先週の土曜日の夜今年から大学に通い出した広島の孫娘からメールがありました。今関空に着きインドネシヤに行く便の搭乗手続きが終わった、と言うことでした。そうなんです。彼女は大学が募集していた事もあり、兼ねてから日本を含む東南アジヤの古代史の勉強に興味を持っていたので、この留学に応募していく事になったのです。彼女へは、思う存分楽しんでおいでと返信メールを送って励ましてあげました。
若い頃の私だったら、言葉も分からない治安が良いとは言えないところへ漸く20歳になったばかりの女の子が何故行かなければならないのかと猛反対していた事でしょう。広島の孫娘の母親、つまり私の娘ですが、彼女が高校生の頃留学したいと言い出した頃を思い出します。その時彼女は友人が3ヶ月程アメリカかカナダに留学したのに刺激された様です。私と妻は海外へは行った事がなかったので猛反対しました。
私の海外行きは40歳を過ぎて突然やって来ました。仕事で得意先、私の上司と一緒にヨーロッパ・北欧に行く事になりました。それも3週間の長旅でした。何しろ海外へは行った事がなかったので何を持って行ったら良いか、着替えは、下着は、コンセントの形🔌、電圧は100vか200vか、仕事で使うビデオのテープは向こうで手に入るかなどなど必死で揃え、リースした特大のスーツケースに積み込みました。そして、先ず着いたのはスウェーデンで、最初の仕事はスウェーデン地下鉄の駅舎の視察でした。地下鉄のトンネル・地下の駅舎は掘った石がむき出しでその上にペンキを塗って仕上げていました。日本では考えられない事でした。その次行ったのは北極圏に近いシェルテフィオという町で、材木会社、木材加工会社を周り、ストックホルム近くの町の塗料会社で外壁用吹き付け塗料の吹き付け試験、コンクリート床面の補修材の使用方法施工例などの視察、更に自動車塗料会社などなど得意先の商談のお手伝いをし、スウェーデン南部の石材会社とは得意先が計画している第二自社ビルの外壁に使えないか採石場加工場の視察をしました。休日にはノーベル賞の授賞式などが行われる旧市庁舎にも行ってきました。食事会に出されたメニューで食事が出来るレストランもありましたが、流石そこはパスしました。それからスウェーデンで泊まっていたのはノーベル賞受賞者が泊まるキングホテルでした。1番驚いたのは、トイレで便座に座ると足の長さには自信を持って私の足が浮いてしまった事でした。それほどスウェーデン人は巨人揃いなのでしょう。スウェーデンの旅は以上で、次はドイツでした。ここでも石材会社と工場、フランクフルトの建物。商談と石貼外壁の見学。そんな具合に後オーストリア・イタリア・フランスを回る旅行でした。そこで色々な会社の経営者や事業責任者と論議したり、そこで働いている人々の仕事ぶりを見たり、心配していたチップも心配する程のこともない事が分かりあっという間に海外出張旅行は終わりました。
帰国後先ず考えが変わったのが、何故もっと早く海外に行かなかったのかなあと言う事でした。行かなければ何も始まらないですね。ヨーロッパの若者も一生懸命働いていました。北極圏に近い街では朝7時には工場が稼働を始め、午後3時には終業でした。彼らはそれから存分自由時間を楽しんでいると言う事でした。日本では3時に退社して帰ったら上司に睨まれかねないです。行った時は11月だったので、朝太陽が上がってくるのは9時過ぎ沈むのは3時頃でした。それも出た太陽は上に上がることは無く水平に走って見えなくなるというような感じでした。そんな中、髪の毛が長い男の子が朝早くから工場で働いているこの国はまだまだ大丈夫だろうと感心しました。この町での最終日見学先の工場主と我々で打ち上げに行った所は、大きなダンスホールの様な所でした。夜12時過ぎまで熟年夫婦から老夫婦まで楽しそうにダンスを楽しんでいる事にビックリしました。参加を促されたのですが、音痴ならぬダン痴(踊痴)ですからと必死に断りました。日本にいたら外国のその辺の事は何も分からないですね。狭小な視野では物事の良否、善悪を判断するのは難しい、もっと広い視野を持たないと、もっと広い視野を持つにはどうしたら良いか?そう思った時若い内に海外に行くのもあるかなあと思えました。
