MAYA / 横浜ホンキー・トンク・ブルース
最近の若い人に言いたい事がある。まあ、私が接して居るのは訪問看護師の女の子たちだが、、でも若い人一般に言える事だと思う。皆んな、物事を知らなさすぎる。例えば、以前。私がある看護師の前で、自分で作曲した曲をハーモニカで吹いたら言うのだ。「これは〇〇さんしか吹けない旋律だよ。いや〜大したものだよ。www」明らかにバカにして居るのだ。障害者のバカが何、カッコ付けて吹いて居るんだと言わんばかりな皮肉だ。その子は、確かに看護師としては勉強して来ただろう。しかし障害者を舐め切って居る。私は言った。「昔、バンドで吹いて居たからね...。」そうしたら「バンドwwww」と言うのだ。どうも頭から私をバカに仕切って居るから、何を言ってもバカが何かを言って居るとしか思わないのだ。私は聴かせ様として吹いて居るのでは無いのですよ。ハーモニカは音がすぐに詰まる、だから試し吹きをして居るのですよ。それを自分らに聴かせて居ると思って居る。毎回呆れる。前は他の子に「埴谷雄高って知って居る?」と聞いたら知らないと言うから、説明した、「20世紀の戦後の一時期を代表する日本の小説家で、形而上小説を生み出した事で有名な作家だよ」そう言うと黙って居る。
或いは、「最近の哲学者で『マルクス・ガブリエル』って居るでしょ?」と言っても。相手は解らない。「漫画家で永嶋慎二って居るでしょ。」知らないから黙って居るのだ。「萩尾望都は....。」と聞いても、「ポーの一族」すら知らない。何も知らない。特に私の処に来て居る若い訪問看護師たちがそうなのかも知れないが、此方が言う事が通じない。殆どの事を知らない。ある音楽が好きな訪問看護師が居る。私が丁度、彼女が来た時に、「浅川マキ」のCDを聴いて居たら。「こんな、ムード音楽見たいな変な歌を聞くの。」と言うのだ。「あの浅川マキですよ???。」と言っても今はもう知らない人の方が多いのかも知れないけど...。私はその人に言った。「全共闘世代に支持された歌手だよ」と言ったが。彼女は「泥臭い」と言って「変なの...。」と言うのだ。「浅川マキ」とはかって1960年代から1980年代に掛けて「赤い橋」やら「ちっちゃな時から」やらのシャンソン。ブルース。ジャズを合わせた様な曲を歌ってアングラの女王と呼ばれて居た人だ。彼女が死んだ時に、ニュースは一つの時代が終わった。「アングラ」の終焉だと言った。世の中には君たちが知らない、いいものが沢山あるのだよと言いたかった。
浅川マキ「Maki Asakawa」||| 赤い橋「Red bridge」
Maki Asakawa 浅川マキ 「ふしあわせという名の猫 (歌詞付) 」
Maki Asakawa 浅川マキ 「 かもめ(歌詞付) 」
Maki Asakawa 浅川マキ「My Man」
そして原田芳雄が俳優だけでは無く。ブルース・シンガーとして歌を歌って居たと言う事を若い人はまるで知らない。これも若い訪問看護師が来た時にCDを聴いて居たら。その子は「凄い、カッコイイ♪」と言って聴いては居たが・・・・。
新宿心中 - 原田芳雄
Yokohama Honky Tonk Blues
酷い人に成ると、ブルースと名のつく物は演歌だと思って居る。黒人の本格的なブルースは聴いた事が無いのです。しかしこの事は、今の音楽業界の仕組みがおかしい。今、シャンソンと言っても誰も聴いた事が無いし、知らないのと同じだ。音楽業界は、ビジネスだから、若者が好きな音楽を筆頭に考えて、勝手の音楽には振り向かなく成って仕舞った。皆さんはビギンと言う音楽を知って居ますか?
ビギン・ザ・ビギン
Jeff Fby Ft Carlos ZoukTrap 2017
また、ブルースに付いて話しますが、ブルースには、デルタ・ブルース(カントリー・ブルース)。シカゴ・ブルース。ジャンプ・ブルース。テキサス・ブルース。アーバン・ブルースと結構種類があります。
Robert Johnson- Crossroad
ROBERT JR. LOCKWOOD 神LIVE②/「Ain`t Nobody`s Business」
Clarence Gatemouth Brown-Okie Dokie Stomp
Freddie King - Big Legged Woman
Otis Rush - Gambler's Blues
Gary Moore W Albert King - Stormy Monday (Live At Hammersmith Odeon`90)
peter green's fleetwood mac - need your love so bad
Sonny Criss Quartet - Angel Eyes
Charlie Parker - Summertime (Jazz Instrumental)
私はNHKのドキュメンタリーが好きだ。私の知らない情報を特集して教えてくれるからだ。世にはNHKが嫌いな人たちも居るが。大体がNHKの受信料がネックに成って居る。私はNHKには受信料を払ってでも見る番組があると思って居ます。私はNHKのドキュメンタリーは大抵録画する。そして何遍も見る事にして居る。
そして経済学。もしかしたら、今経済学が一番面白いかも知れない。私は、NHKが矢張り去年の暮れから今年の正月過ぎにBSで放映した「欲望の経済史」と言う番組が面白かった。アダム・スミスに始まってカール・マルクスの資本論。そしてケインズの理論。ケインズの経済学が今、また評価されて居る見たいですね。私は大学でケインズは結構、勉強しました。まあ、あの大恐慌を救った人ですからね、、そして、今、マルクスの「資本論」も、また注目されて居るんだそうです。以下、その説明をしてくれて居るTV番組を此処に二つ挙げておきます。此れだけ観れば経済学が解りますよ、
第二回 “経済書の古典” カール・マルクスの「資本論」
第四回 ケインズの「雇用、利子および貨幣の一般理論」
確かに、今の時代に生きて居れば、それは面白いでしょうけど。しかしそれだけだと、いずれどん詰まりに成りますよ。例えば、「ラップ」とかは、楽器が何も出来ない若者が、詩を節をつけて口ずさんだ事から発展して出来たものです。「パンク・ロック」も、それまでのロックを技術的に演奏出来ない、はっきり言って楽器が満足に演奏出来ない若者が作り出した音楽です。今までの文化に対して、それに乗り切れなかった人たちが作り上げたものですよ。だから、若者の中では、すべての古い価値を叩き潰せば新しいものが生まれると思って居る節がある。しかし、私はこう言った文化はすぐにダメになると思って居ます。勝手、ロックを作り出したミュージシャン達、例えば、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジは黒人のブルースを勉強しました。そして彼らはそれを発展させてハード・ロックを作って行った。
