時の流れの中で

生活の中で見たこと、聞いたこと、考えたことなどを、思いつくままに、文や写真や絵などでつづっていきます。

鮫洲八幡神社

2007年06月28日 | タウンウオッチイング

京急鮫洲駅で下車して1分。鮫洲八幡神社がありました。

 

         

神社に次のような掲示がありました。(一部掲載)

    鮫洲の地名のおこり

鮫洲はサミズともいわれ、地名のおこりは
(1)「サミズ」は砂水と書き、海岸が干潟になった時、砂の中から清水が出てく
  ること から、この名になったという。
(2)海晏寺(かいあんじ)伝に「建長3年品川の海上に大鮫が死んで浮き上で
  てきたのを漁師が腹を裂いたところ、腹中から木造の観音様が出現し人々
  に不思議な恩をさずけた」ということから門前を鮫洲と呼んだという。
(3)この浜辺に鮫があがったことがあるので鮫洲となったという。
               
                        などの説があります。

    鮫洲八幡神社

旧御林町(のち大井鮫洲町、現在は東大井一丁目、同二丁目の一部、同四丁目)の総鎮守です。
創立の年代はさだかでないが、寛文の頃(1661~1672)には、すでにあったとされています。
境内には猟師町の鎮守らしく漁業関係者が寄進した灯篭や狛犬があります。

     御林浦(猟師町)

江戸時代、東京湾を臨む品川には、品川浦と御林浦(おはやしうら)の二つの漁村があり、江戸城御用の鮮魚を納める御采肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)の一つとして発展しました。
ここでの漁獲物の多くは、芝金杉(しばかねすぎ)や本芝(ほんしば・港区)の魚問屋で売りさばかれていました。
また、海苔の養殖採取もさかんでした。海岸の埋め立てが進み昭和37年(1962)の漁業補償協定の成立で江戸前漁業の終わりをむかえました。


八幡神社には、狛犬が3組ありました。

       

 

     

 

     

 


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