日本古代史ブログ

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項羽の末路と劉邦の笑い

2021-10-31 06:51:33 | 歴史のおしゃべり

歴史上にごう慢チキチキな人物は存在します。誰が代表格だというと私は項羽と劉邦の項羽だと思います。

イチ押しです。決して馬鹿な君主や王様ではないのですが性格が激しいのでやることなすこと敵を作ります。

そのような人物は歴史上に多くいますが項羽はモグラたたきの下手糞な君主と私は断言します。

モグラはここでは項羽の敵だと思って下さい。もちろん劉邦も含まれます。

なんでこのような話になるかは以下の理由です。昔はよく私はモグラたたきゲームで遊びましたが時間が迫るとモグラが一斉に出ました。

叩いた数でモグラたたきは点数を競うのですが項羽は叩いても叩く気が済まなくてモグラたたきを壊してしまうプレーヤーのようにも思えました。

なので地道に叩いていた劉邦と勝負した結果で退場を食らって負けたようなものだと私は分析しています。

私が歴史的評価をしますと天下を手中にしながら逃した悪例を項羽はさらす結果になったと嘆いている次第です。

例えば甲子園の強豪チームがたまたま勝ち上がってきた普通の名もなきチームに最終回で逆転負けをしたようなものです。

ある意味、項羽が負けたのは奇跡ですし劉邦が勝ったのも奇跡です。

普通ならば慢心が存在しますが項羽は自分のやり方を貫いて負けに至りました。監督になるべき人物ではなかったと伺います。

プレーヤーでは優秀でしたが監督になるとさっぱりの人物のようです。

もちろんチームは引っ張れますが強引でボーナスをケチるので韓信と陳平は劉邦のもとに下ってしまいました。

これはもう大きな損失です。エースと四番打者が欠けているようなものです。

おまけに黥布や彭越は項羽の邪魔をする結果にもなりました。この二人は野球でいうと足で稼いで劉邦の得点を稼ぎます。

そうしているうちに劉邦が追いついてきて項羽は最後に逆転負けです。自分だけを頼みにして我が道を突っ走るとこのような目に遭います。

おまけに垓下の戦いで辞世の句とも呼べる詩を作って、俺が負けたのは天が見捨てたからだ、なんて詠うものですから、もう手に負えません。

史実では違うようですが、講談で奥さんの虞美人が自害します。これは項羽の惨状を目の当たりにして本当に自害したのではないでしょうか。

史実とダブっているかは項羽でないのでわかりませんが。

一方劉邦は項羽に勝った後に、詩を作っていますが、僕が勝ったのはみんなのおかげ、と自分自身をわかっています。

流石は名君です。項羽の波状攻撃に耐えて最後に笑いました。歴史とは皮肉なものです。

優勝劣敗が働くはずなのに淘汰されたのは優秀な項羽でした。

歴史を鑑みると項羽に足りないものを自分に当てはめてみると意外とあることに気が付きます。

項羽は流石、反面教師の王様です。

劉邦は項羽が相手で本当によかったでしょう。天下をとれて。

古代史の分身の牧野君の時代小説です。

どうか読んでください。

お願いします!

 