ジャズも同じです。例えば、ソニー・クリスと言うアルトサックス奏者は普段、子供達にブルースを教えて居たし。彼の演奏がエモーショナルであるのは、可也ブルースを研究した結果です。チャーリー・パーカーがディジー・ガレスビーと共に開発し、その後、ジャズの王道と成った。ビバップですが、これも元はブルースが関係して居ます。要するに基本なんですよ、ブルースは。例えばブルースの要素がある音楽は一杯あるし、ブルースに影響を受けた音楽は沢山あります。しかし最近はブルースの影響を受けた音楽が無くなって来て居る。だから情緒がある音楽が無く成って居ます。そしてクラシックの影響。例えばロックのポップス・バンド「ビートルズ」は初め、ロックンロールとブルースを吸収して居ましたが、ポール・マッカートニーは当時の恋人の家に入り浸って居る時にクラシックを詳しく知ってクラシックを取り入れました。
日本でも公開されたジョージ・マーティンのドキュメンタリーで本人が語って居ます。「イエスタディ」における弦楽四重奏団の登用。これは今更指摘するまでも無いですが、ビートルズが始めてクラシック的アプローチに挑戦した曲として余りにも有名です。ただこれも有名だけど挑戦したのは、ビートルズと言うより、ポール・マッカートニーとプロデューサー、ジョージ・マーティンの二人による挑戦だったと言えなくもない。曲もポールが一人で作ったとされて居ます。(朝起きて直ぐメロディが浮かんで簡単に作られたとされる。あまりに手頃に朝一で出来た為、
この「イエスタディ」はレコーディングを実際にするまでは「フライド・エッグ」と言う仮タイトルが付けられて居たと言うこれも有名な話)です。さてポールの「イエスタディ」に刺激されたのか、以後ポールよりむしろジョンの方がクラシック、それも現代音楽のジャンルにのめり込む事となります。「イン・マイ・ライフ」はその「現代音楽」へのアプローチの一歩手前の作品。此処では、非常に美しくクラシック音楽でも「古い」バッハの音楽の如きバロック・スタイルのピアノが聴けます。但しこれを弾いて居るのは、ジョージ・マーティン。しかも彼は本職がオーボエ奏者の為このピアノは速度を半分に落としゆっくり弾いたものを倍にして採用したと言われて居ます。その代わり速度が倍になった為、ピアノが硬い音になり、チェンバロの様に聴こえ、より「バロック風」の表現には役立つ結果と成りました。
In My Life (Remastered 2009)
Eleanor Rigby
The Beatles - Penny Lane
女の子たちに言いたい。人が言って居る事は、吸収しなさい。ただでさえ忙しくて自分では何がいいのか、見つからないのなら。私の様に1950年代の終わりから2020年代を生きて来た男の言う事は聞くもんだと言いたいですね。
私の母は訳が解ら無い人だった。私がある宗教団体の男に、大学から帰って来る帰り道につけ狙らわれて。家のドアの前で押し問答をして私が怒って居たら。母が扉を開けて、「〇〇、こっちに来なさい」と言うので「何!!」と言って行ったら「お前は、世の中の事を知らないんだから話を聞かせて貰いなさい」と言うのだ。私が呆れて居たらその男が「ほら!お母さんもああ言っていらっしゃる!!」と言ってドア開けて入って来てしまった。そして一晩中、「我が宗教団体は......。」と話をされて帰った後に。私が青筋立てて怒鳴りまくって「母さん!!あんたはバカか!!」と怒鳴りまくったら「ならそう言えばいいじゃない?」と言うのだやってられない。それからそいつのストーキング行為は大っぴらになって行ったのですよね。全部母のせいだ!!何遍も言うが洋服だって私はもう40歳ぐらいだと言うのに、20歳代の若者が切る様な。しかも坊ちゃん坊ちゃんしたものを買って来て着せて喜んで居た。
私の寝室にもたまに覗きに来るのだ。そして「お前は何をやって居るんだ!!」と怒鳴る。私はキレて「いい加減にしろ息子と言えども男だぞ。部屋を覗きに来るな!!」と怒ると。ようやく居なくなった。いい加減にマザコンならぬサムコンだった。いい歳をして子供から離れられない。私も親離れが出来て居なかったのだろうが、それ以上に母の私に対する愛情は異常だった。私が母にアニメの「あしたのジョー」を見せると「お前みたいだねぇ」と言うのだ。私は鳥肌が立った。悍ましいとさえ思った。ある時になど立川のクリニックに通って居た時に、「先生に高校時代にお前が描いた漫画を見せて来た」と言ってその漫画を私にも見せた。何と知らぬ間に私が描いて居た漫画の原稿からラブシーンの原稿を持ってクリニックに行って主治医に見せて居たのだ。
私は母にこう言い放った、「気色悪いよ!!」。なぜ勝手に私の部屋から高校時代に描いた漫画の原稿をそれもラブシーンを主治医に見せになぞ持って行ったのだろうか?理解に苦しむ。大体が私が働けないのを承知で働かせて。その上給料とボーナスをくれと言わんばかりの態度だったから。仕方が無いと思い、私は家の事情もあろうかと思い。給料とボーナス全額渡したのだ。子離れが全く出来て居なかった。こう言う母親の心理状態を考えて見る事にします。子どもを誰よりも愛して居るからこそ、どうしても子どもに過干渉になってしまう・・・。母親であれば、誰でも思い当たる節があるのではないでしょうか?子どもが小さいうちは、子どもが親を求めたとき、その欲求に応えてあげる事が必要です。それは、親が子どもに与える愛情の証だからです。
しかし、子どもの自我が芽生えて、子どもが『自分でやりたい』『自分で決めたい』と願って居る事にまで、手や口を出してしまう母親は、この先『子離れ出来ない母親』となってしまう可能性が高くなります。そして、子離れ出来ない母親は、子どもに悪影響を与えてしまう恐れもあります。子離れ出来ない母親の特徴を言います。
子どもが幼いうちに、世の中の基本的なルールやマナー、善悪を教えてあげる事は、親のつとめです。何故なら、それは普遍的なものであり、母親自身の価値観では無く、社会全般の共通認識だからです。しかしながら、子離れ出来ない母親は、母親本人の個人的な価値観を子どもに押し付けようとします。子どもが選ぶおもちゃや絵本、着たいと思う洋服に至るまで、その侭を受け入れて認め様とはせず、頭ごなしに『そんなのはだめ!!こっちのほうが絶対いいから、これにしなさい』と自分の意見を押しつけるのです。
そのままエスカレートすると、子どもの入る大学や会社にまで口を出すような過干渉な母親になりかねません。この様な子離れ出来ない母親のもとで育った子どもは、自分の意見に自身が持てなくなり、何一つ自分では決められない大人に成長し、「親離れ出来ない子ども」に育つ恐れもあります。
「ヘリコプター・ペアレント」と言う言葉を聞いた事がありますか?
