「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

「フレンチローズとエコルド・パリ25」

「フレンチローズとエコルド・パリ25」


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「荻須高徳」1901年~1986年
東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した1927年、本場の油彩画を学ぶためにパリに渡った荻須は、パリの街絵を歩いて絵を描くなかで、建物の歴史の重層性や人びとの息遣いにふれ、それらに強く惹かれるようになる。個展の開催やパリ万国博覧会への出品など、画家としての足場を固めてゆくものの、1939年には第二次世界大戦が勃発、翌年にドイツ軍のフランス侵攻によりパリが陥落したため、荻須は帰国することとなる。戦後、フランスの友人の尽力により、荻須は再びパリに渡る。戦後の美術界の主流は抽象画ではあったものの、具象画を手がけてきた荻須は自己の表現を大きく変えることはなかった。1956年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章し、1978年にはパリ市主催で回顧展が開かれるなど、国際的な評価を受けるようになりました。


「荻須高徳」
「パリを愛し街並み描いた彼こそは 最もフランス的な日本人」



「バーとたばこ屋」1976年
参照
https://www.fashion-press.net/news/77503

23年7月17日撮影


※9月9日(土)10日(日)はお休みです。

コメント一覧

knsw0805
さわさん、こんばんは。
朝から雨ですが、こちらも普通の雨状態です。少し拍子抜けしています。フレンチローズは25回分つまり今回で最終となります。来週・再来週とフレンチローズやエコルドパリ派のまとめをして終了します。9月下旬からはまた新しいシリーズになると思います。今部屋は少し肌寒くなりました。どうぞ気をつけてください。
さわやか♪
こんにちは

薔薇の葉っぱも綺麗ですね
お手入れの良さが葉っぱを見ればわかります
薔薇もこの日の暑さに耐えて頑張って咲いてくれていましたね
姿の綺麗なバラを見つけると嬉しくなりますよね♪

こちらは朝から雨ですが普通の雨降りです
今日はのんびり家のことをやっているつもりです
主婦の醍醐味とでもいうのでしょうかね!(^^)!

お休みですね たっぷりと感じてくださいね
秋は確実に進んできていますから
また忙しくなりそうですよ♪
いつも励ましのコメント嬉しいです やる気モリモリでっす
今日も明るくさわやかに過ごしましょうね
( ^^) _旦~~
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