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曹操が天下を取れなかった一番の理由

2021-10-30 16:11:10 | 歴史のおしゃべり

劉備は優秀な英雄なのでしょうか?英雄の中ではあまり秀でていない英雄だと伺います。

しかしながら董卓や袁紹や袁術や呂布に比べると英雄の器が違います。

だから曹操が自宅に呼びつけて酒を酌み交わしたときに、英雄とは君と余だ、と発言したのも頷けます。

何が頷けるかは聡明さでしょう。仁徳にあふれていた英雄なので人が集まってきます。

曹操は劉備を自分と肩を並べるものとしました。いかに聡明に振舞えるかで英雄の器を判断していたと分析します。

韓非子に載っている申不害の言葉です。見えないものが見えるのを明という。聞こえないものを聞こえるものを聰という。

曹操はどんな困難にもへこたれない英雄といえます。私は才能で自分を助ける才能は自分の欠点に気づく才能だと思っています。

残念ながら董卓をはじめとした袁紹、袁術、呂布には曹操と劉備ほど気づきの才能は有りませんでした。

曹操と劉備はその才能に長けていたと伺います。董卓はいい気になって呂布に殺害されました。

呂布は将軍としては優秀だったのでしょうが英雄としては小粒のようです。結局、曹操と劉備がタッグを組んだら敵いませんでした。

袁術は皇帝を名乗ったら自滅してしまう失態を犯しています。なのでこの場では論外な英雄とさせていただきます。

袁紹は曹操と競る勢力や英雄の相を持ちながら最終的には曹操に負けています。

曹操にとって幸運だったのは袁紹よりも英雄の器が大きかった事実です。曹操は独裁者のくせに人材を集めてコレクションにしていました。

劉備の関羽も一時期手厚くもてなしていたのは三国志ファンならばご存じかと伺います。

ところが袁紹はトップとして一番やっていけない失態を犯しています。

部下の才能をねたむ傾向が強いので優秀な軍師の田豊や沮授を使いこなせませんでした。

これだけ曹操と袁紹を比較してみると意外と袁紹にも人材が多くいる事実がハッキリします。

歴史マニアには田豊と沮授は諸葛孔明に匹敵する軍師とも評価されます。曹操は劉備を怖がっていたのも事実でしょう。

自分の懐に入れていたので安心して劉備には言っていけない言葉を吐いたのでしょうか。君と余だ、と。

劉備は危機感を抱きその後は曹操から袁術討伐の口実を設けて逃げ出す形で曹操のもとから脱出します。

流石の曹操もいい気になっていたのか軍師の一人の郭嘉に苦言を吐かれてやっと気が付きました。

虎に翼を貸して与えたようなもの、と。ともかく、曹操が天下を逃したのはこの失態に尽きるようです。

赤壁の戦いには諸説ありますがブレなく赤壁の戦いに進んで劉備がいなかったら全く違った展開になったでしょう。

諸葛孔明は劉備なくしてどこに仕えていたか不明です。曹操は逃げた劉備を捕まえることはできませんでした。

なので三国の時代が到来しました。

劉備が曹操のもとに駆け込んだ時に軍師の荀彧は殺すべし、郭嘉は生かして使ったほうが今はベスト、と進言しました。

曹操は郭嘉の進言を用いましたが用心に用心を重ねたと伺います。

しかし酒が入ったのでしょうか、うっかり言ってはいけない言葉を劉備に吐いたので三国の時代が到来しました。

しかも生かす進言をした郭嘉に諭されて気が付いたとはなんという皮肉でしょう。

曹操は天才中の天才と評価されますが天下を手中にできなかったのは肩を並べる劉備の扱いに誤りがあったからだと伺います。

曹操が天下をとれなかった最大の理由はここにあるのかもしれません。曹操ファンとしては残念です。

古代史の分身の牧野君の時代小説です。ぜひ読んでください。

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歴史の功績

2021-10-22 09:40:06 | 歴史のおしゃべり

 

上の小説は拙著です。

古代史オウメの分身の牧野君の作品です。

よろしくお願いします。

歴史学は大きな功績を社会に提供しています。

歴史は統計学です。いや統計学の科学です。かつ人間のする行動学です。

テレビにモニタリング的番組があります。そのデータを集めたのが歴史学と言い換えられます。

いつの時代も成功者と失敗者は同じです。

きつい表現でいえば賢いものが勝者になりその賢者に及ばなかったものが敗者となります。

優勝劣敗の法則でしょうか。現実とは厳しいものですね。

だから徳川家康は織田信長や豊臣秀吉に敵わないことを悟ると死ぬまで待つ作戦に出たともいえます。

まさに鳴くまで待とう時鳥です。

家康にこじつけますが家康は歴史を好んだといわれています。

史書を紐解いて家康はこう悟ったに違いありません。

自分が信長や秀吉に勝てないのを知ったので勝負を避けて損害を減らしたのでしょう。

もちろん暗殺をするわけにはいきません。

信長の庇護に合った時期もありますし秀吉には敵わない時期もありました。

なので家康はじっと耐えて時期を待ったのでしょうね。

これも勝者になるやり方です。

すごく邪なやり方ですが自分より強い存在が消滅するのを待っていたようです。

家康は嫌な男に見えますがそれだけ乱世を終わらせたかったのでしょう。

信長に息子と妻を切腹させられても秀吉に関東に移封されてもめげませんでした。

その点だけは買おうと思います。

根性のある奴だと。

なんだか暗い話になってしまいましたが家康を倒す方法も恐らく石田三成が考えていたに違いありません。

歴史をもっと三成は活用すべきだったのでしょうね。

だから関が原で負けたのでしょうか。

そう思うとちょっと残念に感じますね。

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