1990年、アメリカ人の医師フォスター・クライン氏が、著書「愛情とロジックのペアレンティング-子供に責任を教える」の中で使った事から生まれた言葉で、すでに、アメリカでは社会問題化して居るそうです。
ヘリコプター・ペアレントとは、大人にならなくては行けない年代の子どもの周りを常に旋回するかの様に監視し、子どもにトラブルが起きたら、すぐに介入し、子どもを救おうとする親の事です。
此れはまさに、子離れ出来ない母親の典型的な例です。
根底には、子どもを守りたい、傷つけたく無いと言う愛情があるのでしょうが、これは、歪んだ愛情に他なりません。幼児期ならまだしも、思春期や、青年期を迎えて居る子どもに対して、母親が24時間監視して居るかのような状況下では、子どもはストレスを感じて爆発するか、または、親無しでは何も出来ない、自立出来ない子どもになってしまいます。
ある程度の年齢になったら、子どもに一定の自由を与えてあげましょう。
子どもは、その自由の中で、さまざまな危険や誘惑に遭いながらも、此処まではOK、此処からはNGと言う線引きを自分自身で出来る様に成長して行くはずです。
子どもに依存して居る
生活のすべてが『子ども中心』と言う母親は、一見とても良い母親に見えますが、実は、子離れ出来ない母親の予備軍でもあるのです。子育てに奮闘して居る母親の中には、子どもと上手に向き合って、健全な子育てが出来て居る母親も居ます。一方で、母親と子どもが一体であり、子ども=自分自身と考えて、子どもに依存して居る為に、何もかも『子ども中心』になってしまって居る母親も居ます。
しかし、当然の事ながら、子どもは母親とは別の人格を持った、1人の人間として尊重されるべき存在です。
『ママはあなたが全てよ』
『お母さんの生きがいはあなただけよ』
『あなたが居なくなったら、ママどうしよう』
などと言って、子どもの人生を縛る事は、やめましょう。
子どもの人生は、子どものものだと言う事を、しっかり自覚しておく事が重要です。
周りの子どもと常に比較してしまう
自分の子どもが、他の子どもたちと比べて、どのくらいのレベルにいるのか、つまり、劣って居るのか、優れて居るのかを気にしてしまう母親は多いものです。愛するわが子の才能や可能性を比較して測りたい気持ちは、親であれば理解出来るものですが、これも行き過ぎると、厄介な『子離れ出来ない母親』になってしまいます。常に、他の子どもとわが子を比較し、『あの子に勝てる様にもっと頑張れ』『あんな子に負けて恥ずかしい』などと言って居ると、子どもが『ありの侭の自分は、母親に受け入れられない』と感じてしまいます。そして、何時の日か、自分は何かに勝ち続けなくては価値が無くなる子どもなのだと思うようになり、必要以上に無理をしたり、自己肯定感を失ったりしてしまうのです。
人間には、どんな事にも得手不得手があります。何でも出来る子どもに育て様と思ってはいけません。その母親の過度な期待こそが、子どもを苦しめ、母親自身を『子離れできない母親』へと導いてしまって居るのですから。
子どもを通して、母親の自己実現を果たそうとして居る
あたかも、子どもの為に一生懸命な母親の様にふるまって居るけれど、本当は、子どもを通して自己実現を図ろうとして居るだけと言う母親も少なくありません。
例えば、若い頃、芸能人に憧れて居たけれど、夢を果たせなかった母親が、娘を児童劇団に入れて熱心なステージママになったり、低学歴にコンプレックスを持って居た母親が、異常なまでの教育ママになったり・・・と言う事は多々あります。自分が歩みたくても歩めなかった人生を、子どもに歩ませる訳ですから、その子どもが歩いて居る人生のレールは、親の夢のロードなのです。ですから、親は何時までも子離れせず、子どもの歩む人生に便乗してしまいます。
これでは、子どもが本当に自分のやりたい事を見つけたときに、親に遠慮して言い出せなくなったり、逆に、自分の夢を壊された母親が、子どもを叱りつけたりする事で、親子関係に亀裂が入る可能性があります。
自分の夢はそっと胸の奥にしまっておいて、子どもには、多くの選択肢を与えてやりましょう。母親は母親、子どもは子ども。考え方も違えば、夢も違って当然なのですから。
子育てに見返りを求めて居る
子どもが親に言われて嫌だと思う言葉を知って居ますか?
『ママがあなたの為に、どれだけ犠牲を払ったと思って居るの!! 』
『あんたに、幾らお金を掛けたと思って居るの!! 』
『お母さんが、どれだけの事してやったか分かって居るの? 』
親が『無償の愛』ではなく『見返りを期待した愛情』を子どもに注いで来たからこそ、出てくる言葉です。
『これだけの事をしてやったのだから、私の望む子どもになるべきだ』と言う考えを持つ母親と言うものは、子どもに掛けた愛情の代償を無意識に求め、代償を受け取る事を期待して居ます。
ですから、何時までも子どもに執着し、子どものする事すべてを把握しようとする子離れ出来ない母親になりやすいのです。子どもからしたら、何も頼んだ覚えは無く、親が勝手にやった事なので、『いい迷惑』とも言えますよね?
子育てに見返りを求めては行けません。
子どもは、生まれてから2-3年のうちに、その可愛い笑顔や仕草を使って、母親を幸せにし、すでに一生分の親孝行を済ませて居ます。
親は親、子は子、とそれぞれ自立する事が、良い親子関係を長続きさせる秘訣です。
母親に趣味や楽しみがない
子育て以外に、趣味も楽しみも無いと言う母親は、子離れが出来ないケースが多いと言われて居ます。お茶を飲みながら、おしゃべりをするママ友も居ない、仕事もして居ない、没頭して居るお稽古事も、夢中になる趣味も無いと言う母親は、子どもの事が生活の全てであり、子どもが脳の100%を占めてしまいます。ですから、必然的に何時までも、子離れが出来ない、と言う状況に陥るのです。
しかし、子どもは何時か母親の元を巣立って行きます。子どもは、一番身近に居る母親をお手本にして生きて行きます。
ですから、母親が日々を楽しそうに生き、笑顔で何かに熱中して居る姿を子どもに見せれば、子どもの好奇心も育ち、人生を楽しもうと言う前向きな気持ちが生まれて来るはずです。母親もひとりの人間であり、自分の人生の舵をしっかり取って生きて居ると言う事を、子どもに見せてあげられる様に、母親自身も自分の時間を楽しむことが必要です。
如何でしたでしょうか?
