゃんと分かって居ますよ。人は醜いですね。。。。今まで怒らなかったのは、自分が病気で倒れた時にお世話になったから。私は恩義は忘れない。しかし。ねぇ・・・・。
さて、今日は、病院で診察です。私は、でも、訪問看護師に付いて。ただ言いたい、、「人の事を蔑む事は、自分らの看護師としての倫理に対してどうなのか、考えて見た事ありますか?」と。一度聞いて見たい。。。私が色々と知って居る事を言って教えようとするのは私も歳なんだよ。あなた方は私より何十歳も年下でしょう。なんで年上のものの言う事が聞けない。私が若く見えるからと徹底的に蔑んでバカにして居る。そして私が「自分は生きても後10数年だからね」と言うと「けっ!!」と言うものも居れば。「すぐに死ぬよ」と言われた事もある。でも、まあ、最近は嫌味とか言わなくはなったけどな。最近はそう言うと黙って居る。今は私が言ったから、窓も閉めては居ますけどね。人に対して嫌味だとか面と向かって悪口言ったら、その相手は大抵は怒りますよ。それは当たり前でしょう。此間だヘルパーからも言われた。「私、今度、此処のアパートの不動産屋に行って此処の大家の住所、聞いて来ようかしら?〇〇さんの事。言って来ようかしらねぇ〜〜。」なんでそう言うことを言うのですか?私が「やめて下さいよ。大家には病名を言って居ないのだから」と言ったら。ニヤついて居て。。。。まあ、その会話もボイス・レコーダーを聞いたら。ちゃんと録音されて居ましたね。
何故。こう言う事しか言え無い。だから私はこのblogにこうやって書くのですよ。あなた方が私にそう言う事を言うのでしょう?私のアパートの下の住人が、最近私を見て訝しがって居る。私は障害者ですよ。バカにしたければすれば良いが。何ですか?「私は此処の大家さんと友達だよ〜〜大家、知って居るからさぁ〜。」私はよく仕事をする人だと思って居るのに、何でそう言う事を言うのですか。私は議員さんに色々と相談に乗って貰って居ますよ。それから役所から「福祉の事業所の人たちやらの、嫌な事。気に掛かる事。頭に来た事とか、あったらアンケートに書いて下さい。」と言う。書類が届くのですよね。そう言う事知って居ますか?「良い気になるな!!」と書き込みされたけど、、それはどちらですか?こちらは何も悪気は無いですよ。あなた方が勝手に私をバカにして言う事でしょう?だからblogに書くのでしょう。何故、そうなのですか。私とは関係ないでしょう。貴方の名前を書きましたか?名前を書いた人も居るけど。それだけ、私が頭に来たからです。此間。ケア・マネジャーが来てくれました。色々と話が出来た。議員と連絡を取って居る事も話し合った。会話はボイス・レコーダに録音してあります。私はそこまでしたくはないが。その議員に言われて録音してますよ。そう言う事も知らないで・・・。ケア・マネージャーは私よりはまだ若いがしっかりした人です。その人に、「夕陽のガンマン」と「続・夕陽のガンマン」そして萩原健一と岸恵子の「約束」(こう書いても今の人は知ら無いでしょうね。萩原健一こと「ショーケン」の愛称で皆んなから慕われた、グループ・サウンズから役者になった彼が、初めて出た映画で。日本映画の中では有名な映画ですよ。ショーケンはこの映画の演技で、後で彼が大ブレークする事になる刑事ドラマ「太陽にほえろ」の主役を大抜擢されて。以後、彼は人気俳優になりました)のDVDを渡しましたが。彼は、「本当は貰ってはいけ無いんだけども、今回は有り難く頂きます」と言って、「毎日忙しいけど。今度、夜勤があるので、その時に観て見ます。ありがとう。」と言って気持ちよく貰ってくれました。
それから以前。こう言う事もありました。私は、アラン・ドロンと言う役者が好きで、アラン・ドロンが好きなファンの方でも中々彼の映画で持って居無い。映画をDVDに焼いて持って居るのですが。ある女の人が、その映画を切に探して居たので、「泥棒を消せ」と言う、その映画をダビングして挙げたのですが。この映画は、アラン・ドロンが1966年頃に出たハリウッド映画で、黒人のオスカー俳優シドニーポワチエ主演の「野のユリ」と言う映画を撮った、アメリカ人の映画監督「ラルフ・ネルソン」がドロンをアメリカに呼んで、撮った映画ですが。隠れた名作なんですよね。そして、その女の人から物凄く喜ばれて、その女性から、お礼にと、また、この映画も手に入ら無い映画ですが、アラン・ドロンとミレーヌ・ダルクが撮った「栗色のマッドレイ」と言う映画があるのですが。この映画はテレビで放映される事が余り無く。