毎度おおきに!
粕谷友運です♥
さて伝説のボディビルダー、小沼敏雄さんを取り上げましょうかね♥
珍しくWikipediaじゃなく、ゴールドジムのホームページからですね♥
■プロフィール
1959年生まれ
東京都出身
身長:174cm
体重:84kg
そんな訳で、僕より年上の男性は初になりますね♥
小沼さん、Wikipediaはあるけどプロフィールが
無かったんです。
Wikipediaには僕が伝説のボディビルダーと書いた理由があるので載せますか!
1983年、日本ボディビル選手権大会(通称ミスター日本)に初出場し2位。1984年に再び2位。
1985年に初優勝し、1986年に欠場(優勝者は2年連続出場することは出来ないと思い込んでいた為)の後、1987年から1999年にかけて13連覇を果たし、14回優勝という未曾有の記録を打ち立てた。
その圧倒的な強さは、当時のボディビル関連の雑誌に「やはり小沼か」と書かれるほどだった。
1988年アジアボディビルディング選手権男子90kg以下級優勝。1989年アジアボディビルディング選手権男子85kg以下級優勝。その後、肩の故障によるブランクを乗り越え、2002年世界マスターズボディビル選手権大会40歳の部80kg級において優勝。
という輝かしい経歴の持ち主なんですよね♥
ゲイか悩んだ青春の話ってブログに取り上げた、前田日明さん&ジョージ高野さんと同世代ですね♥
僕にとっては、ちょうど良いくらいの兄貴分かもしれないですね。
ゴールドジムのホームページには
15才~17才までボクシング競技
17才からボクシングの補強でトレーニング開始
ってありました。
もしかしたら僕は、小沼さんが兄なら画像の感じで初の放出=女性なら御赤飯♥
その可能性ありだったかもしれないのかな♥
そう思わせるのは、腰周りに布の幅がある俗にいうビルパンの影響もありそうですね。
短髪&そんなにハイカットでもないビルパンから、前の画像に色を付けたら?
そんな画像ですが、学生時代じゃないかと想像します。
そうなると3年差があるから、僕は高校生かな?
なら、まだ小沼さんとの雑誌でだけの出会いはないでしょうね。
大型書店のスポーツ雑誌コーナーでも、いわゆる平積みじゃない棚に立てられてる感じ。
それがボディビルディング誌でしたね。
プロレス団体と違い、忘れたくらいの街の距離感ごとにボディビルのジムはある感じでした。
ウエイトトレーニングなら、動いたり技を覚える必要がないだろうから、運動神経の鈍い僕でも画像みたいになれるかな?
とか思っても、行動範囲にジムは無かった!
けど、男として体を比較して競技になる。
そんなボディビルは、秋口〜晩秋までのコンテスト期間の楽しみになりましたよ♥
なんていうか、専門家数人が審査して決めた日本一の小沼さんの肉体。
だけどボディビルを全く知らない僕は、そこからの自分の感性でビルダーさんの品評会をすることが秋の楽しみになりました♥
いつの間にかビルダーさんは、お尻=大臀筋。
そこから込みで、目一杯に足と尻までのギリを見せようとして、いわゆるブーメランパンツを取り込みました。
そこから=ブーメランに納得したからかな?
ビルダーさんのビルパンは、The男をポロリしない程度にフロントがなったんで、想像力による自分とのThe男比べをしたくなり、男性ホルモン青蔵工場=俗にいうお稲荷さんまで想像力を働かせ始めました。
見せられる部分を最大限に見せてくれると、自分の貧相な筋肉の勝ち目は完全にZeroだから、隠さざるを得ない部分にも僕の敗北を想像したくなるんでしょうね♥
だけど60歳を越えてるから、トレーナーとかしてるんですよね?
つまり画像みたいにハチマキかな?
そんな大会の採点時間にゲストとしてポージングする確率は?
きっと無いでしょうね。
結婚もされているから、もうThe男は定年を迎えているのかな?
でも
トレーナーしながらも=誰かを教えながらも
このくらいはキープしてたら?
まだまだOKかな♥
まだまだOKかな♥
だからこそ、あの頃の小沼さんと妄想世界で····♥
なんて現実社会でも、妄想世界でも無理な1文で締めとしますか!
って訳で今回はここまで♥
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