子離れ出来ない母親と言うものは、子どもにとって悪い影響を与えてしまうだけではなく、母親自身に取っても、自分自身の人生を生きられなくなる弊害がある事がお分かり頂けたかと思います。子どもは、親だけに育てられるものではありません。社会が、育ててくれる部分も大きいのです。
「何時までも子どもは自分だけのもの」と言う考えを捨てて、社会の荒波に子どもを送り出す勇気を持ちましょう。子どもは親が思うより、何倍も賢く、たくましいもの。きっと、期待して居る以上のものを社会から学び取ってくれます。子どもが巣立って行く事を心から喜んであげられる様な親になるために、今日から少しずつ子離れを心掛けて下さい。こうならない為にも、幼い時から、子どもが良いと思って選択した事に対して、『?』と思っても、それが他人に迷惑を書ける様な事で無い限り、受け入れて認めてあげることが大切です。どうしてそれを選んだのか、理由をしっかりと聞いてあげましょう。
私の母は。私が子供の頃には自分には後ろに目がついて居ると言い。私が一人で考えて何かやって居ると「何をやって居るんだ!!。あたしの背中には目がついて居るんだよ!!」と言って脅しました。こんな変で嫌な話はありません。私がチューインガムのおまけの怪獣付きのものを一つ50円でしたが300円分買って喜んで買って来ると2階から見て居て「〇〇それどうしたんだ!!」と怒鳴るのです。だから私は何時も挙動不審になりました。大体が私の給料とボーナスを生活費に当てて居るのに。私が初めVHSのビデオデッキを買ってくれと言っても。母は買ってくれませんでした。まあ、バカ親父が得意先の人から、如何にビデオデッキが便利かと聞いてから、母に「〇〇にビデオデッキを買ってやれ」と言ったら。要約買いましたが。しかしこのblogで何遍も言って居る様にトレンチコートを買うと言ったらデパートまで着いて来て。「お前は店員にいい様に騙されて、そんなものを買うのか!!」と言う始末でした。
その時もデパートの中で大喧嘩になりました。母はファザコンでした。自分のお父さんが世界一だと何時も言って居て、例えば私の母型の祖父は神殿も嫌い。神社に母がお辞儀をして通るのを見て「お辞儀なんてする必要はない!!」と言って随分と誤った考えをして居たのに。それに従って居たそうです。私の実家は日蓮宗の檀家だったので、お寺のお布施やら色々と近所の日蓮宗の人が取りに来ると、私が母に言ってその人にお金を渡して居ました。何しろ祖父は哲学を齧って居たので無宗教だったのですよ。昭和の始めなのに。よく無いですね。神仏を敬わ無いと言う教えを子供達に押し付けると言う事はね。私の父も変わって居ました。子供の頃に幾ら親に言ってもカメラを買ってくれないので。自分で小学生の頃に当時コバルト・フイルムで写す2千円のカメラが売って居たのですが。友達は皆んな、8千幾らの当時流行った最新鋭のカメラを持って居たもので欲しかったのですが。
親に言っても無駄なので。そのコバルト・カメラを小遣いを貯めて購入したのですよね。そのカメラを購入したカメラ屋は小学校の同級生の女の子の家で、私が仲が良かった為に特別に半額の1千円にしてくれたのですよ。そうしたら親父が盗んで来たんだろうと言うのですよね?こんな高級なカメラをお前が買える訳が無いと言い切る。私は「これ高級なカメラじゃないよ1千円で買ったんだよ?」と言っても嘘だ2万円はして居るはずだと。まあ、親父は貧乏育ちなものだから何も解らないのですよ。何しろ、うちの親父はカメラも持って居なければ書籍も読まない人だったから。そして私の指に鉄の棒を挟ませて指を捻じ曲げて「泥棒はこうなるんだ!!」と言うのですよ。私は「本当に1千円で買ったんだよ!!」と言うと「嘘をつけ!!カメラ見たいな高価なものが1千円で買える訳が無い!!」と言い。そして今からそのカメラ屋にカメラを持ってお前を連れて行くと言うのですよね。
私は「ああ!!そう!!。行くなら連れて行きなよ。僕にやましいことは何一つないから!!」と言ったら連れて行って店に着いたら私の頭を殴り。「旦那さん!!こいつが持って居るカメラはこいつが盗んだらしいのです」と言ったら相手はびっくりして「何言ってるんですか!お父さん。〇〇くんはちゃんとお金払って居ますよ?」と言うのですよ。そうしたら「おい〇〇。お前、2万円を母さんの財布から盗んだのか?」と聞いて来る。私が呆れて居ると同級生の女の子が出て来て。「〇〇くんが買ったのは2千円のカメラです。私がお父さんに言って半額の1千円に負けさして売りました!!」と言ったら「なんだ、そうならそうと言えばいいのに、なぁ〇〇?」と温和になって言うのです。そして帰りにそば屋に入り。「おりゃあ、蕎麦はな、ブルブル言わせて食べるんだ。見てろ!!」と言って汁を飛ばして食べ始めたので私は殆嫌になり。頭に来て何も食べずに1人で帰って来てしまいました。何で今更こんな事を言うのかと言うと。どうせ私には兄弟も親ももう居ませんから・・・・・。
私は、今までこう言う事は書いて来ませんでしたが。この他にも色々とありますよ。例えば、会社の得意先で夜逃げした奴の倉庫からチョコバーを持って来て「おい〇〇。此れをな、明日学校でうちで半額で売って居ると言え!!」と言うのです。私は子供ですから。言われた通り言うと。同級生が買いに来てくれて3ケースあったのがあっと言う間に売り切れました。そうしたらいい気になって。その次から、夜逃げやら倒産した得意先から。食料品やら缶詰だとかを持って来ては私に友達に「うちで安く売って居ると言え!!」と言うのです。嫌なバカ親父でした。だからあの親父が死んでも、ちっとも悲しくなかったですよ。私は今、身内の恥と自分の恥を晒して居ますが。いいのですよ、もう、ど〜〜でも!!従兄弟のけんじは、落ちた食べ物を「平気だ」と言って拾って食べて居た様な男でした。私はこんなバカと思いバカに仕切って見てました。
実際、私の周りにはバカばっかりしか居なかった。今でもです。処で。この文読んで居る親戚の叔母さんやら、近所の人たち。うちに来て居る人たち。人の不幸は蜜の味でしょ。嘸かし面白いでしょうねぇ。あなた方が喜んで読んで居るのは解って居るのですよね。此間。美容室で話をして居て。美容師に高井戸で道を聞いたら3人聞いたけど何も答えずに過ぎ去って行ったと言ったら「それって〇〇さんの幻覚で、存在して居ない人なんじゃない?(笑)」と言われたけど。一瞬、また此処も差別かと思ってしまったけど。何か私は女性と2人で経営して居るので、夫婦かと思ったら。違うそうで、奥さんは別に居て、奥さんは看護師だそうですね。「なるほどねぇ・・・。」と思いましたよ。それじゃあ、私の事も知られて居るかなと思いましたけど。そこの美容室は気に入って居るので、まあ、相当な嫌味でも言われなければ通いますけどもね。まあ、今回の始めの話は此処までです。。。。
「コンプレックスの話」
心の中に複合的な色彩をもつ感情で,その人の態度や行動に強い影響をもつが,無意識的あるいは意識されないことが多い。心の中にあってさまざまな複雑な絡み合いを作り出して居るので,観念感情という邦訳語が当初は使われて居た。複合観念とも言う。コンプレックスはもともと統合失調症(精神分裂病)を概念化したブロイラー「Bleuler,E.」が居たスイスのブルクヘルツリ病院で,主にユング「Jung,C.G.」がこの用語を使って,心理テストである言語連想検査「word association test」を作り上げた。その検査は100個の単語の刺激語があり,それらに対して2回の試行をするものであるが,特定の語に反応が遅れたり,奇妙な反応をしたりする,その語句と反応語あるいは反応の仕方と反応時間は,複雑な感情がそこにあると,奇異なものになる。それぞれの試行への反応,内容と反応時間からそれらを分析し,コンプレックスを明らかにする。
自分自身の父親を失って深刻な神経症に陥ったフロイト「Freud,S.」は,自分の夢を要素分析して行く事で,心の中に父親を殺して母親と近親相姦的な関係を結ぶと言う願望を中心として,自分の中に抑圧して居た複雑に絡み合った感情作用としてのコンプレックスを発見した。これを彼はエディプス・コンプレックス「Oedipus complex」と呼んだ。
