「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

「フレンチローズとエコルド・パリ⑭」~シフォード

「フレンチローズとエコルド・パリ⑭」~シフォード


23年7月17日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。そこは4つのローズガーデンより分かれていますが今回はフレンチローズガーデンを撮影しました。フレンチローズガーデンとエコルド・パリとは何の因果関係はありませんが、最初の1枚目撮影したのがモーリスユトリロでした、彼は後期印象派の後のエコルド・パリ派と呼ばれています。そこでエコルド・パリとフレンチローズを掲載・解説してみたいと思います。


「エコルド・パリ」とは~

1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。


「モイズ・キスリング」1891年~1953年
モイズ・キスリング(1891-1953)は、ポーランドの古都クラクフの裕福な仕立屋の息子として生まれました。明るく鮮やかな色彩で、異国的な情感の女性像を描くことで知られるエコール・ド・パリを代表する画家のひとりです。地元クラフクの美術学校で、印象派の影響を受けたユゼフ・パンキェヴィッチ(1866-1940)に師事。その後、1910年にパリへ出て画家として本格的に絵を描き始めました。パリへ出た当時、第一次世界大戦開戦前ということで生活は苦しかったといいます。しかしキスリングと同郷の画商、アドルフ・パスレルや東欧出身のユダヤ系の支援に恵まれるなど、経済的な困窮はなかったのだそうです。



「モイズ・キスリング」
「モデルたち嫉妬の渦に巻き込んだ 逸話の残るキキの艶姿」



「モンパルナスのキキ」1925年
参照
https://artmuseum.jpn.org/mu_monparunas.html

23年7月17日撮影

フレンチローズ「シフォード」
やや波打つ花弁がやさしく重なる中輪花で、5輪前後の房咲きに。クリームピンクからクリームイエローに変化しながら開花するので、花房全体として淡いグラデーションが美しいです。樹形は小型のシュラブでまとまりよく、耐病性も強いので育てやすいバラ。花名は、「シフォン”のようにやさしく柔らかい」花のイメージから名付けられました。
品種名 シフォード
咲き方 四季咲き
花色  クリームイエロー
香り   微香
作出年 2011年
作出者 ドリュ
作出国 フランス


参照
https://hanahana-shop.com/products/doa39849
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Rose Library」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事