「…自分だけは風呂敷に、下駄草履だった…」の部分は、
「風呂敷に、空襲から逃れた時に履いていたままの「ボロ靴」でした」 とのことです。
下駄か草履なのは、当時の園児たちの大半がそうだったそうで、靴は少数だった、とのことです。
また追記として、カバンを頂いた卒業式に近い日を、「昭和22年」と書きましたが、
「カバンを頂いた年は原田先生が着任してからですから、昭和24年3月頃?かも…。
今でもその折りに担任した男児のお母様の面差しを思い出します」
とのことです。
ですから ずいぶん長いこと石橋先生は風呂敷で幼稚園に通われていたのですね。
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