ヒステリーの治療から始めたフロイトは当初,患者たちが外傷体験を実際に体験して居て,それが原因で神経症になると素朴に考えて居た。それが心の中に共通のパターンをもつ内的な組織があると確信する様になったのは,エディプス・コンプレックスを発見して,それが多くの患者たちに共有されて来たものと考えたからである。その意味でエディプス・コンプレックスを神経症の中核と考え,他のコンプレックスをその亜種とした。さらに彼はこれを性心理発達のモデルの中に組み込んで,口唇期,肛門期を経て,男根期とエディプス期が幼児期の発達の統合的な役割をするものだと考えた。神経症は,このエディプス期における葛藤が分離の不安や去勢の不安から強くなり,それを抑圧することがもともとの出発点になって居る。またフロイトはこのコンプレックスの起源を文化人類学や歴史に求め,系統発生的な人類の進化の中で親族構造の形成に重要な役割を果たしてきたものと見做した。つまりコンプレックスの着想は,フロイトを単なる外傷説から,より複雑な内的世界の探索への道に導いたのである。
【コンプレックスの諸相】 心の中で複雑な感情を呼び起こすコンプレックスは,精神分析を長期的に行なって,転移と逆転移の実演のうちに,そして抵抗と防衛の解除に従って明らかになって行くが,それがフロイトの指摘の様にエディプスのみかどうかと言う点に関しては異論がある。フロイトと交流のあった時代,ユングは男性のエディプス・コンプレックスに対して,ギリシア神話のエレクトラの物語に着想を得て女性がもつエレクトラ・コンプレックス「Electra complex」を提唱した。ユングによれば,女性が母親を亡きものにして,父親と結びつきたいと言う願望を心の中にもつと言う意味だが,フロイトは心の中で重要なのはエディプスであるとしてこの議論を認めなかった。後に父母の関係性を早期の幼児体験に還元しようとしたクライン「Klein,M.」は,同じエレクトラ神話の中で母親殺害をするエレクトラの弟オレステスの方こそ,深刻なコンプレックスを構成して居ると述べる。
エディプス・コンプレックスに対して,コンプレックスを父親と母親の関係に還元しないと言う立場は,深層心理学の早い時期から存在して居る。器官劣等性の概念から出発したアドラー「Adler,A」は,力への闘争が人間の動機として重要であると見做したので,父親と子どもとの関係を重視したフロイトよりも,むしろ父親,あるいは兄弟関係が生み出す優位性,あるいは劣等性の問題がより深刻なコンプレックスを生み出すと考えた。アドラー自身は劣等コンプレックス「inferiority complex」と言う概念を特別に重視しなかったが,アドラーの影響を強く受けたアメリカの教育理論では,コンプレックスと言う語が劣等感に関することばとして使われて来た。コンプレックスが,エディプス・コンプレックス以外,広く使われる様になった経緯には,こうしたさまざまな概念を複合感情として理解して来たからである。
コンプレックスのどこに力点を置くかも,分析家によって異なる。アドラー以外に同時代のランク「Rank,O.」は,人生に置いて最も外傷的な体験は出生だと考えたが,彼によれば,出生はその後続く別離や分離の体験の原型であると言う意味で,最初のトラウマであり,コンプレックスを構成するものは母子分離体験であって,それが去勢コンプレックスを基盤において構成して居る。
コンプレックスが個人によって異なる様に,文化によって異なるか,と言う議論がある。フロイトのもとを訪ねた三人の日本人の一人である古澤平作は,フロイトに「罪悪感の二種」と言う題名の自分の論文を提示した。そこで彼は仏典に語り継がれて居るアジャセ(阿闍世)の物語を使って,フロイトのエディプス・コンプレックスとは異なるコンプレックスを説明しようとした。フロイトは、矢張り他のコンプレックスに関心を持たなかったが,のち古澤,そしてその分析と指導を受けた小此木啓吾がアジャセ・コンプレックスの理論を発展させた。
アジャセの物語は次の様になる。マガダ国の王妃がある仙人が自分の子どもに生まれ変わると言う事を知り,急いでその仙人を殺してしまう。仙人は死に際に「その子どもが王を殺す」と言う予言をする。それを恐れた国王と王妃は,子どもを殺そうとするが,子どもであるアジャセは生き残る。成長した彼は,出生の秘密を知り,父親である王を幽閉し食物も与えないが,牢獄の中で父親の王が至って元気にして居るのを不思議に思ったアジャセは,母親が彼を助けて居た事を知る。怒った彼は父親を殺してしまい,母親も殺そうとするが,家臣がそれを思いとどまらせる。その後、国を治めて居た彼は後悔の念と共に,体中から悪臭を出す皮膚病に苦しむ。
母親は献身的に看病するが治らず,父なる王の声が天から聞こえて来て,釈迦への帰依を勧められる。そして彼は名君になって行く。この物語を古澤は,母子関係と父母の関係の問題として説明する為に,王妃イダイケ(韋提希)が年老いて容姿が衰え,王の寵愛が薄れることを恐れて,急いで仙人を殺したと作り変えて居るが,子どもは母親の性を垣間見て,自分の出生に拘る裏切りと見做すので,未生怨と呼ばれる憎しみをもつ。このアジャセ王の物語は,もう一方でエディプスの物語と同じく,父親殺しの話でもある。エディプスが自分の犯した罪に対し,あくまでその真実を見て自分の眼を刺す事で罰を受けるが,アジャセの場合は,許されて終わる。古澤のアジャセ・コンプレックスの概念は,小此木啓吾によって日本人論の観点から「日本的一体感=甘えとその相互性,日本的恨みとマゾヒズム,日本的許しと罪悪感」と言うかたちで,国際的に広く紹介される様になって居る。
前に会社で、東北から歌謡曲の歌手を目指して親父の会社に入社し、俺は歌が上手いんだなどと吠えて居た音楽業界を何も知ら無いただのカラオケ好きなバカども、菅原留五郎。ユキカズもケンジも同類だが。カラオケで高得点が出たから俺は世界で一番歌が上手いと言った、ケンジちゃんやら、バーのホステスに「枯れた声でいいわ〜〜」と煽てられて俺は歌が上手いと思い込んで居る、ユキカズちゃんとか、、、はっきり言って。「て、め、え、ら、はどんだけバカなんだ!!」と言ってやりたい。弟の結婚式には私は調子が悪くて出られなかったが、姪っ子が歌を歌ってくれたのだが(彼女は作曲家だが。一応歌手でもあるのだから)姪っ子のボイス・トレーニングをちゃんと踏んだ歌に圧倒されて、自分らがどれだけバカか少しは思い知った様だったらしいな。びっくりして居たらしいから。それから、私のブルースハープの腕前?そんなものは下の下だ。私なんかより上手いブルースハーピストは星の数ぐらい居る。私は26年間のブランクがあるのだし。一時期は、成る程、バンドで吹いて居たしライブハウスにも出た。しかしねぇ〜〜〜。今は現役では無いし。ブルースが好きな、ブルースハープが好きな若者やら、ベテランに比べたら、屁みたいなものだ.....。
親父の会社で働いて居たベース弾きの女の子が「私とプロの誰それとどう違うのよ。私はアマとプロの違いなんて無いと思うんだけど」などとバカな事を言って居たが。30歳にも成って、ライブハウスに出て居るからと言って威張って居るだけの低脳のバカ女が(あれから10年は経って居る)今はどこのパートの仕事をして居るのかねぇ、もう40だろうに・・・・。なんか今回は文が荒れて居るって...。怒ってるんですよ。色々な事に。まあ、人それぞれだ勝手にやってりゃいいが。ユキカズは一度誰かに殺されろよ!!生きてる資格なぞない人間だ。このBlogでも書いて来たが、ユキカズ!!貴様!!小学校中退の社員に何やった!その人が自分が病気で余命が僅かしか無いのを察して保険金3千万円の保険に入って死んでしまったら。会社から退職金は一銭も出さず。その保険で出た3千万円を退職金だと入って遺族に手渡したそうだな!!犯罪だろう、てめえらがやって居る事は。俺はな、殺せるものなら、ユキカズ!!ジジイ!!てめえを、ぶち殺してやりたいよ!!俺は歳を取るごとに貴様を恨んで行っているからな!この恨みは子々孫々まで続くからな!!よく覚えておけ、低脳の大バカヤロー!!