そう考えを変えてから先ず家族でシンガポール旅行に行ってきました。阪神大震災が起きる前年は先ず妻とヨーロッパに2週間かけて旅行し、その年の年末家族4人でシンガポールを旅しました。その後娘達は大学の友達同士で海外旅行を楽しんでいました。私は年末年始休みが結構長く取れたので家族で香港にも行きました。長女は社会人になってから勤務していた会社の許可を得て、フランスの留学生を募集していた学校に1ヶ月ほどフランス語を習いに行ってきました。それも入学手続き、下宿先探し、航空券等全て自分で手配してでした。これには当時の私にも出来ない事でした。彼女は新婚旅行も全て自分で手配し南フランスの小さな村に行って来ました。ツアー旅行には無い旅でした。
そんな事で孫娘への返信には、今回の様な機会は今度はいつ来るか分からないので、やりたいことは全てやっておいで、楽しんで来てよと言ってあげました。インドネシヤのバリ島は知っていますが、今度彼女の行く所はそんな観光地ではありません。インドネシヤの大学生と共同生活をしながら、発掘か何かの共同研究をする為に行ったはずです。国立大学でないと補助の無い高額な留学になったかもしれませんが、今回は驚く程経済的に助かる補助制度が適用された様で娘が有難かったと言っています。
私は今更インドネシヤに出かけようとは思いませんが、島々には色鮮やかな野鳥達が乱舞している姿が目に浮かびます。日本の野鳥は600種以上だそうですが、私はまだ二百数十羽しか撮っていません。体を元通りにして更に鍛え終わったら行けるかも知れません。
動画は通常は日本では見ることの無いサバクヒタキと言う野鳥です。彼は迷って日本にやって来ましたがどう感じてここに留まったのでしょうか?
サバクヒタキの写真
高校時代の友人が描いたスケッチ画
サバクヒタキの写真
若い頃の私だったら、言葉も分からない治安が良いとは言えないところへ漸く20歳になったばかりの女の子が何故行かなければならないのかと猛反対していた事でしょう。広島の孫娘の母親、つまり私の娘ですが、彼女が高校生の頃留学したいと言い出した頃を思い出します。その時彼女は友人が3ヶ月程アメリカかカナダに留学したのに刺激された様です。私と妻は海外へは行った事がなかったので猛反対しました。
私の海外行きは40歳を過ぎて突然やって来ました。仕事で得意先、私の上司と一緒にヨーロッパ・北欧に行く事になりました。それも3週間の長旅でした。何しろ海外へは行った事がなかったので何を持って行ったら良いか、着替えは、下着は、コンセントの形🔌、電圧は100vか200vか、仕事で使うビデオのテープは向こうで手に入るかなどなど必死で揃え、リースした特大のスーツケースに積み込みました。そして、先ず着いたのはスウェーデンで、最初の仕事はスウェーデン地下鉄の駅舎の視察でした。地下鉄のトンネル・地下の駅舎は掘った石がむき出しでその上にペンキを塗って仕上げていました。日本では考えられない事でした。その次行ったのは北極圏に近いシェルテフィオという町で、材木会社、木材加工会社を周り、ストックホルム近くの町の塗料会社で外壁用吹き付け塗料の吹き付け試験、コンクリート床面の補修材の使用方法施工例などの視察、更に自動車塗料会社などなど得意先の商談のお手伝いをし、スウェーデン南部の石材会社とは得意先が計画している第二自社ビルの外壁に使えないか採石場加工場の視察をしました。休日にはノーベル賞の授賞式などが行われる旧市庁舎にも行ってきました。食事会に出されたメニューで食事が出来るレストランもありましたが、流石そこはパスしました。