こんにちはフォトグラファー大北です
先日夕方から奥嵯峨を自転車でぶらぶらしてまいりました。
先ず竹林を奥まで進むと嵯峨野トロッコ列車嵐山駅が見えて来ます。
トロッコ嵐山駅を過ぎると、すぐに御髪神社が池のそばにあります。
こちらの神社は髪の神様が祀ってあるらしく、月曜日に美容師の方達が多く参拝されるそうです。
さらに奥に行けば洛柿舎が
落柿舎は向井去来の遺跡だそうです。
落柿舎の名前の由来 庭に柿の木四十本あり、その柿の実が一夜のうちに殆(ほとん)どおちつくした。それが落柿舎の名の由来(ゆらい)とかかれています。
あいにく閉館中でした。残念です。
でも現在は、開館されています。
開園時間 9時~17時(1月・2月は9時~16時)入館料 ¥200
立て看板落柿舎の事がわかりやすく説明されています。
落柿舎からはしばらく何もなく一般道が続きます。
しかし、二尊院を過ぎるとこのような家屋が立ち並んでいます。
何となく倉敷の美観地区の様な雰囲気があります。
石畳の道を登って行けばこのような光景が
繭で造った可愛らしい人形を売っているまゆ村さんがあります。
多分、恐らく、もしかして、日本はおろか世界中でも
たった一軒の繭人形の専門店です。
観光シーズンには大勢の女性客で賑わうそうです
こちらが化野念仏寺の入り口になります。奥嵯峨野の一番奥になる所です。
「あだしの」は「化野」と記します。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図しているそうです。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所だそうです。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓だそうです。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられました。
11月23日には『お火焚』が開催されます。
境内内の御社に海や山の幸をお供えし、感謝を捧げるお祭です。
皆様も一度このあたりをぶらっと散策してみてください。
きっと楽しい事に巡り合えると思います。
先日夕方から奥嵯峨を自転車でぶらぶらしてまいりました。
先ず竹林を奥まで進むと嵯峨野トロッコ列車嵐山駅が見えて来ます。
トロッコ嵐山駅を過ぎると、すぐに御髪神社が池のそばにあります。
こちらの神社は髪の神様が祀ってあるらしく、月曜日に美容師の方達が多く参拝されるそうです。
さらに奥に行けば洛柿舎が
落柿舎は向井去来の遺跡だそうです。
落柿舎の名前の由来 庭に柿の木四十本あり、その柿の実が一夜のうちに殆(ほとん)どおちつくした。それが落柿舎の名の由来(ゆらい)とかかれています。
あいにく閉館中でした。残念です。
でも現在は、開館されています。
開園時間 9時~17時(1月・2月は9時~16時)入館料 ¥200
立て看板落柿舎の事がわかりやすく説明されています。
落柿舎からはしばらく何もなく一般道が続きます。
しかし、二尊院を過ぎるとこのような家屋が立ち並んでいます。
何となく倉敷の美観地区の様な雰囲気があります。
石畳の道を登って行けばこのような光景が
繭で造った可愛らしい人形を売っているまゆ村さんがあります。
多分、恐らく、もしかして、日本はおろか世界中でも
たった一軒の繭人形の専門店です。
観光シーズンには大勢の女性客で賑わうそうです
こちらが化野念仏寺の入り口になります。奥嵯峨野の一番奥になる所です。
「あだしの」は「化野」と記します。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図しているそうです。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所だそうです。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓だそうです。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられました。
11月23日には『お火焚』が開催されます。
境内内の御社に海や山の幸をお供えし、感謝を捧げるお祭です。
皆様も一度このあたりをぶらっと散策してみてください。
きっと楽しい事に巡り合えると思います。