「しねばいいのに」
「ユキカズの嫌がらせ。」
私が倉庫番をやって居たら、やってきて「〇〇ちゃん、ほら財布に札束入れてんでしょ、30万ぐらい入れてるんだろ。(笑)リビングニュースなんて何勝手に取ってるの。会社が支払ってるんじゃない。困るよ自分で払ってくれないと(笑)。」
「ユキちゃん、、事務所に行く?行かないなら俺が書類持って行くから・・」
「行かねえよ!!」「じゃあ、持って行くから」
書類を事務員に渡して、歩いて倉庫まで帰ろうとしたら、何とユキカズが自転車でやって来て、「何で、自転車で行かないんだ!?(怒)」「・・・・」自分が行かないと云って居て、すぐ来る。。。。
会社の年配の人に、BSの映画を録画した物のビデオを挙げて居たら・・・
「俺にも録ってよ、録ってよ、〇〇ちゃん!!バウバウアーで!!(WOWOWの事ですワウワウと読めないのです。バカだから・・・)「何録るの」「ジェラシック・パーク!!」「そんなのレンタルすれば。」「録ってよ録ってよ!〇〇ちゃん!!」
仕方が無いので、ビデオテープこっち持ちで録画して、渡して観たと聞いたら、「ケ!!、バカヤロー!!」礼を言う処か、人を罵倒する。そして「何でゴーストが出ないんだ。」「BSだからでしょう、民放でもブースター繋げて居れば、ゴーストなんか出ないでしょう。」「フン!家のテレビは出るんだよ。」「ブースター入れた?」「何だブースターって?」「・・・・」「家のテレビはニュースのアナウンサーが6重に見えるんだ!!」「・・・・」
ユキカズが運転する車に乗って居たら、、ミニスカートを履いた若い女の子の横を通ったら、「窓開けろ!」「何で・・・」「良いから開けろ!」開けたら「バカ女!ミニスカートなんて履いて歩いてんじゃねえ!!」そしたら言われた子が「何?何言っているの?」と横にいた友達と怪訝そうな顔をして此方を見て居る。埼玉県警の前を通ったらパトカーが3台、車の横を通った、そうしたら、「無線機のスイッチ入れてくれ、早くしろ。」(ユキカズ、ケンジは本人ら曰く警察無線が聞こえる、無線機を持って居ると云う、違法じゃないのか?)車に積んで居る無線機のスイッチを入れると、「何にも聞こえないじゃないか。」「窓開けろ!」開けたら、埼玉県警の前で、「バカヤロー、無線で流さずに、パトカーなんて行かせるんじゃねえ!!」
まあ、呆れる程の大バカ振り、、
ユキカズの嫁さんは同じ大学のアナウンサー部に居た人で、15年程前は、ちょっとは知られたキャスターだった、その彼女の伝手で、TVの女子プロが指導するゴルフの番組に出たらしいのだが、それを録画したビデオを皆んなに配って、、観て見たら、アナウンサーが「次は〇〇さんですね、彼はいいスコアを持って居るそうですね、第一打!ああ〜此れは池に落ちましたね〜」「ああ・・・駄目ですね」観て居て、なんだかな、、此れを得意先まで配るなんてと思って居たら・・・。
そしたら、会社に電話が掛かって来て、倉庫に掛かって来たので出て見たら、「おい、常務居るか、なんだあいつは!!」「池ポチャでしょ?」「そうだ、バカじゃないのか!!」そこにユキカズが事務所から自転車でやって来たので「電話ですよ・・・」と受話器を渡したら、「もしもし、替わりました、ああ、あれ、観てくれましたか!!いや〜、私もね、本気を出せば良かったんですがね、、あれ、電話が切れた・・・」
ある日、車に一緒に乗って居た時、なんか、歌の話になって、そしたら、「俺の歌聞いてくれ」と自宅まで車を回して、ちょっと待っててくれと云う。暫く経ったら、奥さんが「あなた、やめなさい、こんなもの、やめなさいって!!」と、ユキカズと門の前で押し合って居る。「良いんだ、〇〇ちゃんが聞くと言ってるんだ!」「良い加減にしてよ!そんな訳無いじゃない!!」それで車に乗って待って居たら、テープレコーダーを持ってやって来た・・・「さあ、掛けるぞ聞いてくれ」「・・・・」カラオケだ音程が外れて居る・・・・
「上手いだろ、此の今の所な、BARのマダムが「擦れて居て良い雰囲気で上手いわ〜」と云って居たんだ。どうだ、上手いだろう。俺は世界一だぞ!!」
まあ、ちょっと思い付いてもこのぐらいは思いつく。皆さんこれを読んでもユキカズを利口と思いますか?
翌朝、ユキカズが言い訳をしたが。私と出て行った社員は気分が悪くて物凄く怒って居た。大体が、その、かしろうさんは表上は早稲田大学を出た事に成って居たが、本当は早稲田塾と言う名の塾に行っただけだった。これは親戚筋から聞いた話だ。確かだろう。早稲田を出たと行って居る割には物凄くバカだったので不思議に思って居たのだったが、成る程と腑に落ちた。何しろ、知的障害があるアルバイトの若い子を雇って、「〇〇!冷蔵庫の一番上にあるもの取って見な?」と言って。その子が倉庫の業務用の冷蔵庫の横の段ボールの品物の上までよじ登って行って、冷蔵庫に手を掛けて途中で手が滑って下まで落ちると、かしろう、ユキカズ、ケンジが手を叩いて喜んで「ざまみろ!ざまみろ!ざまみろ!」と笑いながら言うのだ。親父が死んだ時に、葬式会場でユキカズが言って居たが、酸素呼吸機を充てがわれて寝て居て、意識が無い末期癌の親父をユキカズたちは「殴った」そうだ。婦長に見つかり「あなたたちは誰ですか、面会謝絶の患者になんて事を仕手居るのですか!!警察呼びますよ!!」と言われたと自分らで言っているのだ。許せるか!!これを読んでいる皆さんはどう思いますか?