最近では全く放映されて居ません。内容はこの2人の夫婦生活を赤裸々に描いた映画で。その映画のDVDを貰いました。そしてその女性から、「自分の所に、私と貴方のやり取りを見て居た同じドロンのファンからこの「泥棒を消せ」をダビングしてくれと依頼が凄く来るのですが、すみませんが貴方もその人たちにダビングして差し上げてくれ無いでしょうか?」と言われたので。女性3人にDVDにダビングして送って挙げましたが。その一人のある女の子に「観た感想はどうでしたか?」と聞いたら。「私。貴方の事を好きでも無いし。大体。貴方の blog読んでも、共通点ないし、、でもこの映画が手に入って私は超満足〜〜!!きっと神様が私に巡り合わせて下さったのだわ〜〜。そお言う訳なので!!これで!!」と言うのですよ。私は呆れて、こう書きました。「それはよかったですね。それでは。」とそう書いて2度と連絡は取りませんでした。そのDVDのお金は貰っては居ません。善意で、同じドロン・ファンだと思って差し上げたのですから。でも私はこう思って居ました。私はまだ、アラン・ドロン主演作で「さすらいの狼」と言う。今まで、ビデオ化も。DVD化もされて居無い。名画をDVDに録画して持って居たのですよ。それらをまたダビングして挙げようかと思って居たのです。しかしそう言う態度だったから、挙げるの辞めましたよ。結局自分が損をするのですよね。礼も言わ無い。何でしょうかねぇ.....。
アランドロン 予告編集, ②Alain Delon Notice edit ②Trailer
Alain Delon - Tango in Ebony (Maksim Mrvica)
Ален Делон- лучшие фотографии. 😍 Alain Delon- the best photos.
À Toi .. Joe Dassin " Alain Delon and Dalila" ビッグ・ガン(映画) / アラン・ドロン Big Guns (Tony Arzenta) / Alain Delon
ただ一言言って於きます。嫌なら来なければ良いのじゃ無いですか?私は、ただでさえ調子が悪いのにさらに調子が悪くなった。ヘルパーさん。貴方、此間聞きましたよね。「調子はどう?」私は「悪くは無いですよ」と言いましたが。。。調子は最悪なんですよ。今日主治医とよく話して来ますよ。そして、その後時間が取れたと言ってくれたので議員さんとも話す予定になって居ます。まあ、今日は主治医と色々と話して来ますよ。疲れた。。。。
友人のakiさんの作った曲です。演奏はakiさんです。彼はロック・ギタリストです。若い頃は矢張りバンドで演奏して居ました。彼は芸能界に居た事もありましたよ。この演奏。ドラム。ベース。ギター。ボーカル。すべて彼の演奏です。。。彼からはブルースギターの音源を貰って居ますが。私はこんな調子だから。その音源にハーモニカを被せて録音が出来て居ません。。。。録音出来たら。このblogで発表しようと思います。。。
akiさん無断でblogに貼り付けて御免なさい・・・・。
akiさんが作った曲です。。。
こころ Masaaki Akiyama (歌詞入り)
これはakiさんが作ったブルースナンバーです。。。まるでニューオリンズ・ブルースの様だ。ギターもオーティス・ラッシュのようだ。
Blues Rumba Backing Track A (Jamming on Masaaki)
知り合いのプログレ・バンド。
プログレバンド Live in 都雅都雅
知り合いのブルースバンド。。。
yamazen&the blues fellows feat.tad miura「煙草とコーヒー」
このblogで何遍も言って居るので、知って居る方も居られるかと思いますが。私の姪はシンガー・ソング・ライターで作曲家です。今は活動を休んで居ますが。CDも出して居ます。今からもう10年程前のコラボですが。2人の歌手に曲を書きました。今は私は連絡を取って居ませんが。活動はどうなんだろうかな。。。。
私の姪が作曲した曲です。歌って居るのは愛内里菜ちゃんです。
愛内里菜 CODE CRUSH LIVE, 高画質
また。姪が作曲した曲です。歌って居るのは三枝夕夏ちゃんです。
Secret & Lies / 三枝夕夏 IN db
昔。知り合いだった人のバンドです。ディオですか。。。
Downer One - 秘密のヴェール〜MCやら口上やら