それからスウェーデンで泊まっていたのはノーベル賞受賞者が泊まるキングホテルでした。1番驚いたのは、トイレで便座に座ると足の長さには自信を持って私の足が浮いてしまった事でした。それほどスウェーデン人は巨人揃いなのでしょう。スウェーデンの旅は以上で、次はドイツでした。ここでも石材会社と工場、フランクフルトの建物。商談と石貼外壁の見学。そんな具合に後オーストリア・イタリア・フランスを回る旅行でした。そこで色々な会社の経営者や事業責任者と論議したり、そこで働いている人々の仕事ぶりを見たり、心配していたチップも心配する程のこともない事が分かりあっという間に海外出張旅行は終わりました。
帰国後先ず考えが変わったのが、何故もっと早く海外に行かなかったのかなあと言う事でした。行かなければ何も始まらないですね。ヨーロッパの若者も一生懸命働いていました。北極圏に近い街では朝7時には工場が稼働を始め、午後3時には終業でした。彼らはそれから存分自由時間を楽しんでいると言う事でした。日本では3時に退社して帰ったら上司に睨まれかねないです。行った時は11月だったので、朝太陽が上がってくるのは9時過ぎ沈むのは3時頃でした。それも出た太陽は上に上がることは無く水平に走って見えなくなるというような感じでした。そんな中、髪の毛が長い男の子が朝早くから工場で働いているこの国はまだまだ大丈夫だろうと感心しました。この町での最終日見学先の工場主と我々で打ち上げに行った所は、大きなダンスホールの様な所でした。夜12時過ぎまで熟年夫婦から老夫婦まで楽しそうにダンスを楽しんでいる事にビックリしました。参加を促されたのですが、音痴ならぬダン痴(踊痴)ですからと必死に断りました。日本にいたら外国のその辺の事は何も分からないですね。狭小な視野では物事の良否、善悪を判断するのは難しい、もっと広い視野を持たないと、もっと広い視野を持つにはどうしたら良いか?そう思った時若い内に海外に行くのもあるかなあと思えました。
そう考えを変えてから先ず家族でシンガポール旅行に行ってきました。阪神大震災が起きる前年は先ず妻とヨーロッパに2週間かけて旅行し、その年の年末家族4人でシンガポールを旅しました。その後娘達は大学の友達同士で海外旅行を楽しんでいました。私は年末年始休みが結構長く取れたので家族で香港にも行きました。長女は社会人になってから勤務していた会社の許可を得て、フランスの留学生を募集していた学校に1ヶ月ほどフランス語を習いに行ってきました。それも入学手続き、下宿先探し、航空券等全て自分で手配してでした。これには当時の私にも出来ない事でした。彼女は新婚旅行も全て自分で手配し南フランスの小さな村に行って来ました。ツアー旅行には無い旅でした。
そんな事で孫娘への返信には、今回の様な機会は今度はいつ来るか分からないので、やりたいことは全てやっておいで、楽しんで来てよと言ってあげました。インドネシヤのバリ島は知っていますが、今度彼女の行く所はそんな観光地ではありません。インドネシヤの大学生と共同生活をしながら、発掘か何かの共同研究をする為に行ったはずです。国立大学でないと補助の無い高額な留学になったかもしれませんが、今回は驚く程経済的に助かる補助制度が適用された様で娘が有難かったと言っています。
私は今更インドネシヤに出かけようとは思いませんが、島々には色鮮やかな野鳥達が乱舞している姿が目に浮かびます。日本の野鳥は600種以上だそうですが、私はまだ二百数十羽しか撮っていません。体を元通りにして更に鍛え終わったら行けるかも知れません。
動画は通常は日本では見ることの無いサバクヒタキと言う野鳥です。彼は迷って日本にやって来ましたがどう感じてここに留まったのでしょうか?
サバクヒタキの写真
高校時代の友人が描いたスケッチ画
サバクヒタキの写真
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