ぞんび「死ねばいいのに。」Live PV
ユキカズは1970年当時出来たばかりで、学生が欲しくて受けに来た学生は殆ど取った、明治学院大学に入った。ユキカズは授業には殆ど出ずにアルバイト(ウエイター)ばかりして居たらしい。現に私が小学生の頃、家にステレオが無いので、買ったレコードをステレオからラジカセに録音させて貰いに行って居た時など殆ど毎日ボーリングだのゴルフなどで居た事が無かった。遊んでばかり居た。全共闘の紛争が終わったばかりなのにだ。
21 - 国際反戦デー 新宿騒乱 - 1968
私は高校時代と大学時代はバンド関係で忙しかったが、比べてみると対照的だ.......そして或る日、ユキカズが「〇〇ちゃん、俺がアナウンス入れてやるよ」と言うのだ。そして録音しようとして居たテープに吹き込むので「此れからお送り致します曲は、マカロニ・ウエスタンの名曲、荒野の用心・・・。荒野の用心・・・荒野の用心・・・」と言って「ねえ、此れなんて読むの?」と聞くのだ。私は呆れてものが言えなかった。「棒」と言う字が読めなかったのだ。大学生だぞ。私は当時小学校3年生だ。「荒野の用心棒」と読めないのだ・・・「ユキちゃん何言ってるの荒野の用心棒でしょ。棒でしょ?」「この字、ぼうと読むの?」「知らなかったの?」「知らない」よく明治学院大学に入れたものだ。そしてアナウンサー部に入って居て。テレビ会社のアナウンサーとして雇って貰おうと入社試験を受けたのだ。そこで言われた事は「君、君の声は電波に乗らないから諦めなさい」だった。まあ、最終宣告をされたわけだ。バカだからユキカズは、今だに自分がアナウンサーに成れなかったのは、自分の声は電波に乗らないからで惜しかったと言って居る。どれだけバカか。。。あのゲスどもの事は此処までで終わりとして置こう。書いて居て胸糞悪くなって来た。
処で私の本名を明かす訳にはいかないが、ある著名な作家と同じ名でよく間違えられる。著名と言っても知る人しか知らない有名な作家だけど。私はその作家の読者と言うか、その人が好きなので。その作家の書籍を、よく昔から買って居るが、今みたいにインターネットがある訳ではないし。本を予約する時やら取り寄せて貰う時にいつも困って居た。名前だけは嘘は付けない。30代の頃。紀伊国屋書店に行ってその人の本を取り寄せて貰うときに自分の名を言ったら、店員の態度が改まり神妙になり、「先生、お時間が少し掛かりますがよろしいで御座いましょうか?」と言うのだ。それ以来、電話注文にして居たが、その際ですら、「先生、またのご注文宜しく御願い致します。」と言われて困ってしまって居た。
最近でも此間の入院中もリハビリの職員にその人と間違わられてしまい、弱った。まあ、その作家は今はもう70代になるけど。人は歳まで知らない。大学時代もその後もそうだった。早稲田のR&B研究会に所属していた頃、ある早稲田の学生が「〇〇君、君さぁ、アメリカのクリーム誌に評論書いたそうだけど、如何言うルートで書いたの?」と聞いて来たのだ。私はその当時、日暮さんと言う編集長が発行して居た「ザ・ブルース」と言う月刊誌の投稿欄に或るミュージシャンの事をもっと評価すべきだとは書いたが、それ以外の雑誌???。漫画の投稿?「ミュージックライフ」への投稿?、、
色々と頭の中を駆け巡ったが、それ位しか覚えが無い?するとそれから1ヶ月ほど経ってから姉が「お前、何時、芸術論など雑誌に投稿してたの?」と聞いて来る。「おかしいなぁ・・・。一体どう言う事だ」と思って読んで見たら、私と名前が同じなその作家だった事が解った。いずれも投稿記事だったのだ。まぎらわしい。。。周りは私が投稿して居ると勘違いして居る。挙げ句の果てには出版社から電話が掛かって来て、「〇〇さんですね、是非、我が出版社の雑誌に記事を書いて貰いたいのですけども!!」と言われて「ちょっと待って下さい!!同姓同名の別人ですよ私は。まだ学生ですし、慌てないで下さい。」と言って断った。
それ以来、その作家の本はネットか古書店以外からは購入しない事にして居る。間違われて光栄だったけど、一抹の寂しさもあった。私にはあんな文才も無ければ、教養も無い。その人は人生が残り少ない私が尊敬して居る人の一人です。この辺で怒り文は終わりとしときます。今回は変則的な記事ですので、構成が何時もと違いますが宜しく。。。まあ、今日は頭に来て居たので辛辣な文と成りましたが..........私がユキカズを恨むのは解って貰えたと思います。
まあ、思うに物事を深く考える人は、大抵失敗しますね。私も昔はそうだった。知識が全てだなどと思って居た。だから、知識を欲したし。小難しい本も沢山読んだ。それはそれで血肉とは成ったが。人もその尺度で測って見て居た。だから知識が無い人を見るとダメだと思った。だが生活とは人好き合いとはそんな事は関係無いのだと、20年程前に考え直した。良く能書きが言えるとその人を頭がいい人だと思いがちだ。しかしそんな物は、本を読めば幾らでも言えるのだ。私はそう言った人を身近に見て来た。そして大概の人は知識に振り回される。学校教育の弊害だと思う。大体が学校の先生は自分には知識がある。だから生徒で勉強が出来ない生徒が居ると訝しく思い。その生徒をバカだと決め付ける。よく事業中に漫画を描いて居た生徒が居た。先生はそれを見つけるとサド/マゾ的に馬鹿にした。「こんなものを書いて居る。お前の頭の中はバカなのか?」と恫喝した。私は中学時代、授業中に漫画を描いていた生徒の絵を取り上げて、「漫画か?お前の頭も漫画なんだろう!!」と冷笑を浮かべて、うすら笑う教師を軽蔑の目で見て居た。あんたの頭の中にあるのは「タンクタンクろう」やら、「のらくろ」なんだろうと反対に軽蔑をした。
人間、50歳ぐらいの教師ほど訳が分からず。厄介な人間は居ない。文化を何も解っては居ない。戦前の考えか戦後の封建的な時代の考えで固まって居る。そんな教師こそ、太宰治がいいだとか、与謝野晶子がいいだとか言い出す。確かに日本文学を学ぶのも大切だ、だが、時代は変わるのだ。今や漫画が文学的な文脈で読まれて居るし。確かに日本文学はいいものだが、最近の漫画、そしてそう言う人が言う処の漫画であるアニメは私小説的な内容のあるものが最近は多い。例えばもうちょっと古いが「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」などはその最たるものであろうし、漫画でもつげ義春などはもろ私小説だ。構造主義の文脈において多用される分析手法に「構造分析」がある。これは周知の通り、「神話や民話」を分析する分野に於いて確立されてきた手法である。グレマスやプロップ。更にはレヴィ=ストロースの研究はこの種の「構造分析」に立脚して居る。「構造分析」は「神話や民話」の分析にしか用いる事の出来ない手法ではない。彼らがもっぱらそれらのテキストを研究対象としたのは「それらのテキスト」の真相に「有能な意味」が隠されて居ると考えて居ると考えた事によるものである。そしてこう言う言い方も出来るかも知れない。「グレマスやプロップがもし現代日本に生きて居たら必ずや彼らはアニメや漫画を構造分析の対象にしたであろう」と。
