こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
常陸大宮市泉を紹介します。
上の写真は泉地区にある三蔵の滝という泉です。地元の方は飲料水として使っています。2011年3月11日に起きた東日本大震災の後も水はこんこんと湧き出ていました。断水のため常陸大宮市内の方が列をなして水を汲みにいらっしゃいました。太陽とこのような泉には自然の無償の愛を感じます。
以下はWhikipediaから引用。
「常陸大宮市(ひたちおおみやし)は、茨城県北西部の県北地域に位置する市です。泉(いずみ)は常陸大宮市の南東端にある集落です。
茨城県
2004年10月16日に那珂郡大宮町が、那珂郡山方町、美和村、緒川村、東茨城郡御前山村を編入合併すると同時に改称・市制を施行して常陸大宮市となりました。
改称の理由は、埼玉県にかつて存在し、現在もさいたま市大宮区としてその名を残している関東地方で認知度の高い大宮市との重複を避けるためです。市名の「大宮」は、旧大宮町下町に位置する甲(かぶと)神社の尊称「甲大宮」に由来し、中心部に位置する鉄道駅は合併以前から「常陸大宮駅」を名乗っていました。
常陸大宮市は茨城県の北西部、八溝山地の東麓に位置し、面積の6割が森林・原野です。市の東部を久慈川が北から南へ流れ、これに沿って国道118号・JR水郡線が整備されています。市南東部に市街地が位置し、特に国道118号の那珂大宮バイパスは市のメインストリートとして多くの商業施設が立ち並んでいます。また、南西部には那珂川が流れ、古くから川沿いに水戸城下と栃木県方面を結ぶ街道が整備され、そのルートはおおむね現在の国道123号となっています。」
Whikipediaの引用おわり。
茨城県常陸大宮市埋蔵文化財調査報告書第26集
泉坂下遺跡V ごあいさつ3行目より引用。
「常陸大宮市域の北側には八溝・久慈川山系からなる山地が連なり、南西端を那珂川が、東側を南北に縦断する久慈川が流れる景勝の地です。また、市域の中央には久慈川支流の玉川と那珂川支流の緒川が南北に流れています。高度に応じた緑豊かな丘陵・台地・低地を形成し、原始・古代からの重要な遺跡が多く残されています。
(人面付壺形土器発見の発端)
昭和55年頃、久慈川右岸の泉地区字坂下で、菊池榮一氏が転居後の宅地を水田として整地する際に偶然2個の弥生土器を発見し、大宮町歴史民俗資料館(当時)に寄贈されました。このことを発端として平成18年に鈴木素行氏による学術調査が行われました。再葬墓が確認されるとともに国内最大の人面付壺形土器が出土し、多くの考古学関係者や市民の注目するところとなりました。」
引用おわり。
最後に、何故なのかは自分でもよくわからないのですけれど、私たちが住んでいる常陸大宮市泉の「遺跡と空と自然」を紹介するブログを書き始めてから、小生の気持ちがすごく落ち着いたのを感じています。書いて残しているだけでうれしく楽しいです。
ご訪問ありがとうございました。