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函館、、函と書いてますが、、思えば⬇️
いわゆる『箱館戦争』の表記は箱です。
新政府軍と幕府軍の最後の戦い〜それが箱館戦争(五稜郭の戦い)。
その後 箱⇨函、、函館になりました。
(理由はいろいろ言われてますのでここでは書きません)
そういえば、、神奈川の有名な箱根は箱。だけれど、、箱根町の函嶺洞門は、函だったよねーー。
なぜ?なぜ?って聞かれても上手く説明できないわ、私😅 漢字は興味深い。
もし箱館戦争を函館戦争って書いてた生徒の回答用紙あったら?? そんなことがちと頭によぎった。
では-今回は、私が行きたかった、というか見にいきたかった、、そんな話と写真です。
それは、【時代は、↑箱館戦争より前の】江戸後期の人-蠣崎波響-彼の絵です。
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私たちの旅行には神社仏閣はかかせません。もちろんこの旅行でも!
で、、今回 日程決まったときに↓☟これ見つけたのですよ!\(~o~)/
【2023年4月1日(土)~15日(土)高龍寺本堂で「蠣崎波響」の「釈迦涅槃図」が一般公開されています。
「釈迦涅槃図」は江戸時代後期に描かれた釈迦が亡くなるときの様子を描いたもので、毎年「高龍寺」では釈迦の法要が行われるこの時期に本殿で公開しています。】
きゃ!!嬉しくなっちゃって、、小躍りした(笑)私。
夫の希望の大沼からの駒ヶ岳も無事に堪能し、、この日は私の希望の場所へ❤(ӦvӦ。)
バスに乗って🚌ここで降りました。
【高龍寺】
曹洞宗のお寺さん(我が家も曹洞宗です)
函館で1番古いんですね。
山門 とっても堂々として立派!圧倒されました😊
⏫
おっ!蠣崎波響!!
⏫
⏫
江戸時代初期から さまざまな歴史とともに歩んできたお寺さんなんですね。
詳細は省きますね。
ご挨拶させていただきました。
ご挨拶させていただきました。
私は、絵とか芸術的なことは(も!)全くの門外漢。でも 本読んで蠣崎波響のことはとっても印象深くて。
蠣崎波響は、松前藩の家老でした。一時 松前から陸奥国に、、波響は、絵を描きそれを売って資金にして復領のために頑張ります(賄賂みたいな?)そして再び松前に戻れました→私の簡単な説明です^^;
また彼の本を読み返したいな。
許可を得て 中へ〜。
写真はOKと言われました。有難い。
素晴らしい!!
それしか言えません。まさかこの目で見られるとは、感激しました。
ゆっくりと。ありがとうございました。
私が説明なんてできませんので 参照文を載せます👇
【この「釈迦涅槃図」は、「蠣崎波響」と親交のあった「高龍寺」の「華重禅海住職」に1811年に贈られたものだそうで、縦3メートル、横は掛け軸2本で2.8メートルも大作で、北海道指定有形文化財です。
釈迦・僧侶・貴族・俗人のほか、様々な植物や動物が繊細に描かれています。】
では-👋
いつもありがとうございます。
函館旅、、多分 あと2回お付き合いくださいね。
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