「ポーの一族」に於いて主人公エドガーは、人間を自分が生き延びる為に餌にする家畜だと考える事が出来ない。人間を家畜と同じ類的存在として見ずに、そこに個的存在を見出しながら、しかし、自分が生きる為に彼らの命を奪わなくてはならないとしたら、自分が生き延びることそれ自体が禍々しい暴力となって生起するだろう。「ポーの一族」と言う作品は、吸血鬼であることを険悪するエドガーの実存をとうして、自らが生き延びる為には他者を殺さねばならないと言う、そして他者が死んでもなお自分が生き延らえてしまうと言う、、人間が生き延びると言うことが不可避的に孕んで居るある暴力性を示唆して居る。これは太宰治の「人間失格」と同格では無いのか。そしてエドガーは作家、太宰とその存在が被る。太宰はその生涯に何度も自殺を試み、39歳の時に成功した。21歳の時に女と鎌倉で死のうとした時は、一緒に死のうとした女だけ死んで、自分は生き残った。こう言った事からも、日本文学と漫画は不可視な均衡を保って居る。ミステリーやSFと言うジャンル的な横軸と、書法としての自然主義的リアリズムーその中心が純文学だ。漫画・アニメ的リアリズムーと言う縦軸を分けて考える必要はもはや無い。それぞれはもはや不可視な均衡なのだ。
勿論私は日本文学が嫌いでは無い。太宰治も川端康成も三島由紀夫も好きだ。ただ、もはや時代はそれらの文学を内包して居ると思うのだ。結果出て来たものが、漫画、アニメだと思う。林静一が「ガロ」に漫画家として登場し、代表作「赤色エレジー」が話題になった1960年代後半から1970年代初等にかけて時代はベトナム反戦やら、全共闘運動、カウンターカルチャーなどが嵐の様に起こり、実に騒々しい世の中だった。「ガロ」もそうした喧騒の中で逞しく「COM」と共に漫画の時代を誕生させ現代に牽引して来た。具体的には、戦う白土三平と世捨て人のつげ義春を両輪として進んで来た。「ガロ」に当時輩出した漫画評論家たちに押される様にして劇画に代わる新しい漫画を予想させる一群の漫画が登場した。
そしてテレビアニメの制作には、一話作るのに1000万円ほどの費用が必要だ。この制作費を賄うためにビデオソフト・間連書籍・キャラクターグッズ販売やらテレビアニメに付随するビジネスで利益を生もうと言うスタイルが確立した。その為の権利調整の仕組みが「製作委員会方式」で、主にテレビ局や制作会社が出資する。テレビアニメでは90年代から盛んになり、今では多くがこれだ。ただこの方式は限界が出て来て居る。特に主力となるDVDが高画質な衛星放送とBlu-rayディスクレコーダーの一般化によって急落して居る。そして国を上げてアニメーターを育成して居る韓国や中国のレベルは相当向上して来ており、これらの方向性によってはそう言った部分が海外に流出してアニメーターの産業空洞化が起きる可能性もあり得ると言われて久しい。
ただ、アニメ制作に関わる人間は動画、原画、背景、仕上げ等々、非常に幅広い大人数の人材が必要なチームの作業で、そのメンバーを同じ方向性で、揃えられるかと言う点や、アニメ文化が積み重なって初めて生み出されるセンスと言う観点ではまだ日本には1日の長があると言う。その上で「10年〜15年に渡って放送を続けられる様なアニメは日本にしか無いと言う。これは日本には優れた漫画家が居ると言うアニメと漫画の相互関係の賜物だろう。勝手、アメリカの西部劇はイタリアのマカロニ・ウエスタンによって淘汰されて以来、本道の西部劇は、ほぼ滅んだ。
日本人が漫画やアニメに対して文学的な価値を見いだせなければ、文学も滅びると言えると思うのですが・・・漫画は海外でも作り手が現れて居る。日本人の自助作用に置ける、これらのサブカルチャー文化をこれ以上、日本人が自ら排他的に削除しようとするならば日本文化は滅びるだろうと私は危惧を仕手居る。。。日本のお家芸である自動車産業も、時代が変わりガソリン車はそのうち淘汰されて、電気自動車やら水素自動車が主流になるのは近い将来の事だとは言えない時代だ。現にトヨタはソフトバンクと組んだ。自動車産業は IT産業との競合をしなければやって行けない時代に成った。
時代は変わるのです、最早、今までの常識は考え直さなければならない。まだ、日本の良い面もある。音楽は今や世界的にリズム重視のサウンドが主流に成って居るが、外国の観光客が日本に来て安らぎを覚えるのは、日本にはまだメロディーを主流としたロックやら歌謡曲があると言う事だと言う。日本人が海外で活躍した1980年代のバンド「サディスチック・ミカ・バンド」やら「YMO」やらのバンドは当時革新的だった。そして現代。アメリカのハード・ロックやヘヴィ・メタル系の音楽サイト、ラウドワイアーにて、必聴の日本発メタル・バンド10組が発表されて居る。記事によると、日本では多岐に渡るメタルのジャンルをすべて吸収しつつ、とてもユニークな独自のアーティストの幅を生み出して居ると紹介。
特にインターネットが普及してからはさまざまなアーティストを発見しやすい環境が出来上がって居るので、ぜひ探検して欲しいと勧めて居る。日本はこの様に世界的に評価もされて居る。数年前に亡くなった日本文学を翻訳して海外で三島由紀夫やら川端康成を紹介した、ドナルド・キーン氏は、初め日本の文学は中国の模倣だと同じアメリカ人から貶されたと言う。しかし氏は素晴らしい日本の文学を海外に紹介する為に翻訳をし続けた。その甲斐あって、今や川端康成や三島由紀夫は全世界で愛読されて居る。今やネットの時代だ。良いものは国を超えて称えられ。そして向かい入れられる。そんな時代だからこそ、サブカルチャーは愛されるのでは無いでしょうか。。。。
あしたのジョーのテーマ PARTⅡ K.O(ノック・アウト)歌:清水保男 劇場版「あしたのジョー」エンディングテーマ