ファッション・デザイナー山本陽二さん。彼は今年で77歳になります。どうですか、、
カッコイイですよね。男として憧れますよ。こんな70代に為りたいですね。。。。
1972年にY’s(ワイズ)を設立した山本耀司氏が81年にスタートしたハイエンドライン、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)。
「ヨウジ」等の愛称で呼ばれます。
デザイナーの山本耀司氏はオーダーメイドの洋装店を営む母親の下で育てられ、慶応大学法学部を卒業した後、文化服装大学で服作りを学びました。
コムデギャルソンの川久保玲氏もそうですが、日本にも沢山いらっしゃるデザイナーの中でも、極めて高学歴なファッション・デザイナーになります。でも彼らは決して学歴をひけらかす事はしません。ヨウジは自分はアウトローだと言って居ますよ。。。
そんなヨウジとギャルソンの名が世界に轟くきっかけとなったのはパリコレです。
当時ダークすぎる反抗を意味する色としてタブーとされて居た「黒」を全面的に押し出し、ボロ切れのようなルックを展開し、「黒の衝撃」と言う波紋を呼びました。
そのコレクションには賛否両論あり、「まるで広島の原爆を彷彿させる様だ」とフランスのファッション誌には可也煙たがられたそうです。
しかしその一方で大きすぎる爪痕を残し、街にはヨウジやギャルソンの黒い服で全身を纏った若者たちが溢れ、「カラス族」と呼ばれる様になります。
ヨウジの反骨精神漂うデザイン
「黒」と言うタブーに真っ向から向き合った表現で、見事モード界に革新を起こしたヨウジ。
その服作りは黒を基調としながらも、身体と服の間に空気を纏う様な太いシルエットが特徴的です。
これも当時の「身体に沿ったシルエット」という常識を覆す事になりました。
こちらは2014ssのルックですが、テーマは「雨に濡れたような服」で、テーラードスタイルの固定観念を破壊した斬新さがありました。
これまでもドレープやレイヤード、素材の変化などで、常識を破壊して創造してきたヨウジ。
常にデザインの根底には反骨精神と言いますか、「脱構築」の意識が流れて居ます。
「黒の衝撃」とは言っても、勿論モノトーンな色合いばかり言う訳ではありません。
むしろシーズンによっては可也多彩なバリエーションに富んだ柄がルックを彩って居ます。
モードな軸は外さず、大胆で少し暴力的、ヤクザな雰囲気を持つ此方のブランドは北野武(ビートたけし)さんを筆頭に愛用者の多いブランドになって居ます。
その骨太な作りによって、一つのサイズで可也幅広い体格の人が着る事の出来る「ヨウジ・ヤマモト。」
その人毎に異なる表情を見せ、シンプルなアイテムでも非常に味があります。
反骨精神の漂う少し強面なデザインも気に入られ、北野作品の衣装として頻繁に利用されて居ます。
服作りのクオリティを重視する姿勢に、厳しい経済的状況が重なり、一度は破産(倒産)し、60億円の負債を抱えた事でも有名ですが、今でもしっかりブランドは存続しております。最近の彼の活躍と人気は凄いですよ。新しい若者たちからも人気があり尊敬されて居ます。ヨウジの服は「レボリューション」だと言う。中国人も居ますよ。ヨウジが作る黒いコートは、俺たちの着る「バイブル」だと言う若者たちが多いですね。私もヨウジのロングベストと黒いズボン。そして黒いシャツを着て居ます。要約、私はこの歳でヨウジに巡り合えました。ヨウジの服は年齢を選びません。まさしく「革命」なのですよね。私が、長年追い求めて探して居た服です。ようやく巡り会えました。ヨウジを特集してくれた。NHKにお礼を言いたい程です。これから死ぬまで私はヨウジがデザインした服を着続けるでしょう。。。
ヨウジのデザインを担当される山本耀司氏ですが、2014年には「レアルマドリード」のユニフォームのデザインを担当するなど、世界的に名を轟かせるデザイナーです。
このセンスは簡単に揺らぐものではありません。
もし仮に会社が無くなっても、ヨウジのデザインは世界が放って於か無いでしょう。
新ライン「Ground Y (グラウンドワイ)」をスタートさせるなど、「Y’s」のスタートから40年以上経った今でもなお勢いが強く、日本を代表する世界的なブランドである、「ヨウジ・ヤマモト。」
幅広い年齢の人に着られ、それぞれの年齢層ごとに違った魅力を与えてくれます。
Piggy 6 Oh! Oh! / 500 MILES 。ミュージシャン。「ヨウジ・ヤマモト」。。。